020 風呂と自由日
こうしてエレノア先生による俺の訓練の日々は続いていた。
俺はある時、宿でエレノアに体を拭いてもらいながら、ふと、呟いた。
「あ~あ、風呂に入りたいな・・・」
サーマル村から今まで俺はこの世界で風呂という物を見た事がなかった。
まあ、確かにこの中世的な世界では風呂などないのかも知れないと思ったし、特に探したりもしなかった。
濡れたタオルで体を拭く程度だ。
下手にメリンダさんたちに「風呂はないの?」とか聞いたら怪しまれるかも知れないと思って、聞くのすら我慢していたのだ。
そしてエレノアと一緒に暮らすようになってからは、毎日エレノアに体を拭いてもらっているので、これは凄く気持ちがいい。
この一点だけでもエレノアをこのまま買いたくなる位だ。
しかしやはり元日本人の風呂好きとしては、たまにはたっぷりの湯に入って、体を沈めたかったので、つい口に出たのだ。
すると、エレノアは驚いたように話し始めた。
「風呂?御主人様、御風呂に入りたいのですか?」
「え?うん、まあ、僕の故郷では、ほとんど毎日風呂に入るのが普通だったから。
それに実は僕は凄い風呂好きだったんだ。
だからつい無い物ねだりで口から出ちゃったんだ」
「それは気がつきませんで、失礼いたしました」
「いや、別にいいよ。
そうは言っても、ここに風呂はないんだし、こうしてエレノアに体を拭いて貰うのは気持ちいいしね」
それは本当だ。
しかしエレノアは意外な事を話し始めた。
「いえ、御風呂ならあるのです。
他の町ではない所も多いですが、ここロナバールは大きな都市ですから、町のそこここに御風呂屋がございます」
風呂屋があるだって?!
その話に俺は飛びついた。
「え?ここに御風呂屋があるの?」
「はい、申し訳ございませんでした。
そうと知っていれば、もっと早くに御連れしたのですが・・・」
もっとも風呂と言っても色々ある。
日本でも江戸時代辺りまでは、蒸し風呂のような物が、一般的な風呂だったと聞く。
俺が入りたいのは、湯船に湯がたっぷりと張ってある風呂なのだ。
「その風呂ってどういう風呂?蒸し風呂みたいなの?」
「もちろんそういう御風呂もございますが、基本的には体を洗う洗い場と、大きな浴槽があり、そこに入れてある湯の中に、体を入れて温める物でございます。
御望みなら水風呂もございますが・・・」
おお!それこそが俺の求めている「風呂」だ!
そんな物がこの世界にあるなら、是非入りたい!
「へえ?じゃあ、この町で風呂に入れるんだ?」
「ええ、今日はもう遅いですが、明日は訓練を早めに切り上げて御風呂屋に行ってみましょうか?」
「うん!それは是非行ってみたいな!」
「承知いたしました」
翌日、訓練を早めに切り上げると、俺はエレノアの案内で風呂に行った。
風呂に向かいながらエレノアが説明をしてくれる。
「御風呂屋は町のあちこちにありますが、大きく分けて2種類あります。
一つは公営の物で、銀貨一枚ほどで安く入れ、中には遊戯施設や休憩所などもあり、食事もできるようになっています」
「へえ、そんなに安いんだ?」
銀貨一枚と言えば、令和の日本では1000円程度で、風呂屋の値段としては少々高い。
しかし、この世界では湯を沸かすのも大変だ。
基本的に薪で沸かすのだし、人が入れるほどの量の湯を沸かすのならば、薪代も馬鹿にならないはずだ。
それを考えれば、やはり銀貨1枚は安いのではないだろうか?
「ええ、ただし、食べ物や飲み物はお金をとられますから、中にいる間もお金は必要ですね」
そりゃそうだ。
しかし、それは当たり前の事だと思うが?
「もう一つは?」
「もう一つは私営の風呂屋で、作りは似たような物ですが、こちらは入場料が大銀貨1枚か、2枚と高めです。
しかし、その代わりに、中での食べ物や飲み物は全て無料です」
「へえ?そんなのがあるんだ」
エレノアの話からすると、何か食べ放題つきの健康ランドか、スーパー銭湯みたいな感じだな。
大銀貨1枚って言うと、だいたい1万円くらいだから食べ放題になるのも当然か?
「ええ、何しろ風呂に入っている間に、金袋や服の泥棒が絶えないので、ある程度の金持ちなら奴隷を連れてきて、服や金袋を預からせて待たせておくのですが、一人で来る庶民は風呂に入っている間に物をその辺に置いておくしかありません。
ですから、私営の御風呂屋では入場料と浴布だけを持ってきて、入場料を払った後は中でゆっくりと過ごします。
それなら物を取られる心配もありませんからね」
浴布ってなんだ?ああ、タオルの事か?
「もっとも、それでも、服を盗まれたりしますので、中で一応服も売っています。
ですから大抵は入る時でも、一人の場合は、金袋だけは首からぶらさげていますね。
風呂屋によっては服の補償もしていて、盗まれた場合、代わりの服をくれる所もございます。
もちろん安物ですが」
「なるほど」
確かにそこまでしてくれるなら、盗まれた時の心配もなく、ゆっくりと風呂を楽しめる。
この世界にも鍵はあったと思うが、どうやら風呂屋に使うほど一般的ではないようだ。
金庫とか金持ちの屋敷の扉とかそういった物にしか、まだ使ってないみたいだ。
だからおそらく、風呂屋にもコインロッカーなどはないのだろう。
確か古代ローマでも風呂はあったと聞いているが、やはり盗みが横行していたと聞いている。
「私も御一緒できれば良いのですが、男女別れておりますので、さすがに御主人様と一緒には入れません」
「ああ、そうだね。まあ、気にしないで」
本当はエレノアと一緒に入ってみたかったが、貸切でもしない限り、そうもいかない。
それはいずれ叶える俺の夢の一つとして覚えておこう。
「はい、ですから今日これから行く風呂屋は、私営の方の風呂屋です。
御主人様はこの国の風呂は初めてでしょうから、その方が色々と気にしないですむかと存じます」
「うん、そうだね、ありがとう」
確かに中に入ってから、これはいくら、あれはいくらと気にしたり、自分の持ち物は無事だろうか?と、気になるのでは、風呂を気持ちよく楽しめない。
エレノアに案内された風呂屋は石造りの立派な建物だった。
「こちらが御風呂屋でございます。
申し訳ございませんが、先ほども説明した通り、中は男女に分かれておりまして、私は一緒に中には入れません」
「うん、わかっているよ」
「はい、ですから私は外で御主人様をお待ちしております」
「えっと、奴隷でも風呂には入れるのかな?」
「はい、中はいくつかの風呂に分かれておりまして、そこには奴隷用の風呂もございますので」
「じゃあ、エレノアも入っておいでよ。
お金はもちろん出すから」
「よろしいのですか?」
「うん、いくら?」
「奴隷用は大銅貨3枚です」
「はい、じゃあ3枚と」
俺はエレノアに大銅貨を渡す。
「タオル・・・浴布は持っている?」
「はい、予備に持ってきた御主人様のならばございますが・・・」
「じゃあ、それを使って入ってくれば良いよ」
「よろしいのですか?」
「もちろんだよ。
ああ、急がないで、ゆっくり入ってて良いよ、僕は結構長風呂だからね。
それに僕は初めてだから物珍しくて色々と中を見ると思うから結構時間がかかるからね。
1時間以上は間違いなくかかると思うよ。
お互いにあがったらそこで待とう」
そう言って俺は風呂屋の入り口にある、待合室のような場所を指差す。
そこは今も相方が出て来るのを待っている人々がそこここにいる。
それにこう言わないと、エレノアはカラスの行水張りに早く出てきそうだ。
「はい、承知いたしました。
御主人様も中は色々と人が運動をしていたり、子供がはしゃぎ回って危ないので、初めてですから御注意をお願いいたします」
「うん、わかった、ありがとう」
こうして俺はエレノアと分かれて風呂屋に入っていった。
入り口で金を払い、服を壁にあった服掛けにぶら下げると、金袋だけを首からぶら下げてタオルを持って中に入る。
魔法使いである俺は、もちろんマギアサッコに物を入れておく事は出来るが、エレノアが人前でマギアサッコを開くのは危険なので、極力避けた方が良いと常日頃言っているし、俺もそう思う。
中に入ってみると、そこは中々広かった。
(へえ~これがこの世界の風呂か)
基本的にそれは石造りで作られた風呂だった。
ちょうどローマ風呂のような感じだ。
天井は高く、開放的だ。
天井近くの何箇所かに光魔法で照明がされているので、中は結構明るい。
空いている椅子を見つけると、俺はそこに座って、日本でしていたように、体や頭を洗う。
特に頭を自分でゴシゴシと洗うのは、かなり久しぶり・・・というか、この世界に転生してからは、初めてだ。
おかげで頭もさっぱりして気持ちが良い。
体を洗ってから湯船に入って、ゆっくりと中の様子を見ていると中々楽しい。
なるほど、エレノアが言っていた通り、にぎやかだ。
子供は走り回るし、相撲を取っている連中、木の台の上で寝て、あんまだかマッサージらしきをしてもらっている人間、垢すりをしてもらっている人々など色々いる。
何か昔の駅の弁当売りみたいな格好でウロウロしている菓子売り、いや菓子配りか?そんなのまでいる。
「菓子~菓子はいらんかね~」
「一つ頂戴」
「はい、どうぞ」
俺は菓子配り係を止めて、一つ菓子をもらってみた。
見た感じは小さめの菓子パンのようだ。
試しに食べてみると、甘いパン生地の中に何かが入っている。
(これはクルミとナツメヤシかな?)
どうやら、砂糖と蜂蜜で甘くしたパンの中に、果物や木の実を入れているようだ。
これはこの世界では結構高級品なはずだ。
風呂に入るだけで、大銀貨1枚はちょっと高いかな?と思っていたが、これなら納得だ。
風呂から上がって隣の部屋に行くと、そこは食堂だった。
大きなテーブルの上に、ソーセージやら黒パン、肉の焼いた物や、貝を焼いたような物が皿に山盛りになって置いてある。
飲み物はワインやエール、葡萄ジュースやレモネードのような物が置いてある。
食べ物も飲み物も、どれも中々おいしそうだ。
風呂を出た各自がそれぞれ、好きに食べ物をとると、空いている場所で、それを食べている。
仲間同士で来ている者などは、エールを飲んで楽しそうに話している。
俺も鴨肉の焼いたような物や、何かの貝を焼いた物を食べてみた。
箸やフォークはないので、豪快に手づかみだ。
味付けが単純だが、そこそこおいしい。
この味付けは魚醤だろうか?
ある程度食べると、部屋の隅に手を洗う場所があるので、俺はそこで手を洗った。
菓子も先ほどのような菓子パンを含めて何種類かあるが、プリンやケーキ、饅頭のような物はないようだ。
どうも菓子の文化はまだそこまで発達していないらしい。
菓子好きの俺としては、ちょっとがっかりだ。
しかし、逆に言えば、そういった物は、まだこの世界では珍しいから、作れば売れる筈だ。
(材料的には可能なはずだから、まだこの世界にないなら、プリンやケーキを売ったら、凄い儲かるかもね)
そんな事を考えながら俺はそこにある菓子をいくつか食べてみた。
どれも似たり寄ったりの味で、中の具で多少変化はつけているようだが、全て菓子パンのような物で、あまり変わりはない。
多少変わった所で、クッキーのような物がある。
しかしその程度だ。
どうやらこの世界の菓子は菓子パン、クッキー、干した果物の3つが基本のようで、それ以外はないらしい。
まずくはないが、やはりもう少し見た目にも味にも変化が欲しい所だ。
(うん、近いうちにプリンか饅頭でも作って、エレノアに感想を聞いてみよう)
俺は菓子作りも趣味の一つで、自分で実際に年中作っていた。
オリジナルの菓子もいくつか作った事があって、中には作って職場に持っていってみたら、女子に大うけで、売れば必ずヒットするとまで言われた物すらある。
そんな時は女子にモテモテなのだが、そこで終わっちゃうんだよな~・・・
いかん!過去を思い出すと暗くなってきた。
いいんだ、今の俺にはエレノアがいるからね?
食堂を出て、また別の部屋に行くと、そこでは何やらチェスのような盤上遊戯や賭け事、双六のような遊びをしていた。
なるほど、ここは社交場のような機能もあるようだ。
やっぱり日本の銭湯か健康ランドみたいだね。
多少は本なども置いてあり、ゆったりと読書にふけっている客もいる。
雰囲気的には温泉旅館の娯楽室か、健康ランドの休憩所のような感じだ。
中々皆楽しそうだ。
(どこかの町で、こうした風呂屋を開いて、経営するのも良いかも知れないなあ・・)
俺はぼんやりとそんな事を考えた。
俺なら21世紀の風呂屋や温泉旅館も知っているし、かなり客の目を引く施設を作る事が出来そうだ。
風呂屋を作る資金はそこそこあるし、そんな仕事も意外と面白いかも知れない。
一通り、風呂を満喫すると俺は外に出た。
すでにエレノアは外に出て待っていたので、二人で宿に向かって歩き始めた。
帰る道すがらエレノアと話した。
「中々面白い所だったよ」
「それはようございました」
「うん、あそこは週に一度か、2度は行ってみたいな」
「では今後そういたしましょう」
「ところで、この国ではお菓子っていうのは、菓子パン以外には何かないの?」
「お菓子ですか?
そうですね、アムダール周辺の国では菓子と言えば、大抵はパンを甘くして中に何か入れた物か、小麦粉を練って、砂糖と卵を混ぜて焼いたような物が大半ですね。
後は干した果物類などです」
やはり、その3種類か?
俺もそう思ったが、この世界にはそれ位しか菓子の類はないらしい。
俺はもう少し詳しく聞いてみる事にしてみた。
「プリン・・・じゃなくて、え~と、もっとこうやわらかい物とか、フワッとした物とかはないのかな?」
「やわらかい菓子や、フワッとした菓子ですか?
私の知っている限りではありませんね
御主人様はそういった菓子を御存知なのですか?」
「うん、今度いつか作ってみるから、食べて感想を聞かせて?」
「はい、楽しみにしております」
どうやらこの世界ではまだ菓子は大した物はないようだ。
うん、近いうちに本当に何か菓子を作ってみよう。
本当にこの国で売ったら凄く売れるかも知れない。
そんな事を考えながら俺は宿に帰っていった。
こうして、俺の訓練の日々に風呂が加わった。
エレノアに体を拭いてもらうのも捨てがたいので、毎日行く訳ではないが、俺の日々の気分が向上したのは間違いない。
なんと言っても俺は風呂が好きで、この世界に来てから風呂がないのは、かなり精神的に辛かった。
だから将来家でも建てたら、必ずそこに日本式の風呂は作ってやろうと考えていたほどだったのだ。
しかしこの風呂の一件で、思いついた事があったので、俺はふと、エレノアに提案をしてみた。
「ねえ、エレノア?」
「はい、なんでございましょう?」
「今回の風呂屋の一件で思ったんだけど、僕はこの世界、いや、この国の事をまだ全然知らないんだ。
だから出きれば週に一度、町を案内して色々な所を見せてもらえるとありがたいと思うんだ」
「なるほど、つまり週に一度、街の社会見学をしたいというわけですね?」
「うん、そんな所かな」
「では、自由日をその日に当てましょう」
「自由日?何それ?」
初めて聞くその言葉を俺はエレノアに聞いてみた。
「はい、この国とその周辺国では一般的に1週間を7つの日に分けて、1日目から5日目を平日で就労日、6日目を自由日と言って、各自が好きな事をします」
「好きな事って?」
「文字通り、自由にやりたい事をします。
レベル上げをしたい者は迷宮や魔物の出る場所に行って訓練をしますし、いつも通り、仕事をしたい者はして、遊びたい者は遊ぶ、休む者、旅をする者、色々です」
「へえ、そんな日があるんだ?」
「はい、これは昔、6日目は訓練日と言って、大抵はレベル上げに要していた日だったらしいのですが、文明が上がるにしたがって、仕事が分業化したために、様々な事をするようになり、自由日となったらしいです」
「そうなんだ?あれ?でも7日目も休日で、自由日みたいな物だよね?」
「7日目は本来は完全に休みの日で、ほとんどの人が休みますが、確かに昨今では両方とも自由日のような感じですね。
例外は奴隷だけです。
基本的に奴隷に休みはございませんので」
「なるほど・・・」
俺はそれを聞いて一応納得したが、やはり、奴隷にも休養は必要ではないのだろうか?と考えた。
もし俺が本当にこのままエレノアを正式に購入して奴隷にするのならば、エレノアにも休みの日を考えるべきかも知れない。




