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鉄道公安官物語 雑踏警備編 【ワッペン列車】

作者: 加藤好啓(黒猫)

鉄道年表、国鉄があった時代を主催しています、加藤好啓です。

この度、当時の雰囲気を感じていただくため、以前blogで何回かに分けて公開していた記事を再編集して、短編作品にしてみました。

お正月といえば、ふるさとで過ごすという方も多いと思うがその昔、高速道路も十分に発達していなかった頃は帰省といえば列車の旅でした。


大阪駅や上野駅にはテント村がと呼ばれる、大型テントが駅前に設けられて、列車に乗車するために何時間も並ぶという光景がよく見られたものです。


こうした風景が例年見られるのでした、もっとも、国鉄も手をこまねいていたわけではなく、全国から客車を寄せ集めては臨時列車を仕立てて走らせたのですが、それでも追いつかないのでした。


さらに、申し訳ないのは、全国から予備の客車を集めてきますので、古い客車であったり、さらにひどいものになると、ローカル列車用の客車が、堂々と「急行」として走った、そんな時代でした。

高速道路も無い時代ですので、頼れるのは鉄道だけであり、それでも、乗り切れずに駅で待つといったことがあったのです。


この物語は、そんな昭和30年代後半から40年代初めの、当時の鉄道の様子を描いてみました。

公安官物語と書かせていただいていますが、公安官が直接活躍すると言うよりも、その時代を第三者が見ていたという形式を取らせて貰っております。

なお、この内容はもちろんフィクションです。


大阪や東京では、地方から就職した多くの人が帰省をすべく鉄道を利用したものでした、当然のことながら年末年始はお正月といえば、ふるさとで過ごすという方も多いと思うがその昔、高速道路も十分に発達していなかった頃は帰省といえば列車の旅でした。


大阪駅や上野駅にはテント村が出来てひたすら目指す列車に乗車するために並ぶという光景がよく見られたものです。


国鉄も手をこまねいてみていたわけではなく、全国から客車を寄せ集めては臨時列車を仕立てて走らせたのです。

ただ、寄せ集めの悲しさ。


古い客車の寄せ集めだったり、さらにひどいものになると、ローカル列車用の客車が堂々と急行として走ったりといったこともあたりまえでした。

それでも、乗り切れずに駅で待つといったことが行われていたのです。


そんな、駅での警備も公安官の重要な仕事のひとつであり、特に混雑した場所では往々にしてスリや置き引きといった被害が後を絶たないのでした。


ちょっと目を離した隙に財布が盗まれ、切符を持っていかれたかどうか・・・は定かではありませんが。

おそらく、銀河鉄道999ではありませんが、「パスを欲しいがために、どんな手段でもする」といった内容がありますが、当時の帰省ラッシュもそれに似たような状況がありました。


それは、ダフ屋と呼ばれる座席買い占め人で、ちょっとしたしのぎになっていたようです。

自由席を先に占領し、いくらかの金で座席の権利を売る、「私設指定席」であり、当然違法行為であり、彼らにも公安官は目を光らせることになるのでした。


警察官もそうですが、基本的に雑踏の警備となると、拳銃はことさら邪魔になるものであり、公安官は基本的には手錠と特殊警棒以外は持っていなかったし、警察も基本的には雑踏警備の場合は拳銃は保持していなかったと記憶しています。


さて、ここまで書いたのだが0時を超えてしまった。かぼちゃの馬車ならぬかぼちゃのPCになっては困るのでひとまず筆をおきたいと思います。


12月といえば、帰省シーズン今週末あたりから高速道路も帰省のラッシュが始まるのかもしれませんが、今から40年ほど前は帰省といえば列車での旅が当たり前でした。


車は普及しつつあり高速道路も順次開通しているとはいえ、車を持てる層は限られていました。

いまでこそ、携帯電話を一人一人が持つのは当たり前とも言える時代ですが、大阪で万国博覧会が開催された頃は、電話がない家もあったのです。電話を近所に借りに行ってお話なんてことは日常の風景でありました。


そんな時代、大阪駅や上野駅にはテント村が急遽出現したものです。

大阪であれば、現在のアクティ大阪がある辺りがそうだったのでしょうか、大きなテントがいくつも設置され、そこで帰省を待つ人たちの長い列列列・・・。


間違っても派遣のテント村ではないですからね。


にわかに出来上がるテント村では、すでに酒盛りが始まっているところもちらほら。


そんな中には、ワッペンを胸に誇らしげにつける中高年のグループも見受けられます。

かれらは、列車指定を受けた乗車整理券を購入した人たちで優先的に座席を確保できるための証しであり、列車名が記された立派なワッペンであった。当初は出発時刻まで刺繍されていたそうだがあまりにも手間がかかるのでその後は列車名だけになったという。


もっぱら50年頃にはマルスの普及などもあいまって廃れてしまい、晩年は貧弱な紙だったのではないだろうか。

どちらにしても、優雅な時代であったことは間違いないでしょう。


さて、そんな前置きはともかくここである人を紹介しておかなくてはなりません。


ベテラン公安官、玉野博、愛称「玉ちゃん」そして、その後ろをちょこまかとついて回る新人公安官 根津博貴 愛称「タカ」


タカは、昨年配属されたばかりの20歳、いつも聞くこと見ることが初めてのことばかり、今日も勝手にうろうろして玉ちゃんに叱られています。


「タカ、きょろきょろするんじゃない。前を見て堂々と歩かないか」


  「でも、見るものがすべて珍しくて・・・先輩、駅前にある大きな点とは何ですか? 夏にもあったような気がするのですが」


参考 テント待合所


「あれか、あれはテント村と呼ばれるものだ。正式には「テント待合所」といって、一般の待合所では入りきれないので駅前にテントを張ってそこで待機してもらうのさ。もちろん指定席を持っている人はその時間に来れば座席は確保されているが自由席で帰る人は、駅で発駅着席券【座席を指定するものではないが、座席は優先的に確保される】を受け取ってここで待つのさ」


 「それって、列車が発車するまで待っているということですか?」


「そうさ、半日ぐらいみんなここで待ってはじめて駅の構内に入れるのさ」


 「大変ですね、ふるさとに帰るのも」


「そうさね、わしもそういえば長い間ふるさとに帰っていないなぁ」


玉野は、テント村をしみじみと眺めながらそう呟くのでした」


 「僕は、生まれも育ちも大阪だから田舎に帰るという感覚がないんですよね」


根津にしてみればふるさとと呼ばれるものはなく、小学校時代などに父親の田舎に帰省する友達が羨ましく思っていたのである。

 それを聞いた、玉野は、


「ふるさとはいい、今も目に浮かんでくるさきれいな夕日と赤とんぼを追いかけた日々」


「くそ、田舎に帰りたいなぁ・・・お前が変なこと言い出すからだろうが」


今度は、根津にそのとばっちりが飛びます。


 「先輩、ごめんなさい」


といわれてはっとわれに返る玉野


「すまん、すまん、変なこと言ってしまって。でも、ふるさとに帰るのはほんと大変よ」

先も見たように、あそこで半日をすごして初めて汽車に乗れるわけよ。でもそこからが問題で座席を優先的に確保できるといえ確実に確保できるわけじゃない」


 「どういうことなんですか」


「それは、ダフ屋という存在があるのさ」


 「ダフ屋ですか?」


「そう、勝手に回送車に乗込んで席を確保してしまうのさ。見つければすぐに検挙できるのだがなかなかあいつらも悪賢くてね、現場を押さえられないんだよ。被害者も少なくないんだけどね」


 「そういえば、胸にワッペンをつけていましたけど、いい年下おじさんたちが胸に着けて可笑しいですね」


「あれが、ダフ屋から客を守るものなのさ」と言ったときテントの中から・・・「スリだ」そんな声が聞こえてきたのです。

その言葉に二人に一瞬緊張が走ります。


駅構内で起こる犯罪は、公安官の守備範囲です。

警察も捜査は出来ますが、言ってみれば駅構内は公安官の縄張り、俄然二人は張り切るのでした。


声のする方向に二人は走ります。


 「被害者は誰ですか?」


根津が叫びますが、誰も返事をしません。

もう一度根津が叫びます。


 「スリに会われた方は誰ですか?」


頭の禿げ上がった50歳くらいの男が頭をかきながら根津の前に出てきます。


「実は、暇だったものですから。ちょっと遊んでいたんですが・・・」


「そこで大負けしてしまってたものですから・・・」


要は、オイチョカブをして賭けていて負けが込んだものだから思わず叫んでしまったとのことでした。


賭博は日本では禁止ですから、気の毒にこのおじさん、根津たちのお世話になることに。


軽犯罪法違反の現行犯として調書を取られることになりました。


軽口をたたいたために公安室に連れて行かれたのでした。


そのときの様子は、どうなったのかって?

それはまた別の機会にお話をさせていただきます。


結局、おじさんについては、調書の作成と厳重注意で釈放されたのですが無事その日の汽車に乗れたかどうかは定かではありませんけどね。


さて、引き続きテント村の様子を見てみましょう。

夕刻になり夕日がテント村に差し込んできます、風も少し涼しくなってきたので、少しはすごしやすくなったようです。

今まで、ぐったりと横になっていた人も一人二人と起き上がり思い思いに背筋を伸ばしています。


そうです、このテント村におる人のほとんどは18時以降の夜行列車に乗る人たちがその大半を占めるからです。

あと、1時間もすれば順次改札も始まる。


「お父さん」


家族でしょうか、幼い子供を連れた母親がある一人の男に近づいていきます。


 「お父さん、ご苦労様。お弁当作ってきたよ」


そう、家族の帰省に際して父親が一人で順番を待っていたのでした。

この夫婦に少しだけ密着してみたいと思います。

彼らは、どうも大分に帰省するみたいです。


根津たちは、テントの中をもう少し警戒のために歩くことにしました。

日が暮れてくると、スリや置き引きの被害が増えるほか、乗客も緊張の緩みから犯罪に巻き込まれやすくなるからです。


そこで、根津たちが聞くともなしに聞こえてくるのは次のような会話でした。


「日向に乗れば、もう帰ったようなもんさ。明日には大分に着くからな」


 「でも、列車に乗れるのかしら」


「ほら、そのために朝から並んでこれを手に入れたんだから少なくとも子供だけでも座らせられるだろう」


彼の胸には、「第2日向」と書かれたワッペンが見えました。

フェルト製のしっかりしたもので、1回きりの乗車に使うには少しもったいないような気もするほどの立派なものです。【このワッペンも晩年は簡略化され、紙製の安っぽいものになりましたが、昭和30年代はかなり立派なものが使われていました。)


「これが、乗車整理券と呼ばれるものでこれがあれば、改札も優先的に行われるからな、はぐれると大変なことになるから気をつけるようにな」


父親が威厳を込めて妻と子に渡しながら諭します。

当時は、まだまだ父親の威厳は強く、怖いもの=「地震・雷・火事・親父」と呼ばれたものでした。

最近はどうなんでしょうね。「地震・雷・火事・女房」でしょうか?


彼らの乗車する列車は、1201レ 急行「第2日向」大阪始発 22:18発  宮崎行の列車です。


1等寝台車1両に、2等寝台車4両、1等車1両、2等車6両の座席と寝台が半々の編成で寝台専用列車が増えつつある中輸送力列車【いわゆる庶民列車として親しまれていました】といっても、2等寝台車は当時は1両に54人も詰め込むのですから決してゆったりとした車内とはいえませんけどね。


時刻は19:00を少し回り、テント村にも照明がともり始めます。


再び彼らの様子を見てみましょう。


親子は、母親が作ってくれたお弁当を広げて食べ始めました。

大きな丸いおにぎりに、ゴマがまぶしてあるだけの粗末なおにぎり、おかずはと言えば少しこげた玉子焼きだけのそんな決して華やかとはいえない食事でしたが、親子3人はそれでも楽しそうに食事をしているのでした。


 「おとう、この汽車に乗ったら明日は、けんぼうにあえるの?」


子供は、同い年のいとこに会うのが楽しみで仕方がありません。


「そうさ、明日には会えるぞ、義男がいい子にしていないとお年玉もらえないかもしれないぞ」


 「おとう、ぼくはいい子だもん」


「そうか、そうか。義男はいい子だ」


父親は、笑いながらも弟の子供に渡さなくてはならないであろうお年玉のことで頭が痛いのでした。

20:00を回ると、さすがにすっかり町は夜の雰囲気となり、ネオンなども今と異なり少なかったので空を見上げるとたくさんの星が瞬いていました。

義男も眠い目をこすりながら、本を読んでいます。


「義男、目が悪くなるから本は読まん方がいいよ」


母親が、義男をいさめますが、義男は、一度母の顔を見て、不服そうに。


 「だって、退屈なんだもん、まだ?」


「あと、1時間もすれば改札が始まるから大丈夫さ」


 「えー、あと1時間?」


義男は、あきれたのと疲れが出たのとで少しふくれ面です。

そんなとき、前に座っていたおじさんが、ふいに振り返り。


「坊、どこまで行くんだ?おじさんは宮崎は延岡というところに帰るんだ」


 「僕は、大分のおじいさんところに行くんだ、いとこのけんぼうに会いに」


「そうか、坊はいくつだい」


 「僕は、6つだよ。来年小学校にあがるの」


同じ列車に乗る、ただそれだけの理由ですが子供の話し相手になってくれる人がいる。

義男も話し相手がいるので、時間を紛らわせてくれているようでした。


そして、さらに時間が経過し時計が9時を回る頃、駅員がハンドスピーカを持ってやってきます。


「お待たせしました、まもなく「急行 第2日向」の改札を始めます。乗車整理券をお持ちのお客様から順番にご案内していきます」


乗車整理券というのは、言うまでもなく胸につけたワッペンのことです。

子のワッペンを持っている人は優先的に自由席を確保できるように配慮していたのです。

それでも、ダフ屋との問題は起こるのですが・・・


駅員に誘導されて、ワッペンを胸につけた一団が駅員に誘導されて大阪駅の構内に消えていきます。


先ほど、義男の話し相手をしてくれたおじさんも義男たちの家族ともうちとけて古くからの友人のようです。


駅の改札も、ワッペンをしている場合はほとんどフリー、乗車券の確認は特段しませんでした。乗車整理券交付時に切符を確認しているからです。


義男たち家族もワッペンのおかげでそのまま改札を通過、現在の大阪駅3・4番線(当時は1番・2番線)ホームで列車の到着を待つばかりとなりました。


第2日向は大阪始発の臨時急行列車で、座席主体の列車で旅客需要の多い時期に運転される予定臨時列車と呼ばれるもので予めダイヤがきまっているのです。


さて、この列車にのってしまえばあとはといいたいのですが、ここでまたまたトラブルが発生したのです。


さて、この列車にのってしまえばあとはといいたいのですが、ここでまたまたトラブルが発生したのです。


ワッペンをつけた一行は、改札を抜け1番ホームに待機、駅員がハンドマイクで乗車の際は順番を守ること、ワッペンを持っている人は優先的に座席が確保されるので先を争わないことを何度も伝えています。


「ピー・・・・」

電気機関車のどこか物悲しい汽笛が聞こえ、ホームに列車が入ってきました。

先頭は、ぴかぴかのEF58形機関車、戦後を代表する電気機関車で流線型の細面の姿は無骨な電気機関車に中にあってひときわ輝いて見えたものでした。


義男たちの目の前を淡い緑の帯を巻いた優等客車が通り過ぎていき、やがて静かに停車しました。


駅のホームに最初は行儀よく並んでいた集団はホームに列車が停車するか否かのうちに、すでに崩れ始め、列車がホームに停車する頃にはすでに団子状態、怒号が駅のホームに響きます。

こうなると駅員もお手上げで、整列乗車にご協力願いますと叫ぶだけです。


やっとのことで座席を確保すると、どこからともなく、派手なアロハシャツにサングラス、慎太郎がりの刈のいかにも柄の悪そうな青年が出てきます。

 

「おっちゃん、コレわしらの席なんや。席代払ってくれるか」


 「何を言ってるんだ、ほらわしらはちゃんと整理券を持ってるだろう」


「何いうてんのや、わしらの席を譲ったろうといってるのに文句あるんかいな」


いわゆるダフ屋が、席の買取を求めてきたのでした。

はたと困ってしまった義男の父親が、仕方なく財布からお金を出そうとしたとき、・・・


 「おい、お前ら何してるんだ」


義男に親しく話しかけていたおじさんが、その男たちに話しかけます。


「おっさんに関係ないんじゃ、このおっさんとしゃべっとるんじゃ」


 「なんだと、お前らどこの組のもんじゃ」

 「大阪府警、曽根崎奉行の前で何をしとる」


そう、好々爺と思ったおじさんは、曽根崎署の署長だったのです。


近くに居た連れの男が、曽根崎署の署長の顔を覚えていたのです。


「やばい、本物だ」


あわてて、逃げ出そうとしたのですが、署長は二人を見逃さず。取りあえず一人の手を押さえつけて、そのまま床に。

その騒ぎを見た駅員があわてて飛んできます。


また別の駅員は公安を呼びに走るのでした。

幸いなことにホームを警備していた公安官がいたので、駅員は二人ほどの公安官を連れて車内にやってきました。


そんなこんなで、二人の男は公安に引き渡されることになりました。


 「ご苦労様です」


曽根崎奉行が声をかけると、顔見知りの老練な公安班長は、


「これは、署長自ら。どうされたのですか」


 「いや、帰省のために汽車に乗ったのだがこのざまでね」


そんな短い会話が交わされた頃にはすでに列車の発車時刻も近づいてきています。

どんどんと整理券を持たない一団が乗り込んでくるのですが、先ほどの混乱でこの車両はまだまだ余裕がありそうです。


「署長、何ゆえ指定席をとらなかったのですか?」


 「いや、席が取れなくてね・・・ははは」


そんな会話がまじわされたのでした。


そして、列車は出発時刻となり駅のホームには発車のベルが鳴り響くのでした。


fin


若い人でも、国鉄時代を懐かしむ人も多いのですが、国鉄形車両に関しては皆さん詳しいのですが、肝心のこうした車両以外のことは知らない方が多いのではないかと思い、国鉄で働く人に焦点をあてた記事を書かせていただきました。

これからも、1か月に1回程度を目標に発表させていただきますのでよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 テント村やワッペンのことなんて、まったく知りませんでした。 いろいろなことがあったのですね。
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