Ex.1 “天啓”アネシュカ
EXTRAの表記がある話については、主人公以外の第三者視点の話となります。
読んで頂けると裏話など本編でわからなかった点がわかるかもしれませんが、面倒な方は飛ばして頂いても話は通じます。
港湾都市アローティアにて、邪教の徒による儀式が行われている。
それも特筆すべき規模の。
そんな一報が王都、それも戦女神の神殿に齎されたのは2日前。
さらに、彼らが奉る戦女神アテナと対を為す、残虐と敗北、戦いの狂乱と流血、恐怖を司る魔の軍神アレスがその邪教の正体となれば大騒ぎになるのもやむなし、と言ったところでしょう。
通常であればまずは情報の真偽の確認をしなければならない案件ですが、情報源が王家が所有する情報網からのもの、さらに問題の日時まで時間がないとあってはそんな暇はない。
そんな急な事態に教団が出来たのはただひとつ。
自らが現在動かせる中で最大の戦力を投入することだけ。
以上が、私、アネシュカが派遣されるに至った経緯。
正式には調査官の護衛として。ただし儀式により悪為す存在が生み出された場合、それに対処するようにとの付帯命令も受けています。
普通に考えれば常軌を逸したとしか思えない命令。
確かに戦いを奉じる神に仕えるだけあり、教団の聖騎士は一個の兵士としては目を見張る能力を持っているのは間違いありませんが、それでも相手は曲りなりとはいえ邪神の力で生まれる存在。
それに一人で立ち向かえと命じるのは余程馬鹿げているか、相手を過小評価していると捉えられても仕方がないでしょう。
ですが、それを可能たらしめる存在こそが私たち。
“三天騎士”と呼ばれる存在。
それぞれが“天”と渾名される異能を神から授かった3人の騎士。
“天啓”アネシュカ・ツェイプコヴァー。
周囲には教団が有する最高戦力と認識されているし、それだけの戦果をもたらし続けている自負もあります。
そのうちの1人だからこそ、単独での成果を期待されていると思えば納得も出来るというもの。
それでも気乗りがしないのは事実。
基本的に“三天騎士”が派遣される案件というのは何かが起こってから、もっと言えば後手としてのものが圧倒的に多い。
よく言えば最後の砦、悪く言えばただの始末屋。
たとえ数自体が少ないためおいそれと派遣できないのだと頭では理解していても面白くはありません。
今回の件も、もし邪神の儀式がもっと早い段階でわかっていれば、いち早く阻止すべく別の者が充てられただろうことは想像に難くない。
最早間に合わない可能性があればこそ、つまるところ犠牲者がすでに出ていることを想定して調査官と私が派遣されているのでしょう。
面白くはない。
面白くはないけれど。
神に仕える者として、神意を為さしめることこそが至上。
ならば、どのようなものであったとしても任務について含むところなどありはしない。
心を抑え冷たく研ぎ澄ます。
不要なことを思わず、為すべきを為し、ただそう在れかしと。
いつも通りに任務を終えるだけ。
そう考えていた私を異変が襲いました。
―――汝 心せよ
それは“天啓”。
私の二つ名の由来となった異能。
我らが至上たる女神アテナより啓示を賜り、そしてそれを賜るために付随する能力。
―――軍神が式より 生まれ変わりたる その者
―――その双眸にて 見極めよ 汝が敵たるや
圧倒的な実感。
“天啓”そのものは今まで何度か受けているにも関わらず、今回のこの女神様の鈴のような声はこれまでになくはっきり力強いもの。これほどのものは、初めてこの力に気づいたとき以来。
つまり、今回のものがそれと同じほどに重要な出来事だということ。
神の言葉に呼応するかのように帯びている聖剣が微かな共鳴を見せ、これが現実であることを伝えてくれます。
でも、それ以上に内容についてが問題。
“天啓”の内容そのものは単純。
軍神の儀式により現れる存在について、敵かどうか見極めろというただそれだけ。
でも、逆を言えば、不倶戴天の敵であるはずの軍神アレスの儀式の結晶とも言える、その相手が私の敵ではないかもしれない、という意味にも取れます。
女神アテナのその神託から見える神意。それを受け止めきれず意味を考えているうちに、アローティアへ到着。
すでに衛兵たちにより押さえられている邪教の儀式が行われている建物へ突入を行うことになりました。
貧民窟にある建物。とある商家の倉庫として偽装されており、その地下で問題の儀式が行われているとのこと。時間が無いこともあり道中に建てられた作戦に従い突入。
入口から入ってすぐのホールは広いものの、倉庫と偽装するための荷物が積まれて見通しが余り良くありません。その物陰から飛び出してきた影が2つ。
錬度はそれなり、つまりは相手としては問題が無いレベル。
傭兵崩れらしき彼らを気絶させて拘束、衛兵たちが調べてみるとおそらく彼らが出てきたと思われる隠し扉を見つけることに成功します。
それとほぼ同時。
建物をかすかな振動が襲いました。
おそらく発信源は足元、つまり地下からのもの。
どうやら間に合わなかったようです。
すでに儀式が行われた可能性が高いことを前提に衛兵たちをその場に留め、動こうとした私に、
「一人で向かうおつもりですか?」
「ええ。この先に待っているのはおそらく邪神の眷属、もしくはそれに連なる何かでしょう。この場で対抗できるのは私以外に有り得ません」
無意味な人死には不要。
そう考えた私に、調査官は許可できないと反論。
「確実を期すのならば、むしろこの場に残って頂き先遣隊を向けるべきでしょう。中で何が起こっているのか確かめる必要がある。この場合で言うのならば衛兵たちがよいでしょうな」
「ですが……」
「ええ、確かに中にいるものが西の魔王の眷属…“骸魔”クラスの魔物であれば衛兵では歯が立ちますまい。ですがそこに辿り着くまでに罠が無いと言えますか?
確かに貴女は飛び抜けてお強い。ですがそれは単純戦闘に特化したもの、もっと言えば真価は特定の異形の者との戦いにある。賊が使うような物理的な罠、毒……そういったものに引っ掛かり十全の力を出させないことのほうが問題だ」
正論。
3人しか存在しない“三天騎士”と、街の衛兵。
その軽重を問われれば悩むことなどないのは理解しています。
ですが、問題はそこではない。
「しかし……」
「この現場の最終的な責任は私に有りますからね、従ってもらいます。
貴女はこの場で待機を。
兵士長さん、貴方たちは先行して現場の確保をお願い致します。ええ、これは命令ですよ、邪神官がいると思いますから、そこまでで結構。身柄を確保できそうであればよし、無理そうであれば撤退しても構いません。最低限儀式の場所までの導線は確保願います」
調査官が支持を出しその場にいた衛兵たちが動き始めると、最早出来ることなど何もない。
戦時であれば一時的に調査官の権限を越えることも可能だけれど、まだ交戦すらしていない現段階では反論も無意味。出来ることと言えば、困難に立ち向かう衛兵に祝福を授けることくらいでした。
「ほぅ、“劣化聖鎧”ですか……一度のみ、一定の強さまでの攻撃を無効化する祝福。随分とお優しいことです」
「……彼らが生還できれば、それだけ有益な情報を得れますから」
「そういうことにしておきましょう。ただし、これ以上の消耗はご勘弁願いますよ」
言いたいことはいくらでもありますが、それを飲み込み衛兵たちの戻りを待っていると、いくらかの時間の後、衛兵たちは無事に戻ってきました。
齎された儀式の間の状況―――生贄、邪神官の亡骸、使われた魔法陣の様子は予想外のもの。
「以上です」
「ご苦労でした。確かにその状況であれば、儀式は失敗した可能性が高いかもしれませんね。
正確には調査を終えてからの結論にするしかありませんが……では参りましょうか」
調査官と共に扉の先にある階段を降りていき、廊下を進むとそこには地下室があり、壁には家具に隠されていた洞窟が続いていました。
ピリ…ッ。
肌を刺すこの感覚。
覚えがあるこの感じは、自らが奉じる神とは異なる神力を察知したときのもの。神の力を身近に感じるがゆえに磨かれる対神感知とでも言えばいいのでしょうか。
反応としては神力そのものというよりも、その残滓に近い薄いもの。それでも確かに感じるこれは、おそらく軍神アレスに類するのではないだろうか。
この部屋にそれを刺激する何者かが存在する。
可能性があるとすれば家具の中でしょうか。
もしこの相手が“天啓”により見定めなければならない相手であるのならば、すぐにでも見つけたいところですが今ここに居るのは私一人ではありません。現場の権限が調査官に存在する以上、この場で見つけた場合に相手の処遇について手出しが出来なくなるかもしれません。
ただ、秘匿して後程私単独で対応するとなれば、もし私の手に負えない相手だった場合に被害が大きく出てしまう。
その両天秤に悩み、そして決を下しました。
「これは……確かに巧妙に偽装されていたようですね」
「はい、そのようです。念のため調査官殿も油断めさらぬようお願い致します」
「ええ、曲がりなりにも邪教の根城。儀式が失敗しているとはいえ、これだけ酷い血の匂いがしていれば安全とは程遠い場所であること、しっかりと認識しておりますよ。いざというときには聖騎士様にそのお力をお貸し頂くとしましょう」
口にはしない。
聖騎士の位を頂いてはいるものの、私が望んだのは戦女神の示す道であって、教団への忠義ではないのですから。見極めた結果、相手が邪悪でどうしようもなければ私自身で責任を以って始末する、とそう決意します。
それに 冷静に考えれば私単独で対処できない強さの相手であるのなら、この場で見つけたところでどうにもならないでしょうし。
先へと進み儀式の間へ。
そこにあったのは報告通りの惨状。
部屋の内部にある神意語を用いた魔法陣、その中心部に置かれたいたと思しき、推定3メートルほどの砕けた大壺。極め付けはそこを中心としてあたりに散らばっている死体たち。
「ここが儀式の間で間違いないようですね。
しかしこの放射状に乱された魔力……確かに儀式は失敗したとみるのが妥当でしょうか」
鼻がおかしくなりそうな血の匂いの中、調査官は冷静にひとつひとつ確認。サイドボードの中にあった書籍及び邪神官と思しき死体から軍神アレスの属するという確証、そして冒険者の身分証カードからこの生贄たちが冒険者たちだという確証を得ていきます。
「念のため、この部屋の中の邪気を祓って頂けますか。
現在は問題なさそうですが、後で不死者になられても問題ですので」
私は無言で聖剣を一閃。
何もない空を切ると、あたりに満ちていた薄い神力が消えていきます。
「はい、これで問題ないでしょう。
後は危険もないでしょうし、こちらでやっておきますので外でお待ち頂いてはどうですかね? 何せここは空気が悪い」
「わかりました」
何か都合が悪いのか、明らかにこちらをここから去らせたい雰囲気を感じ取り了解しました。どういう理由かは知りませんがこちらにとっても渡りに舟の申し出。
足早に立ち去り地下室に戻ります。
家具の中にはすでに誰もいませんでしたが、外へ向かうとホールで追いつくことが出来ました。
焦げ茶色の髪をした男性。
体格としては私よりも少し小柄でしょうか、年の頃は少年と青年の境といったところ。
彼は丁度衛兵たちの隙をついて外に出ていくところでした。
一体どこへ行って何をしようというのか。
衛兵たちに一言断ってからすぐに後を追っていくと、彼が辿り着いたのは井戸。
余程喉が渇いていたのか、ごくごくと喉を鳴らしながら水を飲んでいます。
何か邪悪な企みでもすればすぐに倒すつもりでいただけに、ややもすれば拍子抜け。
それだけでは判断できませんが、立ち振る舞いからは特段邪神の儀式とは縁遠く感じます。
もしかして生贄になった冒険者の生き残りでしょうか?
でもそれだとすれば、わざわざ隠れて脱出するのはおかしな話。こうなったら直接確認してでも、と思っていると路地裏から破落戸がやってくるのが目に入りました。
ちょうどいい介入の口実、というほどのものでもありませんが、仮にも聖騎士。
ここで見て見ぬふりは出来ないでしょう。
破落戸に対する青年の態度にふと小さな違和感を覚えつつ、ゆっくりと近づいていきました。
後になって思えば、このとき感じた違和感をもっと大切にしていたのなら、もっと早く答えに辿り着けていたのかもしれません。
次回、第5話 「汝、いかなる者や」
6月8日10時の投稿予定です。