54.いつかの景色
夢を見た。
遠い遠い過去―――それは原風景とでも呼ぶべきもの。
たゆたう刻の中のほのかな縁。
見えているのは荘厳なる建造物。
天を貫かんばかり勢いの巨大な柱に支えられた、白亜なりし神殿の一室。
それが一体どこなのか。
さっぱりわからないまでもどこか懐かしい光景。
少なくとも人の手によるものだとは感じさせない、そんな神秘性を内包した空間だった。
その室内には二人の人物。
どちらも男性だったが、傍から見ていてもわかりやすいほどに対照的だ。
1人はサラリーマンだろうか。
年の頃は30前後くらいに見える。
黒髪に黒い瞳で、どう見てもアジア系の顔立ちだ。
しっかりと固めた髪型は乱れもなく、白いワイシャツにネクタイをしたその姿は清潔感を与えてくれる。スーツ姿も相まって、どこかの商社の営業だと言われたら素直に納得してしまいそうだった。
対している男は、それと年も近い20代半ばくらいに見える。
恐ろしく整った顔の造形は、その茶色の短髪と恐ろしくマッチしており、道を歩いていればいくらでも振り返る女性に事欠かないだろう。
だが線が細いかと言われればそういうわけでもなく、むしろ逆だ。
雄らしさに度合があるとすれば、この上無く振り切っているのではないかと思うほど男性を感じさせる雰囲気を持っていた。
そしてそれ以上に、何か埋めようのない存在の格の差を感じさせる。
ぶるり、と震えた。
在り得ない。
その一言しか浮かばない。
―――神。
そう呼称される存在であると感じたからだ。
象が歩く前に踏み散らされる蟻の如く。
神自身が認識できるようにレベルを落としていなければ、本来はその偉大さを感じることすらも許されない圧倒的な在り方の違い。
さらに言えば、その中でもこの男は別格だ。
否、別格過ぎる。
異質である神々の中でも、さらに異質。
深淵にも似て底を見せることがない―――そんな神だ。
軍神―――アレス。
なぜ知っていたのか。
そんな疑問すら浮かぶことなくスルっと名が浮かび上がった。
そして次に浮かんできたのは違和感。
邪神とも言われる神だというのに、その存在からは禍々しさを感じない。むしろ高潔さと真摯さという、明らかにそぐわないものの印象を強く受けたための感覚。
だが、傍から見ているオレのそんな疑問など知る由もないだろう軍神は、相対している男性に対し話をしている。簡単な身振り手振りを交えているその様子は、何かの説明でもしているかのようだ。
それを聞いているサラリーマン風の男は冷静に相槌を打ちながら、聞き進んで行っている。正直今のオレがあの神の前に立ったらビビって迂闊に反応できない可能性が高いが、どうやら男は軍神の力そのものを余り感じていないようで余り緊張している様子もなかった。
話は少しの間、続いた。
最後に軍神は彼に対し何らかの回答を求めたのだろう。
しばしの沈黙。
そしてその後に戸惑う様に悩みながら男は口を開いた。
話している内容はわからないものの、強い決意を感じさせるその立ち振る舞いから決断を下したのだろうということは理解できる。
返ってきた回答が神にとって満足いくものだったのか、そうでなかったのか。
それはわからない。
わかったのは、それを聞いた軍神が一際驚き、その後に小さな苦笑を浮かべ手を差し出したことだけだ。
交わされる人と神の握手。
それを最後に、軍神によって男はどこかへ転移させられ、その姿は掻き消えるように無くなった。
―――さすがだよ! さすがはボクと同じ―――“転生者”だ。
刹那、オレの脳裏にランプレヒトの言葉が蘇る。
そしてこれ以上無く理解した。
この光景を懐かしく思った理由。
そう、これこそがオレが転生する前の一幕。
軍神による異世界転生の誘いの場面だったのだから。
そして世界は暗転する。
「………さん!…………………トさん!」
どこかでオレを呼ぶ声がする。
聞き覚えのある響きのいい音色。
「ルーセントさん!」
「………んん?」
ふと声をかけられて意識が覚醒した。
目を空けてみると豊かな髪を縦に巻いた美女の顔が傍にあった。
半ば寝ぼけたまま、オレの顔を覗き込むように近づけている彼女の顔を引き寄せ、その唇を吸おうとし―――
ドンッ!!!
―――猛烈な勢いと共に突き飛ばされて、壁に激突した。
「が……痛てて……」
「な、なな、なななな、何をするんですかッ!!」
顔を真っ赤にした美女―――ヘレナが自分の身体を守るかのように抱きしめながら、こっちを睨んでいる。余程驚いたのか、目尻には小さな涙が浮かんでいた。
なんだろうか、この既視感。
「いやぁ……何って言われても……何かしたっけ?」
ぼんやりしていた頭を軽く振って意識をハッキリさせる。
どうやら書斎の床に蹲るように眠っていたところを突き飛ばされて横の壁に激突したらしい。
「き…キキキ……キス、しようと、な、な、なさったじゃないですか!?」
慌て過ぎてる彼女が少し面白い。
「あー、そうだっけ。ゴメン、ちょっと寝ぼけてた。
頭が死んでたから、純粋に美人にキスしたくなって我慢できなかったというか」
その言葉に嘘はない。
単に寝ているところに美女の顔が近くにあったから、反射的にキスしてみたくなっただけだ。
いや、寝ぼけてなかったらさすがに自重したと思うけどね?
「そ、そうですの……」
「悪かったって」
とはいえヘレナの様子を見るに、落ち着いてみれば満更でもなさそうな反応だな。
上手いこと好感度は上がっているようだ。
「あー、そうそう。あの後、ちょっと休憩ってことで少し寝ることにしたんだっけか」
ようやく頭がフル稼働してきた。
ヘレナを正気にした後、傷を治してもらってから休憩することにしたのだ。
内心はすぐにでもアネシュカたちを追いたいところではあったが、ランプレヒトが本当のことを言っているかどうかも定かじゃなかったし、よしんば追いかけるにしても何の準備もしないわけにはいかない。
そんなわけで、まずユディタの書斎で今日彼女が行くと言っていた場所についての情報集めをすることにしたのだが、傷は癒えても体力的に結構限界だったオレは、ヘレナに資料集めを任せて2時間ほど体を休めることにしたわけだ。
「ええ。でも休んで頂いてよかったですわ。かなり顔色がよくなっていますもの」
そりゃあ、“三天騎士”相手にギリギリの死線を潜った挙句、セルフ腹切りに近いことやったわけだしね。肉体的にも精神的にも消耗してたんだろう。
「それで資料は見つかった?」
「ええ、おそらくは……ここ、ルート09だと思いますの」
彼女が示した書物。
それはユディタがこの“隠命森”について記した資料。
探してもらっていたのは、残された手がかり―――ランプレヒトがヘレナの鎧に差し込んでいた紙の内容に合致する場所だ。
そこにある遺跡群のある領域。
通称ルート09が、おそらくは奴らのいる場所。
―――我ら、古代の遺跡にて我らが蟲神の再誕の祝祭へ臨まん。
志あらんとするのならば、受けて立つべし。
そう記された文面は明らかな挑戦状じみた響きがあった。
ふと先程見た夢を思い出す。
サラリーマンとかこの世界で在り得ない言葉を認識出来ているあたり、最早疑う余地はない。
過去の記憶が無いのも当然。
“転生者”
まだ全てを思い出したわけではないが、少なくとも自分が異世界からやってきた存在なのは理解した。
つまり、これは定めだ。
これまで通りに、さっさと神様に振り回されに行くとしますかね。