53.価値ある賭け
それまで無言で戦っていたときとは違う、明らかに意志を感じられるヘレナの声。
それを耳にして確信する。
まったくもって賭けというのもおこがましい。
そう表現するしかないくらいの一か八かっぷりだったが、どうやら見事に勝ち抜くことが出来たようだ。
「……っ!! す、すぐに癒しをかけますわ」
そうしてくれると助かるなぁ。
生憎と手で押さえているものの、かなりの出血を伴っているので急いでなんとかしてくれないと、いずれ死ぬ。
剣を収めた彼女が急いで癒しの法術を唱えると、見る見るうちに傷は塞がっていった。
が、腹の傷が塞がったあたりで掌から出ていた光が弱まって、やがて消えてしまう。彼女の真っ青になった顔色からすると本人の意志ではないらしい。
「あー、気にするなって。とりあえず傷が塞がれば、とりあえずそれでなんとかなる」
「動いてはいけませんわ! まだ臓器の修復が……いえ、御師匠様の書斎に非常用に法力回復の薬が―――」
「いや。だから大丈夫だって」
どうやら彼女の法力が枯渇してしまったらしい。まぁランプレヒトから喰らった致命傷を“再生紋”で治していたりもしてたから、予想の範囲内だ。
そのせいで部位欠損まで癒しが至っていない感覚があったのだろう。慌てだす彼女をフォローするかのように優しい声色で続ける。
「臓器は無事だしね、多分」
すっくと立ち上がる。
うん、違和感はそんなにない。
さっきまで刃が突き刺さっていた感覚の残滓が残っているくらいか。
「え……ですけれど、確かに……」
ヘレナが戸惑うのも最もだ。
確かに彼女の刃はオレの身体を貫いたのだから。
試みたのは本当に一か八か。
彼女の洗脳だか催眠だかを解くための方法、それがショックを与えることだという仮定の下、致命傷を喰らってみることにした。正しくは致命傷に見える傷、か。
死に至る傷でも色々あるが、要は彼女がそう思い込めるだけの傷を負えばいい。あの性格の悪い邪神官のことだ、彼女が知人を殺したら、絶望を突きつけるためにそこで正気に戻るように仕向けている可能性は十分にある。
だが単純に致命傷と言っても問題がある。
下手をしたら本当に死んでしまうことだ。致命傷なのに致命になっちゃダメとか、ちょっとした謎かけのようだよな、うん。
つまるところ即死するような傷をもらったり、その後の展開が描けなくなるような癒せない傷とかは非常に不味い。
アネシュカあたりは腕が斬り飛ばされても治してくれたり、部位欠損を癒す術があるのを理解しているが、そもそも正気に戻ったヘレナがそれを使えるのか、そしてさらに言えば使えるだけ力を残しているかも未知数だ。
だからいかにダメージを抑えた致命傷にするか。
ここが一番の難問だった。
そこで至った結論が臓器を傷つけないように上手く腹を突き刺してもらっちゃおうぜ、というものだ。
さて、そのためにクリアしなければいけない課題は2つ。
1つ目は刺突攻撃を繰り出してきたタイミングを逃さないようにしなければいけないという点、そしてもう1点は上手く狙った位置を刺させなければならないという点だ。
刺突に限ったのには理由がある。
点の攻撃力は威力が高いものの、場所を選ばなければ即死しない。その点、上段からの唐竹や横薙ぎ、袈裟切りの一撃なんかは致命傷に見せようと思ったら、結構ヤバいレベルまでダメージを受けかねないので即死する可能性がある。
突きなら胴体でも上手く刺せば即死しないが、胴体が真っ二つじゃ生きていられん。
次の狙った位置を刺させる、というのも実に難しい。
実のところ、ユディタから学んだ“天恵”の肉体強化術には体の内側に対するものがあった。
例えば特殊な身体操作で睾丸を体の中に引っ込める、というように本来動かないはずの内臓を意識で動かすというものだ。
何やらかなり旧い時代の技術のようで、その時代の人間は自らの肉体だけでそれを行っていたらしいが、今は身体を流れる魔力―――まぁ正確には生命エネルギーとして形が定まっていないため霊力と言うらしい―――も補助に使えるため、少しだけ習得が簡単になっていると言っていた。
だがオレのレベルでは精々が少しだけ臓器を肋骨の中に引き上げるとかそれくらいしか出来ないし、それが出来る速度も実戦に堪えるほどじゃない。とても相手の動きを見て反応していたら間に合わないし、ヘレナもそれを理解しているから使うとは思っていないだろう。
結果、オレは予め臓器を引き上げておいて、引き上げられた腸とか諸々臓器が本来あるべき場所に上手く誘導してそこを突き刺させる必要があった。
それが2点目に繋がるというわけだ。
1つ目は相手の動きを模倣していく中で、すでに理解した動きを相手が繰り返すまで粘ることで解決。幸いなことに、ひたすらヘレナのことを探っていたこれまでの積み上げも功を奏した。
2つ目はこちらが動いて刃に対しての位置を変えることで対応。
とはいえ、身体を貫かせるために自分で刃に向かって行く、刺さっていくってのは色々覚悟が必要だったのは否定しないけどな。
仮定と難問をいくつも重ね、その全てを超えてようやくたどり着いた結末。
それが今だ。
とりあえずその種明かしをヘレナにしてから、
「あー……でもどっちかというと、部位欠損が治らないとすると、こっちが心理的にキツ……おぉ、つぶれてないっぽいな」
「……ッ!!?」
刺突が来るまで耐えている間、耳が取れたり金的蹴りを喰らったりと結構ボロボロになっているが、正直外傷と痛みについては問題ない。
勿論痛いことは痛い、どころか全身くまなく痛んでいたりもするが、それよりも男性の象徴である球体がつぶれてしまっているほうが精神的にキツい。
そう思って確認してみると、意外にもつぶれてはいなかった。無意識に不完全ながらも体の中に隠そうとしたのがよかったのかもしれない。
つぶれてない、で一瞬意味が分からなかったヘレナも、少し考えて顔を真っ赤にしてあたふたしていた。
「とはいえ、さすがに疲れたわ」
どっかとその場に座り込んだ。
誉れ高い“三天騎士”とやり合ったんだ、これくらいの消耗は当然だろう。
ぎゅむ、とそんなオレの顔を何かが抱きしめた。
見上げると、そこにあったのは泣きそうになっているヘレナの顔。
胸に顔を抱きしめるような形になっている、と言えばいいか。
くそ、鎧がなけりゃ役得だったんだけどなぁ。
さすがにゴツゴツした鎧の上からでは抱きしめられても胸の感触はわからん。
「顔も血塗れだから、そんなことすると汚れ―――」
「構いませんわ」
ぴしゃりと一刀両断される。
「それよりも……どうしてですの?」
「? 何が?」
「あれで、わたくしが正気に戻らない可能性も十分にあったはずですわ。その場合、ルーセントさんは殺されていましたのよ?」
まぁそうだろうな。
普通にやっていても危なかったんだ、深手を負って鈍った動きでヘレナをどうにか出来るとは思えない。
「逃げるにせよ、わたくしを殺すにせよ、もっと他に良い方法があったとは思いません?」
「思わないよ」
今度はこちらが即答した。
「少なくとも操られた女の子をそのまま放置したり、あまつさえ殺すような方法は良いとは思わない」
「……それが自分の命を危険に晒す必要があっても、しなければならないことですの?」
そんなこと言われてもな……当たり前のこと過ぎて、素直に答えるしかできない。
「それだけの価値があると思うよ、ヘレナにはさ」
感極まったのか、ヘレナはより一層力を込めてオレの頭を抱え込むように抱きしめた。
うん、そんなに感謝してもらえてありがたいし、無事で何よりなんだけど、さすがに耳が千切れたところをその強さで圧迫されるのは痛すぎるので勘弁して下さい、といったところだ。
……この状況でそんな恰好悪いことは言えないなぁ、と苦笑しながら少しの間、そのままで居ることにした。