52.身斬り骨削りてこそ浮かぶ瀬もあれ
何度目か、わからない左拳を右腕で内側から弾くと、それと同時に合せるように斜めを描く軌道の蹴りが飛んできた。
放った拳をブラインドにするように、三日月のような軌道の蹴りをすりあげ肝臓を狙う。
「ぐ…っ!!」
微妙に体を捻って最大威力の地点を反らすが、それでも完全に衝撃を殺し切ることが出来ない。息が詰まりビキビキと身体そのものにヒビでも入っているかのような微細な痛みの波が広がっていくが、無理矢理無視して前へと進む。
ぶつかっている蹴りに触れたまま擦るように上から見て半時計周りに反転しながら前へ。
そのまま回転した勢いをつけて相手の後頭部に左の肘を叩き込む。
身を引いて避けようとするのを追いかけ、叩き込もうとした肘を伸ばして手刀にすることで距離を稼ぐと、避けきれないと思ったかヘレナは腕で防御した。
閃く白刃と飛び交う手足。
巧みに動く身体は加熱していくが、それを操る心すらどこまでも熱くなっていく。
相変わらず形勢は不利。
それでも状況としては大いに変わっている。
オレが攻撃を喰らって、ヘレナは防御に成功しているという事実だけを取ってみれば旗色が悪いことにしか気づかない。
だがさっきまで一方的に攻撃をくらい、反撃が回避されるだけの状況だったと思えば、防御をさせているということは大いなる進歩だ。
防御するということは受ける、ということだ。
どんな強固な盾であろうとも無限に攻撃を受け続けることなど出来はしない。
普通に喰らうよりも格段に、それこそその場では無視出来る程度であったとしてもダメージは入っているのだ。この事実は大きい。
さらに言えば防御するということはその衝撃を受けることで、一瞬体勢がズレる。
時折その勢いを利用して攻撃をしてきたりもするが、さしものヘレナとて全てにおいてそれが出来るわけじゃない。
わずかながらでも体勢を崩すことで次の反撃までの間を稼ぐことが出来る。つまり相手を一方的にリズムに乗せさせない。
リズムに乗って攻撃しているうちは体力の減りも少ないし、リズムが崩れればその逆も言える。
ヘレナをリズムに乗せず、攻撃が空を切ることでオレのリズムが崩れることを防止できるという意味で、防御させるという動作にも大きな意義があった。
まぁ、ジリ貧なのは―――まったくもって変わらないけどな!!
また一撃。
攻撃を喰らいながら放った刃が相手の刃で受けられる。
じわりじわりと迫っている実感はあった。
さっきの回転肘打ちからの手刀も、今までの戦いの中で相手が使っていた技だ。
戦いが長引けば長引くほどオレは彼女がこれまで磨きあげてきた技術を模倣し、何度も繰り出すことで自らのものにしていく。
結果彼女との差がほんのわずかずつではあるものの、確実に詰まっていくのがわかる。
だがそれでもなお、“三天騎士”の頂きは尚遠い。
なんとか意志で無視したりしているダメージだって無くなっているわけじゃない。
いずれ限界を迎えれば、いくら意識でどうにかしたって動かなくなるのは自明の理。
そしてオレがヘレナに完全に追いつく前に、その限界がやってくる。
そんな確信めいた予感がある。
地力で劣っているのなら、それをなんとかするのが技術であり、さらに言えば戦いの経験に裏打ちされた駆け引きでもあるが、そのどれもがオレはヘレナに劣る。
結果本気で勝つつもりがあるのなら、こちらにとって分が悪くても確率が低い賭けを何かしらしなければならない。
だが、と。
攻防を続けながら思う。
オレの勝利目標はそこじゃないのだと。
必要なのはヘレナを正気に戻すことであって、倒すことじゃない。倒せたとしても殺してしまったら失敗だしそんなものは認められない。
逆に言えば倒さなくても正気に戻せるのならそれに越したことはない。
―――例えこの身がどうなっても、だ。
そのためにひたすら彼女を模倣する。
その局面局面で使われた技術だけではなく、さらにそれを選択した判断、そこから割り出される選択傾向、そして戦闘心理までも読み込もうと。
ある意味、勝利だけを目指すなら必要のない行動。
いや、必要が無いどころか障害ですらある。
単純に模倣して戦闘するのにプラスして、相手の思考や癖を推測しパターン化していくというのは戦闘時に常に判断を迫られる頭脳にとって余計な負担に他ならないのだから。
ひたすらに待つ。
そこから導き出される型に合う一瞬だけを。
みぢ…ッ。
不快すぎる音と共に片方の耳が引き千切られても。
オレの後ろ回し蹴りを腕で防御し間合いを開けられる。
ビキッ!!!
肋骨が何本かイった音を体内から聞かされたとしても。
反撃に振るった膝蹴りは出鼻を抑えられて、こちらの動きを止められる。
ぐぢぃっ!!
膝蹴りで空いた股を狙って金的を打たれた。
反射的に急所を引き上げたけども、確実にどっちかはつぶれたと思われる激痛。
ふぉっ!!!
気づいて避けようとのけぞった胸元へ、彼女の剣閃が触れて傷を負う。
鮮血がびしゃりと剣の軌跡をなぞるかのように流麗に舞った。
ゴっ!!
オレが繰り出した蹴り上げを半身になることで避け、そのまま前に進んで左拳が放たれる。
骨と骨がぶつかりあう衝撃と共に意識が飛びそうになった。からくもそうならなかったのは、こちらも“天恵”の効果で鍛えられた土台があったからか。
限界が近い。
劣勢という表現で収まっていた均衡が崩れ、一気にヘレナの側へと雪崩を打って傾き始めている。
それでいい。
そしてついに求めていた瞬間がやってくる。
最初と真逆。
手足をフェイントにした刺突。
「―――ここだッ!!」
ぞぶっ!!!
オレは敢えてそこに飛び込んだ。
そのまま、彼女の剣がオレの胴体の真ん中に近い部分をを突き刺し―――貫通して切っ先が背中側から顔を出す。
「……ッ」
ずるり、と刃を引き抜くヘレナ。
腕や脚でもなければ、脇腹でもない。
間違いない致命傷と言える箇所。
その返り血を浴びながら彼女が見守る中で、オレはそのまま崩れ落ちた。
「……ルー、セント……さん?」
それまでと違う彼女の声を耳に聞きながら。