4.聖騎士乱入
何はなくともすることはひとつ、歩き始めた。
まず一刻も早くしなければならないことは、この場を離れることだ。今のところ大丈夫そうだが、いつ脱出したことが露見しないとも限らないし、近くにいれば単純に何かに巻き込まれる可能性だってある。
離れながら水場を探すべく視線をきょろきょろと左右に動かしていく。
血の匂いたっぷりのこの体を流すのと、後は単純に喉の渇きをどうにかしたい。空腹は最悪まだ1日かそこら耐えられても、渇きだけはどうしようもない。
「……?」
歩き始めてしばし。
ふと視線を感じる。
とはいっても、向けられた視線を感知してどこからかわかるような技能は持っていない。単純に何かそわそわして見られているような気になっているだけで錯覚かもしれないが、それが錯覚かどうかの判断も出来ないのだから放置するしかない。
気にせずにしばらく歩いていると、どこからかかすかに水の匂いがする。血の匂いで鼻が利きづらくなっているのだから、これもまた錯覚かもしれないものの他にアテがあるわけでもない。一縷の望みをかけてそちらに進んで行った。
くねくねとした路地裏を抜けていくと、井戸を発見。
喜び勇んで走り出す。
どうやらこのあたりで共同で使っている井戸なのだろう。周囲の家屋はこの井戸がある周囲を開けるように囲んで建っていた。昼間ならばご婦人方が井戸端会議でもしていそうな雰囲気ではあるが、さすがに夜ともなると違うようだ。
誰もいない井戸の近くへと一目散に走って到着。
からからと釣瓶を落として水を掬う。
一度手に水を流して洗ってから、掌に載せた水を一口ゴクリ。五臓六腑に染み渡る、というと大袈裟かもしれないが、それくらいの感動があった。食べ物じゃないが、空腹こそが最高の調味料、というのは嘘じゃなかったな。
さて、そんなこんなでゴクゴクやっていると、やはり視線を感じる。
さりげなくチェックしてみると時折、落とし戸みたいになっている建物の窓が小さく開き様子を窺っているのがひとつふたつほど目についた。
何か外で水音がすると思ったら、余所者が井戸周りで何かしているというんだから近隣住民が気になるのもわからないではないかな。
本当は服も脱いで頭から水を被ったりして汚れを落としたいところだけど、それは難しそうだ。人目があるとわかっているのに全裸とか猫ならぬ変態まっしぐらだし。
うぅむ、清潔への道は中々に険しい。
「おぃ、にーちゃん、そこで何してんだぁ?」
少ししゃがれた声をした若い男が路地からやってきた。後ろには似たような年代の男が2人で合計3人。どう見ても破落戸にしか見えないし、手にチラチラと刃物を見せているので、何をしに来たのかは薄々見当がつく。
「何……って、水を飲んでる」
特に考えずにさっと答える。
この手の問答の内容は問題ではない。
頭を使って会話に注意を割くよりも相手の動きに注視する。
冷静に考えれば結構危険な状況だ。
身体の動きに問題がないことは確かめてあるものの、全体的に疲労が澱のように溜まっていて鈍いことは間違いない。増してや相手は3人だ。こう、何か武術の達人的なスペックでもあればなんとかなるのかもしれないが、今のところ戦う技術など思い出せないし。
さて、どうしたもんか。
ぱっと思いつくのはどっか路地裏に入り込んで一対一になるように仕向けることくらいだけども、地元民相手に路地裏に逃げ込むとか追い詰められる予感しかしない。
ま、とりあえず大人しくカツアゲされるとしよう。
わざわざ声をかけてきた、ってことはいきなり殺しにかかってくる可能性は低い。
だからツケこむなら、そこからだ。
そんなことを考えていたのだが、どうやらそれは無駄に終わったようだった。
ごづっ!!
何やら大型の鈍器がぶつかるような音と共に破落戸のうち、一番最後尾にいたひとりが空を飛んだ。そのまま、大分離れた建物の壁に叩き付けられてズルズルと地面に落ちていく。
一応動こうと若干もがいているようなので死んではいないようだ。ただ、もがいているだけで起き上れる気配はまったくないが。
何事かと咄嗟に振り向いた連中の背後には―――
―――白銀の鎧に身を包んだ女性の姿があった。
馬上で着る甲冑もかくやというくらい重厚な鎧をガッチリと着込みながらも、兜は片手に持ったままなので、顔だけは防具の無い状態だった。
そのため、その後ろで結んだ赤毛の髪も、女性としての美貌を湛えた顔立ちも、そして何より底に強い意志の光を湛えている眼差しもよく見える。
先程、破落戸を吹っ飛ばした張本人であろうことは想像に難くない。なにせ彼女は兜を保持している手とは反対の手で長大な剣を横に払った状態だったからだ。どうやら、その剣の腹を鈍器のように使い、ぶっ叩いたらしい。
驚くべき点があるとすれば3つ。
その得物を片手で振るって大の男を吹き飛ばす腕力、そしてそれだけのことをしても相手を殺していない手加減の巧みさ、そしてそれだけ重装備にも関わらず静かに間合いに踏み込めた技量。
とりあえず助かったかも?と思ったオレとは反対に、破落戸たちは震えあがっている。それも間違いなく武者震いなどではない類の。
どうやら彼らは彼女が何者なのかを知っていたのだろう。
震えながら相手を指で差し、
「“骸魔殺し”のアネシュカ!!!」
「なんで、聖騎士、それも“三天騎士”がこんなところに!!?」
おー、ビビってるビビってる。
余程、恐れられてる存在らしい……って、アレ? なんか最近聞いたことがあるような響きの語句だな。
「私がどこにいようと勝手でしょう?
それより、聖騎士の目の前で刃物を手に強盗とは良い度胸ですね」
あ、この声。
この人、オレがワードローブに隠れてたときに調査官とかいう人と一緒に来ていた聖騎士か。上手く逃げ切れたと思ったんだけど、そう上手くはいかないようだ。
「大人しく退くか、それとも痛い目を見てから退くのが良いか、自らで選びなさい」
おっと、ちょっと予想外だ。
聖騎士だなんて言うから、問答無用でずんばらりといくのかと思っていたが意外とお優しいな。
もっとも、それも言葉と同時に発せられた殺意混じりの威圧が無ければだが。
ただの破落戸がそれをまともに受けて抗えるような覚悟があるわけでもなし。倒れた仲間を助け起こすなり、そのまま退散していった。
「いつの世も、ああいった手合いは逃げ足だけは速い」
アネシュカと呼ばれたその女は嘲るわけでもなく、淡々とそう評しながら剣を鞘に納めた。
そのままツカツカと歩み寄ってくる。
彼女は特に身構えることもなく無造作に2メートルほどの距離まで近寄るなり、
「何か言うべきことは?」
そんな言葉を唐突に投げかけてきた。
どのような回答がいいのか少し考え、
「あー、人って空を飛べるんだなぁ……と?」
素直に思ったことを口にした。
おそらく礼の言葉を想定していた彼女にとっては、まったく予想外の回答だったのだろう。
一瞬、聖騎士の顔がきょとんとした表情を浮かべて、
「面白い子ですね」
花が咲くようにふわりと笑った。
美人が笑うと絵になるなぁ、と思いながら、同時によく見ればその瞳の奥底が笑っていないことに溜息をつく。助けてもらったのはありがたかったが、それ以上に厄介なことになった。
さて、この場をどう切り抜ければいいのかな。
一難去ってまた一難。
平穏は遠そうだ。
次回、Ex.1 「“天啓”アネシュカ」
6月7日10時の投稿予定です。