Ex.5 森奥に潜む罠
正直なところ、この隠命森に関してはワタシ以上に知っている者はいない、そう断言できるくらいには詳しい。勿論個々の生物の生態や習性などについてはワタシよりも詳しい学者はいるだろう。
それでもこの広大な森に関して、どこに何があるのか、普段はどのような雰囲気なのか、そういった大きな範囲でのことに関しては負けない自信がある。
その感覚が、警告と共に違和感を感じていた。
「アネシュカ」
「はい。さすがにただならぬ気配なのは理解しています」
ルート07。
今日巡回しているのはそう呼ばれる地点。
他の者に話さなければいけない事態に備えて、知っている森の内部を10の領域に分けて、それを自室にある書物にも記している。
便宜上その領域を効率よく回るルートを1から10と名付けていた。
ルート01領域:人里寄りに位置する森のもっと外縁部。狼や猪といった動物や小鬼といった弱い魔物が主な生息域にしている。一般的な森、と表現するのに十分な環境。
ルート02領域:ワタシの家の周辺もここに含まれる。出現するのは動物や弱い魔物というのは同じだが、外縁部よりも精霊の働きが強く、森が深くなっているせいか動物関係はやや能力が上がっている。
ルート03領域:多くの水源や湿地があり水の精霊力が他よりも強い。特殊な粘体生物も生息しており、“天恵”の鍛錬メニューとして使っていたりもする。最も奥地には大きな湖と滝があり、そこには水竜の生息が確認されている。
ルート04領域:岩山をその範囲に含む領域。岩山に空いた洞窟のいくつかは内部に瘴気を吹き出す穴があるが、原因は不明。ただそのためか瘴気を好む魔獣などが寄り付いたり誕生しやすい場所でもある。そのため、岩山以外でも通過する場合は注意が必要。ルート02や01を経て人里に溢れる魔獣はそのほとんどがここから出ている。
ルート05領域:古戦場跡。伝承に寄れば呪いをかけられた古き王が率いた軍勢が敗北してなお戦いに囚われているという。それが正しいかどうか定かではないが、この領域においては陽を遮るほど鬱蒼とした森の中を、武装した骸骨の群れや幽霊が昼間からあたりを闊歩している。
ルート06領域:食人鬼の王国。人口は推定2000ほどで、生産性は極めて低いものの多少の農耕や道具作成を行う能力も持っている。国を追われた者や外部へと目を向けた者などが定期的に流出し、人里への大きな被害となることがある。
ルート07領域:大小合わせた昆虫勢力の支配地域。巨大蟻をはじめとした巨大昆虫から、通常のサイズのものまで最も多様多数な生命が闊歩していると言える。またルート10までの間の中でもルート10に次ぐ広さを持っている。
ルート08領域:植物勢力が圧倒的勢力を誇っており、魔物や動物はかなり数が少ない。生物を苗床にする寄生種や胞子状生命、誘因して捕食する種など多数の植物が確認されており踏破難易度は極めて高い。ただしそれだけに貴重な薬草や素材の宝庫でもありリターンも大きい。
ルート09領域:樹木の海に飲み込まれるように多数の遺跡群が確認されている地域。神話で謳われるところの旧世界を継ぐ第一文明、その文明を滅ぼした第二文明のものが混在しており、おそらく第一文明の遺跡が有った場所に意図的に第二文明が施設を設けたのではないかと推測される。
ルート10領域:森の最深部。一説では世界樹とも言われているほど巨大な古木を中心として広がっており、竜種を初めとした幻想種の住処となっている。そのため巨大生物の縄張りを維持するに相応しい広大さを誇っており、ここについては全て探索しきれていない。
以上のように多様な場所だが、ひとつだけ共通項がある。
それは領域が変われば危険度や難易度がガラっと変わるということ。
だからこそある程度傾向を掴んでおくことが必要なのだ。
そして今。
アネシュカから話を聞いた上で、蟲を司る邪神を奉じているランプレヒトが何かを企むのであれば、ここが最も可能性が高いのではないかと踏んで、巨大昆虫が闊歩するルート7領域を巡回していた。
そこで感じた違和感の正体―――それは、静か過ぎること。
この領域は巨大なものだけではなく、通常サイズの昆虫も四季問わずに豊富に生息している場所。虫の鳴き声ひとつ、生命の気配ひとつしないのは明らかにおかしい。
それでなくとも、虫除けをせずにここを10分も歩けば獰猛な巨大蟷螂の一匹や二匹遭遇してもよさそうなものなのに、すでに30分ほど歩いてもそんな気配は全くしていない。
茂みの中などを見てみると、巨大な蟲の羽や脚、多少の体液などの残骸がたまに見つかるものの、それ以外の生物の痕跡は全くと言っていいほど存在していない。
「これは……森が、死んでいる……いや、でも木々は何も損傷していない……?」
なぜか植物に関しては変化がない。
木々も朽ちているわけでもなく、草が枯れているわけでもない。
ただ生物だけがぽっかりといなくなっている。
「何かが捕食した、というわけでもなさそうですね。大も小も関係なく……全ての蟲が等しく死んでいます」
「そうだね~。まるで中から食い破られでもしたような感じにも見えるけど、それにしては死骸があまりにも綺麗過ぎる。食べ残ししなさすぎだよ、コレ」
その言葉にアネシュカはハッとワタシの顔を見た。
おそらくは同じ考えに至ったのだろう。
―――“不滅蟲”
ランプレヒトがアローティアにて回収した連中の祭器。
勿論、ワタシだって発動したところを見たわけではないし、遭遇した者は生き残っていない。だから推測でしかないけれど、ブランちゃんの手紙に書いてあった性能とこの現状はかなりの部分一致する。
発動した周囲の生物を食い破り増殖、さらに拡大していく極小レベルの蟲の群れ。
それがここで使われたとすれば、この光景も納得できる。
「……問題は、その後かな」
少なくともここに入り込んだワタシはまだ生きている。
そう考えると発動した“不滅蟲”、それもこの森の恐ろしい数の生命を喰らって増殖したはずの蟲たちは一体どこに行ったというのだろうか?
過去にどこかの街で発動した際は、都市いっぱいに広がった連中を神の奇跡だったか、広域殲滅連動魔術で一帯ごと吹っ飛ばして解決したと言われているが、この森の様子からすればそんな感じもしていない。
「今のところ、誰かが何かをしている、それがランプレヒトたちで“不滅蟲”を使った可能性が高いんじゃないか、ってトコくらいまでしかわかりそうもないねぇ」
「ええ、引き続き調査の必要があります」
そう結論付けて少し進むと、何やら気配を感じた。
おそらく人間だろう。
あたりがひっそりと静まり返っているせいで、いつもよりも遠くからはっきりとわかる。
もう少しだけ近寄ってから、鎧が音を立てる可能性があるのでアネシュカに少し待ってから追いかけてきてもらうようにさせて、ワタシ自身は静かに出来るだけ足音を殺しながらそちらに向かった。
見つかった気配の主は、森の樹の根本に腰を下ろし俯いたまま座り込んでいた。
人間の男性だろうか?
それが外套に包まり何かを大事に抱えている。
生きてはいるようだが見たところ、ただの村人のようにも見える。
体格も貧相だし何か心得があるような雰囲気もしないが、油断せずに木々に隠れながらゆっくりと近寄っていく。
相対距離にしてあと15メートル。
そこで異変は起きた。
ぐるん!!!
壊れた人形のように俯いていた男性が顔を跳ね上げたのだ。
その瞳は濁った黄色に染まっており、口元からはだらしなく涎を垂らしている。そして何より顔中に浮かぶ不気味な文様が怪しく点滅し始めている。
「―――」
その口が何かを呟く。
同時に彼が外套の中に持っていたものが砕ける音が響き、そして同時に外套の隙間から灰のようなものが漏れて、その口の中へと吸い込まれていく!!
「……罠ッ! それにしたってタチが悪いね!!」
ワタシは脇目も振らずに反転。
一気に駆け出した。
少し遅れて背後で何かが破裂する音、そして燃える音が響く。
そのまま何かの気配が大きく膨れ上がって追ってくる。
「アネシュカッ! 逃げるんだ!」
すぐに視界に入った彼女に叫ぶように声をかける。
驚きながらもアネシュカはワタシが逃げてくる方向からやってくる何かを見て理解したようだった。
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾッ!!!!!
ワタシの背後に迫るそれは灰色の嵐とでも呼ぶべきもの。
おそらくこれが―――“不滅蟲”。駿馬よりも早いワタシを追いかけることが出来る恐ろしい速度で拡大できるその有り様は、まさに災厄と呼ぶに相応しい。
一気に膨れ上がったそれは、健闘空しくワタシたちをひと呑みにしてしまった。
この脅威を連中の目的が達せられる前に、知らせに行かなければならないというのに。
それは最早叶うことが無い。
次回、第47話 「絶望のはじまり」
7月26日投稿予定です。