41.隠命森の日々
ようやく、オレ強ぇが出来るくらいにはなってきたようです。
走る。
走る走る。
頬を撫でる風がその速度を囁いてくるが、それを気にしている暇はない。
周囲へ放った知覚の網に問題は何ひとつ引っかかっていない。
ならば、ただ目標を確保することに集中するべきだ。
枝から枝へと飛ぶ。
そのまま大木の表面を蹴って方向を変え、蔦を引いて衝撃を殺す。
逃げる獲物との間合いを刻一刻と詰めていく。
流れていく景色は、その速度ゆえに見切ることは難しいはずだが、オレの目には葉っぱの一枚一枚の葉脈すらもハッキリと見える。
これ以上の高速に慣れる生活をしていたから、もしかしたら頭の処理速度に余裕があるのかもしれない。
だンッ!!!
一際大きく強い最後の一蹴り。
それによって大きく跳躍することに成功した。
一瞬だけ全ての力の束縛から解放されるも、すぐに見えない重力の紐が体に巻き付いたかのように落下を始める。地面に到達するまでほんの短い時間しかないが、その間に姿勢を整え落下位置をわずかなりとも調整した。
ドンッ!!
そのまま狙いを過たず目標へと落下。
人とは違う筋肉質の背中、その上部に激突するかのように着地しながら、左手に逆手で構えた短剣を首筋に差し込んだ。
人一人が落下してくるという恐ろしい衝撃にすらもなんとか耐えたものの、首筋を斬り裂かれてはさしもの相手もひとたまりもない。
ぐらりとよろめき、そのまま背中を下にするかのように倒れていきそうになった。
「そりゃ困るな、っとぉっ!」
ぐ、と相手の頭部に両腕を回し。
背中を蹴りつけた反動を使って一気に捩じりあげた。
強い抵抗が一瞬だけ、続いて太い生木をへし折ったような振動が伝わってくる。
そのまま相手の顔が背中を向くのと入れ替わって、前を向いた後頭部につられてオレの体もそちらへとぐるんと回った。
ずぅぅ…ん。
結果、倒れた身長4メートルの巨人の背中に潰されずに済んだわけだ。
「鎧含めたら重量がシャレにならんもんなぁ。別にそれで死んだりとかはしないにせよ、一瞬とはいえ身動きが取れないのは状況としては歓迎できないし」
今は1対1の状況だったからよいものの、これが他にも敵がいるとするのなら寝転がるのは自殺行為だ。そういった普段の心の持ち用こそがいざというときの勝敗を分ける。
一度だけ周囲を警戒し、特に脅威が無いのを確認。
それからゆっくりと目の前で倒れている標的―――さっきまで生きていた敵を見た。
4メートル少しといった長身の巨人。
長い髪と顎鬚をした男性体で、その肌は緑色。
体表はややザラついた少し硬い感じだった。
一般的に人食い鬼と呼ばれている生き物だ。全体的な形状としては人間に近いものの、その獰猛さと底なしの戦闘意欲、そして巨大な体躯が大きく人と違う。
人肉を好む怪物、つまるところ魔物の一種。
また種類によっては臆病で狡猾さに長けた個体や、身体を変化させる術を持つ者もいると聞く。
事実、オレが戦った中には自分の腕を巨大な獣のものに変えたような奴もいたし。
そして、この目の前で倒れている人食い鬼もまた特殊な個体だった。
鈍く黒ずんだ銀の鎧を纏い、さらに人ならば両手持ちでなければ取り回しづらそうな大剣を装備していた。しかもその剣はご丁寧に装飾入りの手が込んだものだ。
棍棒を振り回しているような貧相な武装のイメージしかない怪物とは明らかに違う。
そうこうしていると、背後に感じ慣れた気配がやってくるのに気付いた。
彼女―――ユディタはさっきの一連の動作をしっかりと見ていたようだ。
その上で問うてきた。
「お疲れお疲れ。これで無事に今日の課題の“食人鬼の王”討伐も終わりだね。
意地悪いけど一応最後に聞いておこうかな。どうして首を切り裂いた後に、さらに捻り折ったのかな?」
「下敷きになりたくなかったのもあるけど……致命傷を受けたからってどのまま即死してくれるとは限らなかったから、かな?」
正直なところオレなら、喉を裂かれても死ぬ前に一矢報いようとかする自信あるし。
「OK、合格。まぁ今の少年ならそんなに難しい課題じゃないと思ってたけどね」
「いや、結構面倒だったけどな……?」
主に追走劇が。
今回の課題としては自らの領域から出てきた“食人鬼の王”とその取り巻きたちを倒すよう指示されたんだが、集団なので動きの把握が難しかった。
全部が全部真正面から向かってきてくれればいいんだけど、ある程度交戦してみて手強いと知るや否や、部下にその場を任せてトップが逃げるとかしたので驚きだ。
おまけに部下は死にもの狂いで時間を稼ごうと奮戦するし、危うく逃がしてしまうところだった。
「これだけ立派な武装をしてたし、もっとこう……獰猛な種族らしくやる気満々な武人的な奴かと思ってたんだけどな。アテが外れた」
「いくら連中の王種とはいえ、勢力争いに敗れて追い出された以上、本来のそれよりもそういったところで劣っているのはあり得る話だよ。勉強になったね~」
そう言われれば、そんな気もするが。
「それにしてもしっかり成長してくれて、おねーさんは嬉しいよ」
よよよ、と感慨深げに目の前のエルフは泣き真似をする。
さすがに初対面から毎日顔を突き合わせていると、そのへんの違いはわかるようになった。
「まさか一ヶ月でここまで進歩するとはねぇ。教えた側としても実に鼻が高いし、ワタシの指導能力も磨きがかかりまくっちゃったかな!って気になるのは仕方ないと思うの」
「そりゃあれだけの鍛錬だったからなぁ……日を追うごとにどんどん酷くなってくし」
思い出すのも苦痛……ってほどじゃないが、発狂したほうが楽なんじゃないかと魔が差しそうになったことは一度や二度じゃない。
「あはは、それはさ、少年がいけないのさ。
こっちはあくまで人間レベルでギリギリまでで抑えようとしているのに、いくらやっても跳ね返ってくるくらい手応えがあるから、ついつい練習内容を加速し上乗せしていったというかなんというか?」
加減って言葉の意味を教えてやりたいが、それでも今こうしてオレがここまでになっているのだから、結論としては間違っていなかったと言うべきなんだろう。
ユディタと出会ってから今日で丁度30日。
正直なところ一番キツかったのは、ユディタ曰く“天恵”の基礎が出来てきた10日目くらいの時期で、そこから加速度的に順応できたこともあり、今日までなんとか生き延びることが出来ていた。
まぁ問題は―――
「当初の鍛錬ペースで言うと、本来はここまで来るのにユディタちゃん印の特別最短最強術メニューでも三か月はかかる予定だったんだけど。大した少年だよ、少年!」
「いや、そこは大した男だよ、とかもう少年呼ばわりはできない、とか続くトコなんじゃないのか…?」
―――未だに少年呼ばわりされていること、くらいだった。
次回、第42話 「再びの出会い」
7月20日10時の投稿予定です。