40.震える心
先に動いたのはユディタだった。
疾風を思わせる速度でマンティコアとの間合いをあっという間に詰める。
そのまま拳を叩き込もうとして、突如サイドステップ。
ドッ!!
一瞬遅れて、上から降り下ろされるようにやってきたマンティコアの尾が誰もいなくなった地面に突き刺さる。確かマンティコアの尾には毒があったはずだ。喰らえば必殺となりかねないその一撃の勢いと、そしてそれを難なく避けたユディタ。
彼女はサイドステップの後、着地の反動を使ってそのまま前に跳躍。
ズドゥッ!!!
勢いを殺さずに前蹴りを放つと、その一撃はマンティコアの顔に吸い込まれるようにヒット。重い打撃音が響くと共に大きくのけぞらせた。
だが敵も然るもの。
尾を引き抜いて体勢を整えると、大きく右の前脚を敵を薙ぎ払わんと振るう。
ガッシィッ!!
なんとユディタはそれをあっさりと左腕で受け止めてしまう。
薄々予想はできていたものの思わず目を疑う光景だ。細身の女性が体長3メートル近い獣の攻撃を完全に受け止めてしまっているのだから。
足元がいくらか陥没していて、今の一撃にかなり力が込められていたことを示している唯一の証か。
思わぬ手応えに戸惑っているのか、マンティコアは一瞬だけ動きを止める。だがすぐさま反対、つまり左の前脚で再度攻撃してくる。
それすらも予期していたかのように、ユディタはその一撃を避けられるギリギリの跳躍をした。
そして落下の勢いそのままに放たれる打ち下ろしの右拳。
ドガンッ!!
「ォォォぁッ!!?」
くぐもったマンティコアの悲鳴。
顔面に激突したその一撃は、魔獣の顔を半分ほど陥没させるほどの威力だった。あまりの威力にマンティコアはもんどりうって吹っ飛びゴロゴロと転がった。
こりゃ終わったかな、と思ったがそうは問屋が卸さないようだ。
なぜか追撃せずに間合いを取ったユディタが見ている前で、マンティコアは何かを唱え始める。するとみるみるうちに傷が癒えていった。
「こんな風にマンティコアの中には癒しなどの法術を使える個体もいるよ。魔獣だけあって人語を介したりもするし、頭も悪くない。
でも主に法術は邪神系だし人肉を好む人食いだから、どんなにそのへんの獣より知能があっても相いれない存在なんだ。だからこそ幻獣じゃなく魔獣、って呼ばれるんだけどね」
敵が傷を癒しているその間、生徒に教授するかの如くユディタはオレを横目で見てそう言った。
そうこうしている間に完全に回復してしまったマンティコアは、じりじりと飛び掛かる隙を窺うように狙っている。
「で、今の攻防なんだけど、まさに“天恵”を用いた戦いだね。
相手の攻撃を見てから避ける反射神経と、攻撃を完全に受け止める腕力、殴り飛ばす膂力。どちらかというと技術じゃない、単純な身体能力を活かしたもの。
“天恵”というのは、こういった身体能力を得やすい体質のことで、午前中に教えていたのはそのための鍛錬法、ということになるかな。
一ヶ月だとどこまでいくかわからないけれど、土台はしっかりと叩き込んであげるよ」
目の前の格闘士はマイペースに解説しているが、マンティコアはやみくもに飛び掛かったりはしない。その警戒は単なる餌ではなく、彼女を十分な戦力を持った敵と認識したためだろう。
ばさっ!!
蝙蝠の羽を大きく羽ばたかせ、低く滑空するかのように飛び出す魔獣。
静かに構えるユディタ。
「そしてここからはその先―――」
マンティコアが彼女に衝突すると思われた瞬間、
「―――技術の話だよッ!!」
ずだぁぁぁんっ!!!
吹っ飛んだ。
いや、投げられたのか?
マンティコアが勢いそのままに、彼女を飛び超えて数メートル吹っ飛んで転がったのだ。
交差した瞬間にマンティコアの目前で、ユディタがしゃがみこみ魔獣の下から軽く手をカチ上げたのは見えた。だがそれだけであんなに飛ぶものなのか…?
「力は合った方がいい。そもそもどんなに技があったところで、身体能力に圧倒的な差があったら、それを覆すに足る圧倒的な技術差がない限りなかなか勝利することは難しいからね。
でもその上で、運動能力が拮抗した、もしくは近いレベルにあれば今度は技術がモノを言う」
転がった魔獣が呻きつつ体勢を整える間、彼女はつかつかと敵へ歩み寄っていく。
起き上がったマンティコアは先程と同じように右の前脚で攻撃しようとするが、
ぶぉんっ!! どがぁんっ!!
振った前脚を斜め前に出ることで避け、さらに前脚そのものを左腕で進行方向へ打ち払って体勢を崩す。
そのまま右の手を伸ばしてマンティコアの鬣を掴むと、あら不思議。魔獣があっさりと投げ転がされてしまった。
「グゾォォォォォッ!!! ニグガァァァァッ!!!」
少しだけ意味のわかるようなわからないような叫びをあげながら、マンティコアは尾を振るう。
するとついていた棘がまるで飛び道具のように飛んでいく。
フォン! フォン! フォ、フォン!!
その全てをあっさりとユディタは避けた。
それどころかギリギリの距離で見切っているためか、回避らしい回避ではなく少し体勢をズラしたりしただけで避けてしまった。
「相手の重心が崩れるタイミング、距離感をはじめとする空間認識、目付、そういった諸々があれば動きの無駄を省くことが出来る。最小限で最大の成果を、って感じかな?
そして、さっきの“天恵”によって鍛えられる身体能力と、技術を合わせれば―――」
再びマンティコアの顔面に放たれる拳。
咄嗟に前脚で顔を隠した魔獣に対し、それを気にせずユディタは一撃を放った。
ズゥンッ!!!
衝突の瞬間、一瞬ユディタの体がブレ、その足元が陥没した。
そして同時に、
ゴパァァンッ!!!
マンティコアの頭、そして背中が破裂した。
「―――こういう威力になる」
ずぅぅん……。
崩れ落ちる魔獣。
防御していた前脚はなんともないのに、その奥の頭、そしてそこから直線状にある背中の一部だけがまるで何かが内部で爆ぜたかのように破裂している。
「衝撃を徹す打ち方という、割とどこの素手格闘でもある技だけど、徹す衝撃そのものを圧倒的な膂力で底上げしてあげれば魔獣相手でも一撃必殺になるのさ、どうだい? 凄い? 感動した?」
確かに凄い。
そうとしか言いようがなかった。
あっさりと退けられたものの、マンティコアは決して弱そうではなかった。巨体とは裏腹に動きの早さはかなりのもので、小鬼なんて何十匹かかったところで相手にもならないだろう。
そんな相手を説明がてらに一蹴。
ぶるり。
高まる鼓動に思わず身震いした。
「これが……」
オレが彼女にこれから習うべきもの。
午前中のアレは、この強さこそを得るための鍛錬なのだと自覚すれば、高揚を抑えるのは中々難しかった。
「さて……ちょっとワタシの鍛錬法は特別だったでしょう?
だから本当に効果があるのかモチベーションを保たせるために、今回は課外授業だったわけだ」
確かに紐で縛って鍛錬とか他で聞いたこともないな。特別かと言われれば特別だろうと思う。オレは信じると決めてたから構わないけど、他の人間だったらちょっと不安になるのもわからないではないかな?
彼女はおそるおそる問うた。
「……やる気になったかな?」
回答なんてひとつしかない。
「そりゃ、もう」
求める強さ。
今の自分の進む先。
それがこれほどのものだと魅せられて文句などあるはずもない。
「それはよかった! じゃあ、これからじゃんじゃんバリバリやっていくよ」
ユディタは心底嬉しそうにそう言った。
世界を独りで渡る強さ。
己が意を押し通すための強さ。
欲しいものが目の前にあるのは確認できた。
さぁ、オレも頑張らないとな!
ちなみに余談として、
「おっと、しまった。解体のための道具を忘れたな……マンティコアの素材どうしようか!? うっかりしてたなぁ。持っていかないと討伐証明にならないんだよね~……」
「短剣くらいならあるよ」
「おぉ、少年よ。ぐっじょぶ!! 愛してる!!」
ユティタって、やっぱりマイペースだなぁと思ったり思わなかったり。
次回、episode.2のエピローグとなります。
7月17日10時の投稿予定です。