37.空の器
まず何をするかと気合を入れていると、
「さて……まずはこいつをつけてもらおうか」
ユディタは何やら黒い紐のようなものを取り出した。
ちょっとぶよぶよしていて伸び縮みする感じだ。
どうすればいいのかさっぱりわからないので様子を見ていると、ユディタはオレの四肢の付け根とか胴体とかにぐるぐるとそれを巻き付けた。それもかなりの強さで、血が停められて手足が痺れてしまう直前ぐらいの問題のないギリギリまで。
「これを巻きつけられると血流がかなり制限される。これで血液を制限してトレーニングすると、外したときに一斉に疲労物質的な何かが流れて、それが刺激となって効率よく筋肉が発達するとかなんとか」
「なんでそこがうろ覚えなのか気になるんだけど」
「古い古い書物から得た知識だからね、それこそ神話レベルに。とりあえず実践してみて正しいことはわかってるんだから、それでいいじゃないか、あはは」
誤魔化すように笑ってから彼女は続ける。
「さて、それでここからがワタシの生み出したベース能力“天恵”を得るための話。
一般的な人間よりも野生動物は強い。同じサイズなら武器なしでは太刀打ちできないことが多い。それがなぜかと言われれば筋肉の質の違いだ。
そしてさらにその上、幻獣や魔獣のような存在は同じ大きさの動物と比べても圧倒的に強い。それこそ身体能力が段違いなんだけど、そこにあるのはなんだろうか?
最初は筋肉の質かと思ったんだけど、ふと考えたら連中っておかしいんだよね。小さな羽でも飛べたり、火を食べたり、身体を霧にしたり。
そう考えると動物と彼らの違いは魔法的な能力の有無なのではないかと仮説を立てたわけだ」
なるほど。
確かに一般人は狼にだって負けるし、じゃあ狼が同じサイズの魔獣に勝てるかと言われれば無理だろう。
「魔力に対する肉体的親和性。これを高めればいいと思ったわけだ。
それで話を戻すけど、さっきの話した血流を遮って、脳に刺激を与えることで筋肉が増大しやすくなるという話にヒントをもらって、魔力も同じように抑制したらどうなんだろう、ということを思いついた」
そう言って彼女は、先程オレに巻き付けた黒紐のようなものを示した。
「これは特殊な魔物の素材で作ったものでね。巻いた箇所の魔力の遮断機能もある。
血流と体を流れる生命力、まぁ言うなれば誰しもが持っている魔力も抑えてトレーニングする。抑制されることによる反動でもって、身体がもっと四肢の魔力を流す回路を発達させないと、と錯覚させるわけだね。
これが“天恵”への第一歩さ」
その最も効率的な抑制レベルの試行錯誤だけで20年はかかったけどね、と冗談めかして彼女は笑った。
まぁ理屈は通っている。
「まず2週間、鍛錬の際は必ずこれをつけて行ってもらう。
それによって筋力と魔力の路を大きくする、つまりその後に色々叩き込める体の器を作ることになる。
そこに何を詰めるのかは、まずからっぽの器を用意してからだ。わかったらすぐに始めようか、まずは崖登りからだ!」
…………。
………。
……。
…。
滴り落ちる汗。
「ぉ…ッ……ぉぉ……ッ」
喰いしばった歯の間からは、そんな空気が漏れるような音しか出せない。
どぷどぷと液体じみた妙な重さを支えながら、ただひたすらに体勢を維持し続ける。
どれくらいの時間だろうか。
「オッケー。ちょっと休憩しようか」
その声に反応し、ようやく錘を下ろした。
あれからロッククライミングさせられたり薪割りしたりと色々やって、今は午前中の最後のトレーニング。やっていることは単純で、筋力の鍛錬だ。錘を保持したり上げ下げしたり、載せて腕立てしたり。
オレは森の中のとある場所に来ている。
ユディタの家から徒歩で30分ほどの場所。
小さな泉が湧き出ている場所で、そこかしこに大きな岩がある。その苔生した岩には、水色の地に黄色の水玉模様が描かれた粘体っぽい卵形の塊が付着していた。体表は少し濁った透明、といったところで水球に見えている黄色の球体がその中をふよふよ漂っている感じだ。
その正体は粘体生物と呼ばれている魔物。
一般的にはその粘体の体に動物を取り込んで消化してしまう獰猛な種が多いため、魔物に分類されているがその種類は多種多様であり、実際はまだまだ把握しきれてはいない。
一説では構造が単純なのも手伝って、環境に適応しながら新たな種を生み出していく性質があるため、膨大な数の種類が存在しているのだという。
ちなみに今目の前にいる、ランブル・スライムと呼ばれている種類は苔しか食べない比較的大人しい種類だ。体の中に浮遊している黄色の球体が核であり、その全てを破壊されると死滅するのは他の種類と同じだが、かなり動きが鈍くほとんど動かないため危険度はまったくといっていいほど無い。
そしてオレがさっきまで持たされていた錘でもある。
「ちょっと質問、しても?」
ごくごくと水を飲んで一息ついてから、ユディタに問う。
「なんでまた、錘にスライムを使おうとか思ったの?」
「んー、いやぁ。重心が一定じゃなくて、重さが結構あって、さらに言えば生き物みたいなものが錘のほうが実戦に即した筋肉を鍛えられるんだよね。そうしたらたまたまお誂え向きの存在がこの森にいたというワケだ。それがこのランブル・スライム君だ!」
ばばん!とそのへんに転がっているスライムを指差す。
いや、それがランブル・スライムだってことはもうわかってるんだよ?
「筋肉を鍛えるというのは、洩れなく出力を増大させるってことだけど、その増大した出力をどれくらいの繊細さで調整できるかってのも同じくらい重要さ。
1の力か10の力しか出せない奴と、1、2、3、4……と1段階ずつ好きな強さの力を出せる奴なら、やぱり後者のほうが強いし、技術の習得も早い。
だから重心が不安定なものを持って維持しながら、瞬時に崩れるバランスを補助する微細な感覚と出力を養うわけさ」
確かにそういった意味ではランブル・スライムは都合がいいのは確かだ。
中に入っている核がかなり重い上に、それが少しずつ泳ぐように内部を移動している。結果、普通に持っていても重心がズレてくるから、それに対応しなければ持ち続けてはいられない。
「そう言われるとわからなくもないが……それにしてもよくそんな都合のいい生き物見つけたもんだ」
「ふっふっふ。ワタシの発見能力をナメないでもらおうか!……とか言えたら恰好いいんだろうけどね。
偶然だよ、偶然。ただここの森はかなり生き物が多いからね、まさに生命の宝庫と言っても過言じゃないくらいに。だから探せば特殊な生き物を見つけるのも難しくないのさ」
「例えば?」
「普通の、ということならこの前キミが戦ってた小鬼に、食人鬼、人型以外で巨大百足とか……ああ、新米冒険者君にオススメな突撃鼠、そんなに見たことはないけど火竜とかも居るね。
この周辺の国にいる生物は粗方確認されているみたいだよ。それでも奥地に行けた人間なんてほとんどいないから、まだまだごまんと珍しい生物がいるんじゃないかな」
一気に名前を言われてもよくわからないが、とりあえずここの森がとんでもない場所だというのはわかった。それだけ多種多様な生物がいるというのだから、かなり豊かな森なのは間違いない。
「だから頑張って鍛えるように。
2週間の基礎が終わったら発展系を叩き込んで、すぐに実戦をしてもらうから。幸い相手には事欠かないしね」
まだまだ先は長い。
次回、第38話 「天恵指南」
7月14日10時の投稿予定です。