33.求めしモノは
荒い呼吸。
空気を求めて暴れ躍る体。
ぼたぼたと大粒の汗が滴り落ち、大地に染みを作っていく。
「やれやれ、鍛え方が足りていないな。
これは基礎からみっちり鍛え直してやる必要がありそうだ」
膝に手を当てて屈みながら肩で呼吸しているオレにユディタはそう声をかけた。
同じ距離、同じ速度で走っていたはずなのに当の彼女は息ひとつ乱していないので、反論のしようもないのが口惜しいところだ。
しかし山道を走るってのは思ったよりも疲れるんだな。
アローディアで運動場を走っていたときとは同じ速さでも比べ物にならないほど疲労している。
運動場はなだらかだったが山道は傾斜や起伏があるし、さらにもっと言えば地面のデコボコや張り出した木の根が不規則だ。
そのため同じペースで走っていてもダッシュ&ゴーを繰り返しているようなものだし、常に先を見据えながらその都度障害物に対応していかなければならない分、精神的にも消耗するのだろう。
逆に言えば常に一定の速度で戦うわけもないので、そのほうが実戦に即したトレーニングと言えなくもないかな。
そんな状況で4時間走りっぱなしなのだから、疲労困憊でも仕方ない。
仕方ない現実は受け入れるとして、やらなければならないのはその対処だ。
大きく吸い、大きく吐いていく。
呼吸を整えることしばし。
いくらか息は荒いものの、なんとか抑え込める程度になった。
実際のところ、心臓はバクバクいっているので大きくぜいぜいと喘ぎたいところだが、この程度は我慢するべきだ。
そう意を決して姿勢を正す。
目の前には一軒の建物がある。
樹齢千年は達するであろう大樹の下、寄り添うように建てられた二階建て家屋。
尖った屋根は黒い煉瓦、外壁は赤い煉瓦で造られており、かなり堅牢そうに見える。入口の扉や窓を閉める扉窓も立派な木材でしっかりと造られており重厚そうだ。
もくもくと煙突から炊事と思われる煙があがっているから誰か居るのだろうか。
こんな魔物が徘徊する森の中で、これだけの建物を建てるのは大変だったろうなぁと、思わずそんなことを考えてしまう。
そういった意味でこんな場所にあるのは不釣り合いではあるものの、デザインとしては古木の隣に合った落ち着いたイメージの建物として似合っていた。
「ここが?」
「ああ、今のワタシの家だ。さぁ遠慮なく入るといい」
自分の家だ、と言ったにも関わらずユディタはコンコン、と扉をノックした。
それから「どうぞどうぞ」とオレの背中を押して前に出すので、慌てて「いやいや、ちょっと待て」となんとか抵抗。
そんなやりとりをしていると中で誰かが動く気配がした。
がちゃりと鍵が開くと、
どん!!
「お師匠様!! あれほど書斎はしっかり掃除して下さいと言ったじゃないですか!!」
「っ!?」
中から突撃するように勢いよく出てきた女性とぶつかる。
金髪を縦にロールさせた中々セットに時間がかかりそうな髪形をした人で、こちらもかなりの美人さんだ。
こちらは耳が尖っている感じではないのでエルフではないのかな?
だが問題はそこではなかった。
「な、な、ななな……ッ!?」
「……ん?」
引き攣ったように絶句している彼女の視線の先を見る。
先ほどまでユディタに抵抗していたオレは、背中から強く押されており扉にぶつからないように、少しだけ手を前に突き出していた。そこに現れたオレとほぼ同じ背丈の女性。
必然的に胸と手がぶつかるわけだ。
さらに言えば女性の胸は豊満と言う言葉が相応しいくらい大きかったので、なおさらぶつかってしまう。
結論から言えば胸を揉んでしまっていた。
勢いよくぶつかったもんだから反射的に握ってしまったというか。
うん、道理で何か柔らかくていい感触がしたわけだ。
……さて問題は絶句して顔を真っ赤にしている彼女にどう声をかけるかだが、
「……結構なモノをお持ちで」
「―――ッ!!!」
女性の沸点を突破してしまったのか、恐ろしい勢いで平手打ちが飛んできた。
見えてはいるが、これは避けちゃダメな奴だな。
甘んじて受けて―――
バッシィィィッ!!!
「ぐはっ!!?」
―――オレは2メートルほど吹っ飛んだ。
バウンドしてごろごろと転がる。
なんて力だろうか、下手したら首が捩じ切れててもおかしくなかったくらいの強さだ。
「うぐぐ……首を鍛えていた甲斐があった」
それでも尚、首が微妙に痛い。
騙し騙し誤魔化しながら立ち上がる。
「………っ」
オレに強烈な一撃を放った本人は、と言えばちょっと目尻に涙を浮かべた状態で胸元を庇うように腕で守っている。
こちらを睨んでいる強烈な視線が痛い。
こりゃ、もう2、3発は覚悟しなきゃダメか……?
そんな覚悟を固めていると、
「はーい、そこまで!」
ユディタがオレと彼女の間に割って入った。
「お師匠様!」
「はいはーい。正真正銘貴方のお師匠様のユディタだよ。ほら、気持ちはわかるけど少し落ち着きなさい、ヘレナ」
ぽんぽんとあやすように彼女の頭を撫でていく。
「ですが…ッ」
「確かに胸を揉まれたことについての憤りはわかるし、今平手打ちしたことをどうこう言うつもりはないよ。
彼もその程度で何か言うような小さい男じゃないしね。
ただこれ以上はちょっとやり過ぎだから止めるだけ。そもそも、言いたいことがあると相手にすぐに突進する癖を直しなさいって何度も言ったでしょうに。自分にも原因があるうのだからこのへんでやめておきなさい」
「……わかりましたわ」
なんとか収まったようだ。
お師匠様、という言葉から察するに彼女はユディタの弟子なのかな?
となると彼女から戦い方を教わる以上、形式上とはいえオレの姉弟子的な感じになるのだろうか。
さすが師匠だけあって、弟子の扱い方は心得ているのだろう。
ヘレナと呼ばれた女性も少し落ち着いて綺麗にまとまった―――
「もっとも、一番悪いのはヘレナに片づけが出来てないってお小言食らうのが面倒だから、少年を縦替わりにしたワタシなんだけどね!! あはは」
―――のに、その一言で全部台無しである。
オチをつけなきゃ気がすまんのか、ユディタは。
「……はぁ。確かにお師匠様はそういう方でしたわね」
ヘレナは呆れたようにため息をついてから、オレに向けていた視線から剣呑さを消した。
「わたくしにも原因がある事故なら、確かに一方的に叩いたのはやり過ぎでしたわ。謝罪致します」
そう言って握手を求められたので応じる。
「謝罪は受けておくよ、あれくらいなら別に構わないけどね」
「? 手加減はしましたけれど、結構な強さで叩いたと思うのですけれど」
「あー、一応言っておくと痛くないのと気にしないのは違うからね?」
痛いかと聞かれれば紛うことなく痛かった。
あの一撃は貧弱な奴なら怪我をしていてもおかしくない。
だが彼女にとってそれくらい衝撃的だったと言うなら、あれくらいならばやり過ごすのは吝かじゃない。
安っぽい矜持かもしれないが、そういった度量こそが男というものだと思うから。
そんなことを説明しようかどうか悩んでいると、
ぐぅぅぅぅぅ……。
盛大に腹が鳴った。
そういえば今日あんまり食べてないな。
小鬼を退治して、それからここまで走ってきたのだから運動量からして腹が減るのは仕方ない。
「まぁ少年もお腹を空かせていることだし、詳しい話は後にしようか。腹が減っては戦が出来ぬ、ってホント真理だからね。
ちなみに今日の献立は? ヘレナ」
「あまり時間がありませんでしたから、途中で狩った鹿肉を味付けして炙っただけのものとパンくらいですわ」
「そかそか。じゃあ皆で食べながら話でもしようか。少年もおいで」
おぉぉぉぉぉ!!?
献立はよもやの肉だと!?
ついに! ついに! ついに! 肉が食える!
求めるものはこの地にあったというのか!!
「……なんでそんなにテンション上がっているのかわからないんですけれど、実は肉食系?」
「このエネルギッシュさはどう見ても草食系ではなさそうですわよ、お師匠様」
そんな女性陣の言葉を気にせず、オレは一刻も早く肉を食うべく彼女らを急かして家の中へ入っていった。
次回、第34話 「始まる新生活」
7月10日10時の投稿予定です。