Ex.3 恵まれるに足る逸材
グラン・ソーディン王国には、その国内のみならず周辺国を含めた上で過酷なる魔境として知られている場所のひとつがある。
隠命森。
いつからかそんな名で呼ばれている、樹海とも言えるその広大な領域は、奥地へと進めば進むほどその危険度が増していき、人間が立ち入る隙を与えない。
比較的浅い部分ですら小鬼や食人鬼といった妖魔の類がうろついているのだから当然一般人には手に負えない。
高名な強者であるのならばそのあたりは突破出来るだろうが、奥へ進めば巨人種や竜種、その他の魔獣なども生息しており、さらに特異な食人植物などを含む過酷な自然環境も敵となっていく。
それこそが時折、英雄と呼ばれるレベルの者が貴重な植物や素材を手に入れて来るにも関わらず、余り多くの人が出入りしない理由だ。
とはいえ、人の出入りが全くないわけでもない。
冒険者のうち、命知らずの新米や、ちょっと慣れてきて一人前の顔をしている成り立てが自分の力を過信して入って来ることもあるし、前述した英雄級の実力者が何か目的があって入っていくこともあるからだ。
つまり―――
「お師匠様のような英雄級の方がいるからこそ、魔境と呼ばれる森の情報が市井に流れるというもの。下々の者は感謝が足りませんわ」
「……お前は何をそんなに怒っているんだ」
「怒りもしますわ! 確かに代を変えたとはいえ、お師匠様は立派な“天恵”の保持者。その方に対し、あのような扱いをするなどと……ッ!」
その隠命森の中、ワタシ―――ユディタの横を歩いている義理の娘のご機嫌はかなり悪い。
どうやら昨日の冒険者組合のことを未だに根に持っているようだった。
「そうは言ってもね、ヘレナ。ワタシは確かに“天恵”の座をお前に引き継いだのだから、今を優先するのは当然じゃないか。しかもその当代は立派に功績も立てている。これで扱いに差が無ければ、逆に怪訝になってしまうくらいよ?」
「それがおかしいと申しているのですわ!
いくらわたくしが功績を立てたと言っても、それはまだここ数年のことではありませんか。それに比べてお師匠様はそれ以上の偉業を長年に渡ってあげていらっしゃった方。
本来であれば大きく過去の偉業と共に大々的に讃えられても―――」
「そうは言ってもね、教団側の事情もあるのだから」
この手の話題は別段初めてではない。
目の前の娘―――“三天騎士”が1人、“天恵”ヘレナ・ドラホミールにとっては何度話しても納得がいかないことなのだろう。
怒っている理由は単純。
順を追って説明しよう。
ヘレナは他の“三天騎士”であるブランディーヌ・バルバストルの指示によって、この隠命森へ来ることとなった。何かを探すためらしいが、土地勘のない者がおいそれと探し物が出来るような場所ではない。
最も近いドン・スロールという街の冒険者組合にワタシが出入りしているのを彼女は知っていたから、そこで連絡を取って合流、案内してもらおうとしたわけだ。
ところがやってきた冒険者組合で、そこでワタシと会話している受付や組員が余りにも馴れ馴れしすぎる、敬意が感じられないということで一言物申そうとした。
そこでさらに彼らがワタシのことを―――正確には“天恵”であったことを―――知らないことにさらに機嫌が悪くなったというわけだ。
「かの有名なディープドゥーム戦役を知っているくせに、その立役者となったお師匠様の名をちゃんと知らないだなんてふざけています! 喩えそれを知らずとも、もっと遡ればオールド・ロンド事変もあるのですし、いくらなんでも冒険者組合の職員として英雄を知らないなどもってのほかではありませんか!」
なにやら懐かしい名前が出てきた。
いずれもワタシが参加し、そして運のいいことに活躍出来た事件。
ただ組合員がそのあたりについて、よく知らなかったのには理由もある。
元々アテナ教団に所属していた経緯が、親友であった時の“聖女”に頼まれて一時的に力を貸すことになったというもの。自然を信奉し神を信仰することの少ないエルフだと不味いので、それなりの変装をした上での活躍だったのだ。
無論、完全に隠し通すほど徹底したわけではないし、戦いの中でのイレギュラーもあったから、知っている者は知っているし、ちゃんと記述された資料もある。
だが戦役から数十年すれば、覚えている者も減るし、残った者の記憶も風化する。
教団の方も、そのへんをボカして最終的に正体を隠ぺいするために動いていたりもするから、目の前の娘のように英雄に憧れて片っ端から文献を漁ったような者でなければ、知らないことも十分あり得るのだ。
「別に名を売るためにやっていたわけじゃないからね。それは何度も言ったでしょう?」
「た、確かにそう聞いていますけれど……」
バツが悪くなったのか、見事に縦ロールに巻いた金髪の端を指先でくるくると弄り出すヘレナ。
同性のワタシから見ても美しいその容姿に見劣りしないスタイル。暴力的なほどに胸やくびれが肉感的にアピールしてくるレベルだ。
ワタシも美形ばかりのエルフらしい外見はしているので美人だという自覚はあるものの、体型の女性らしさでは義理の娘に惨敗である。
「老兵は死なずただ去るのみ……確か、人間の諺にそんなものがあったね。
後進のために道を譲るというのも中々感慨深くてよいものだよ?」
「確かにわたくしよりは永く生きていらっしゃるのは知っておりますけれど……エルフの200歳はまだ十分若いと思いますわ」
「あはは! そうだね。でもエルフだからこそ悪目立ちしてしまうのもわかって欲しいな」
そもそもエルフ自体が少ないこの国では、ワタシは目立ちすぎる。
遠慮がない視線やいくらかの偏見にも慣れたものの、さすがにアテナ教団のようなところで、さらに“三天騎士”などという役職につくのは気疲れが凄まじい。
そういった意味で引退して悠々自適な今は実に快適だ。
「この森の中なら中々人間に逢うこともないから気を遣わないし、ありがたいことにちょっと獲物を狩って素材を持っていけば生活出来るのだから、のんびり生きるには十分だよ」
「……その、ちょっと獲物、の部分が魔獣を指していなければ、のんびりという言葉も納得いくのですけれど」
なんだいなんだい。
のんびり生活しているのは事実なんだ、嘘は言っていないよ?
「以前来たときは、小鬼の帝種なんていう馬鹿げたものまで出てきていますもの。ここがそんな生易しい森ではないことは明白ですわ。
お師匠様の感覚がおかしいのだとご自覚頂けません?」
「あれは、なかなか手応えがあったね。まさか小鬼に竜種レベルに実力が匹敵する種があるなんて伝聞以外くらいでしか知らなかったよ」
「わたくし、危うく負けるところだったのですけれど……」
はぁ、とため息をつくヘレナ。
「まぁいいですわ。せっかくですのでお時間ありましたら稽古をつけて下さいな。お師匠様のことですから、あの後どなたにも教えていらっしゃらないのでしょう?」
「うーん。ワタシも出し惜しみしているわけじゃないのだけれどね。
“天恵”はどうしたって使い手を選ぶから、やはりそれなりの相手じゃないと教えるわけにもいかないよ」
「お師匠様の気まぐれのお眼鏡に適わなければ伝授されない……まさに“天の恵み”ですわね。
仕方がありませんから、いずれわたくしが全てを完璧に受け継いでお師匠様の名前と共に広めて差し上げますわ」
ぽんぽん、と頭を撫でる。
今や身長も似たようなものだけど、それでも小さい頃から面倒を見ているとどれだけ成長しても、つい子供扱いしてしまう。
「ああ、期待しているよ。
ヘレナは義親想いのよい娘だ」
「と、当然何を仰るんですの!? わ、わたくしは単に正当な物事が歪められているのが気に喰わないだけで、別段他意は……」
「はいはい、照れ隠し照れ隠し」
いつものことだけれど、この遣り取りをする度に感慨深く思う。
気が強いものの、身内のことを何より大事にする性根の真っ直ぐな娘に育ったことが嬉しい。
「とりあえずワタシの家まで―――……ん?」
言いかけて、ふと何かを感じた。
小さいが明確な闘気。
知性のない魔獣や低級な妖魔、動物ではあり得ない。
彼らは殺気こそあれ、闘気を持たない。自然界においては弱肉強食の下、勝つことが全てであり、闘いそのものに意義を見出してそこに意識を傾けるなど無駄でしかないからだ。
「別になんてこともない感じだけれど……なんか興味沸いちゃったなぁ」
「お師匠、まさか……」
当然ヘレナも何かを感じ取ったらしく、呆れたような表情を向けて来た。
さすが義理の娘。
ワタシの性格はよくわかっているらしい。
「じゃ、遠慮なく行ってくるね! 先にワタシの家で待っていてくれればいいよ。合鍵は渡してあるものがまだ使えるから」
「……わかりましたわ。言うだけ無駄ですけれど、お気をつけて」
快く(?)送り出してくれた彼女を残し、ワタシは全力で駆けだした。
その先に待っていたものこそが、ワタシの待ち望んでいた運命だとは気付かずに。
次回、第32話 「賭けの結末」
7月8日10時の投稿予定です。