30.天の配剤
明かりが無い。
松明的なものを作ろうにも種火がない。
そうかといって、また火が手に入るまで先延ばしにするのもどうかは思う。
「いっそアレか、ここで大騒ぎしまくって連中をおびき出すくらいのことじゃないとダメか」
その場合は一気に全部を相手にすることになってしまうかもしれないので、それに対しては備えをする必要があるものの、洞窟の入り口で迎え撃てば人数を制限することくらいはできるし勝算が皆無というわけでもないな。
そうと決まれば、と気合を入れたオレに、
「Dpvsbhf jt opu sfdlmftt,Cpz?」
そんな声がかけられた。
どういう意味なのか内容は理解できなかったが、突然かけられた言葉に驚いて思わず振り向く。
しかし誰もいない。
「空耳……?」
ふとそんなことを呟いた。
「あはは! 中々上手いことを言うね、キミ」
振ってきた声は上方。
思わず見上げようとするのと、何かが落ちてきてオレの視界を通ったのが同時だった。
「ああ、すまない。まさか人間がこの森にいるとは思っていなかったから、つい言語の選択を間違えてしまったよ。これで通じているかな?」
目の前、それも2メートルほどのところに一人の人物が立っていた。
長身の女性。
それは間違いない。
オレよりも数センチほど高い身長、そして何よりその絵画めいた端正な顔立ちが強く目を惹く。かなりの細身ではあるものの、病的な感じの痩せ型ではなく十分肉感的な色気のある健康さを持っていた。
「あれ? 通じてないかな? おーい」
鈴の鳴る音というほど可憐な音ではないが、どこか落ち着く声色をしながら、彼女はオレの目の前で手をひらひらと振った。
「い、いや通じてるけど……一体全体、あんたどこから……」
「ん? 勿論上だよ。だから上手いこと言った、って思ったのさ」
彼女が指差す方向を見ると、洞窟がある崖の上部分に何か所か人が座れそうなくらいの大きさの出っ張りがあった。
……まさか、上からああいうところを伝って降りてきたってのか?
「空から降ってくる相手の言葉に空耳、っていうのは実にいい返しだ。
是非ともどこかで使わせてもらうとしよう」
「別に使ってもらっても困らんけど……って問題はそこじゃないような」
アネシュカとは別の意味で独特のペースをしているな、この人。
美人はマイペースでなければいけない、という法則でもあるのかと思ってしまう。
こっちがそんなことを考えていると気づいているのかいないのか、流れるような金の髪を揺らしながら彼女の青い瞳はオレを楽しそうに見ていた。
「それで、キミは何をしにきたんだい? 少年。
どこをどう見ても、こんな森の中に相応しくない恰好だけど」
まぁ一般人にしか見えない程度の服装だからな。
せめて武器以外にちゃんとした防具があれば違うのかもしれないが、松明はおろか火を起こす道具も無しでここにいるオレは明らかに装備が足りていないように見えても仕方がない。
「何をしにって言われれば……小鬼を倒しに」
素直にそう答えると、彼女は倒れている見張りたちの死体を小さく一瞥した。
「そうだろうね。入口の見張りらしい小鬼を倒しているから、順当な答えだ。
客観的に見てもそうわかるが、だからこそ解せない。なぜそんな装備で今から全部の連中を相手にしようというのかな?」
「? なんで知ってる?」
「ふふん、生憎だがワタシは特別なのだよ。ほら」
つんつん、と自分の耳を突いている。
「?」
「いや、ほら、見ればわかるだろう?」
うーん? そんなに言われてもさっぱりわからん。
「痒いのか?」
「違う! エルフだからだ!!」
ほー。
言動からするに、あの尖った耳はそのエルフとやらの特徴なのだろうか。
残念ながらエルフという存在そのものを知らないので反応しようがない。
困ったときのノーマッドの知恵袋―――と行きたいところではあるが、一週間に満たない間の会話で何から何まで教えてもらえるわけもない。
当然、知らないものは知らないのだ。
「……本気で知らないらしいね。せっかく驚かせようと思ったというのに、まさか不発とは。弟子にはウケたんだけどな……」
しょんぼりされると、なんとなく申し訳なくなるのでやめてほしいところだ。
「ウケなかった冗談はさておくとして……こう見えてもワタシはその道のプロだからね。何をしようとしていたのか意識を読むくらいは出来る。
ざわっとした闘気を感じたから弟子かなと思ってやってきてみれば、知らない少年がまともな防具もなしに未熟な腕前で挑もうという場面なんだから、思わず言ってしまったのさ。
“勇気と無謀は違うぞ”と」
まるで教師が生徒を教え諭すように言うその仕草に少しイラっとした。
「無謀っていうほどじゃない。オレの見立てならギリギリイケるはずだった」
「ワタシとは意見が分かれるところだね。つまりワタシの見立てよりもキミの見立てのほうが正しい、とそう言いたいわけだ、少年?」
「ああ、そうなる」
目の前の女性がどんな人なのかはわからない。
とりあえず美人で口説けるものなら口説きたいレベルなことくらいだ。なので、ひと段落したら間違いなく口説こうと心に誓うとして、それと彼女の見立てがオレのより正しいかは別の話。
「へぇ……?」
瞬間、彼女の気配が変わった。
それまでの親しみやすい女性らしい優しい雰囲気から、一流の強者が放つ戦意に満ちた雰囲気へと。
ざわざわざわざわ―――ッ。
思わず黙ってその気配の変貌に集中するオレの耳に、森の木々が擦れる音がよく響いた。
彼女を中心にして膨大な殺気がまき散らされる。
それこそ気配に疎い一般人ですら何かを感じられるほど、濃密な意志が渦を巻くように放たれていた。
思わず身構えそうになった瞬間、ふ、とその気配は戻る。
「……?」
意味が分からずに目を白黒させているオレに対して、
「じゃあ試してみましょうか。キミの見立てが正しいのか、それともワタシの見立てが正しいのか」
投げられたその言葉でようやく、先ほどの行動の意味を知ることになった。
洞窟の奥から響く咆哮じみたケダモノの声。
紛れも無く中の小鬼たちの戦意を告げている。あれだけの気配だ、当然中でのんびりしていた連中を臨戦態勢にすることくらい出来るだろう。
つまり先ほどの彼女の行動はこう言っていたのだ。
オレの―――全員まとめて片づけることが出来る―――見立てが正しいのなら、それを今から実証してみせろ、と。
上等じゃないか。
オレの見る眼が正しいってことを見せつけてやる。
「ふふ……どっちの見立てが勝つか、証明頑張りなさいな。
負けた方は勝った方の言うこと、ひとつなんでも聞くってことにしましょう」
おぉ? なんかやる気がさらに出てきた!
こんな美人にそんなこと言われて、やる気が出ない男なんて男じゃない。
さっさと潰してもらえばいい。
ん? 何を潰すかって? それは想像に任せる。
「へぇ…?」
「ワタシの見立てよりも優れていると言い切ったんだ、それが若さゆえの過ちだったのならそれくらいのリスクは負うべきだろう。
逆にキミにしてみれば、ワタシは突然現れて年長者面をして偉そうに言う迷惑な相手だ。それをわかっていて、それでも的外れなことを言ったとしたならワタシもリスクを負わなければイーブンではないね」
マイペースではあるけど、裏表はない人みたいだな。
言っていることも筋が通ってるし。
そうこうしている間に洞窟の奥から足跡が聞こえ始めた。
間もなくここまでやってくるだろう、そろそろ戦闘に入る心構えをしておかないとな。
ああ、その前に、
「じゃあそういうことで。
んじゃ賭けに入る前に自己紹介だけさせてくれないか? オレはルーセントだ」
その申し出に彼女はふわりと楽しそうに微笑んだ。
「これは失敬。確かに礼を失していた。
ワタシの名はユディタ・ドラホミール。弟子に“天恵”の名を譲った、ただの格闘士さ」
握手を交わし、オレたちは賭けを始めることにした。
次回、第31話 「鬼穴に入らずんば」
7月6日10時の投稿予定です。