14.忍び寄る異変
時が経つのは実に早い。
初めてアネシュカと出会ってから3日後の昼。
オレは今日も今日とて運動場に来ていた。
とはいっても、今は地面に腰を下ろして一息ついているところだが。
「なかなかままならんよなぁ、身体ってさ」
そう呟きつつも、それなりの高揚感は隠せていない。
実はあれから、毎日この緑の芝と卵形のトラックがある運動場に通い詰めている。
目的はただひとつ。
鍛錬だ。
他にも色々とやってみたいことはあるものの、アネシュカのほうの調査結果が出るまで自重せざるを得ない。そうなれば必然的に出来ることというのは限られる。
そんなわけでどれだけ酷使しても問題がない、自らの身体を鍛えることにしたわけだ。
とはいえ、問題が生じた。
一口に鍛錬とはいっても、何をすればいいのかが明確でなかったのである。
重いものを持ったり走ったりくらいしかイメージが沸かず、最初は色々と試行錯誤。
まず身体を自在に動かせるようになる、というところに行きついた。
走ったり物を持ったりといった肉体的な瞬間出力はもとより、動かしたいところを動かす動きの緻密さといった面まで追求する。
わかりやすく言えば、ゆっくりと全身の動きを協調させるトレーニングと、単純に筋肉を鍛えるトレーニングの2つを行うことにしたわけだ。
……いや、別にノーマッドに戦う技術習ってみようかなー、と思ってちょっと聞いてみたら練習用の武器がないと難しいとか言われて金欠なうちは我慢しようかとか、そういうことは別に思ったりしていませんよ? 本当。
真面目に言うと、例えば戦闘技術を学ぶにせよどんなスタイルで戦うのかにも寄る。
酒場で知り合った冒険者から聞いただけでも、重武装でどっしり構えて敵の攻撃を受け止めるタイプなのか、それとも軽装で回避主体で戦うタイプなのか、攪乱して油断をさせて一撃必殺を狙うタイプなのか、などなど、色々なタイプがあり、そのどれもが一長一短、相手によっても得手不得手がある。
まずどんなタイプを目指すかを考えなければならないし、決まったところで1日2日で手っ取り早く成果が出るものでもないので、ひとまず棚上げにして即座に効果が出る身体トレーニングに走ったのである。
どんな武器を使ったとしても、手元から無くなれば終わり。
そのときに最後にモノを言うのは身体。
そして基礎となる身体が出来上がっていれば、どんな武器を使うにしてもメリットになるし。
内容としてはまず、ひたすらに運動場を走る。
そもそも運動場は都市に住んでいる市民が運動をするために設けられている施設だから、当然最も手軽な鍛錬として走っている人も多い。
そこに1人加わったところで何の違和感もない。
と、いうことでトレーニング初日―――アネシュカにボコられたのをトレーニングというのなら2日目かもしれないが―――、まず最初に走り始めた。
はっ……はっ……はっ……。
胸が激しく痛みを訴え、せわしない呼気が乱れても。
ただひたすらに走る。
何も考えずに走れればその方が楽なのはわかっているが、それでは何の意味もない。
必要なのは走力だけではない。
追い込まれても尚、戦う意志を持ち続ける強さ。
はっ……はっ……はっ……。
一瞬一瞬で出した歩数からスピードを測り、緩急をつけることでさらに負荷をかける。
もっとこう足を出したほうが……。
足を出す際にこう体を捩じると……。
足運びと手を連動させないで振れば……。
ただ走るという単純な行為の中に、無数の気づきがあり、その気づきにそれぞれ新たな案が生まれる。
これは、ヤバい。ヤバいくらいに恐ろしく、そして愉しい。
「うぉっ!?」
足がもつれて転びそうになった。
無我夢中で走っているうちに、そろそろ限界が近くなっていたらしい。
もうちょっとイケそうな気がしたので、もう2周ほど走ってギリギリ状態で止める。
休憩を挟んで、動きの確認。
まだ戻り切っていない呼吸を整えながら、ゆっくりと動き始める。
特に決まった動きはない。
そもそも何をすればいいのかわかっていないので、それなら他の運動している人を見よう見まねするより、身体の感覚を頼りにやったほうがマシだ。
両足を軽く開き、徐々に重心を片方にかけていく。
どれくらい動けば重心が完全に移るのか、その際に緊張しているのは身体のどの部分で、どの部分が弛緩しているのか。
体をわざと傾けてみて倒れるギリギリの地点を見極めたり、腕はどれくらい捻れるのか、捻ったことによりどれくらい力が落ちるのか、ただただ感覚だけを頼りに集中し動いていく。
傍から見たら、おかしなゆったりダンスを踊っているようにしか見えないかもしれないが、恥ずかしがっていては話が進まない。
最後は筋力のトレーニング。
運動場に植えられている木の枝にぶら下がって懸垂、腕立て伏せ、腹筋、スクワットなどなど。
ノーマッドに聞いた自分の体重を利用しておこなうものを中心に行う。
そこまで行えば、終わった頃にはすでに夕方。
クタクタになった身体を宿まで連れて行き、井戸水で汗を流してから食事を摂り、大部屋に戻って毛布に包まり死んだように眠る。
それがここ2日ほどの日課だったわけだが、生憎とこの日はそう上手くはいかなかった。
「精が出るじゃねぇか」
トレーニングを終えて気を抜くと、そんな声が横からかけられた。
フードつきの茶色のコートのようなものを着込み、片方の肩に青い短い外套を着流すようにかけた小柄な男性だ。小柄ではあるが肉厚で、ふと頭に筋肉達磨、という単語が浮かぶ。こちらを楽しそうに見ながら無精髭を撫でている。
コードの間から見える革製のベルトには短剣などの仕込み武器のようなものがいくつも保持されている。
明らかに重武装できない街中での活動や戦闘を想定した装備。
「……どちら様?」
見覚えのない顔だったので、単刀直入にそう返す。
もしかしたら記憶を喪う前の知己なのかもしれないが、現時点でわからないものはわからない。
「OKOK。別段おかしな対応じゃねぇよ、何せオイラはそっちを知っちゃあいるが、逆ではないんだからな。お前さんが予言者でもなけりゃ、だが」
少し警戒しながら、近寄って来るおっさん―――とりあえず30そこそこくらいに見えるので―――の様子を伺う。
いくらトレーニングに集中していたからといっても、声をかけられるまでまったくその気配に気づいていなかった。立ち振る舞いからして手練れなのは明らかだ。
まぁ、いい加減格上に遭遇するのは慣れたけどね。
基本的に格下の相手なんて、貧民窟でカツアゲされそうになったときの破落戸くらいしかいなかったし。
前向きに考えるのであれば、これから上を目指して上がっていくだけだとも言える。明確な道しるべがあると思えば悪いことじゃあない……かも?
「本題の前に……まずは感謝を」
突然、友好的に差し出された手に内心驚き相手の顔をガン見してしまう。
「警戒する必要はない、っつってもそんなワケにゃいかねぇよな。それくらいの用心深さがあったほうが長生きできるのは確かだ。
だがそれでも敢えて言うんなら、これは個人的なケジメだ。この後する話とは全く関係がねぇ。
意味がわからねぇかもしれないが、とりあえず気持ちだけ受け取ってくれ」
なんとなくではあるが、別段嘘を言っている感じはしないし構わないか。
そう思って握手を返す。
その瞬間、相手はニヤリと笑い、
「くははっは、素直ってなぁいいねぇ」
ぶんぶんと握手の手を振ってから解放した。
「ケジメはつけたところで次に仕事の話だ。
早速、自己紹介……と行きたいところだが、あんまり時間もねぇもんでな。もっとも、時間がたっぷりあったらオイラはお前さんと面通しする必要もなかったら、逆にありがたかったか。
説明は道々でしてやるからよ、ちょっち付き合ってくんねぇかい」
うーん、汗みずくなので遠慮したいところなんだが。
可愛い女の子とか、美しいご婦人がどうしても、って言うのなら考えなくもないけど、いかんせん髭面のおっさんでは心も踊らない。
ああ、でも女性相手なら余計に水浴びくらいはさせて欲しいかもしれん。
「お前さん、わかりやすいなぁ……まぁ気がノらねぇのはわかったが、頼む。お前さんと関係ない話でもねぇんだ。そのへんもしっかり説明するからよ」
あくまで断乎拒否してもいいんだけど、あんまり無下にされて力ずくで連行、とかなっても面倒だ。
行く場所次第ならOKしようか。
「……それでどこまで?」
問うと、男は町の中心部に見える大きな建物を視線で示してこう答えた。
「アテナ神殿だ。
お前さんの知ってる聖騎士様も関わる話なんでな」
また厄介事の気配がするなぁ、とは思ったものの、なんとか顔に出すのは避けられた。
次回、15話 「滅亡へのカウントダウン」
6月18日10時の投稿予定です。
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