11.邪神の卵
引き続き虫回になります。
ご注意ください。
周囲は蠅の檻。
目の前には卓越した技量を持つ殺人鬼風味の剣士。
おまけに体の感覚がおかしいと来ている。
……これ、地味に詰んでいるよな?
多少エグいのを覚悟の上で蠅の壁に突っ込んで強行突破!ってのも手ではあるんだろう。
だが先程殺されたばかりの死体のうち、ちょうど蠅の壁の中に位置した部分があっという間に綺麗な骨だけになったのを見せられると、その危険度が非常に高いのがわかる。
「さぁ、逃げられないぞぉ~?」
浜辺で恋人を追いかけるときはこんな感じなのかと思うような猫撫で声も、これからオレを殺そうとする狂った剣士が放っていては違和感しかない。
万事休す。
「……とはいっても、諦めるわけにいかないんだよなァ」
諦めるのは死んでからで十分だ。
ジリジリと間合いを測っている羽帽子の男。
間違いなく今度の一撃で仕留めるために。
そこに先ほどの油断はないから同じように避けるのは難しい。さっきの挨拶代わりの一撃が避けれたのは、あくまでこっちを舐めていたのと単調な攻撃だったから。それで尚、タイミングを一か八かでやってかろうじて、というレベル。
仮にフェイントひとつでも入れられたら全てご破算だし、本気の本気となれば先程までと迅さ自体が違うかもしれないからタイミングすら見極めが難しい。
さらに付け加えるのであれば、体の不調、正確には感覚におかしな点がある。
自分の体なのに感覚が鈍いというか、反応が悪いというか、そのような違和感だ。
これだけ重なって、さて、どうする?というのが現状。
とはいっても選択肢は限定されている。
蠅の壁ギリギリに立ち相手の攻撃を避ける、可能であればそこで相手だけ蠅の壁に巻き込めれば満点だ。どういう原理かわからないが、この蠅どもの原因がアイツにあるのだけは間違いない。巻き込んでしまえば自分にダメージがいかないように解除することも考えられるし。
あとはやるかやらないかだけだ。
そう結論づけて、覚悟を決める。
そして自覚した。
ああ、これがアネシュカが言っていたことか、と。
自らの異常。
命の掛け方への躊躇の無さ。
「……まぁ覚えていない記憶の中に、理由があるのかもしれないけどな」
そのへんを追っていけば、色々なことがわかる可能性が高い。
生き残れたら考えようか。
膠着。
嵐の前の静けさ。
見合ったまま、時間だけが刻一刻と過ぎていく感覚。
とはいえ、実際のところほんの数秒単位だろう。
警戒と緊張が短い時間を体感的に引き延ばしている。
―――動いたッ!!
閃きにも似た刹那。
間合いを潰した相手の攻撃に合わせて動こうとし、
遅ッ!?
オレが、ではない。
相手の動きが遅い。
正確には先程までの迅さがない。
振り上げて唐竹割りと見せかけて、そこから剣先を捻ってからの袈裟切り。
体感にして5割減といったところだろうか。
それでもそこらの並み剣士の動きになるのはさすがだが。
先程までと違って剣筋が完全に見える。
必要な分だけしゃがむように避けるが、相手も今度は油断していない。予め避けられると想定して、さらに畳み掛けるように追撃する。
袈裟切りに落とした切っ先を手首の返しで上に向け、そのまま切り上げてくる。
それ横にズレながら避けつつ、拳を握り振りかぶって思いっきり殴った。
―――ゴ、ッシャッ!!
拳に伝わる確かな感触。
「………?」
吹き飛ぶように元の位置まで吹っ飛ばされる男よりも、オレ自身がその威力に驚いていた。
さっきの相手の動きが鈍いことに関しては、相手が何かの理由で動きに緩急でもつけたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
単純に、オレが迅くなっている。
四肢の違和感の正体。
ふわふわして力が入らないその理由。
原理はわからないが今オレの体は通常よりも強化されていて、そのせいで感覚がおかしくなっているせいのようだ。相手の動きが半分ほどの速度に見えたところからして、少なくとも2倍以上には。
「いやいやいや、どういうことだよ、キミィィィ?」
だが敵も然る者。
殴られて吹っ飛ばされたにも関わらず、倒れずに着地を決めて追撃を受けないよう、刃を即座にこちらに向けながら体勢を整えていた。
「さっきまでは本気じゃなかった……ってトコかな? そうかな? どうかな?」
「アンタが全力じゃなかったんだから、相手がそうしてない、同じことをしていないなんて期待は、さすがに都合が良すぎると思わない?」
こっちは最初っから全力だったけどね!と内心ツッコミを入れながら、とりあえずそう応えてみる。というか、それで警戒して退いてくれるとありがたい。
不思議の謎パワーによって強くなってるっぽいので、なんとか切り抜けられる可能性が高くなったとはいえ、仕方なしならともかく進んで命の遣り取りをしたいわけではない。
何か目的があっての戦いならまだしも、負けたら終わり、勝っても命が助かるだけ、の不利な勝負は割に合わない。
ましてやこの蠅の壁を生み出したときの言動から言って、どうもコイツも何かの邪神の関係者らしいし。倒したとして関係者から恨まれるとか、キリが無くなりそうだ。
「ははは……まぁそれもそうだネェ。益々キミに興味が出てきた。いいよ、いいよ、いいよォ。
こんな風に殺し合いの最中にお喋りに興じれる当たり、実にこっち向きの人材だ」
「別に無理に話をしてくれなくても構わないけどね。殺し合いを続けるかどうかは、それこそアンタにとっては、オレと話すのか、神と話すのかの違いしかない」
「近道の手伝いをしてくれるってハナシかぁ……そう邪険にしないでよォ、ご同類」
ぴくり、とオレが小さく反応したのを見て、男は嗤う。
「同類だと?」
「そうさ、同類も同類。気が付いていないのかィ?
食事も殺し合いも女を抱くことも散歩も変わらない。命の対価を提示されて尚、有象無象どものように喚き散らし見苦しく浅ましさを見せつける必要もない選ばれた人種。
そうだよ、キミはこっちに来るべきなんだ、そうなんだ」
羽帽子の男は剣を鞘に納め、ばさりと外套を翻し、片手をあげて天に向けて指を指し示す。
ざざざざざざざざ―――ッ!!
壁を形作っていた蠅たちの群れが、黒い塊となって男の頭上をぐるぐると周り出す。
「改めて自己紹介をしようか。
僕の名はランプレヒト・ブーアメスター。
無数の小さき存在たちの守護者にて多様性の愛護者たる、親愛なる我が神ゾルフゲルター様の導きに従う神官剣士にして享楽者さ」
天に掲げた手とは別の、もう一方をこちらに差し出す。
「なぁ、僕らにとってこの世界は住み辛い。
キミがすでにそれを感じているのか、それともこれから感じるのかは問題じゃあない。これは純然たる事実だ。
くだらない雑魚ちゃんたちを優先する世界で、キミが異物扱いされて肩身の狭い思いをするようなことになって欲しくないんだよ、ウン。
もっとより良く楽しめるストレスのない社会にしたいし、それは思ったよりも簡単に出来る。欲するものはこちらで用意しよう。同志のためならば、本能のままに欲しいものを欲しいと言えるよう心を尽くそう。
どうだい? 僕と一緒に来てみないかい?」
一理ないこともない。
アネシュカにも言われた異常性については、今更ながらに実感もしているし言葉通りに受け取るのであればメリットがあるのかもしれないランプレヒトの誘い。それを、
「馬鹿にするのも大概にしろ」
オレは即座に一刀両断した。
「おためごかしを抜かすなよ。
アンタは単に殺しが好きなだけだろ。一般の人間とは違うからって一括りに同じだとレッテル張りしてるが、本気でオレを取り込もうだなんて思っちゃいない。
基準は利用できるか利用できないか、それで利用した後に最後で裏切って趣味(殺し合い)を楽しみたいだけだろう。生憎その程度を見極められないほどオレの目は曇っちゃいないぞ」
「へぇ……?」
「欲しいものを欲しいと言える、それは結構。
いいことだとは思うけどな、だからといって全部与えられて何が面白いんだ。
イイ女は自分で口説いて惚れさせるから楽しい、そんなコトもわからないなら、オレにとってはそれこそ話してる価値がない」
深く考えての発言ではない。
ただ自然と出てきたその台詞は、オレにとって紛うことのない確実な答えでもあった。
「………っ」
オレの答えに一瞬唖然としたランプレヒトだったが、すぐに肩を震わせ始めた。
こりゃ怒らせたかな?
「…っ、く……ッ、ぷ…ッ、はは、くはははははッ!!!」
そんなオレの推測を裏切り、堪え切れなくなったのか大声をあげて笑い始めた。何が可笑しいのか目じりに涙を浮かべるほどに、もっと言えばそのうちに笑い転げるんではないかという勢いで。
「あー、苦しぃ! ははは、そうだね、確かにそうだそうだ!
まさか僕が初見でそんなに理解してもらえるだなんて、さぁ!!」
男は掲げていた手をちょちょいと振った。
一瞬遅れて掻き消すように、蠅の群れが霧散する。
「……だ、そうだよ? 堅物の“骸魔殺し”さん」
ランプレヒトが茶目っ気たっぷりに、オレの背後へ声をかけたことに驚いて振り向く。
少し離れたところで立っている見知った顔に気づいた。
祝福された鎧に身を包んだ戦者。
―――聖騎士アネシュカ。
なぜこんなところにいるのか、といった疑問を抱きつつも、その真っ直ぐな視線が羽帽子の男に向けられていることに気づく。
紛うことなき―――昨夜、破落戸と相対したときとは量も質も違う―――戦意を載せて。
「よもやここで遭遇することになるとは思いませんでしたよ、ランプレヒト」
すでに剣は鞘から抜かれている。
神より賜ったその刃は敵を今にも誅せんばかりの煌めきを見せていた。
「待った待った。さすがに、ここでキミを相手にするのは分が悪い。そこのカレもまだ何かの力を隠しているかわかったもんじゃないしね。大人しく退くから見逃してくれない?」
「それを私が見逃すとでも? 自らが為した悪行を思えば、貴方が私にとって不倶戴天の怨敵だと忘れないはずでしょうに」
たんっ!と大きくランプレヒトが飛び退いてから、転がっている木箱を指差す。
「出血大サービス! いや、僕の血じゃないけどもさ、とびっきり危険な邪神の卵? 苗床? 的な遺物が入ってる木箱か僕か、どっちか選ぶといいよ」
―――霞と消えよ、“蟲霞”
ズズズ…、と木箱とランプレヒト、両者が少し浮かび上がり輪郭が黒ずんでいく。
躊躇せずにアネシュカが飛び込み剣を振るった。
白銀の閃き。
何かを断ち切るような小さな音と共に、消えかけていた木箱がカラン、と地面に再度落ちた。
もう一方、ランプレヒトは完全に輪郭だけが残った黒い塊へ変貌し―――
―――そのまま塊は無数の小虫となって霧散した。
「……反則過ぎるだろ」
余りの離脱の見事さにツッコむことしか出来ない。
とはいえ、ひとまず命の危機は去ったようなので安堵する。
「聞きたいことはありますが、ひとまず場所を移しましょうか」
「だねぇ」
ようやく―――本当にようやく―――、他の人間がこっちで何か起こっているのに気付いたようで、遠巻きに様子を伺っている。
ランプレヒトに殺された人たち―――政府の密偵とか言われていたが、死体だけ見ればただの人足なので、このままここに突っ立っていても悪いことになる予感しかしない。
「港湾警備の衛兵がいるはずです。そちらに私が話を通しますので、それから移動しましょう」
あのランプレヒトとかいう相手のこと、そいつと戦ったときの謎パワーについて、など色々考えなければならないことが多く残った現状。
おまけに残された謎の木箱―――それもあの神官剣士の言葉を信じるのならば、邪神の卵とかいうシロモノ。
一難去ってまた一難だなぁ。
木箱を回収してテキパキと動き出すアネシュカを横目に、オレは空を見上げた。
次回、第12話 「常識外能力」
6月14日10時の投稿予定です。
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