10.目を付ける者
一部、読み手を選ぶかもしれない描写があります。
具体的には虫などが嫌いな方はお気を付け下さい。
明らかに格上の相手に主導権を取られたのでは、生き残れるものも生き残れない。
覚悟して物陰から一歩踏み出す。
すでにバレているのだから、下手にここで隠れてやり過ごそうとすれば相手が動き出すだけのこと。そして先程までの動きを見る限り、動き出されては最早止める術はない。
羽帽子の男が、これまで―――とは言っても昨日からだけども―――見た中で最も強いことは間違いない。
聖騎士アネシュカ、そして蒼海の獅子亭の冒険者の面々を見て尚、そう断言できる。実際の戦いとなれば相性や地の利といった別要素があるのかもしれないが。
「見るつもりは……なかったわけでもないか。何か騒いでるようだったから気になってさ。
こんにちは、剣士さん。随分とまたよいご趣味だことで」
全身の力を抜き、すぐに反応できるように体勢を整える。
もっとも、先程見た相手の動きの迅さに対してどれほどの効果があるというのか疑問だが。それでも何もしないよりはマシだ。
「……へぇ」
何か感心したかのようにかすかに口元を釣り上げる男。
こっちとしては内心、相手の一挙一動の度に緊張して胸がドキドキしてしまうが、なんとか堪えて表に出さないよう平静を装う。
「ちょっと思ってたのと違うねェ。
こいつらと同じ政府の密偵かと思ったけれど、どうも毛色が違う」
そう言って男は転がっている死体を一瞥した。
その意図するところを察するに、どうやら殺された連中が人足に化けた政府関係者で、こいつはそれと揉めていた、ということろか。
ますますヤバい気配しかしない。
さっきの言動を見るに、こういう手合いは会話の最中とかもいきなり攻撃しかけてくるだろうし、オレの中の警戒センサーはすでにレッドゾーンを振り切りそうだ。
「そんなことはどっちでもいいや、それでさっきの、どう思うよ?」
「は?」
「ほらほら、トボけちゃって、さ。
残った死体も綺麗にしたほうがいいと思うか、って聞いたはずですよ?」
いや、それを聞かれても困るんだが。
「そのままにしておくよりは」
とりあえず一般論で返してみた。
「そかそか、ならキミのも一緒に片づけようか―――なッ!!」
「!!」
音も無く、8メートルはあった彼我の距離が縮まる。
―――フォゥッッ!!!
斬撃。
目で追えないそれはオレの首に放たれ、いとも簡単に両断した。
―――正確には、さっきまでオレの首があった空間を、だ。
あっぶねぇ!!?
避けることができたのは備えていたお蔭だろう。
目で見えなくても動作の起こりだけ察知できれば避けようはある。相手の体格から判断できる歩幅と腕と剣のリーチを推測し、その分の空間だけ逃げればいい。
とはいえ、一か八かの賭けに違いない。
避けるにせよ動きの速度で劣っている以上、こっちが動ける時間は限られる。
しかも、それを補おうとして余りに早く回避行動を始めれば、相手はそれを修正して攻撃の間合いそのものがかわる。
相手が動きに入った瞬間に必要最小限だけ後ろに飛び退いて、間合いを外す。
ところが相手の動きが早すぎて動きに入る瞬間を察知してからでは間に合わないので、その前段階の気配から推測したタイミングで一方的に動いてみただけだ。
備えと計算と無理と偶然がかみ合ってなんとか為し得た一度だけの奇跡。
おまけに、
「??? あれれ? 避けた? マジ? ウソ? ダウト?」
相手が予想外のことにびっくりして追撃しなかったからこそ、まだ生きていられている。気にせず追撃していたら、一度の回避でバランスが崩れていたオレはあっさりと二つに泣き別れだ。
余程驚いたのだろう、相手は目を丸くしてマジマジと手に持っていた剣の刃とオレの顔を見比べている。
鈍ったのかとブンブンとその場で素振りを始める始末だ。
いや、マジで振りが見えなくて怖いので適当なところでやめて欲しいのが正直なところだが、これ幸いとばかりに再びバックステップで距離を取った。
「キミ、一体全体何者なのさ?」
ぎょろ、と目を剥きだすような力強い視線が向けられる。
「こう見えてもボクは頭いーんだぜぃ?
はっきり言って天才的な頭脳なくらいで、争ってる密偵連中はもとより、邪魔になりそうなこのあたりの強者は一通り記憶してるんだけど!
そこにまったく引っかかってこないんだよなぁ、キミ。でも今の一撃避けるようなレベルの奴が無名とかあり得なくない?」
そりゃあ名前が知れているも何も、オレ自身も知りませんし、とは言えず。
とはいえ、オレのそれとは比べ物にならないくらい少しではあるが、相手の中に警戒を呼び起こすことに成功したようだ。警戒された分相手のヤバさは跳ね上がるものの、時間を稼ぐにはありがたい。
問題は、この辺に別の誰かが通りかかるまで、どれくらいの時間を稼がないといけないのかわからない、という点か。
まぁどちらにせよ、なるようにしかならんから覚悟を決めてガンガンいきますか。
相手の視線に応えるように、
「そっちが自己紹介してくれるんなら、こちらも名乗って挨拶くらいはするよ、剣士さん?」
「へぇ…」
カシュン、と相手が剣を鞘に納める。
一応は話に応じる、ということなのかもしれない。
抜き打ち様に首を跳ね飛ばしていたのを覚えていなければ、警戒を緩められたのになぁ。
「肝が据わってるのかな?? なかなかいい動きをしているし……そして何より、その目だ。欲しいなぁ、欲しい欲しい欲しい。
飾って他の魔眼と一緒に夜通し眺めていたいなぁ」
眼?
意味がわからずに首を傾げそうになる。
魔眼って何のことだろうか。とりあえず相手が執着しそうなシロモノっぽいのでよくない話だというのはわかるのだが。
「我、ここに贄を捧げ御身が従僕、顕現を求む。くぅださい―――な」
突如、雰囲気が一変した。
「ッ!!?」
ギチ…ギチギチギチギチギチギチギチ…ィ。
相手が羽織っていた外套がはためき、その内側の何もなかった白地に小さな黒い粒が無数に浮かび始めた。
むしろ硬質でありながら有機的な小さな何かがびっしりと黒を描くように隙間なく張り付いていると表現したほうが正しいかもしれない。
その張り付いていたのは―――
「せっかく、“原初の遺産”に貯めたのを使い切るのはシャクだけども……逃げられないよう万全を期すために、我が偉大な神に捧げておこう」
―――蠅。
気づいたのと、羽帽子の男が祝詞を捧げたのは、ほぼ同時。
「囲め囲め、蟲の篭。集いて集いて血肉を喰い尽くせ―――“蠅嵐”」
放たれる黒い力。
脈動するその力が外套に染み込んでいく。
膨れ上がり、そして破裂。
ざざざざざざざざざっっ!!!
そう錯覚させるほど急激に、黒い蠅の塊が外套から飛び出した。
まるで蛇のように、黒いとぐろを巻いて宙を縦横無尽に駆け巡る。
ずぐ、んっ。
相手の黒い力が何か影響を及ぼしているのか、胸が痛み始めた。
なにか体が軽くなったというのか、ふわふわして四肢に力が入らない。
わけわからないが、なんか一層ヤバい状態になったのだけはわかった。
ざざざざざざざざざざざざざざざざっっ!!!
気が付けば蠅の群れはオレと羽帽子の男を取り囲むように、何重にも円を描いて動き、黒い壁を形成していた。
もし逃げるとするならば、この蠅の壁を突破しないといけない状況だがそう簡単にいくとは思えない。
原理はわからないが、わざわざこんな不可思議現象を発生させたのだから、逃がさない自信があるものなのだろう。
ずぐ、んっ。
体の変調は続く。
むしろどんどん酷くなっていっているが困ったことに、、
「………それを気にしている暇はないか」
逃げ場を潰して満足したのだろう。
酷薄な笑みを浮かべて羽帽子の男が再び剣を抜いた。
絶体絶命の中、蠅の羽音だけが響く。
次回、第11話 「邪神の卵」
6月13日10時の投稿予定です。
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