8.潮騒が呼ぶもの
アネシュカにさらに借りを作った―――具体的には銀貨10枚分ほど―――翌日、包まっていた毛布を外して、大きく欠伸をする。
窓から差し込む日光が朝を告げていた。
思った以上に疲れていたらしく、昨夜は大部屋で毛布に包まってからの記憶がほぼない。あっという間に眠りの世界へ入ってしまったようだった。
だが、おかげで頭の中も大分すっきりしたし、心なしか体も軽い。
まだ時間帯が早いのか、それとも他の連中が起きるのが遅いのか。大部屋の中を見回すと、まだ5人ほど毛布に包まって眠っていた。
まぁそもそも冒険者なんてフリーダムな職種を選ぶ人間だ、規則正しいとか規律とかそういった言葉とは対極に位置していると言われれば納得である。
「マイペースって言われたら、オレも否定しきれないしな」
内心苦笑しながら、毛布を畳んで大部屋の外に出る。
少し軋む廊下を通って階段へ。そのまま下って昨夜食事を摂った食堂へと下りた。
食堂は大きな古時計が設置されており時間がわかるのでありがたい。確認したところ、丁度鐘が7回鳴ったので、どうやら今は朝の7時といったところらしい。
「おはようございます」
「ども」
一通り掃除は終わっているのだろう、仕上げにテーブルを布巾で拭いているウェイトレスと挨拶を交わし、毛布を渡してから朝食を頼む。
店内は営業中にも関わらずまだ静かだ。
依頼がある人はすでに食事を終えて出ている時間で、逆に休みの人はのんびりしてこんな時間にあまりいないという感じだろうか。
特に肉体労働者は朝早く、もっと言えば日が出れば動き出す傾向があるし。
なお朝食は今朝のメニューの中から、適当に頼んだのでどんなものが届くのかはお楽しみである。
「さて、今日は何をするかねぇ」
座った椅子の背もたれに体重をかけて背筋を反らしながらつぶやく。
4日……いや、もう夜が明けたから3日後か。差し当たってはその日にアネシュカと再びここで会うまで、特段何をする必要もない。自由だと言えば聞こえはいいが、手持無沙汰だとも言える。
「ひとまず街の状況を知るのに観光と……うーん」
身元がわからない状況では、大きく動くようなことはつい遠慮してしまいそうだ。
「パンと野菜サラダの盛り合わせ、スクランブルエッグでーす」
もやもやと考えているうちに料理を持ってきたウェイトレスに料金の銅貨4枚を渡す。
昨日の夜にウェイトレスをしていた大人びた女性とは違うタイプで、少しコケティッシュな元気娘、といったところか。
「しかし昨日も思ったけど、値段の割に量が結構多いなぁ。ありがたい話ではあるんだけども」
「冒険者って体が資本の人ばかりですからね~。量をしっかり確保しないと、す~ぐに文句出るんです。
なんとかこのお値段でボリュームを出すために、店長も仕入れに苦労して頑張ってるんですよ~?」
言われてみれば納得、というか当たり前の話だ。
ふと思いついてウェイトレスに2枚ほど銅貨を渡し、
「チップの代わりと言っちゃあなんだけど、ちょっと聞いてもいいか?」
「え~、答えられる範囲であればいいですけどぉ。あ、スリーサイズとかは内緒ですからね~」
「くぅ、内緒か!」
さすが荒くれ者が集う冒険者の店のウェイトレス。
スルーの仕方も手慣れたものだ。
夜は酒も出るわけだし、これくらいは朝飯前に出来ないと酔った客をあしらうのは難しいのだろう。
「……半分冗談はおいといて、だ」
文字通り冗談めかして話を続ける。
「半分は冗談じゃないんですね~」
「そ、半分はね。それで聞きたいことってのはこの街のことなんだよ。初めてこの街に来たもんだから、どこに行ったらいいのかわからなくてね。出来たら街について、どこにどんなものがあるのか詳しく聞きたいんだ」
「そうですね~、観光できそうな有名所とかですか?」
「そういうのでもいいし、街の中で買い物するならどこのあたりの店がいいとか、そんなのでも」
適当に世間話がてら、いくつかの店や場所についての情報を仕入れてから、食事を始める。
何人かの冒険者たちの出入りを横目に、朝食を終えて一息ついてから外に出た。
天気は快晴。
まず耳に飛び込んできたのは街行く人々と車輪が行きかう音。
道幅の関係で裏通りは難しいが表通りに関して言えば、無数の馬車が行きかっている。それこそ気を付けないと馬車に轢かれてしまうかもしれないほど。馬車には多くの荷がつんであり、それが行きかう様は活気に溢れていた。
おそらくは馬車での輸送に配慮してだろうか、城壁に囲まれた街の正門から港へ抜ける目抜き通りは、道路の幅が馬車がすれ違えるだけの広さあるだけではなく地面が石畳になっていた。
反面裏通りなどに関しては土がむき出しの道路になっており、この街で何が優先されることなのかがなんとなく感じ取れる。
オススメの場所として聞いたのは、港と緑園商店街の2つ。あとオススメというほどでもないけれど、暇を潰せる場所として、中心からやや外れたところにある運動場を教えてもらっていた。誰でも使える場所で街の衛兵や冒険者たちも鍛錬の場所としてよく利用しているらしい。
順番に、というわけでもないがまずは港に向かった。せっかく港湾都市と呼ばれている街なのだから、港から見るのが一番だろうと思っただけだ。
特に迷うこともなく大通りを道なりに歩くこと1時間ほどで、街の北西部分に設けられた港へと到着した。
独特の香り。
潮風というやつだろう。
手前の波止場から、海の果てに見える水平線まで数隻の船が見える。それぞれ大きさは違い、一番大きな黒塗りの帆船は湾内に停泊し小舟で荷物を揚げ、波止場に接舷しているやや小ぶりの船は直接板を渡して、荷物を運び出していた。
「デカいなぁ……どれくらいあるんだ、ありゃ」
黒塗りの帆船の大きさを目測で図ろうとしつつ呟く。
何やら帆の部分に紋章のようなものが描かれているが生憎とどこの船かはわからない。それでもあれが尋常ではない立派さなのはわかる。
空を見上げれば海鳥が数羽、風に乗って気持ちよさそうに飛んでいた。
街中の空気とは違う、大海原を前にした解放感。
程よくリラックスできたのが実感できる。
「やっぱ来てよかったなぁ。いい気分転換だ」
ここを教えてくれたウェイトレスに感謝し、視線を海から波止場へ戻す。
ふと小さな違和感を覚えその原因を探すと、
「? 揉め事かな?」
船からの乗り降りや行きかう荷物で忙しい港の一角、倉庫がいくつも並んでいるあたりで数人の男たちが何やら揉めているようだった。
なんとなく雰囲気とかすかに聞こえる声の荒さから騒動ではないかと推測できるが、こちらからでは距離があるのと手前に倉庫が視界を一部遮っているせいでよくわからない。
よくわからないが気づいてしまった以上、気になるのが人情というもの。余計な野次馬根性だというのは自覚しながらも興味は止められない。
そそくさと近寄っていってみる。
距離が縮まっていくにつれて、揉めている当事者たちがよく見えるようになってきた。
現場には4人ほどの男たち。
うち3人は荷卸しで鍛えられた逞しい人足風の男たち。
残りの1人は羽帽子を被った優男。動きやすそうな藍色を基調とした服装で帯剣、上から外套を羽織っており、どう見ても港での仕事に従事している様子ではない。
前述の3人がその1人に対してかなり強い剣幕で怒鳴っているようだ。かといって怒鳴られている当の本人はと言えば、気にした様子もなく飄々と受け流している。
オレが近づいていっている間も、どんどんと悪くなっていく雰囲気。
それは間違いなく一触即発に近づいていた。
次回、第9話 「異狂の刃」
6月12日10時の投稿予定です。