7.住所不定無職
ざわ、と。
それまでの店内の賑やかさとは違ったざわめきが響く。
初めて会ったときから理解はしていたものの、改めてアネシュカが美人であることを再認識する。増して鎧を着ていた分だけ武骨だった最初の出会いとは違い、今は存分に女性らしさを発揮できる長いスカート姿。
幸いなことに髪型を変え、その長い髪を編み上げているせいもあって彼女が聖騎士と気づいていそうな人間は少ない。
「しっかりと約束は守って頂けた様子ですね」
そう一言だけ言って、同じテーブルの席につくアネシュカ。
「もしかして、現れずに逃げると思ってた?」
「あくまで可能性だけで話をするならば、ですね」
その場合、タダでは済ませませんけれどね、と聖騎士は小さく微笑んだ。
目が笑っていないので、あながち冗談ではないようだ。
まぁ確かに初めてあったばかりの相手。
頭から信用できると思っていたとしたら、それはとんでもない大物か、とんでもなく頭がお花畑かのどちらかである。
「こっちはちょっと驚きだけど。
よもや聖騎士サマが、こんな……というと失礼だけど、庶民的な店をご存じとは」
「アテナ教団の本義は高潔なる導き手……つまりは誉れある戦へ続く者たちへの伴なる歩き手です。
武具にも費用はかかりますし、空腹では戦えませんし、戦士の英気を養うための酒精も無とはいかないでしょう。無論、商業神のようにそれを至上とはしておりませんが、目的を賄うため程度には金銭の重要性を認識しております。
必要のない過度な豪華さは嫌いますが、かといって殊更清貧を旨とするわけでもありません。
飲食店くらいのアテはあってもおかしくはないでしょう」
とはいってもなぁ。
周囲で酒盛りをしている冒険者と思しき連中なんて人によるけどもパッと見、無法者一歩手前のようなのが交じっている。
まっとうな市民からすれば破落戸と変わらないような認識なんじゃないか、これ?
そんな連中が屯している店と聖騎士はイメージが今ひとつ噛み合わない。
こっちの内心に気づいたのか、アネシュカはウェイトレスに果実水と軽食を注文してから、オレのほうへと苦笑を向けた。
「……言いたいことはわからないでもありませんが。
私は私です。勝手なイメージで括られるのは余り面白くありませんね」
ぴしゃりとした切り返しにお手上げ、とばかりに両手をわずかにあげる仕草で答える。
「それに、この国の冒険者は中々捨てたものではありません。
歴史を紐解いてみても、冒険者から英雄が生まれ国を救ったケースは王国暦だけでもそれなりの数にのぼりますし、その栄誉から興された貴族家もいくつも現存しています。
無論一般の民衆のイメージ通り、農村や都市部の食い詰めた結果が多い冒険者ですから、中には無法を働く者、逃亡した他国の犯罪者などが紛れていることもあります。ただ今の冒険者仲介所と組合のシステムが出来てからは、比較的そういった比率も下がっているはずですよ」
よくわからないが、そういったものなんだろう。
要は冒険者の中には不逞の輩もいるものの、これまで功労者を排出している経緯もあり、存在そのものは社会的に必要程度認められている、と。
「それに……仮に私が他の飲食店を紹介したところで、貴方が最終的にこのお店に厄介にならなければいけないことは変わらないでしょう?
今の貴方の状況を客観的に言うのであれば、住所不定無職。おまけに自らの名前すらわからないと来ています。仮に何日か過ごせるとしても生活の糧がなければ、すぐに干からびることになるでしょう。
そして身元の明らかでない者が就けるまともな職業は限られているのですから」
まぁそれもそうか。
丁度そのとき料理が運ばれてきた。思っていたより割と具の多いシチューに黒いパンの組み合わせは別段凄いわけでもないが、空腹を抱えている今のオレにはご馳走である。料理と引き換えに硬貨を渡すと、湯気の立つ出来立ての料理が目の前に置かれた。
一応アネシュカに視線を向けるが、気にせずに先に食べるようと促されたので遠慮なく食事を始める。
うん、美味い。
空腹時の最初の一口ってなんでこんなに美味いんだろうな。
おそらく調味料節約のためだろう薄い味付けすら、じわりと口の中に染み込んでいく錯覚を覚えた。
「さて……食事中ではありますが、時間は有限。お話を伺うことにしましょう」
果実水とパンに野菜を挟んだ料理を受け取ってから、アネシュカはゆっくりとそう言った。
それを皮切りに矢のように質問が飛ぶ。
こちらとしては別段隠すこともないので、正直に話をする。
気づいたのは邪神の儀式の間。記憶がない。真っ裸だったので、ワードローブの金銭と洋服を拝借したこと。何が何やらわけがわからなかったので、ひとまず現場から逃げたこと。
途中、金銭とか冒険者証明書的なものをいくつかガメたところはボカそうとしたけど、ボカしきれずに結局全部話すことになってしまったのは無念な感じである。
「……ハァ……、まったく貴方は」
ひとしきり話し終えると、何やら頭痛でもしているかのようにアネシュカが自らの頭を軽く押さえた。
その原因はなんとなくわかるものの、そうかといってどうしてやることもできないしな。
「非常事態ということで、小さな金銭などの窃盗については目を瞑りましょう。
ですが証明書は不味いですね。自分のものが見つからなかったということで、いくつか持って行ったとのことですが、そのせいで死体との照合が出来ずに死亡を確認できない冒険者が出るかもしれません」
あー、自分のことで精一杯でそこまで頭回らなかったなぁ。
「ちなみに、その証明書って結構大事なものだったりする?」
「ええ。順序を追って説明しますと……まず冒険者志願の者たちは、こういった仲介所になっている宿にやって来ます。正確には冒険者組合の施設というよりも、店自体が組合に加盟して業務協力しているのが正しいでしょうね。
そこで店主に認められた者がそこで活動することが出来ます。その上で店主経由でもらう依頼をいくつかこなしますと、晴れて冒険者組合に冒険者証明書を申請し受け取ることが出来るのです。
勿論、その申請も店主経由になりますし、それまで行った依頼の内容を実績として届けなければならないので、証明書を持っている、ということは一人前の冒険者として仕事が出来る、という証になるのです。
逆に言えばそれを持たないうちは、世間の目はそのへんの破落戸と変わらないでしょうね」
話を聞いていると、冒険者組合ってのは互助組合的な組織っぽく感じる。
てか、店主の権限デカいな。
志願者の見極めまでしてるってことは、来ても気に入らなかったら拒否できるって話になる。
そんな懸念を伝えると、
「店主も元冒険者だったりすることも多いですからね。しかも店を設けることが出来るほど、となれば危険な冒険者稼業を潜り抜けたベテラン。人を見る眼は確か、という判断なのでしょう。
冒険者組合が見極めるにしたところ、根拠としては似たり寄ったりでしょうから」
自分の斡旋宿所属の冒険者が活躍するかどうかって店の評判にも関わるだろうし、切実な分だけ店主のほうが必死に判断してくれそう、ってことなのかもな。
「話を戻しましょう。
今回の邪教の儀式、生贄にされたのはほとんどが冒険者、それも証明書を持つレベルの者たちばかり……どうやらいくつかの仲介所で出されていた偽の依頼で集められてのことのようです」
「依頼を出される段階で罠とか、個人だと防ぎようがないよな、それ」
「冒険者組合経由で送られてくる依頼でしたからね、信用してしっかり裏を取らずに回してしまった仲介宿も多かった模様です。現在その依頼を受理した組合の幹部を当たっていますが芳しくはありません」
「通常、裏取りまで宿側がするのか?」
「可能であれば。それが出来る仲介所はそれだけ安心できますし、おかしな依頼を持ち込む者も減りますから冒険者たちに人気が出る、つまり繁盛するということです」
なるほど、冒険者側にも選ぶ資格はあるわけか。
やっぱ話を聞いてると、仲介所やってる店が冒険者組合の看板持ってるだけの個人商店として、かなり好きに経営できてるみたいだな。
逆に権限が大きい分、同じ街であっても仲介所同士の競争が激しいと。
「特にこの港湾都市アローティアでは、この“蒼海の獅子亭”が頭ひとつ飛び抜けて評価が高いですね。
所属している冒険者の質、量、共にトップです」
「詳しいんだな」
「この街にもアテナ神殿はありますから。
そこから依頼を持ち込むこともそれなりにあるので、そういった知識も必要です」
生真面目な聖騎士サマがそう言うくらいだ。
間違いなくそうなのだろう。
もぐ、と最後のパンの欠片を口に入れた。
「なるほどねぇ……道理でさっきから見えてる中に、強そうなのがいると思った」
丁度、アネシュカも軽食を摂り終えたみたいなので会話を切り上げるべく、
「とりあえずオレから出来る話は全部だよ」
「わかりました。ひとまず嘘はないようですし、貴方の話を前提に続けましょう。
まず貴方に必要なのは身元の確認です。これについて異存はありませんね?」
ひとまず頷いて同意する。
「今回、王都のアテナ教団へ邪神の儀式の情報が寄せられ、その結果として、調査官と私がこの事件の担当として派遣されました。おそらく、その事後処理として4日ほど滞在することになります。
その期間で遺体の確認、冒険者証明書との照合、依頼の斡旋記録、関係者の尋問を行う予定ですので、こちらでお待ちしてもらえばある程度の身元の判断材料をお教えできるかと思います。
ついては……」
「“蒼海の獅子亭”に滞在してろって話でしょ? りょーかい」
「話が早くて助かります」
「身元がわからないとどうしようもないのは確かだしね。せめて名前くらいわからないと、何するにも不自由だから、それを知るために待つのは仕方ないよ」
別段すぐにやりたいこともないし、街をうろついて情報収集するのに丁度いい。
「とはいえ……4日後に話を持ってくるとしても、名前もわからないのでは店主への取り次ぎも難しいのは確かです」
「あー、それもあるな。とりあえずさっき誰かが会話の中で出してた名前で宿帳記入したから、仮にその名前ってことにしとこうか。そしたらアネシュカもわかりやすいし。確か―――」
―――ルーセント
宿帳に書いた名前を言うと、アネシュカは微妙な表情を浮かべた。
「あれ? 何か不味い名前だったりした?」
「……いえ、いい名前ではありますよ。昔の英雄の名前で、それにあやかってその名をつけられている人もたまに見かけますから」
? 何か歯切れが悪いな。
おっと、でもそれ以上に重大なことがあった。
忘れないうちに言わなければ。
「で、話も纏まったところで―――」
改まって姿勢を正して言うべきことは唯ひとつ。
頭を下げた。
「―――お金貸して下さい」
4日の宿代と食事代までは持ち合わせがないのである。
次回、第8話 「潮騒が呼ぶもの」
6月11日10時の投稿予定です。