8月3日、男女三人海物語
「きゃっ、大変です、マモル様! 足元の砂がなくなってしまいます!」
さも大げさにシャタクが報告してくる。
彼女もイブも、海水浴と言うものをしたことが無いようだ。
ハイパーボリアの海は危険で、今の時代には存在しない魔物や妖物がひしめいているとか。
そう、イブの話を聞いて分かったのだが、あのハイパーボリアは数千年前の世界だった。
銀の鍵を用いての空間跳躍は、時間跳躍でもあったのである。
扉の中の光景が、タイムマシン的なぐにゃぐにゃ歪んだ世界だったのも頷ける。
「シャタク殿、海辺と言うものはそういうものだ。波は砂でも石でも、触れたものを少しずつ削って持ち去っていくのだよ」
「それでは、砂浜がなくなってしまうではありませんか」
「いや、簡単になくなりはしないのだ。そうやって削り取った土砂は水底に沈んだり、また波が運んできたりする。そうやって砂浜に新しい砂がやってくるのだよ」
「なんとまあ……上手くできているのですね」
シャタクはしゃがみ込み、水を含んだ砂を両手いっぱいに掬い集めてみる。
手の中の砂からカニが顔を出し、小さなはさみをチョキチョキとさせた。
「可愛らしい」
彼女は微笑んだ後、カニをパクッと食べてしまった。
固いものを噛み砕く音がして、ごくりと飲み込む。
そうだ、彼女は蛇人間の一族なのだった。
だが、とても可愛いのだしよしとしよう。
「二人とも、海に入らなくてはいけないよ。折角海に来たんだもの」
守は率先して水に足をつけ、二人を招く。
すると、シャタクは楽しげに、イブは恐る恐る、打ち寄せる波へと足を踏み入れて来た。
「イブさん、もしかして海怖い?」
「い、いやそんなことはないとも。理論ではしっておるのだ、理論ではな。完璧に対応してみせる自信とてある……」
虚勢を張るイブに、ちょっと大き目の波が押し寄せてきて、膝小僧までをざぶんと飲み込んだ。
「ひゃぁぁぁぁぁぁ」
イブが可愛らしい悲鳴を上げて、守にしがみついた。
うわあ、きましたわこれ!! と守のテンションマックスである。さっきからマックスだがマックスを超えた120%中の120%のマックスだ。
「ハハハ、大丈夫だよイブ!」
守は鼻息も荒く、イブを抱き上げるとお姫様抱っこした。
「ああっ、イブさんずるいです! マモル様、私にもー!」
あっ、これは噂に聞くハーレムと言う奴では無かろうか。
まだ二人だけど、もう二人とも言うな、なんて守は頬を緩めながら思う。
水を掛け合ったり、無形の落とし子を利用してスイーッと水面を仰向けにすべり、シャタクの胸元に頭から突っ込んだり、イブの足の間を駆け抜けようとしてちょうどいいところで止まったり。
幸い、彼女たちは守を慕ってくれている。
彼女達が信奉する神様なのだから当然とも言えるのだが、同じセクハラをやった学校では、バレー部の女子にひどい目に遭わされている。
あれはあれでご褒美である。そして、こういう100%の好意を受けながらセクハラするのもまたいい。
「マモル様、セクハラと言うのが詳しく何なのかは存じませんが、これはスキンシップとやら言うものではないかと」
守と常識を同期しているシャタクの言葉である。
「一理あると思います」
守は水面に浮かびながら鷹揚にうなずいた。
守は体質上、非常によく水に浮く。塩水であればなおさらだ。
そこをさらに無形の落とし子にサポートさせて、人間浮き輪となって、シャタクとイブに掴まらせてぷかぷか。
これもなかなか心地いい。
「マモル様は抱き心地が柔らかくてひんやりしているから、気持ちが良いな」
イブは今にも眠ってしまいそうな声を出す。
波に揺られながら、守を浮き輪にして浮かんでいると、確かに段々眠くなってくる。
シャタクは守のお腹を押したりつねったりして遊んでいた。
幸せなひと時だったのだが、そう言う時間はえてして、無粋な形で破られる。
守が腰にぶら下げていた銀の鍵が、水を揺らめかせながら高く音を立てたのである。
「うわっ、お呼びだよ。毎日だなあ」
「ふむ、ウムル・アト=タウィルの銀の鍵か。これが我の元へマモル様を導いたのだな。ということは、次もまた、何か大きな事件が起こるのかもしれませんぞ」
この鍵の困った事は、何かが起きそうだぞと言う事は分かっても、それが何かは知れないことなのだが……。
今回ははっきりと分かった。
仰向けで水に浮かぶ守の目の前、空にぽっかりと穴が開いたのだ。
穴の形は歪で、ゆらゆらと輪郭を揺らし、今にも消えてしまいそうだった。
銀の鍵が作り出す、確固とした扉にくられべればいかにも弱弱しい。
だが、その穴の向こうに、それぞれ特徴的な武器を掲げた男達が20人。
「あれら全てが、恐らくは転生者達……! マモル様、狙いは私たちでしょう」
ちょうど、守たち三人の頭上に穴をあけたのだ。
まさかこちらの世界まで攻め寄せてくるとは。
「参ったな。こっちでものんびりできないのかあ」
守は無形の落とし子を呼ぶ。
すると、先ほどまではあまり多くの落とし子を召喚できなかったものが、今度は足場になるほどたくさんの落とし子が現れる。
力を使いやすいのだ。
「どうやらあの穴で、あっちの世界とこっちの世界が繋がっちゃったみたいだな。体が軽いよ」
「マモル様、私も戦います」
「我も魔道書を持ってきているのでな」
イブの魔道書は、不思議な事に塩水に晒されても、濡れた様子は無かった。
勇者たちはときの声をあげる。
彼等は光の玉のようなものを呼び出し、その中に入って浮かび上がる。
どうやらこちらにやって来ようとしているようだ。
20人もの特殊な力を持った連中が現実世界で暴れるなんて悪夢である。
「こっちに入られると面倒だね。あの空間の中で撃退しよう」
守は、無形の落とし子を竜巻のように持ち上げ、シャタク、イブとともに空に開いた穴へと向かう。
この様子を見て、浜辺のほうでは何か騒ぎになっているようだが、あちらの世界と繋がったせいで守の力のリミッターが外れている。
一瞬守の姿を見たものは、一時的な狂気に陥り、すぐに現状を認識できなくなった。
シャタクが翼を巨大化させて広げる。自ら腰周りの水着を大きくずらし、収納していた尻尾を元の大きさにして展開する。
半人半龍といった姿に変身したのである。
イブは周囲に魔道書から飛び出した羊皮紙が、淡い虹色の光を放ちながらリングを形作る。
空中に浮いた羊皮紙は、まるでイブを包むリングである。
守はいつものように、素手をぎゅっと握り締めて、
「よし、突撃」
邪神とその眷属vs勇者軍団の戦いの幕が切って落とされる。