8月9日、女子たちの戦い
いざハイパーボリア。
決戦の時なのである。
ファミレスから帰り、だらだらと午後を過ごした守と三人娘は、そろそろ夕方かな、と言う頃合でようやく動き出した。
守が銀の鍵を空間に刺すと、そこに扉が生まれる。
イブ曰く、これはヨグ=ソトースの扉であると言うのだが、そんな大層なものを割りと毎日ホイホイ使っているわけだ。
ありがたみもへったくれもない。
戦闘用の衣装に着替えたのはシャタクだけ。
彼女は翼や尻尾を展開する必要があるので、専用のドレスで無いと服が破けてしまうのだ。
イブは最近普段着にしている、丈の短いタンクトップとカットジーンズ。
アトラに至っては、何を考えたのか、守の母に買ってもらった可愛らしい柄のワンピースである。むちっとしたわがままボディの大人の女性が、可愛らしい花柄ワンピースを着ている。ギャップ萌えであろうか。
ちなみに守は変身する関係で、海パン一丁であった。
「待った?」
到着すると、イホウンデー率いる残りの勇者達が勢ぞろいである。
ヘラジカの女神は苛々を隠そうともせず、守の言葉に、
「待ったわよ!!」
と怒声を返した。
一団の最高峰にはナイアーラトテップ。今日は怪しげなローブの男の姿をしている。
だが怪しい気配で一発で分かる。
イブに言わせると、ナイアーラトテップの変身は普通見破れるものでは無いらしいのだが、守は邪神なので見破れるのだろう。
「やあ、ツァトゥグァ殿。ちゃんと来てくれて嬉しいよ。それでは始めるとしようか」
後で聞いた話では、彼がこのような直接的な戦闘を行う事自体が珍しいらしい。
きっと、この時の戦いも彼が思い描いていた策略の一つだったのだろう。
それは別に、自分たちに危害をもたらす類の策ばかりではない。
イホウンデーが、勇者たちに号令を放つ。
残る勇者たちは、イホウンデーとナイアーラトテップにより強化され、邪神の上級な眷属ほどの力を発揮する。
だが、対するのは邪神の欠片であるアトラと、稀代の大魔道師イブ、そしてグレート・オールドワンズに名を連ねることになったシャタクの三人。
「なんだかこれが最後みたいな感じですね。大規模な戦いって言う感じがします」
「みたいというか、これが最後なのであろう」
「ふむ、此方としても面倒ごとが片付くのは良い事じゃ」
並び立つ三人娘めがけて、勇者達が襲い掛かってくる。
糸を使う者と、短距離瞬間移動を繰り返しながら攻撃を仕掛けてくる勇者は、アトラがサクッと絡め取って吸い尽くした。
魔法を使う勇者たちは、イブが真っ向から彼等の魔法の術理を解き明かし、それを暴走させて自滅させる。
シャタクは無造作に、物理系勇者たちをまとめて薙ぎ払った。
あっという間に勇者掃討完了である。
所詮人間の身。
それを超えた超常の存在に抗えるはずもない。
ましてやこれは正面対決である。普段行っている待ち伏せや奇襲もできず、どうやって一糸報いるというのか。
「あああ! 折角転生させてやった36人の勇者がみんなやられた!」
イホウンデーは文字通り地団太を踏んだ。
外見は巨大なヘラジカの角を生やした、精悍な女性である。彼女は見た目どおりに情熱的らしい。
イホウンデーはキッと三人娘を睨み付けた。
「もういいわ。私自ら蹴散らしてやるんだから!!」
そう言って、のしのしと前進を始める。
「”ファロールに関する記述”……」
イブが魔道書のページを開く。浮かび上がる幻の金星と、そこに潜むグレート・オールドワンズであるファロールの力を借りた大魔術だが、
「ふん、子供だましね!」
ファロールが放った、物理的な力すら秘めた視線を、イホウンデーはその角を振り下ろして叩き潰した。
動作こそ大雑把だが、これは抗魔術の一つである。彼女の角の一本一本が、一つの大陸に匹敵するほどの魔術容量を秘めており、さりげない所作全てが大仰な魔術儀式と同等の効果を発揮する。
「なんと、我の魔道書が!」
ファロールのページが千切れ飛び、イブは驚愕の叫びを上げた。
その時には既に、イホウンデーはイブの目の前に迫っている。
「人間の魔道師如きが!!」
振り上げられた拳が叩きつけられる。
その寸前で、アトラが糸の壁を作り出した。
そしてイブを抱きかかえながら飛び退る。
「すまぬ」
「いいのじゃ。それより、あの壁ももう持たんぞ」
アトラの言葉の通り、邪神アトラク=ナクアの呪力を込めた糸の壁は、まるで障子紙を破くように引き裂かれ、消滅する。
イホウンデーは拳を突き出した姿勢で、角を輝かせている。
「なんで逃げてるのよ!! 数が減らせないじゃない!!」
激昂して叫ぶと、ヘラジカの女神の角が放電を開始した。
「まずい、アトラ殿!」
「うむ!」
アトラは糸のシェルターめいた壁を作り、攻撃に備える。
「ああっ!!」
イホウンデーは叫ぶと同時に、無差別な雷の雨を降らせた。
一撃一撃が山をも焦がすほどの太さである。
海は蒸発し、地は融け、空気は焼かれて異臭を放つ。
ハイパーボリアの地形すら容易に変えてしまうような一撃である。この大陸で誰よりも信仰されていた女神が彼女だったが、その信仰に過去の隆盛の面影は無い。
ツァトゥグァによって大陸の信仰を奪われてしまった彼女は、もはやこの島に遠慮する事などないのだ。
瞬く間にシェルターを砕かれ、アトラはイブを抱きしめながら吹き飛ばされた。
「うぐっ……!」
数百メートルも地面を削り、ようやく止まる。
魂だけの存在とは言え、同じ邪神であるアトラをものともしない強さ。
「シャタク殿は……!」
イブがもう一人の名を呼んだとき、天空の一箇所で、雷撃は弾き飛ばされた。
そこに浮かぶのは、真珠色の球体である。
珠が解けると、それは翼と尻尾になった。元に存在するのは、金髪碧眼の少女。
「とんでもない一撃ですね……。流石は神の一柱です」
「たかが天竜種の生き残りが、大した出世をしたものね……。その気配、完全に私たちと同じ側の化け物じゃない」
「望んで得た力です!」
シャタクが飛翔する。
拳を前に構えての空中からの突撃は、まるでスー●ーマン的で実にかっこいい。
対するイホウンデーは、角に宿る魔力を開放して出迎える。
「だったら、その力ごとぶちのめしてあげるわ!!」
角から放たれたのは五色の輝き。
赤い輝きが燃え上がり、青い輝きが凍りつき、黄色い輝きは目を眩ませ、白い輝きは全てを押し流し、緑の輝きが侵食してくる。
シャタクはこれを、真っ向から受け止める。
むき出しの手足にまで、真珠色の装甲が浮かび上がる。
彼女自身が放つ輝きが、イホウンデーの攻撃を跳ね除けるのだ。
「あんたうざいわね!! 物理以外無効って何よそれ!!」
飛び込んできたシャタクを、イホウンデーは吼えながら迎え撃った。
拳と角が激突する。
鈍い金属音が周囲一体に鳴り響く。
二者の激突が、彼女たちの足元にクレーターを作り出し、重力に異常を生じさせる。
「私は、あんたみたいな女嫌いなのよ!」
イホウンデーの腕がシャタクの翼を握りしめ、力任せに地面に引き摺り下ろした。
「私もあなたが嫌いです!」
シャタクは尻尾で、したたかにイホウンデーの横っ腹を打ち据える。
「何よ! 気が合うじゃない! だけどあんたは大嫌い!」
イホウンデーの蹴りがシャタクの太ももを腫れ上がらせる。
「同感ですね! だからとっととやられてください!」
シャタクの拳がイホウンデーの顔面に青タンを作った。
「何言ってんのよ! 新参者はベテランを敬いなさい!」
イホウンデーのパンチがシャタクの頬骨に青あざを作る。
「お局様はそろそろ大人しくしていたらどうでしょうか!」
シャタクの肘がイホウンデーのこめかみを切って血を流させる。
「あああ、もう!!」
「埒が明かないですね!!」
二人は回避を捨てて、全力の一撃を拳に込めた。
放つ。
これは渾身のクロスカウンターである。
並のレッサー・オールドワンズであれば、一撃で消滅させるような威力が篭った拳が交錯し、お互いの顎にヒットした。
「……やるじゃない」
「……あなたもです」
二人はニヤリと笑いあうと、そのまま膝から崩れて倒れこんだ。
ダブルノックアウトである。
「女子こわい」
守の呟きに、ナイアーラトテップも真剣な顔で頷いた。