8月5日、サマータイムラプソディ
「起きてください、マモル様。ねえ、起きて……」
優しく揺り起こされる夢。
耳に聞こえるのは、柔らかな少女の囁き声。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
ああ、僕はこの数日夢を見ていた気がする。
そう、全ては夢オチだったのだ。今は夏休みの惰眠をもう少しむさぼりたい……。
「どうしましょう、マモル様が起きません」
「ほう、ではシャタク殿、今のうちに好きな事をしてしまってはどうか」
「まあ、イブさん名案ですね」
パジャマのズボンが下ろされる気配がして、股間がスーッとした。
こ、これは……! パンツまで下ろされた!
「オーケー、二人とも、ちょっと待って欲しい……やめてイブさん、その手を離して!」
「なんと、マモル様は禁欲的なのだな」
「ちょっと残念です……って、マモル様、もう午前八時ですよ。寝坊です」
下半身裸と言う状態で守は起床した。
視界の隅には真っ白なハンモックがぶら下がっていて、一糸まとわぬアルビノの美女がぐうぐう眠っているが、そっとしておく。
「ええー、午前八時って早くない? せっかくの夏休みなんだから、もうちょっと惰眠を貪りたいなあ」
「いけません。今日の午後から邪神会議があるんでしょう? だったら、それまでの時間は私たちと遊んでもらわないと!」
「シュクダイとやらもあるのだろう? 我はこの世界の学問に興味があってな。ちと覗かせて欲しい」
守はズボンを穿く事も許されぬまま、連行されていった。
いらないというのに、甲斐甲斐しくお世話をされて普段着に着替える。
顔を洗って居間に来ると、父がのんびりとタブレットを見ていた。
伊調家では随分前から新聞を取らなくなったので、もっぱら父の習慣は、タブレットを使ったニュース探しだ。
来週いっぱいは有休消化のために家にいるらしい。
母は目に見えてウキウキしている。
週末には、また二人で泊りがけで出かける予定があるそうだ。
アツアツである。
「それじゃあ、朝はどうするのさ。宿題やるの?」
「うむ、それが良いでしょう。我が手伝おうではありませんか」
「イブさんは宿題の内容を研究したいだけでしょう。シャタクさんも一緒にやるの?」
「私はお母様にお料理を教えていただく約束になっているんです。マモル様が大好きなハンバーグやステーキと言ったお肉料理をマスターして見せます」
三人で朝食を摂った後、シャタクは後片付けがてら、母と料理の勉強に。
守は自室で宿題となった。
普段は学習机を使うが、今日はイブがいるため、座卓を出してきてそこで勉強する。
二人分の座布団を敷いた。
「ほう……これがこの世界の学問……。我はハイパーボリアでは、既に教える立場になって久しかったからな。弟子たちは元気であろうか」
イブが置いて来た弟子たちは、その後彼女が集めた知識の断片を編集し、エイボンの書という魔道書を作るのだが、それはまた後の話である。
久方ぶりに学ぶ立場となり、イブはウキウキした様子で、守がめくる問題集を覗き込んでいる。
「ほほう……。ほーっ。なるほどのう……。おおおお、そ、そんな切り口があったのか……。後世の学者も馬鹿にはできぬなあ」
すっかり守に対してもフランクになったイブである。
宿題をする守に体をぎゅっと密着させて来る。
ちなみに、イブは普段、丈の短いへそだしタンクトップにローライズのカットジーンズ姿。スレンダーでかっこいいボディがむき出しで、実にムラムラ来るのである。
それが恐らく天然で体をぐいぐい押し付けてくる。
彼女の脳内は知的好奇心でいっぱいであろう。こんななりなのは暑いからだ。
「い、イブさんくっつきすぎでは……」
「なに、良いではござりませんか。我とマモル様は褥を共にした仲でしょう、これくらいの密着では……いや、これくら密着せねばシュクダイをしっかり見ることができぬ」
本音はそれか。
イブの妨害にも負けず、守は海に行っていて出来なかった分まで宿題を完遂させる。
きっちりとこなしていけば大した量では無いのだ。
イブが終わった宿題を見せて欲しいと言うので、守は問題集一式を彼女に手渡し、まずは大きく伸びをした。
天に伸ばした拳が白いハンモックに当たる。
アトラお手製のハンモックはゆらゆら揺れると、ぐうぐう寝ていたものが目を覚ました。
「何じゃ、朝か!」
「もう昼ですよアトラさん」
「朝も昼も変わらんわ。日が照っておるのだからのう」
家の中では裸族主義らしい彼女は、申し訳程度に糸で必要な部分だけを覆い、守の部屋に降り立つ。
彼女はむき出しのおなかをぽりぽり掻きながら、イブが熱中している問題集を覗いた。
すぐに顔をしかめると、
「わからんのう。そんな物の何が面白いのじゃ! 此方はもっと建設的な事がしたい! あの塔とあの塔の間を糸で結んだりじゃな……」
アトラは窓の外から見えるマンション二棟を指差す。
「アトラ殿、建物を糸で繋いでどうされるのですかな」
「何を言う! 糸で繋いでそれで終いじゃ。それ以上にやる事などなかろう」
流石は世界が滅びる時まで巣を張り続けるというアトラク=ナクアである。糸を張ることそのものが目的とは。
「それはそうと、腹が減ったのう。何も食べなくても問題は無いのじゃが、この身体はこちらの世界に引っ張られていかんな」
「今、シャタクさんがお母さんと料理を作ってるから、もうちょっと待ってね」
守は買い置きしておいたマイポテチを差し出した。
「おお、これは済まんのう。何じゃこれは! 芋を薄切りにして揚げたやつか! 人間と言う奴は、妙ちくりんなことを考えるのう」
そんな事を良いながら、アトラはパリパリとポテチを食べ始めた。
なかなか美味そうな音を立てて食べるので、守も思わず物欲しそうな顔をして見ていると、
「マモルも食べたいのかや? それ、元はお前のものじゃ。食べるが良い」
アトラが直接、守の口元までポテチを差し出してきた。
これは俗に言う、あーん、と言う奴では無いだろうか。
守はありがたく頂いた。
「アトラさんは蜘蛛なのに好き嫌いないよね。僕も食べられるものなら大抵大丈夫だけど」
「体の方は世界が滅びるまで巣を張っとるからのう。せめて魂の此方くらいはフリーダムに暮らさねばバランスが悪いじゃろう」
二人でぼりぼりとポテチを貪っていると、昼食の呼び出しである。
本日は素麺であった。
邪神とその眷属たちがずらりと並んで、素麺を啜る。
最初は箸使いに苦戦していたイブとアトラだったが、
「マモル様と常識を同調するようにキスをすると、箸使いも上達しますよ」
というシャタクの言葉に目を光らせた。
「ふ、二人共落ち着いて!? ねえ、今はご飯食べてるからさ、また後に……むぎゃーーー」
「おお、面白いように箸が使えるようになったのだ!」
「ほほーう、マモルのキスは使えるのう。此方も何かあればまた活用させてもらおう」
「ううっ、なんて強引な人たちだ……。例えどれだけ性欲に支配されたティーンの若者と言えど、こんな生活では毎日賢者モードだよ……!」
「それじゃあマモル様、最後は私が……」
「えっ、シャタクさんは必要ないでしょ……ってなんで服脱いでるの!? 今は真っ昼間だし食事が、アッーーーー」
素麺はすっかり伸びてしまったので、シャタクが新しいのを茹でたらしい。
いよいよ午後から、会議の準備である。