8月1日、神はTボーンステーキを手に降り立った。
この物語は、ダチが女になりまして。のスピンオフですが、別に読んでいなくても全く問題ありません。
夏期特別講習を終えた夕方の事だった。
伊調守は我が家で行われたささやかな晩餐の最中、突然周囲の風景が変化した事に気付いた。
明々と灯る蛍光灯の輝きではなく、それは松明が照らし出すぼんやりとした明るさ。
空気はこもり、ざわめきが空間を満たしている。
守が視線を下げると、そこには金色の波がたゆたっていた。
それが、豊かに広がる金髪である事に気づいた時、彼女は顔を上げた。
青く澄んだサファイアの瞳が守を射抜く。
らしくもなく、守は息を呑んだ。
瞳は潤んでいて、その神秘の泉に見据えられると、飲み込まれてしまいそうな気持ちになる。
白皙の肌は澄み、美しくカーブを描く鼻梁の下には、小さく形の良い唇があった。
「お待ち申し上げておりました、我らが神よ……!」
手足がすらりと長く、所々肌を露出したドレスが、華奢な体を包んでいる。
少女は守を見上げた後、再び跪いた。
「我が身は、御身のために捧げられた贄にございます。我が身を糧として、御力を我らのために振るって下さいませ」
「君の名前は?」
「シャタク、と申します。我らが神よ」
悠然と、出現した神は道を往く。
付き従うは、最後に残された巫女シャタク。
「状況を説明してもらえる? 僕、Tボーンステーキ食べてる最中だったんだけど」
「はい。我ら蛇の一族は、悪神と手を結んだ鹿の女神の軍勢により、今まさに滅びの危機にございます。この状況を覆すため、一族の巫女全てが身を投げ打ち、御身の召喚に成功いたしました」
「えっ、みんな死んじゃったの」
「はい。そも、この召喚が成らねば、どちらにせよ我らは悉く、邪教の徒の手によって殺された事でしょう。ただ徒に死すための死ではなく、これは一族を生かすための死でございます」
「なるほど、これは異世界召喚なんだね」
「ご理解いただけて幸いです。いと賢き我らが神よ」
二人の会話を、強烈な怒号が遮る。
地下に存在していたらしい、守を召喚した神殿。そこから地上へやってきたのである。
出口は小高い岩山の中腹に開いた、巨大な裂け目である。
眼下には、激しく切り結びあう人々がひしめいていた。
相手は、中世ヨーロッパ風の甲冑を身につけた人間たち。
圧倒的に数が多く、彼らの中に散在するローブを着た連中が、魔法のようなものを放っている。光の矢や、炎の玉がそこここで炸裂する。
対するは、明らかに劣勢な異形の鎧の軍勢。
蛇を思わせる意匠の鎧には尻尾がついていて、蛇腹構造で自在に動くようだ。
彼らは数も少なく、必死にこちらを守ろうとするのだが、人間たちの軍勢に押しやられていた。
「あー、これは、なんか、あれだ。無理だ」
守はサッと諦めた。
異世界召喚と言うと、何か特殊な力が与えられていそうなものである。
自分のステータスが見えるとか、神様と出会って直接力を与えられるとか、トラックに轢かれたりして転生して幼少期からやり直して自分を鍛えなおしながら、コネや出会いや嫁を得るとか。
「そういうの全然ないもんなー。いきなり召喚だもんなー。僕はTボーンステーキ食べてただけだもんなー」
しかも食べかけのステーキをまだ手に持っている。
とりあえず、残りの冷めてしまったお肉を口に含んでモニュモニュやりながら、
「シャタクさんごめん、この骨捨てるところないかな」
なんて聞いたのだが、
「出たぞ!! 天竜種の巫女シャタクだ!! 奴を殺せば蛇人間どもはおしまいだ!」
ウオオオオオオオオオオオ!!
一際目立つ、輝く杖を持った男が叫んだ。
その声に呼応して、人間の軍勢が怒号を上げる。
物凄い声だ。守の言葉なんかかきけされてしまう。
「あのー、シャタクさん、ゴミ捨て場………」
ウオオオオオオオオオオオ!!
「ゴミ……」
ウオオオオオオオオオオオ!!
守はイラッと来た。
ちょっと抗議してやろうと、日の当たる場所に歩みを進める。
守を日差しが照らし出す……。ふと、その光が翳ったように感じた。
ウオオオオ………オ……オ………ッ……。
怒号が、守の登場と共に、見る間に弱まる。それは戸惑いを含んだ響きに変わり、尻すぼみになって消えていく。
守はそこから、戦場を睥睨した。
静かにしてくれと言いに来たのに、自分が出てきたら一気に静まってしまったのだ。
居心地が悪いったらない。
しかも、戦場の視線は守に集まっている。
人間たちは誰もが、目を剥き、呆然として、守を見つめていた。
学校や道端で、よく見る反応である。
守は少々変わった風貌をしていると自負しているから、そういう変わった物を見るように接されたり、腫れ物に触れるようにされるのには慣れていた。
だが、これは少々オーバーではないか。
幼い頃からの反応に慣れ、ハートが鉄製と自負する守でも、少々傷ついた。
「なんだ、あれ、は……」
「ああ、あああああ……!」
「恐ろしい、恐ろしいぃぃ……!」
「ひいいい」
人間たちの口から上がる呻き声は、正気のものではなかった。
誰もが瞬きすら忘れて目を見開き、守から視線を外す事ができない。彼らは棒立ちになったまま、相対していた蛇人間たちに斬り捨てられて行く。
その他の人間たちも、我を忘れてただじっと、守を見つめる。
彼らは一人、また一人とへたり込み、ただただ呻き声を上げるだけの存在になっていく。
急速に、戦場は静寂に支配されていくのだ。
「馬鹿な……そんな馬鹿な……。ありえない、こんなのありえない、まるでチートじゃないか……。中ボスじゃなかったのかよ……。なんで、なんでここでこんなラスボスみたいなのが出て来るんだよ……」
人間たちを率いていたらしい、輝く杖を持った男。
まだ少年にも見える若者だったが、彼は呆然と口を開き、目、鼻、口という穴から水分を垂れ流して、守を見つめていた。
もちろん、守はまだ何もしていない。
戦場全体から良く見える場所に、姿を現しただけだ。
そして、守を正視した人間たち全てが、その正気を失った。
「なるほど、これが僕が異世界転移して得た力というわけだな」
「我が神よ……。素晴らしい御力です」
シャタクが感激して涙を流している。
守の力……それは、相対した敵が守を正視すると、正気を失うというもの。
心神喪失状態になった者など、どれほど強い力を持っていたとしても意味がなくなろう。
それにしてもあんまりな能力だ、と守は思う。
自分の精神衛生を考えて欲しい。
救いは、この傍らにいる美少女、シャタクが、守を正視しても何ら影響を受けていないことであろうか。
「さあ、今のうちに! 鹿の女神の加護を受けた転生者を狩ってしまいなさい!」
残る蛇人間たちが、無力化した人間の軍勢を駆逐していく。
戦場の中心まで、人間の軍隊は完全に無力化していた。彼らを指揮していたらしい少年も、もう動かない。中空を見つめて意味不明な言葉を呟くだけだ。
彼の首が、蛇人間の刃で刈り取られる。
守はその光景を見て、グロイなーなんて思いつつも、さほど嫌悪感を感じなかった。
きっと場の空気に流されているのだろう。
そして、ふと気付いてシャタクに声をかけた。
「あの、シャタクさん、この骨捨てるところない?」
「あ、はい、それはですね」
シャタクさんが気さくに答えようとしてくれるところで……守たちは光に包まれた。