フリーライター篇3 一日を終える
午後6時。
結局挨拶回りは二人だけで終わってしまった。というのも、ノックしても出てこない。外に出ているのか、居留守なのか、あるいは見せられない何かがあるのか。
会えた人間は、303号室のサラリーマンという男。そういえばそいつに、旭岡とかいう男のことについての依頼を頼まれたが、肝心なそいつの名前を聞いていなかった。まぁいい。面白そうだから、という理由で引き受けただけなので金にもならないし、第一今の俺の仕事に関わるようなことでもないだろうし。
そいつの印象は、怪しいに尽きる。表向きは至って普通の人間を振舞っているが、何かを隠しているに違いない。根暗で、細目の黒髪男。人生に疲れきったような顔をしていたのが印象的だったな。
もう一人は203号室の女。シャツにハーフパンツに煙草。じょせいらしからぬガサツな格好だが顔はそこそこ。なんかヤンキーやってた女みたいらしく、現在は浪人中らしい。名前は確か『南野京子』だったかな。あれは普通の人間だ。
取材がてら、マンションについて聞いてみたら「どうでもいい」と俺の知り合いの女みたいなことを言いドアを閉めた。
まぁ、収穫なしだ。ひとまず挨拶めぐりをした後は部屋に戻り、俺専用の取材ノートにここまでの経過を書き込んだ。
あぁ、そういえば102号室の目無とかいう女がいる部屋も尋ねてみたが出てこなかった。期待はしていなかったし、出てこられても多分会話が弾まず(そもそも会話ができるか不明だが)終わるんだろうな。
俺の部屋である501号室の部屋は完全なワンルーム。それでも風呂とトイレがついているだけまだマシだ。一人暮らしならおそらく不便に感じることはそうそうないと思う。まぁ、多少の汚れはあるので潔癖症の人間なら許せないくらいか。それと、荷物は午後5時くらいに着いたので、これでひとまず準備はできた。
コンコン とノックされる。「はい」とドアを開くと、そこにはいわゆる爽やか系の男が立っていた。
「やぁ」
「どうも」
「僕は502号室の高村というんだ。引越しの様子を見てね。挨拶しとこうかと思ってさ」
「あぁ、そうなんですか。さっき挨拶に行こうと、そちらの部屋に向かったんですけどね」
「そうなんだ。ついさっきまで仕事でね。君の名前は?」
「似々島です。どうぞよろしく」
俺より若いと思うが、馴れ馴れしいな。
髪は首までの長さで、高身長。笑顔が似合う青年だ。
「オーヤさんから聞いたよ。一週間だってね。仕事の関係かな」
「えぇ。ちょっとしたね」あのガキ、どこまで話してんだ。
「そうなんだ。じゃあ、このマンションのことは知らないんだね」
……お、取材のチャンスかな。
「とは言っても、なにもないよ。
強いて言えば、ここはよく人が死ぬ。けれども警察は来ないし、気付いたら行方不明扱いにされている。君みたいな新入りは結構死んでいるんだ。でも、外に漏らしてはいけない。誰かに言っても信じてもらえない。そんな、怪談みたいな話だよ」
なんもなくねーだろ。なんだそりゃあ。
「多分、今夜も誰か死ぬね。うん」
高村とかいう男は爽やかに笑う。頭がおかしいのか。
ひとしきり笑った後「では、またね」といい左の502号室へ去った。
ワクワクしてきた。なんだこれは。
すぐに取材ノートに書き込む。死ぬだと!?俺が!?
いいだろう、死んでやらねぇぜ。死人が出れば、それだけネタも膨らんでいくだけだ。と、俺は軽く考えていた。そしてコンビニで買った弁当を食い、腹が満たされたところで再度オーヤの部屋に向かう。この話はオーヤなら知っているだろう。
「誰がそんなこと言ったのさ。高村?あぁ、あの馬鹿ね」
「馬鹿?」
「ただのクズよ。爽やかにみえて実は肉食系男子。女にモテまくりよ、いろんな意味でね」
相変わらずこの部屋はお菓子だらけ。甘ったるい匂いで吐き気を催しそうになるほどだ。
「まぁでも、自殺者は確かに多いね」
「その理由とかあるのか?」
「さぁてね、死人に口なし、オーヤにお菓子ありよ」最後のいるか?
「ともあれ、あんたも気を付けなよ。下手に嗅ぎまわると死ぬからね」
「……は?」
「だから、フリーライターとか知らないけど、取材できたならおとなしく見たことだけを書いてればいいのよ。私のことはこうしてね。『噂の幽霊マンションの大家は絶世の美女であり、世界最高の魔女であった!』」
んー。
「なぜ、俺がフリーライターって知ってる?」
「あんたのことを全て覗いたからね、うふん」
なんか一部気持ち悪い音声が聞こえてしまってことはまぁなかってことにして。
さらに気持ち悪いことをさらっと言われてしまったこともなしにして。
……あ、後者はなしにできないか。
薄々、俺は魔女の存在を信じてしまっていた。
なにかいろいろ引っかかるが、とりあえず部屋に戻ることにする。
自宅から送ったテレビを点け、缶ビールを飲みながら妄想の世界に入ることにした。
どうやら、このマンションの一週間は、退屈しなさそうだ。
そして今夜。俺の知らない裏側で、物語は始まっていた。