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声なし姫  作者: 奏 舞音
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 ある王国に、天使のような歌声を持つとても可愛らしいお姫様がおりました。

 人を幸せな気持ちにする優しいお姫様の歌声に、国中の誰もが耳を傾けました。そして、その歌声に聴き惚れたのは、人間だけではありませんでした。人間界とは隔絶された、魔界の民までもがその美しい歌声に心を奪われました。

 お姫様の歌声には、不思議な魔力があったのです。魔界の王である魔王は、お姫様の歌声を自分だけのものにしたいと思うようになりました。

 そうして、悲劇が起こります。

 なんと魔王は、お姫様の美しい歌声を奪ってしまったのです。お姫様の声が失われ、国中は悲しみに包まれました。国王は必死で魔王を探しましたが、魔王を見つけることはできませんでした。



 ***



「……私の姫や。お前の歌声を死ぬ前にもう一度聴きたいものじゃ」

 弱々しい声を発し、愛する娘を見つめている国王は、もう永くない。すっかり病気で痩せこけてしまったその手を握りしめながら、娘である姫メアリーは静かに泣いていた。

「まだ、魔王は見つからぬのか……?」

 国王は部屋に控える騎士に尋ねた。

 メアリーの声が魔王に奪われたのは、十二歳の時。国王は騎士達に魔王を探すように命じたが、未だ魔王の手がかりはない。人間相手では百戦錬磨の騎士達も、人間界とは隔絶された魔界に対しては赤子も同然である。

 もちろん魔界へ行く方法も魔王の所在も分かるはずもなく、国王の問いに答える者はなかった。

『大丈夫、きっと魔王様は私の“声”を返してくれますわ』

 言葉を発することができないメアリーは、器用に羽ペンを動かして紙に文字を綴る。その言葉を、メアリー付きの侍女が読み上げた。

 あまりに優しすぎる姫に、誰もが言葉を失った。


 この姫は、疑うことを知らないのだ。

 魔王が城に侵入してきた時も、笑顔で招き入れたという。一曲歌って欲しいと言われ、快く歌を歌った。

 そして、「姫の声を魔界の民にも聞かせてあげたいから、少しの間声を貸して欲しい」と言った魔王の言葉に迷うことなく頷いたのだ。

「……そうだな。では、魔王が返しに来るのを待っていよう」

 あれから六年が経つ。

 それでも魔王を信じ続ける娘に、国王は優しく微笑むことしかできなかった。



 父の見舞いを終え、メアリーは自室のソファに座っていた。夜の静けさに身を任せながら、父のことを思う。


(お父様のために、歌ってさしあげたい)


 昔は毎日のように歌っていた。

 メアリーが歌うと、みんなが笑顔になってくれたから。

 魔王に対しても同じだった。魔界がどんな所なのかは分からないが、魔王はとても寂しい所だと言っていた。

 だから、メアリーの歌声だけが救いだったのだと。魔王の真剣な眼差しを見て、メアリーには断る理由なんて思いつかなかった。少しの間だけ声を失うことくらい何の問題もないと思っていたのだ。


 しかし、メアリーを愛してくれている父や、国民たちの悲しむ姿を見ていると、このままではいけないような気がしてくる。魔王を信じているけれど、父の命の灯が消える前に声を返してほしい。

(もしかしたら、返しに来られない事情がおありなのかしら?)

 だったら、待っているよりも自分から出向いた方がいいかもしれない。


 世間知らずの優しすぎる姫が、魔王を探すために城を出ることを決めた。



 *



 真っ暗な夜道を蝋燭の明かりだけを頼りに歩く。

 外套の裏ポケットには、紙と羽ペン、少しの金貨だけが入っている。外套の下はお姫様の出で立ちがそのまま残っており、誰が見ても高貴な娘だと分かる。

 メアリーの中には変装という考えはなかったし、一刻も早く魔王を見つけたいという思いだけで動いていた。

 一本一本が細く柔らかな長い金茶色の髪、蝋燭に照らされる色白の顔、少し不安の色が宿るエメラルドの瞳。普通の娘ではありえない程に整った容姿は、ただそこにあるだけで人目を引く。

 しかし、幸い真夜中なのですれ違う者はなかった。


 うまく城を抜け出すことに成功したメアリーは、まず誰かに魔王の情報を訪ねようと街に来た。

 しかし、街の様子は昔とは大きく違っていた。


(どうして、こんなに静かなのかしら?)


 夜でも灯りが絶えず音楽が流れ、皆がお祭り騒ぎをしていた陽気な街は消え、闇に包まれた物音一つしない陰気な街へと変わっていた。

 昼間であれば、色とりどりの可愛らしい店や家々が立ち並んでいるのが見えるのだが、今は夜の闇に包まれて全てが色を失っている。声を失くしてから、父は娘を城の外に出すのを嫌った。魔王にまた何かされるかもしれないと脅えていたのだ。


 音楽が大好きだったこの国には、もう楽器の音も歌声も響かない。

 それは、皆が愛した姫がもう歌うことができないから。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


(きっと、声を返してもらえればすべてが元通りになるはずだわ!)

街の中心にある広場のベンチに腰掛け、これからのことを前向きに考えてみる。


「こんばんは。お嬢ちゃん、こんな所で何してんの?」

 突然頭上から降ってきた言葉に驚き、メアリーは顔を上げる。

 そこには、野生的な漆黒の瞳と髪を持った青年が立っていた。歳は二十歳ぐらい。青年は麻製の上着とズボンを穿いていたが、上半身に纏った布の面積が少なく、均整のとれた筋肉があらわになっている。

 装飾品を好んでつけているのか、ピアスやネックレス、指輪など身体のあちこちで宝石が光っていた。

 腰には大振りの剣が提げられており、普通ならば盗賊か何かだとすぐに分かる出で立ちをしている。


 しかし、メアリーは今まで襲われた経験などないため、何の危機感も恐怖も感じていなかった。

 世間知らずの高貴な娘がふらふらと街を歩いていれば、盗賊の青年が目をつけない訳がなかった。青年は一人で、仲間がいる気配はない。本当に偶然メアリーを見つけたのだろう。


「手荒な真似はしたくない。さっさと金目の物よこせ」

 メアリーの目の前には、先程まで腰にあったはずの剣があった。美しく磨かれた刀身に、きょとんとしている自分の顔が映る。

 ちょっと待って、というように剣をそっと押しのけ、ポケットの中から紙と羽ペンを取り出す。

 その様子を珍しそうに青年は見ていた。

『これが欲しいんですか?』

 盗賊の青年が見ていた金目の物とは、メアリーが首から下げているネックレスだった。ルビーやサファイアなどの宝石が花の模様を描いている美しい意匠。

 素直にネックレスをはずしたメアリーを見て、青年は目を丸くする。そんな彼の手にネックレスを握らせると、ますます訳が分からないといった表情をした。メアリーが話さなかったことにも、驚いていたのかもしれない。


「俺は盗賊だ。分かってんのか?」

 怖がらせるように、強い口調で青年は言った。

 しかし、メアリーは何を聞かれているのかが分からず、首をかしげる。

「まじかよ。あんた俺が怖くねぇの?」

 メアリーは目をぱちくりさせて、首をぶんぶんと横に振った。怖いだなんてとんでもない、とでも言うように。

 そんなメアリーを見て、青年はふっと笑った。

「そっか。怖くねぇのか……っはは」

 砕けたように笑う青年を見て、メアリーもつられて微笑む。青年と目が合うと、彼は罰が悪そうにそっぽを向く。

「そう言えば、こんな所で何してんだ?」

 人気のない夜更けに、メアリーのような若い娘が出歩くことなど普通はあり得ない。青年の疑問は当然だろう。


『私は魔王様を探しています。何か知りませんか?』

 インクを城に忘れてきたために、紙に書かれた文字はかすれている。しかし、読めないほどではなかった。

「魔王を……?」

 漆黒の瞳を大きく見開き、青年はまじまじとメアリーを見つめた。その視線に答えるように、メアリーは首を縦に下ろす。

「ふははっ……魔王を探そうとしているお嬢ちゃんからすれば盗賊の俺なんて怖いはずないよな」

 何故か嬉しそうに笑う青年から、目が離せなくなる。笑われても、馬鹿にされているようには感じなかった。

 こんなに楽しそうに笑う人を見たのは久しぶりかもしれない。城では、父の病気のことやメアリーの声のことで、誰も彼もが気を遣って笑わなくなっていたから。



 ひとしきり笑い終えた後、青年は腕を組んで何やら考え込んでいる。メアリーはただその様子をじっと見つめる。

「ん? 話せなくて、魔王を探すお金持ちそうなお嬢ちゃん? もしかして、あんた声を奪われたこの国のお姫様か?!」

 青年は、動揺のあまり芝居がかったような言い方になっていた。メアリーが頷くと、青年は探るような、それでいて不安そうな目を向ける。


「魔王のこと、やっぱ憎いか?」

 首を横に振ると、青年はそっか、とだけ呟いて黙り込んだ。

『魔王様のこと、何か知りませんか?』

 俯いた青年の前に、文字を突き出す。彼は眉間に皺を寄せてその文面を読み、逡巡した後、答えた。

「……知ってるよ」

「……っ!?」

 メアリーの声にならない声は、ただの吐息として発せられた。

 偶然出会った盗賊の青年が、今まで騎士団がどれだけ探しても見つからなかった魔王のことを知っている。メアリーは感激して泣きそうになった。

 これで、父のために歌を歌える、と。

「魔王は、というか魔界の民は実は人間界に多く存在しているらしい。だから、人間界にいる魔界の民を見つけて魔王の居場所を聞けばいい」

 それは、初耳だった。

 魔界と人間界は完全に隔絶されていて、魔界の民がこちら側に来ることなどできるはずがない。

 しかし、現に魔王は人間界でメアリーの声を奪った。二つの世界の均衡はもう崩れていたのかもしれない。


「もういいだろ。俺は帰る……おい、離せよ……いや、離してくださいお姫様?」

 思わず、というか意図的に青年の腰布を握っていた。こういう時、人間は思わぬ力を発揮するもので、メアリーが逃がすまいと掴む手の力は青年でも振りほどけないほどに強かった。

 魔王に繋がる手がかりをみすみす逃す訳にはいかないのだ。


「絶対嫌だからな、魔王探しなんて。俺はお姫様を助けるための騎士なんかじゃない。ただのちんけな盗賊だ」

 メアリーが掴んでいた腰布をあっさり解いて、青年はどこかへ行こうとする。その後を追いかけようと慌てて立ち上がったメアリーだが、足がもつれて勢いよく転んだ……と思ったのに、その身体はしっかりと支えられていて、足はちゃんと地についていた。


「はぁ……お姫様が護衛の騎士も連れずに何やってんだか」

 青年の大きな身体に抱きとめられ、放心状態のメアリーの耳に溜息混じりの言葉が届く。引き締まった筋肉の感触、冷たい金属の感触を間近に感じる。

 どくどくと早鐘を打つ心臓は、じっとしているのに治まる気配はない。


「……仕方ねぇな。俺を引き止めたのはお姫様だ。後悔しても知らねぇぜ?」

 身体を引き離し、青年は悪戯な笑みを向けた。どこか悪魔的な危険な微笑み。それでもメアリーはこの偶然が偶然とは思えず、青年を魔王のもとへと導いてくれる使者だと信じて疑っていなかった。



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