はじまり
勉強不足ですべてにおいて設定がめちゃくちゃでとても申し訳ないです。一人一人のキャラクターには強い思い入れがあります。
僕はそれまで女の子とすれちがって思わず振り返ったりとか、そのしぐさや表情が目に焼きついてはなれなかったりとか、そんな経験をしたことがなかった。女の子っていうのはみんな優しくて、清潔で、愛されるべき天使のようにいつも笑顔をふりまいているとても安全な存在で、ある程度人に愛されて幸せに生きてきた僕にとっては何の違和感も与えない同種の生き物だった。
オイ、ユウ、フィルムダシテクレ、
だから初めてだった。一人の女性をこんなにみつめたのは初めてだった。
その人は濃い紫のワンピースを着ていた。
艶のある黒髪が透き通るように白い肌の輪郭にそって背中のあたりまで流れていた。
瞳は雨に濡れた森みたいに深い緑色で、その視線は静かに強く僕を押さえつけた。
オイ、ユウ・・・・
「悠!」
宮元さんの声にびくっとして現実に引き戻される。
「あっハイ!すみません。・・・・えっと」
僕はとっさに肩にかけていた大きな麻のカバンの中を探ったが、求められたものがわからず宮元さんのほうをちらっとみた。宮元さんは大きなカメラの背部をあけ巻ききったフィルムを僕のほうに差し出しながら大きくため息をついて言った。
「新しいフィルム。」
僕は急いでカバンからフィルムケースを探して新しいフィルムを取り出し、宮元さんの手のひらの上のそれと交換した。とり終えられたフィルムを大切にケースにしまい、さらにそれをしまうための袋を探した。
「頼むよー。この仕事大事な仕事なんだからさー。失敗したら今回だけじゃなくて今入ってる仕事もやばくなっちゃうよ。」
言いながら新しいフィルムをカメラにセットして背部のふたをしっかりと固定すると僕の方をみてニヤッとする。
「まぁあんなにいい女が目の前にいたんじゃぼけっとしててもしょうがないか。」
見られてた。と思うとかーとして耳の端まで熱くなっていくのがわかった。
女の人にみとれたのも初めてだったけど、人に図星をつかれてものすごく恥ずかしくなったのも初めてだった。頭の中は動転してるし、胸のあたりはざわざわする。
「そんなんじゃ・・・。」
精一杯いえたのはそれだけだった。
「かわいいねぇ悠君は・・。」
宮元さんは小刻みに肩をゆらして笑い続ける。
からかわないでください。
僕の口からその言葉が飛び出す寸前に宮元さんはレンズと向き合った。僕はのどの先まででかかっていた言葉をぐっと飲み込んだ。レンズを通してその先を覗く宮元さんの周りの空気が止まり緊張が走る。誰も寄せ付けない、近づくことなんてできないオーラ。普段はふざけたオヤジで女好きでちゃらんぽらんなこの人に僕がどうしようもなく憧れる理由がそこにあった。レンズの向こう側には獲物がいるんだ。すごく強くて、美しくて、この人の目を通してじゃなきゃみえない獲物が、そしてこの人は必ずその獲物の心臓を打つ、絶対の自信を持って。カシャっとシャッターの音がすると止まっていた空気が動きだす。僕もふっと息をする。そして何度も思ったことをまた思う。かっこいいなぁ。僕もいつかこんな風に写真を撮りたい。
レンズから目を離すと僕の方を見て宮元さんはまた笑った。今度はからかった笑い方じゃなくて獲物をしとめたプロの満足そうな笑みだった。
「悠、お前のかわいい一目ぼれ記念の一枚。」
ふと目をやると宮元さんがカメラを向けていた先にはさっきの緑色の眼の人が立っていた。もう僕の方を見ていなくて隣の黒いスーツの男と話しているみたいだった。
「だからもうあの女にみとれるのはやめてくれ。仕事に集中!」
宮元さんに背中をバシッと叩かれて僕は息を詰まらせた。筋肉質の三十八歳の一撃は結構つらい。僕は苦笑いしながらこたえる。
「・・・はい。」
宮元さんは定着したファンを持つフリーの写真家で僕は高校生になった今年の春からそのアシスタントのバイトをしている。ずっと一人やそのときどきのスタッフと一緒にやってきた宮元さんは特にアシスタントを必要としていたわけじゃなかったけれど、自分に憧れて写真家をめざしている僕がアシスタントとして自分のもとで勉強することを許してくれた。まあそこにはあるコネがあったんだけど・・・。コネっていうのは僕の母親と宮元さんとの関係だ。僕の母親は14歳から僕を生んだ22歳までの8年間アイドル歌手として芸能界にいて結構爆発的に売れてたらしい。宮元さんは出身が長崎で地元の高校を出るとすぐ写真家になるために上京してフリーターをしながら写真をとって新聞社や出版社に売り込みをした。そして少しずつ仕事を頼まれるようになってその中に母のインタビューか何かの仕事があってお互い20歳の時二人は知り合った。僕の母は陽気でポジティブな人でそして何についても才能のある人間が大好きだった。だから女好きで軽いことばっかりいってちゃらんぽらんでもカメラを持つと誰よりも自分を綺麗に撮ることができる宮元さんのことをお気に入りのカメラマンとしてことあるごとに採用させた。母が引退する直前にだした最後の写真集も宮元さんによるものだった。僕は宮元さんが撮った物でもあんまり親の写真集なんてみたくないんだけど、昔一回みたその写真達は息を飲むくらい綺麗な瞬間の母ばかり収められていた。そして出会いから18年間、母が芸能界を引退してからも、友人の関係は続いている。
「友達っていっても会った頃は売れっ子アイドルと無名カメラマンだったしな、華絵さんは俺を一流のカメラマンまで押し上げてくれた恩人で、女を撮る才能を引き出してくれた被写体っていう特別な存在なんだよ。俺の思いは男女の関係を優るよ。お前のおやじには悪いけど彼女は俺にとって最高の女だ。」
昔、宮元さんは言った。いつだったか、何がきっかけでそんな話になったのか覚えていないけどそれは綺麗な夕焼けの日にふたりで落ちてく真っ赤な夕日をじっとみてたときだった。
僕は男女の関係なんて良く分からないし、ましてやそれを超える特別な存在ってのもあんまり理解してなかったけど、いつになくまじめな表情の宮元さんに圧倒されてなんとなく納得してうなずいた。
38になってもまあその辺のおばさんと比べると格段に綺麗でいつも何かおもしろいことをみつけてはケラケラしてる母のこととか、口数は少ないけど落ち着いていて母より断然優しくて小さな企業の社長をしている父のこととか、宮元さんも交えて4人で庭でバーベキューしたときのすごく楽しかったこととかを思いだしながら、年をとると色々あるんだなー。と考えていた。
そんないきさつがあって僕は小さな頃から宮元さんを知っていて、ちょっとした遠出の撮影にも何回か連れていってもらったりした。母より6つ年上でおちついた雰囲気の父とは違って、根無し草みたいに漂いながらふっとした瞬間獲物を狙う猟師に変わる宮元さんは男の僕からみても魅力的でなんか恥ずかしい言い方だけどアニキみたいな存在でいつしか宮元さんを形作っているカメラにも興味をもっていった。僕がアシスタントになりたいって言い出したとき、最初は戸惑って俺は人に何かを教えられるようなカメラマンじゃないよって言っていたけど、僕の両親からその仕事ぶりについて絶対的な信頼を受けいてた彼は二人のプッシュもあって僕をアシスタントとすることを許してくれた。特別に何かを教えるわけじゃなくただ仕事の手伝いをするだけ、学べるものがあるんならそこからかってに学べってかたちで役に立つといえないような僕に少ないながら給料も出してくれた。
僕は小学校のとき宮元さんに古いカメラをもらって、それからよく庭先の花とか、母とか父とかの写真を撮っていた。雑誌を読んだりとか、一人で電車にのって山とか湖の写真を撮りにいったりとかもしていたので、宮元さんの仕事に必要なカメラの知識は素人並ではあったけどそれなりに持っていた。
「俺の撮る写真はおまえには撮れない。でもおまえも俺に撮れない写真が撮れる様になるよ。」
宮元さんの仕事部屋に飾られてる作品に見入っている僕の頭を後ろからぐしゃぐしゃにかきまわしながら宮元さんはよく言った。僕は心のそこからカメラマン宮元祥吾を尊敬している。
「まだ本番まで一時間はあるな。舞台の感じも大体つかめたしちょっくら一服すっかー?」
右手のごっついオメガの時計を見ながら宮元さんが動き出す。黒の長袖シャツは少し薄手で宮元さんの腕に絡みつくみたいにしてきれいな線を出していた。宮元さんは長身で細身だけど筋肉質で手足が長い、とにかくすごいスタイルがいい。まつげが長くて切れ長の眼をしてる。鼻は高くて骨ばっていて、口はちょっと薄いけど癖のある感じがかっこいい。だから女好きなだけじゃなくて女によくもてる。だけど彼にとってそれは遊びとか大人の関係ってことで彼が本気で女と向き合うのはそこにレンズがあるときだけらしい。一度も結婚したことがないし、きちんとした彼女と呼べる人もいないみたいだった。
聖霊女子大学ハープサークルが催している秋の発表会の撮影が今日の仕事だった。聖霊女子大学はそこに通う学生の大半が日本有数の資産家のお嬢さんたちばかりというちょっと近づきがたい感じの大学で、僕はどきどきして構内を歩いた。宮元さんはいろんな仕事をしてきていて、この大学に通うお嬢さんたちの親にもファンが結構いてパーティー写真を撮ったり、お嬢さんの写真を撮ったりしたこともあるそうで、慣れた感じで伝統的で優雅な雰囲気の絨毯の上を平然と歩いていく。たまに昔のお客さんとすれ違うこともあった。
「あら、宮元さん。お久しぶりですわ。今日は何のお仕事ですの?また私のバレリーナ姿を撮ってくださいね。」
「お久しぶりです。またいつでもご連絡ください。私のカメラもはやくお嬢様の黒鳥を撮りたいっていってますよ。」
僕はすごく居心地の悪い感じがして宮元さんの少し後ろでぺこぺこと頭を下げながら歩いた。
外部スタッフのために用意された小さな教室一個分くらいのスペースの楽屋には6人がけのテーブルと椅子のセットが3つあり、そのひとつには加熱器で温められた紅茶とコーヒーのガラスポットが2つずつとそのためのティーカップが十数セット、マドレーヌとクッキーがのった白い器が2器綺麗に並べられていた。宮元さんはふーと息をついて椅子にすわり、テーブルの真ん中につまれた灰皿をひとつ自分の方にひきよせた。僕は持っていた荷物を宮元さんの向かい側の椅子の上において聞いた。
「コーヒーでいい?砂糖いれる?」
宮元さんは紺色のパンツのポケットからSevenStarを取り出してアンティークのzippoでくわえたタバコに火をつけていた。大きく息を吸うと薄い唇をとがらせて天井に向かって細い煙をはく。そして疲れたって感じの苦笑いで僕を見る。
「コーヒーに砂糖1杯。」
宮元さんは普段はコーヒーに砂糖をいれない。でも疲れてるときは糖分が頭の働きを助けるんだって言って一杯だけいれる。本当に効果があるかは自分でもわからないけど、とりあえず頑張ろうと思えるらしい。僕の母はそんな宮元さんをかわいいっていって笑い転げていた。
僕はティーカップを二つとってコーヒーを注ぎ、砂糖を一杯ずつ溶かすと宮元さんの前と僕の座るところにおいた。マドレーヌとクッキーののった白い器もひとつ自分達のテーブルの上に移動させて宮元さんの目の前に座る。
「サンキュ。」
宮元さんは軽く言って、僕をみてわらう。
「お前顔は華絵さんそっくりだけど、気が利くところは親父似だな。」
確かに、と思って僕も笑う。
「母さんだったら砂糖は2杯ずつだね。あの人は自分のベストが他人にも通じるっておもっているから。」
「そういや昔、めちゃめちゃ甘いシュークリームとか無理やり食わされたなー。本人は親切のつもりだし。」
「僕なんて小学校の低学年の時におしゃれとかいって変な帽子ばっかかぶせられて一時期クラスの笑いものだったよ。」
本当困るっていって宮元さんも僕も声に出して笑いだす。宮元さんが灰皿におしつけてタバコの火を消すと、僕はクッキーを一枚とって一口で食べた。クッキーはすごくしっとりしてて何回か噛んでるうちに溶けてなくなった。
「宮元さん。これうまい。」
ぱっと顔をあげた僕をみてまたクスっとしながら宮元さんもクッキーをひとつとる。でもすぐには食べずにじっくり査定するみたいに表と裏をチェックする。
「これ高いんだぞ。たかがクッキーのくせに一枚200円だ。さすがって感じだね。」
言ってぱくっと一口で食べた。値段を聞いて3枚目に伸びていた僕の手は瞬間的に止まる。僕が家で食べた中で一番高級なのは一枚だけでもかなりボリュームのあるswanのでっかいチョコチップクッキーで確か一枚100円だった。それでも1年に数回母が買ってくるくらいでそんなにほいほい食べてるもんじゃない。大きさからしたらswanのそれの4分の1もないこのクッキーが2倍の値段なんてやっぱすごい世界だな。なんて関心している僕を尻目にうん。やっぱ、うまい。とか言いながら宮元さんはぱくぱくクッキーを食べていた。
「今回の給料分ちゃんとくっとけよー。」
笑いながら僕も3枚目のクッキーをとる。そして口の中でクッキーを味わいながらあれっと思った。
「宮元さんなんでクッキーの値段なんてわかるの?」
僕の問いに反応して宮元さんは口の中に残っていたクッキーをコーヒーで流しこむとちょっと落ち着いてから、ふんっと鼻で笑う。
「俺はクッキーを誰より旨そうに撮ることだってできるんだよ。」
僕がきょとんとしていると残りのコーヒーを飲み干して宮元さんはちょっと嫌そうな顔をした。
「上京してすぐの頃なんでもいいから仕事くれっていってとった仕事がデパートのチラシ用の撮影だったんだよ。あの時はこのクッキー相手に1時間もシャッターきったから色も形も表面の感じもしっかり覚えてて今見たときもすぐわかった。」
まあ昔のことだって感じで最初の量から半分くらいになったクッキーの白い器に視線を落としてひとりごとみたいにつぶやく。
「でもあの時はこんなバカ高いクッキー誰が買うんだ?って思ってたけど、こうやって皿いっぱいに出してくるやつらもほんとにいたんだな。」
宮元さんはいろんな仕事してきたってきいたけどデパートのチラシ撮影の話を聞いたのは初めてだった。今でこそ自分の好きな人物や動物を撮る仕事を多いけど、最初の頃はほんとにいろんな仕事をしてたんだ。そう思うとカメラマンとしての宮元さんを少し身近に感じた。
自分をじっとみつめる僕の視線に気づいて宮元さんはちょっと赤くなった。
「なんだよー。笑いたきゃ笑えよ。怒らねーよ。」
そんな宮元さんの様子をみて僕はクスっと笑ってしまった。
「おかしかったんじゃなくて、ちょっと考えてたの。僕もいろんなものを撮りながらいつかは宮元さんみたいに自分の形ができたらいいなー。って。」
宮元さんは真顔になって右手で頬杖をつくと5秒くらい考えてから言った。
「悠。おまえってほんとに素直だな。そんなんじゃ悪い女にだまされるぞ。」
「なんでそういう話になるわけ!意味わかんないよ!」
「まあいつか分かるよ。俺ちょっと便所いってくる。」
むうとふくれる僕をおいて宮元さんは部屋を出て行った。僕は、なんだよ。と思いながら今度はマドレーヌに手を伸ばす。一口たべるとふわーとオレンジの香りが口のなかに広がった。
まあ宮元さんが人をからかうのっていつものことだし、これくらいであんまりイライラしてちゃあの人のそばにはいれないよなー。
口のなかのおいしさで心も平和になったので僕はそう考えることにした。そしてふっとその値段がきになってマドレーヌをまじまじとみつめてしまった。
マドレーヌを食べ終わると空になったカップを使用済みカップおきばにおいて御菓子類の入った白い器をもとの場所に戻した。
そしてかばんの中から二つ折りのA4のプログラムをとりだすとテーブルの上に広げた。
演奏会は1時から6時の予定で1番から28番までの演奏者名、曲名、作曲者名が記されていた。僕は今までハープの曲を聴いたことがなくてそこにのっている曲名も全部わからないものだった。プログラムをみながらどの辺でフィルムを交換するかとか、写真は全部で何枚くらいかとか、現像するのにどのくらい時間がかかるかとかいうことを考えていると会場の方から僕のいる休憩部屋に向かってゆっくりと歩いてくる女性物の靴の音が聞こえてきた。
そしてその足音の人が部屋に入ってくる気配がして、僕が入り口の方に目をやるとそこにはさっきの緑の眼の人が立っていた。
「あなた宮元さんと一緒にいらした方よね?彼はどちら?」
僕はビックリして椅子から立つと彼女の方を向いて気をつけをしてしまった。
「あえっと宮元さんは・・とうう・」
トイレです。と言いそうになるのをお手洗いです。と言い直そうとして慌ててかみかみになってしまった。
「お手洗いに行きました。」
彼女は僕の慌てぶりを笑うでもなく無表情に
「あら。そう。」
といって左の手首にはめられたキラキラした時計を確認した。
「彼に伝言していただけるかしら。今日発表会の後にマリオットホテルで懇親会がありますから是非出席してください。あなたに会いたがってる子がたくさんいます。その後少しお話がありますから懇親会が終わったらバーの方にいらして下さい。」
そして次次と言われて困惑している僕をちらっと見た。
「よろしいかしら?」
「はっはい。」
彼女はふうとため息をつくと緑色の目でぐっと僕を捕らえた。静かで強い視線。会場で目が合ったときと同じで僕は石になったみたいに動けなくなった。
「少し頼りないけれどきちんと伝えてくださいね。お願いよ。」
それだけ言うとさっと身をかえし部屋を出て行こうとした。艶のある髪がふわっとゆれてそれまで髪の下に隠れていた薄紫色のイヤリングがキラッと光った。
僕は彼女の視線から開放されて我に帰って慌てて呼び止めた。
「あの!」
彼女はぴたっと止まってゆっくりと振り向いた。
「何かしら?」
不服そうな表情だった。
僕は胸がきゅっとなるのを感じながら小さな声でいった。
「お名前を教えてください。」
彼女は一瞬あっけにとられたような表情をした。
「あら、ごめんなさい。知っているものだと思いましたの。望月由莉華です。今日のサークルの会長です。」
アシスタントできてるくせにそんなことも知らないの?と非難されたみたいだった。
「あっすみません。情報不足で・・・。」
「もうよろしいかしら?」
僕は胸につかえている疑問を頭の中で繰り返した。どうしよう。どうしよう。でもこの人は迷っていたらすぐに部屋から出て行ってしまうだろう。僕は彼女の目を見ることができなくて床につきそうなくらい長いドレスの裾から覗く黒いパンプスの先をみつめていた。息を飲みこんで思いきって口を開いた。出てきた声はさっきより小さくて蚊のなくようなっていう表現がぴったりあてはまる声だった。
「宮元さんとはどういうご関係なんですか?」
10秒くらいの長い沈黙が続いて僕は声が届かなかったのかと思いふっと顔をあげた。瞬間またあの視線に捕らえられた。それは今までで一番冷たい感じのする視線だった。彼女はもう話すのも嫌だと言う感じで重そうに口を開いた。
「宮元さんにお聞きになって。・・・私もういきますわ。」
くるっと振りかえって部屋をでていった。カツカツというヒールの音だけが僕の真っ白な頭の中で響いた。もしかしたら僕の質問ってものすごく失礼なことだったのかも・・・。僕は二人の関係がどんなものなのかとかそんなことよりもその冷たい視線がすごくショックで本当に胸をつかまれる様な苦しい気持ちになった。ぐっと両手を握り締めた。
そしてこんな気持ちの時どうしたらいいのか分からなくて、本当にどうしてだか分からないけど、僕は部屋をでて走って彼女を追いかけた。彼女は毅然とした感じで優雅な絨毯の真ん中をまっすぐに進んでいた。僕との距離は10mくらいだった。僕と彼女の間には綺麗に着飾ったお嬢さんとか品のいい感じのおばさんとか十数人の人が立ち話をしたりプログラムを見ていたりしたけど、僕にはもう背景にしか見えなかった。
僕がお客さんの間をぬうように走って彼女の右手首をつかむと彼女はものすごくビックリして振り返った。僕はそんなこと全然気に止めないで、走ったのと緊張で少し荒くなってしまう息を整えながらいった。すみません。失礼なことを聞いてしまって・・・。彼女はずっとビックリしている感じで何も言わなかった。その眼はさっきみたいに僕を押さえつけるような冷たいものではなくて磨きたてのクリスタルみたいにキラキラしていた。僕はホントにそんなこと聞くつもりじゃなかったんだけどその眼に引き込まれるようにぼーとして口を開いた。
「会場にいたときどうして僕のことあんなににらんでたんですか?」
僕は自分の口からでた言葉にびっくりして彼女の手を離した。うわっなんてこと聞くんだよ。最悪だ。
彼女は僕がつかんでいた右手首を左手で押さえながら、僕から視線をそらすようにつんと横を向いた。。
「にらんだなんて人聞きがわるいわ。あなたの勘違いじゃありませんの?」
キラキラする時計と透明と薄紫色の石が並んだ二連のブレスレットがまぶしいくらいに光を反射させた。
「でもあんなにはっきり・・・・。」
つぶやくような僕の言葉に刺すような声がかぶさった。
「もし本当にそうならば・・・」
ぱっと挙げた僕の顔に浴びせるように彼女は冷たく言った。
「あなたのことが目障りだったんではないかしら?」
その眼はきっと空の空間をにらんだままだった。僕はただ呆然としていた。
くるっと向きを変えて歩き出す背中をただみつめるだけだった。
「悠。どうしたんだ。暗いじゃねえか。」
トイレから帰ってきた宮元さんが椅子にすわって僕の顔を覗き込むのがわかった。
僕はうつむいてプログラムの28番目にあった望月由莉華の文字をじっとみてた。
何も返事がないので宮元さんはちょっと困ったみたいに言った。
「さっきのことまだ怒ってんのか?」
僕は少しだけ首を横にふる。宮元さんと話したくない訳じゃなかった。ただ奥歯をかみ締めて感情を押さえるのがやっとだった。
宮元さんは本当に困ったみたいで腕を組んでしばらく黙っていた。そして話し出した。
「便所から帰ってくるときにまた客にあったよ。ほんと金持ちのお嬢さんの相手は疲れる。仕事する前から俺の胃に穴あけるなってんだよなー。」
言葉がむなしく宙に消える。宮元さんが気を使ってくれるのがわかって僕はすごく申し訳ない気持ちになった。どんどん辛くなる気持ちを押さえるために両手のこぶしをぐっと握り締める。
「悠!」
バンっと宮元さんが右手の手のひらでテーブルを叩く。僕はうつむいたまま堰をきったように口を開く。
「さっき望月由莉華さんって人が来て伝言頼まれたよ。今日の発表会の後マリオットホテルで懇親会があるから出席してくださいって。宮元さんに会いたいっていう子がたくさんいるって。あと・・・懇親会の後話があるからバーに来てくれって。」
宮元さんは、ああっ。てちょっと頼りない返事をした。
「あと・・・。」
僕は少しだけ顔をあげて宮元さんをみる。宮元さんは感情のよめない表情で僕をじっとみていた。僕は宮元さんと視線をあわせたまま言った。
「僕のことが目障りだって。」
宮元さんは僕をじっと見たまま何も言わなかった。僕は自分の目頭があつくなるのが分かった。
「僕もトイレいってくるね。」
必死に笑顔を作って部屋をでた。宮元さんはずっと何も言わなかった。こんなことで泣きそうな自分が情けなかった。
トイレで顔を洗って深呼吸して休憩部屋にもどると宮元さんが言った。
「悠、お前今日は帰れ。」