妹に尽くしてひとりで死ぬ。それが私の運命……などではありませんでした。
登場人物
レティシア:主人公で、ミラティナの姉。「妹に尽くして死ぬ」ことが天命とされており、王位継承権を放棄。すべての婚姻も断って政務に励んでいる。
ミラティナ:ルエリス王国の女王。本来、王位継承権は姉のレティシアにあったが、天命によって放棄されたため代わりに玉座に座った。
レオンハルト:隣国の皇帝。まだ10代の若者だが、レティシアに強く惹かれている。
ガルスト将軍:帝国の将軍、豪快な老将。
ハルベルト侯爵:帝国の老貴族。気難しい性格。大きな犬をたくさん飼っている。
夢の中で、私――レティシア・ルエリスは政務に追われている。
いつもの机。
いつもの椅子。
報告書が山になっている。
扉が開いて、ルエリス王国の女王であり妹のミラティナが入ってくる。
「お姉さま、こっちもお願い。急ぎでね。
わたしはお茶会があるから、よろしく」
新しい書類の束が机に置かれた。
返事を待たずに、妹は出ていく。
書く。
日が暮れても、書いている。
季節が変わる。
月日が流れた。
窓の外に枯れ葉が散っている。
同じ机、同じ仕事。
手の甲に、薄く皺が出ている。
妹がまた来る。
「パーティに行ってくるわ。
そのあいだに仕上げておいて」
書類を置いて、振り返らずに去っていく。
名前を呼ばなかった。
目も合わせなかった。
侍女が廊下で話しているのが聞こえる。
「姉王女さま、まだあのお部屋にいらっしゃるの?」
「お可哀想に。でも、妹に尽くすのが天命ですもの」
季節が変わる。
数十年が経った。
雪が降っている。
ペンを持つ手が震える。
書いた文字が自分で読めない。
最後に誰かと口をきいたのがいつだったか、思い出せない。
呼吸が、少しずつ浅くなっていく。
使い尽くされて、忘れられて。
独りで死ぬ。
毎回、同じ結末で——
目が覚めた。
寝台の上で自分の手を見る。
まだ若い。皺はない。
「……また、あの夢」
政務に携わり始めた頃から、同じ夢を繰り返し見ている。
十日に一度。
多いときは五日に一度。
眠るのが怖くなったのは、いつからだっただろう。
繰り返すうちに、笑い方を忘れた。
冗談の言い方を忘れた。
人と話すのが、億劫になった。
昔は違ったはずだ。
でも「昔の自分」がどんな人間だったか、もう思い出せなかった。
◇◇◇
「お姉さまの淹れるお茶は本当においしいわ」
蜂蜜色の巻き毛を肩で揺らし、ミラティナが目を細めた。
窓からの光が私の銀髪を白く照らしている。
「昔はこのお茶だけで、廷臣も侍女もみんなお姉さまの部屋に通ってたわよね。
お話が面白くて、お姉さまの笑顔が見たくて、って」
茶杯を傾けた。
「今はもう、誰も来ないけど」
侍女たちがくすくす笑った。
ミラティナが笑うと、周りも笑う。
いつものことだ。
「ねえ、北方の報告書、今日中にまとめてくれない?
あと外交文書の下書きも。
それから南方の税収記録の集計もお願い。
明日の枢密院に出すから」
四つ。
昼前に頼まれて、締め切りは今日中。
「分かったわ」
「ありがとう! お姉さまがいてくれて本当に助かるの」
ミラティナは侍女のほうを向いた。
「ねえ、お姉さまって便利でしょう?
こういうお仕事だけは早いの」
「さすがレティシアさまですわ」
「やはり天命に間違いはありませんわね」
侍女たちが微笑む。
「あ、そうだ」
扉に手をかけたミラティナが振り返った。
「今夜の晩餐会にお姉さまも出る?
……ああ、ごめんなさい。招待してなかったわ。
お部屋でお仕事してたほうがいいでしょう?
華やかな場は、お姉さまには合わないもの」
扉が閉まる。
廊下の高笑いが遠ざかっていく。
私は報告書を書き、外交文書を整え、税収記録を照合し、枢密院の資料を仕上げた。
日付が変わる前に、全てをミラティナの執務室に届けた。
そのすべては彼女の功績になる。
◇◇◇
枢密院の定例会議。
議題は南方の税制改革だった。
現地の貴族たちが税収を懐に入れていたことが発覚し、大きな問題となった。
最初に気付いたのは私。
告発の準備を整えたのも私。
貴族たちの処分と、今後の対応を考えたのも私。
――けれど、表に出るのはいつもミラティナ。
「皆さま、お待たせいたしました」
ミラティナが議場に入ってきた。
宝冠が燭台の光を弾いている。
「今回の件について、女王として沙汰を下すわ」
私が記した原稿通りに彼女が語る。
臣下たちは頭を垂れて聞き入っていた。
「承知いたしました。
女王陛下のご英断に感服いたします」
深く頭を下げた。
ミラティナが微笑んだ。
――その後の晩餐会では「貴族の不正に気付き、告発し、処分と今後の対応を決めた賢明なる女王」が皆から賞賛されていたらしい。
私は招待されず、部屋で仕事をしていたから現場は見ていない。
国境で水利紛争が起きた。
他国と河川の利用権がこじれ、双方の兵が睨み合っている。
放置すれば開戦しかねない。
私は三日三晩、過去の条約と現地の地図を突き合わせた。
水源の分割線を引き直し、下流域の灌漑事業を共同で行う提案書をまとめ上げた。
交渉の席にはミラティナが座った。
私は隣室で待機していた。
壁越しに、自分が書いた文言が読み上げられるのを聞いた。
合意が成立した。
「女王陛下の見事なお裁きでした」
使節たちの声が響いた。
拍手が起きていた。
翌週の公報に載った記事は、こうだった。
「女王陛下、東方の水利紛争を見事に調停」
私の名前は、一文字もなかった。
◇◇◇
「レティシア姫殿下。セレネード帝国の皇帝レオンハルト様より、縁談が参っておりますが」
「これで三度目ね。……どういうつもりなのかしら」
本当に理解できない。
ルエリス王国では、王族の夢には天の意思--天命が宿るとされている。
建国以来、何百年も続く慣習だ。
私の夢が示す「天命」は明白だった。
妹を支えて生きる。
やがて独りで老いて、忘れられて、死ぬ。
だから私は王位継承権を手放したし、縁談もすべて断っている。
「どのようにお返事いたしましょうか」
「いつものように断りましょう。
そもそもレオンハルト陛下はまだお若いわ。
どういう気まぐれか分からないけれど、いずれ目移りするでしょう」
レオンハルトは今年で十八になったばかりだったか。
私は29歳。
王国の常識で言えば「嫁き遅れ」とされる。
セレネード帝国では事情も違うのだろうが、11歳以上も年の離れた相手と結婚したがる意図が分からない。
この国と縁を繋ぎたいなら、他の若い王族でいいだろうに。
◇◇◇
被災地の慰問先で、その男に再会したのは偶然だった。
瓦礫の撤去を手伝っていた旅の魔導士が怪我をしていたので、手当てを手配した。
顔を上げた男が、私を見て目を見開く。
「……姫さま?」
元宮廷魔導士のグレンだ。
かつて父の代で宮廷に仕え、ある時期を境に追放された人物。
去り際に誠実な引き継ぎをしてくれたから、私も礼を尽くして送り出した。
灰色の髪を無造作に束ねた筋肉質の男性で、元宮廷魔導士というよりは元騎士と言われたほうが納得できそうだ。
「お久しぶりです、先生。お怪我の具合は」
「ああ、これはかすり傷ですよ。それより——」
グレンは私の眼を覗き込むと、表情が変わった。
「少し、お身体を調べさせていただいてもよろしいですか。
……禁呪が掛けられているかもしれません」
「どういうことですか」
「眼に兆候がありました。
《夢縛の呪》——夢を通じて、対象の認識を書き換える禁呪です」
グレンはさらにこう告げた。
《夢縛の呪》に掛かったものは定期的に同じ夢を見せられる。
それが繰り返されるうち、本人の認識が歪んでいく。
起きている間の判断まで、夢が塗り替えてしまう。
「姫さまの悪夢は、天意ではなく《夢縛の呪》によるものでしょう。
王宮を追われてから、わたしは禁呪を解く研究をしておりました。
よろしければ試させていただけませんでしょうか」
私は頷いた。
あの悪夢がただの呪いであるなら、解放を望んでもいいはずだ。
解呪は、思ったより早く終わった。
「同じ術に侵されないよう、守護も施しておきました。
掛け直されたとしても効かないでしょう」
「ありがとうございます。この恩は忘れません。
それにしても、いったい誰が……」
「禁書庫に出入りできて、あなたのそばにいて、あなたを退かせる理由がある人物です」
グレンは名前を言わなかった。
けれど、分かった。
ミラティナだ。
去り際にグレンはこう言った。
「本来、《夢縛の呪》はもっと穏やかなものです。
静かに認識を誘導するだけで、悪夢にする必要はない。
術者はあなたのことを憎んでいるのかもしれません」
それから、少し声を落とした。
「姫さまは昔、あんなに笑う方だった。
あの方がこんなにお静かになるはずがないと、ずっと思っていました」
◇◇◇
その夜。
寝台に横たわって、目を閉じた。
夢を見なかった。
朝、目を開けたとき、指先が温かかった。
身体が軽い。
頭が澄んでいた。
窓を開けると、風が入ってきた。
知らないうちに、鼻歌が出ていた。
途中で気づいて、口を閉じた。
いつぶりだろう、こんなの。
こんなにはっきり考えられるのは何年ぶりだろう。
ミラティナは《夢縛の呪》を使って私を操っていた。
禁呪を使うことは王族であっても大罪だ。
本来なら告発すべきことだろう。
けれど――
グレンから別れ際にこう言われていた。
『ミラティナさまは多くの者に禁呪を掛けております。
悪夢を見せるほどではないでしょうが、多かれ少なかれ認識を歪められていることでしょう。
思い当たる節はございませんか?』
頭がスッキリしている今なら分かる。
私が妹の代わりにあらゆる政務を取り仕切っていることは天命として誰もが知っている。
にもかかわらず、すべて妹が自分でやったことになっている。
誰も疑問を感じていない。
これは《夢縛の呪》によるものだろう。
『姫さまが告発しても、きっと誰も耳を貸さないでしょう。
自分に考えがありますので、姫さまはこの国からお逃げください』
彼の言う通りだ。
まずは外に出よう。
◇◇◇
「セレネード帝国の皇帝との縁談を受けたいのだけれど」
ミラティナの手が止まった。
茶杯を持ったまま、ゆっくりこちらを向いた。
笑顔が消えている。
「……なぜ?」
「考えが変わったの。セレネード帝国との繋がりは、我が国にとっても悪い話ではないでしょう」
「お断りしたでしょう。三度も」
「だからこそ、先方の誠意に応えてもいい頃かと」
ミラティナが茶杯を置いた。
音を立てないように。でも指先に力が入っていた。
「困るわ」
甘い声ではなかった。
「お姉さまは天命に背くつもりなの?」
「実は新しい夢を見たの。私はこの国を去るべきだ、って」
「……嘘よ」
嘘だ。
天意を偽ることに罪悪感はあった。
けれども、ミラティナから逃れるためには手段なんて選んでいられない。
「本当よ。天意を疑うの?」
長い沈黙。
やがてミラティナはほの暗い視線とともにこう告げた。
「普段と違う夢を見たからといって、天意が変わったとは限らないわ。
わたしのために働いて、老いて、死ぬ。それがお姉さまの運命だもの。
今夜はいつもと同じ夢に戻るわ」
◇◇◇
その夜。
寝台に横たわっていると、廊下で足音がした。
私の部屋の前で止まった。
息を殺した。
扉の隙間から、かすかに光が漏れた。
青白い、細い光。
グレンが施してくれた守護が、静かに反応していた。
何かを弾いた感触がある。
光が消えた。
足音が遠ざかっていく。
翌朝、ミラティナの目の下に隈ができていた。
次の日の夜も、足音がした。
今度は長かった。
扉の前に、ずっといる。
光が何度も差し込んでは消えた。
守護がそのたびに弾く。
扉の向こうで、声が聞こえた。
「なんで効かないの。おかしいでしょう」
押し殺した声だった。
続けて、小さく舌打ちが聞こえた。
「どうなってるのよ、お姉さまのくせに……!」
やがて足音が去っていった。
朝、部屋を出ると、扉の前の床にかすかな傷がついていた。
爪で引っ掻いたような跡だった。
三日後、ミラティナが私を呼び出した。
目の下の隈が濃い。
笑顔は張り付いている。
「お姉さま、夢はどう」
「変わらないわ。
この国から出ていけ、って。
私がいると災いが起こるみたい」
もちろん嘘だ。
けれどもミラティナは気付かない。
きっと睡眠不足のせいで観察力も思考力も低下しているのだろう。
以前までの私と同じように。
「……縁談、お受けになって構わないわ」
ミラティナがため息を吐いた。
「けど、あまり喜ばない方がいいわ。
セレネードの皇帝って、あの子供でしょう?
お姉さまみたいな年増のどこがいいんだか」
「私も分からないわ」
これは正直な気持ちだ。
なぜ二度も三度も求婚してくるのだろう。
私にそんな魅力があるとは思えないのだけど。
「ねえ、知ってる? 宮廷のみんな、お姉さまのこと何て言ってるか」
ミラティナが振り返った。
笑っていた。
「天命のせいで花の姫君はすっかり萎れてしまった。
要するに、枯れたババアってこと! あははっ! その通りよね!
セレネードの皇帝だって、きっとすぐにお姉さまのことなんか嫌になるわよ」
それはきっと、禁呪が効かなくなった私への精一杯の負け惜しみだったのだろう。
ババアとまで言われるとさすがに傷いたというか、ムッとしたけれど――
この国を離れるための代金と思えば、まだ耐えられる。
妹の傍は、この世で一番の地獄。
ここではない場所なら、どこだって天国だ。
◇◇◇
セレネード帝国に到着すると、まずは歓待の晩餐があった。
その席で、レオンハルトは完璧だった。
背筋はまっすぐに伸び、声は低く、よく通る。
深い蒼の瞳に、燭台の光を弾く金の髪。
年若いのに、広間の誰よりも目を引く人だった。
臣下たちの挨拶を受ける横顔には、十八歳とは思えない冷静さがある。
――あの人が、三度も私に求婚してきた人物なのだろうか。
そう思うほどに、晩餐の場のレオンハルトは「皇帝」だった。
やがて晩餐が終わり、2人きりの部屋に通された。
扉が閉まった。
一拍、間があった。
レオンハルトが息を吐いた。
肩が下がった。
背筋がわずかに――ほんのわずかにだけ、崩れた。
「三度断られたから、もう駄目だと思っていた」
最初の一言がそれだった。
声が、半音高い。
さっきまでの凛々しい様子とは全く違う。
ひとりの若者としての、柔らかな表情だった。
「実は四度目の求婚を準備していた。
それでも駄目なら、五度目をするつもりだった」
本気の声。
まっすぐな目が、私を見ている。
「3年前の交渉を覚えているか」
「……ええ。陛下がご即位されて間もない頃の」
「当時、俺は周囲から子供扱いされ、軽んじられていた。
けれどレティシア、あなたは違った。
議題を説明してくれて、俺の意見を聞いて、答えを待ってくれた」
「当然のことです。陛下は交渉の当事者でしたから」
「その『当然』をしてくれたのは、あなただけだった」
声が少し上ずった。
「あなたに興味を持った。だから調べた。
ルエリス王国の政治を支えているのはあなただ。
にもかかわらず、女王のミラティナ殿がすべて1人でやったことになっている」
「……臣下の働きは、そのまま君主の手柄になるものでしょう」
内心のざわつきを抑えつつ、ひとまず模範的な答えを返しておく。
けれどレオンハルトは首を横に振った。
「だとしても臣下の功績というものは褒めたたえられるべきものだ。
もちろん王国に伝わる天命とやらも知っている。
けれど、俺はあなたが遣い潰されている状況が我慢ならなかった」
「だから連れ出そうとしたのですか」
「ああ。もし天とやらが不満を覚えて牙を剥いたとしても、あなたのためならどこまでも戦ってやる」
レオンハルトは11歳も年下の青年だ。
けれども、そう語る姿はどんな男性より頼もしく見えた。
◇◇◇
セレネード帝国での暮らしが始まった。
伴侶として迎えられ、政務に参画する席を与えられた。
ただ、廊下ですれ違う文官たちの視線は冷たかった。
「若い陛下がまた突飛なことを」
「お相手は11歳も年上の、隣国の元王女でしょう?」
「王位継承権すら持っていない方ですよ」
「お若い陛下だから、年上に惑わされたのでは」
そんな声が噂話とともに聞こえてくる。
レオンハルト自身への評価も、高いとは言えなかった。
先代皇帝が急逝し、15歳で即位した。
有能だと認める声はある。
だが宮廷全体に「まだ子供だ」という空気が染みついていた。
「皇妃様のご到着を、心よりお慶び申し上げます」
白髪を丁寧に撫でつけた、眼光の鋭い壮年の男。
先代皇帝の時代から仕えるハルベルト侯爵が深く腰を折った。
言葉は丁寧だがこちらを値踏みするような態度を隠そうともしない。
油断のならない相手だ、と感じた。
私にとって最初の仕事は、属国間の通商摩擦の調停だった。
「ロラン海洋連合は穀物の買取価格を上げろと主張しております」
「ウルシュ公国は?」
「工業製品の関税を下げろ、と。どちらも引く気がありません。
この問題は先代陛下の御代から三年間、膠着しております」
報告官が眉をひそめた。
「双方の過去の取引記録を出してください。十年分」
「……十年分ですか」
「ええ。落としどころは、数字の中にあります」
三日かけて記録を読み込んだ。
五年前の豊作年の数字を基準に、段階的に買取価格を調整する案を作った。
ロラン海洋連合には、関税の代わりに港湾利用の優先権を提示した。
調停が成立した。
ウルシュ公国の穀物が滞りなく帝都に届くようになり、市場価格が二割下がった。
ロラン海洋連合の港湾には物流が集まり始め、周辺の雇用が目に見えて回復した。
「見事でした」
報告官が頭を下げた。
「3年間動かなかったものが、3日で決着するとは。
属国の大使たちが言っておりました。
『セレネードの新しい皇妃は、ただ者ではない』と」
報告書に、私の名前があった。
自分がやった仕事に、自分の名前が載る。
当たり前のことだ。
ルエリス王国では、そうじゃなかった。
……嬉しかった。
◇◇◇
次の案件は、帝国軍の予算再編だった。
5つの軍団が、それぞれ予算の増額を求めている。
総額は歳入の倍を超えていた。
「これは陛下のご即位以来の懸案です。
前任の宰相も手をつけられませんでした」
報告官が申し訳なさそうに言った。
5つの軍団長を個別に呼び、じっくりと話を聞いた。
「失礼ですが、戦場を知らぬお方に軍の予算を語られても」
そのうちの1人--日焼けした太い首に古い刀傷が走る老将、ガルストが食い下がった。
「前線に出たことはおありですかな」
「はい」
妹の代理として、蛮族討伐の総指揮官として出陣したこともあった。
奇襲を受け、私自ら剣を取った。
人を斬った感触はいまだ手に残っている。
そういえばあの時も手柄はすべてミラティナのものだった。
妹は宮殿でぬくぬくしていたのに、なぜか最前線で指揮を執ったことになっていた。
私を含めて誰も疑問に思わなかったのは禁術で認識を歪められていたせいだろう。
まあ、過去のことはさておき――
「戦場での経験は実際に示したほうが早いでしょう。
ひとつ、手合わせでもしませんか」
結論から言えば――
私はガルスト将軍に勝った。
「手加減してくださいましたか」
「ええ、まあ。
皇妃様にお怪我をさせるわけにはいきませんからな」
ガルスト将軍はばつが悪そうに頬を掻いた。
「とはいえ、戦場を知る方なのはよく分かりました。
皇妃様のご意見を支持させていただきましょうぞ」
その後、残りの四人も異論を引っ込めた。
レオンハルトからは「無茶しすぎだ」と窘められた。
それもそうだ。
◇◇◇
軍事予算についても解決してしばらくが経った。
ある日、廊下で、文官と侍従が話しているのが聞こえた。
「最近の陛下、お変わりになったと思わないか」
「ああ。先日の閣議でも堂々としたものだった。半年前とは別人だ」
「やはり伴侶をお迎えになったことが大きいのだろう。
皇帝らしいご風格が出てこられた」
「皇妃様ご自身も優秀だ。
海洋連合と公国の問題をすぐに解決してくださった」
「予算案のことで文句を言ったガルスト将軍をボコボコに叩きのめしたとも聞いたぞ」
それはさすがに誇張のしすぎだろう。
ガルスト将軍が気を悪くしなければいいが
ちなみに後日になって分かったことだが、他ならぬガルスト将軍自身が「ワシは皇妃様じきじきにボコボコにされたわい! 羨ましかろう! はっはっはっ!」と自慢げに語っていたらしい。
自慢することなのだろうか……?
余談はさておき、文官と侍従の話はこんな言葉で締めくくられた。
「いい縁談だったな。今になって分かる」
「ああ、まったくだ」
さすがにその場に姿を現すのも気まずいので、私は回れ右をした。
しばらく歩いて、廊下の角を曲がったところで、ハルベルト侯爵と鉢合わせた。
「……皇妃様」
「はい」
「ご活躍の数々、耳にしております。
かつての無礼について、心から謝罪申し上げます」
「許しましょう。
他国からこんな年上の女が来たとなれば、眉を顰めたくなる気持ちも分かりますから」
私はふっと笑ってみせると、ハルベルト侯爵は深く頭を下げた。
「皇妃様のお慈悲に感謝いたします
今後、お困りのことがあれば何なりとお申し付けください」
――認められた。
そんな実感があった。
◇◇◇
その夜。
仕事を終えたレオンハルトが、私の執務室に立ち寄った。
「今日、ハルベルト侯爵に褒められたよ」
「陛下もですか」
私はそう言って、廊下での出来事を話す。
「俺のところに来たのは、たぶんその後だな。
『数々の御無礼、どうかお許しください。
陛下は先代にも劣らぬ才の持ち主でした』なんて言ってたよ」
どうでもよさそうな口ぶりだが、表情が緩んでいる。
レオンハルトも、先代からの忠臣に認められたことが嬉しいのだろう。
「レティシアが来てくれたおかげだ。
あなたが来てから、全部変わった。
俺の声が、ようやく届くようになった」
「……買い被りですよ」
「そんなことはない」
まっすぐな目だった。
「自分一人じゃ、あの連中は動かせなかった。
レティシアが隣にいてくれたから、俺は胸を張れるようになったんだ」
「そんなことを言われたのは初めてです。明日は雪ですね」
「茶化すな」
「……すみません」
「なら、ひとつ頼みを聞いてもらおう」
レオンハルトにしては強引な話の運び方だ。
とはいえ、私が嫌がることは言わないだろう。
結婚してからの今日まで、ずっとそうだった。
「二人のときは『陛下』と呼ぶな。レオンでいい」
言い切った直後、目線がわずかに逸れた。
照れるように。
私の気のせいだろうか。
「堅苦しいのは公式の場だけで十分だ」
続ける声は、閣議の場の声とは別人のように柔らかい。
「承知しました、陛下」
「……違う。レオンだ」
視線が戻ってきた。
まっすぐ見ている。
でも、耳の先が赤い。
やっぱり照れている。
たぶん、きっと。
この人は――。
命令はできても、お願いができない人なのだ。
帝国を動かす声で臣下に指示を出せるのに。
「名前で呼んでほしい」をお願いの形では言えない。
だから命令にしてしまう。
……可愛い人。
「レオン」
そう呼ぶと、なぜか私の顔が熱くなった。
人のことは言えない。
照れてしまっていた。
「……では、私のこともシアとお呼びください」
「シア」
即答だった。
待っていたように。
っ。
鼓動が跳ねた。
「シア」
「……慣れてませんので、少しお手柔らかに」
「駄目だ。何度でも呼ぶ」
声だけは強気だった。
目は合わせてくれなかった。
◇◇◇
少しずつ政務をこなし、周囲と交流するうち、私を取り巻く空気も柔らかなものになっていった。
侍女と話すことも増えた。
冗談を交わして、笑い合ったりもする。
ガルスト将軍だけじゃなく、他の軍団長と話すことも多い。
妹の代わりに前線に何度も出て行ったけれど、その時のことを語ると喜ばれた。
ハルベルト侯爵は屋敷で大きな犬を何匹も飼っているらしい。
奥様が動物好きのようだ。
特別に許可を出して宮廷に連れてきてもらうと、12匹のもふもふに囲まれた。
至福の時間だった。
他にも、変化があった。
「一緒に庭を歩かないか」
政務の後、レオンハルトがそう言うようになった。
ちょっとしたデート。
この時間が好きだった。
「レオンさま」
「何だ」
「歩幅を合わせてくれてますね」
「気のせいだ」
「お優しいところ、私は好きですよ」
「……そうか」
レオンの耳の先は真っ赤だった。
皇帝として人の前に立つときは堂々としているけれど、2人きりだと彼は照れ屋だ。
「シアは変わったな」
「そうですか?」
「こちらに来た時よりもずいぶんと明るくなった。
ガルスト将軍を叩きのめすほどにな、くくっ」
「その節はご心配をおかけしました……」
「気にしなくていい、からかってみただけだ」
レオンハルトは愉快そうに肩を揺らした。
「俺としては、シアが元気になってくれて嬉しい。
あの国から連れ出したおかげ……と思いたいが、それだけじゃない気もしている」
鋭い。
私の性格が変わったのは、元宮廷魔術師のグレンが《夢縛の呪》を解いてくれたからだ。
けれど、ルエリス王国に留まっていたらここまで明るくなれなかっただろう。
「レオンさまのおかげなのは確かですよ。
ただ、祖国でのことはうまく説明できないこともあって……」
「無理はしなくていい。
俺は、シアのためになることをしたんだな」
「はい」
「それで十分だ。
今のあなたは、以前よりも素敵になった。
その手助けができたなら、俺は誇らしい」
いい人だ。
私にはもったいないくらいだと思う。
離れる気もなければ、離す気もないけれど。
◇◇◇
定例の外務報告の日だった。
レオンと並んで、外務省の官吏から報告を受ける。
周辺国の情勢について。
今のところ大きな変化はない……と思っていたら。
「皇妃様の祖国--ルエリス王国の情勢について、お伝えすべきことがあります」
官吏の声が堅くなった。
よからぬ知らせなのだろうか。
「王国が進めていた南方諸国との同盟交渉が決裂いたしました。
どうやらミラティナ女王が失言を重ねたらしく……」
報告はだんだんと小声になってった。
官吏はどこか気まずそうだ。
それもそうか。
ミラティナは私の妹なのだから。
「遠慮しなくていいわ。
ここにいるのは女王ミラティナの姉じゃない。
皇帝レオンハルトの妻よ」
「はっ、ありがとうございます!」
官吏は声を張り上げると、すっと背筋を伸ばして報告を再開する。
「かねてから予告されていた国内の税制改革も放置され、各地で不満が噴き出しているそうです。
国境の警備も予算不足で空洞化し、盗賊被害は増加しているとか」
ミラティナは何をやっているのだろう。
私が進めていた案件はすべて官吏たちにきちんと引き継いだはずなのに。
「加えて、もう一点」
官吏が一枚の報告書を差し出した。
「ルエリスの貴族の一部が、自身の判断に疑問を持ち始めたとのことです。
ミラティナ女王を絶対に正しいと信じていた者たちが、
『なぜ自分はあれほど確信していたのか分からない』と言い始めております。
皆、口を揃えて『夢から目が覚めたようだ』と語っているそうです」
「……目が覚めた、か」
隣で、レオンが呟いた。
官吏が退出した。
しばらく、沈黙が続いた。
「まるで催眠にでもかかっていたみたいな話だな」
レオンがぽつりと言った。
私の方を見た。
「シア、何か知らないか」
来た。
たぶん、今が話すべき時なのだろう。
その夜。
寝室で、向かい合って座った。
「内密にしてほしいのですが」
「もちろんだ」
「《夢縛の呪》という禁呪があります」
全部、話した。
幼い頃から見続けた悪夢。
独りで老いて、忘れられて、死ぬ。
それが天命だと信じていた。
けれど、元宮廷魔導士のグレンに解呪してもらった。
「術者はたぶん、私の妹--ミラティナです。
同じ術が、宮廷や貴族たちにも掛けられていたのかと」
「今、それが解けているということか」
「グレンは言っていました。自分に考えがある、と。
おそらく彼が何かしているのでしょう」
その数日後、ルエリス王国から書簡が届いた。
差出人を見た瞬間、胃の底が重くなった。
ミラティナからだった。
「姉上へ」
書き出しが変わっている。
昔は「お姉さま」だった。
三頁にわたる書簡を読み進めた。
――同じ血を引く者として、お力添えを賜りたく。
――姉妹の絆は、何物にも代えがたいものと存じます。
――あなたが出ていったから国が傾いたのです。責任を取るべきでしょう。
姉妹の情と責任転嫁が入り混じった文言が並ぶ。
レオンに書簡を見せた。
読み終わる前に、表情が変わった。
「三頁使って、自分の都合ばかり。
……これが国を背負うもののやることか」
レオンが書簡を机に置いた。
「シア。どうしたい」
「……え?」
「あなたの妹からの書簡だ。
俺が勝手に決めていい話じゃない」
問われて、気づいた。
ルエリスにいた頃、私の意思を聞いてくれた人はいなかった。
「やっておいて」と渡されるだけだった。
「支援する理由がありません」
自分の声が、思ったより落ち着いていた。
「あの書簡に民のことは一行もなかった。
あれは国のための依頼ではなく、妹の保身です」
「分かった」
レオンが頷いた。
「正式な外交文書として拒絶する。
シアの判断を支持する」
それからしばらくして、今度は使者とともに私信が届いた。
「お姉さまへ」
一頁目は丁寧だった。
国内の情勢が厳しいこと。
貴族の反乱が起きていること。
二頁目から調子が変わった。
「帝国にしばらく身を寄せたいのですが、よろしいですね?」
依頼ではない。
確認だ。
「お部屋は日当たりの良い塔を用意して。
侍女は五人必要よ。慣れない土地で不便するのは嫌だもの。
食事の好みは変わっていないから、お姉さまが覚えているでしょう?」
受け入れられた前提で、部屋の注文をしている。
三頁目。
「姉なのだから、助けるべきです。
これくらいは当然でしょう?」
命令だった。
謝罪は一言もない。
「レオンも読んでいただけますか」
手渡した。
ページが進むたびに、気配が変わっていく。
口元が引き結ばれた。目が細くなった。
肩が張り、背筋が伸びる。
私を「シア」と呼ぶ人の顔が消えて、皇帝の顔が現れていた。
読み終えた。
「……姉なのだから助けるべき、だと」
声が低い。
広間で臣下に命じるときの、あの声だ。
「返書は出さなくていい。
シアがこの人間に一文字でも書く必要はない。
俺からも出さない」
立ち上がって、数歩歩いた。
窓のそばで足を止めた。
背中が怒っている。
――けれどそのあと、振り返った目は、怒りではなかった。
「……大丈夫か」
声が戻っていた。
半音高い、私だけが知っている声に。
その後も続報が次々に届いた。
「ミラティナ女王の側近たちが告発を始めました」
禁呪の濫用。
大貴族への認識操作。
王位継承の歪曲。
すべてが公になったらしい。
きっかけは――
「グレンという人物が、各地で術を解いて回ったそうです」
私の解呪をしてくれた、元宮廷魔導士の男性だ。
彼は『考えがある』と言っていた。
策でも用意しているのかと思ったら、ひたすら地道なやり方を続けていたようだ。
努力家のグレンらしい方法だ。
つい、クスッと笑ってしまった。
さらに数日後――
過去最大級の報せがもたらされた。
「王都にて反乱が起こりました。
ディードリヒ親王が挙兵、王宮に攻め入ったようです」
私の従兄にあたる人物だ。
幼いころはよく遊んでもらったし、蛮族の征伐にも一緒に来てくれた。
明るい人柄で、王都だけでなく多くの人々から慕われていた。
ディードリヒ従兄さんが敵に回ったなら、ミラティナに勝ち目はないだろう。
「女王はどうなった」
私の代わりにレオンが官吏に訊ねた。
「捕まったか。あるいは――」
「王都を脱出したとのことです。
行き先は不明ですが、帝国の国境へ向かっている可能性があります」
「なんだと」
レオンが立ち上がった。
「国境の警備を強化しろ。俺も出る」
「私も行きます」
レオンが振り返った。
「いいのか。辛い決断を下すことになるかもしれない」
「行かなければ、もう会えない気がしますから」
助けるためか。
引導を渡すためか。
自分でも分からない。
でも、行かないという選択肢はなかった。
「皇妃様が出陣なさるのでしたら、ワシも同行しましょうぞ」
「王国との国境は我が領地です。ご一緒いたしましょう。お望みでしたら、犬も連れて」
なぜかガルスト将軍とハルベルト侯爵も来てくれることになった。
私は、思ったよりも味方が多いらしい。
◇◇◇
国境の街まで、馬車で二日。
ガルスト将軍が護衛の編成を済ませていた。
「精鋭を300、先行させましょう。
ルエリス側から武装した連中が流れてこんとも限りませんからな」
「300は多くありませんか」
「皇妃様は我が国にとって必要なお方ですからな。
念には念を入れさせてくだされ」
一方で、ハルベルト侯爵も手を打っていた。
「国境の街には連絡済みです。
宿舎、替え馬、食料。すべて手配しました」
レオンが小声で言った。
「あの2人、俺だけの時より張り切ってるな。
よほどシアにいいところを見せたいらしい」
「嫉妬されてますか」
「そんなわけが……いや、多少はしている」
レオンは視線を逸らしながら呟いた。
相変わらず、可愛い人。
街に着くと、ガルスト将軍はすぐに兵を配置した。
「街道を三本、全部押さえましたぞ。
ルエリス側から誰が来ても、半日前には分かりましょう」
私たちは侯爵が手配してくれた館でしばらく待機していた。
一匹、大きな白い犬がいたので撫でていると伝令が駆け込んでくる。
「最新の報です。
ミラティナ王女は護衛たちに裏切られ、襲撃を受けた模様。
単独でこちらに向かっているようです」
レオンが私を見た。
「来るか」
「はい」
私たちは館を出た。
兵を連れて、国境ぎりぎりへ。
レオンが隣にいる。
ガルスト将軍とハルベルト侯爵が、少し後ろに控えている。
兵も整列していた。
街道の向こうから、人影が近づいてくる。
旅装はぼろぼろだった。
泥に汚れ、裾は破れている。
ただし、髪だけは整えていた。
「お姉さま、助けて」
ミラティナだった。
涙を流し、震えていた。
かつてルエリスの全員を味方につけてきた、あの「愛される妹」の顔。
「姉妹でしょう?
血の繋がった家族でしょう?」
隣で、レオンの気配が強張った。
口は挟まない。
私の問題だと分かっている。
「家族だから助けるべきだと?」
静かに聞き返した。
「なら、私が悪夢で苦しんでいる時、どうして何もしてくれなかったの」
「あれは天命で……」
「まだ嘘を吐くのね。貴女が《夢縛の呪》を私に掛けていたのでしょう?」
ミラティナの眼が泳いだ。
「待って、お姉さま。きっと誤解しているのよ」
「そもそも禁呪の使い手を保護する理由なんてないわ。
――ガルスト将軍、彼女を捕まえて。王国に引き渡すわ」
「承知いたしました。……やれ」
将軍の合図とともに兵士たちがミラティナを取り囲み、押さえつける。
「離して! わたしは女王なのよ! なんで、なんでこうなるのよ!」
「ねえ、ミラティナ」
私は地面に引き倒された彼女に向かって問いかける。
「自分がどれだけ悪いことをしたか、理解していないの?」
「意味の分からないことを言わないでよ、お姉さまのくせに!
小さいころから皆にチヤホヤされて、わたしがどれだけイライラしてたか分かってるの!?
そのお返しをしただけじゃない!」
「じゃあ、どうして宮廷の人や、貴族の皆にまで禁呪を掛けていたの」
「わたしの思い通りにならないからよ!
みんな、みんな、わたしに尽くさせてあげたのに!
感謝もせずに、こうやって追い出すなんて恩知らず!
お姉さまも、王国の皆も、死んでしまえばいいのに!」
「禁呪の使い手はいずれ正気を失うらしい」
嘆くようにレオンが呟いた。
「早く連れていけ。こんな妄言をシアに聞かせたくない」
最後までミアは自分の罪を認めず、喚き続けていた。
それは禁呪のせいだろうか。
……もともと、そんな子だったような気もする。
ほどなくして、王国からの追手が到着した。
すぐに身柄を引き渡した。
引きずられていくミラティナが振り返る。
涙はなく、怒りだけがあった。
「覚えてなさい! 絶対に後悔させてやるんだから!」
私は目をそらさなかった。
レオンが隣に立っていた。
黙ったまま、私の手を取った。
強く握った。
「皇妃様」
ハルベルト侯爵が近づいてきた。
「お辛いことと存じます。
ですが、あなたのご判断は正しかった」
「ワシからもひとつ」
ガルスト将軍が腕を組んだまま言った。
「あの者は最後にひとりきりとなりました。
ですが、皇妃様のそばには、これだけの人間がおります。
……ハルベルト侯爵家の犬たちも懐いてますな」
「連れてくればよかったかもしれません」
ハルベルト侯爵が大真面目な口調で頷いた。
つい、笑ってしまった。
翌日。
従兄であり反乱軍の長、ディードリヒが屋敷を訪ねてきた。
軍服を着崩している。
背は高いが、姿勢は堅くない。
日に焼けた顔に人好きのする笑みを浮かべている。
「久しぶり、レティシア。元気そうで何より」
「従兄さんは相変わらずですね」
「君は……王宮にいたころより明るくなったね」
あっけらかんとした口調のまま、ふっと笑みを浮かべる。
「眼の下のクマもない。安心したよ。
今になって振り返ると、確かに昔の王宮はおかしかった。
君が王位継承権を破棄したこと、ミラティナの言いなりにされていたこと――
どれもこれも道理が通らない話なのに、当たり前のように受け入れていた。
すまない」
「気にしないでください。妹の……禁呪のせいですから」
「優しいな。正直、恨み言のひとつやふたつは覚悟していたんだけどね」
そう言ってから、ディードリヒは佇まいを正した。
「ここからは真面目な話だ。
反乱は成功したし、たぶん今の流れだと俺が王様になるんだろう。
けど、本来、玉座は君のものだった。もし望むなら――」
「いえ」
私は短く答える。
「私はもう、この国の皇妃ですから。
欲しいものはすべてここにあります」
「そっか」
ディートリヒはあっさり頷いた。
「まあ、予想通りだよ。無理強いをするつもりもない。
こっちの国は任せとけ」
面会を終えレオンのところに戻る。
出先であっても皇帝のやることは多い。
他国の元女王を捕まえて、引き渡した後なのだから当然といえば当然か。
机には書類が積まれている。
けれどペンは乾いていた。
何も書いていない。
レオンは窓辺に立って、外を見ていた。
「……帰るのかと思った」
振り返らずに言った。
声が掠れていた。
振り返った。
笑おうとしていた。
でも、口元が上手く動いていない。
この人は皇帝だ。
帝国を背負い、軍を動かし、外交を捌く。
それができる人だ。
でも今、目の前にいるのは――
十五歳で父を亡くして、ひとりで玉座に座って、ずっと強がってきた青年だった。
「帰らないわ。
貴方の隣が、私の居場所だもの」
レオンが一歩、近づいてきた。
ぎゅっと。
抱き締められる。
腕の力は強い。
背中に回した手だけが、かすかに震えていた。
数週間後、ルエリスから報せが届いた。
ミラティナは裁かれた。
《夢縛の呪》の濫用と王位簒奪の罪。
処刑の報が、短い文面で記されていた。
改心はなく、首を刎ねられる寸前まで恨み言を吐き続けていたらしい。
◇◇◇
「昔の姫さまに戻られましたね。安心しました」
開口一番、グレンはそう言った。
帝都を訪ねてきてくれたのだ。
話題はもちろん王国での出来事だ。
「先生が《夢縛の術》を解いて回っていたのですか」
「はい。ミラティナ様はずいぶんと禁呪の才能がありましてね。離れた領地にいる貴族の認識さえも歪めていました。おかげで王国中を駆け巡ることになりまして、足腰がずいぶんと鍛えられましたよ」
言われてみれば、以前に会った時よりも身体付きがさらに逞しくなった様にも思える。
ガルスト将軍と腕相撲でいい勝負ができそうなほど腕が太い。
旅の途中で盗賊が襲ってきたとしても返り討ちにできそうだ。
「レティシア様、わたしが宮廷から追放された理由はご存知でしょうか」
「妹と不仲だった、とは聞いています」
「実は、当時からミラティナ様は禁書庫に出入りしておりました。
危険だと進言しましたが、聞き入れてもらえなかったのです」
「だから追い出された、と」
「ミラティナ様はわたしにも《夢縛の術》を使ったのですが、効きませんでしたからね。自分の近くには置いておけない、と判断したのでしょう」
「どうして先生には効かなかったのでしょう」
「これは内密にしていただきたいのですが」
グレンは声を潜めて言った。
「わたしは先代の国王陛下からの命を受けて禁呪の研究をしておりました。
《夢縛の術》についての知識がいずれ必要になる、それが天命だ……と」
「お父様がそんなことを……」
ルエリス王国では、王族の見る夢は天意――天のお告げだと信じられている。
妹はそれを利用して、私や多くの人を操った。
けれど、本物の天命というのもきちんと存在するのだろう。
……どうせなら、今回の事件がそもそも起こらないようにしてほしかったけれど。
さすがに図々しい願いだろうか。
そのあと互いに近況報告をして、会談は終わりとなった。
「そろそろお暇しましょう。レティシア様にお会いできて本当によかった」
「私も嬉しかったです」
ふっと笑ってグレンを送り出す。
「いい顔をしてらっしゃいます。
やっぱり姫様はそうでなくちゃ。
あ、今は皇妃様か」
◇◇◇
翌朝。
隣でレオンがまだ眠っている。
私の手を握ったまま離していない。
寝相が悪いくせに、手だけは放さない。
寝顔を見る。
あの閣議の厳しい目も、伝令に指示を飛ばす低い声も、今はどこにもない。
まつ毛が長い。頬がまだ少し丸い。
……可愛い人。
私は「そろそろ起きてほしいな」という気持ちを込めて、手をぎゅっと握った。
レオンの指が、ぎゅっと握り返してきた。
まだ眠っている。
窓から朝の光が差し込んでいた。
知らないうちに、鼻歌が出ていた。
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