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【短編】婚約破棄上等! でも『菓子マズ令嬢』は禁句ですわ

※氷雨そら様主催、「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。

「エステル・バルシュミーデ! お前の作る菓子はどれも凄まじく不味い! 泥のような味に最悪の食感! そんなお前が俺の妃としての祭事に関わるなど、天上の神々に申し訳が立たない! 故にお前との婚約を破棄する!! ()()()()()()()()()!!」

「は?」


 卒業パーティーでの首席挨拶をすっ飛ばして、喚いたバカ王子に私の怒りメーターが一瞬で振り切った。


(私の菓子が不味い……ですって!? は、はああああ!? この国で、よくそんなことを王子が言えますね!)


 ベリスイール王国は、菓子と付与魔法が盛んな国だ。

 魔物が蔓延る世界で、この国は唯一魔物が存在しない。それは四季折々の祭事に合わせて、天上の神々に極上の菓子を献上することを対価に、国内に巨大な結界が施されるからだ。


 それゆえ、この国では令嬢として美味しい菓子が作れて一人前。貴族学院でも普通科、淑女科、騎士科、魔法魔術科、魔導具開発科、菓子科が存在するほど、菓子作りは国家事業のカテゴリーに入る。

 よって王家に嫁ぐ場合は、まず菓子作りの腕が重要視されるのだ。婚約者になるにあたって、死ぬほど菓子作りのスキルが高くならなければならないのに、このバカ王子は何を言っているのだろう。


「(と言うか昨日まで、私の菓子を美味しいと普通に食べていたくせに! ……そもそもこの馬鹿王子、私が菓子科を主席で卒業するって知らないのかしら?)殿下」

「──っ」


 剣呑な空気に第四王子アーノルド・クンツェンドルフ──馬鹿王子は一瞬怯んだが、眉を吊り上げて叫ぶ。


「お前の菓子よりも、カミラ・グートハイル令嬢の菓子が素晴らしかった。よって妃は彼女こそが相応しい! 菓子マズのお前と違ってな!!」

「殿下に、あーんな不味い物をお出しになっている方が、婚約者だなんて……殿下が不憫過ぎますもの」

「カミラは優しいな」

(ああ、なるほど。転生者のカミラが一枚噛んでいるのね)


 これで合点がいった。

 男爵令嬢のカミラ・グートハイルは、異世界転生者だと自称し、この貴族学院内ですでに色々とやらかした──トラブルメーカーだ。貴族の振る舞いを何一つ覚えず、婚約者のいる殿方への接触などに留まらず、問題発言や異性トラブルを繰り返す──被害者意識の強い困った人である。しかし異世界転生者と言うだけあって、異世界の知識は多少あるという。


(まあ、それでもお祖母様の知識の数百分の一程度で、国として有益になりそうなものはないのよね)


 やれスマホだとか、電子レンジや冷蔵庫など異世界の名称は知っているが、実際にどのような仕組みか、構造などの肝心な知識量が圧倒的にない。その程度の情報なら王族や上位貴族なら普通に知っていることだ。というか似たような物を魔導具として作っている。

 それでも王家がカミラとの縁を望むのなら、喜んで熨斗付けてお渡ししましょう!


「婚約破棄上等です! で・す・が! 菓子マズの称号だけは、撤回させて貰いますわ!!」

「ふん、婚約破棄が嫌だ──ん、え?」

「私、エステル・バルシュミーデは、菓子マズ令嬢の疑いを晴らすため、カミラ・グートハイル令嬢に、神前菓子作り勝負──決闘を申し込みますわ!!」

(((そこは婚約を巡ってじゃないんだ)))


 私の激怒に、アーノルド王子とカミラ令嬢は思っていた反応と違うからか、笑顔が引き攣っていた。誰が馬鹿王子の婚約など惜しむか。


「(はあああああああああ!?)──っ、あははは、何を言っているのかしら。そんなことをして恥をかくのは貴女なのに!(何言い出しているのよ、この女、そんなことしたら──)」

「そ、そうだぞ。カミラの菓子は最高だ!」

「まあ、アーノルド様、嬉しいですわ。(そうよ! 私の転移交換魔法で、あの女の菓子をいつものように、すり替えれば──)」


 パチン。

 私が指を鳴らすと、生徒会長のブレット・アルテンブルク様が素早く現れた。黒髪の青年で、眼鏡の縁を直しつつ、私とアーノルド王子の間に割って入った。さすがは次期宰相候補と言われるだけはある。できるメガネは凄いのだ。


「やはりこうなりましたか。……ではこれより校則に則り生徒会が、菓子作り勝負を仕切らせていただく!!」

「生徒会──ブレット、お前がどうして出てくる?」

「そうよ! と言うか、なんで勝負をしないといけないのよ!」

「おや、我が校の生徒であり、王子に至っては前会長であるにも関わらず、我が校の校則を覚えていないのですか?」

「うっ……」

「校則って、なによ?」

「あらご存じなかったの? 校則第189項目、自分の菓子の腕に嫌疑が掛かった場合、その技術と味を己が物だと証明するため──神前菓子作り勝負の申請が可能となる。なお挑まれた方に拒否権はないのよ。これは王族だろうと関係ないわ」

「そんなの知らないわ! アーノルド様、なんとかできないの?」

「うぐっ……カミラ、それはだな」

「できるわけないでしょう」

「アンタに聞いてないわ!」

 

 学院では昔から菓子作りに力を入れている。そうなると不正してでも自分が作ったと見せかけて、地位と名誉を得ようとする輩が出てくるのだ。菓子のすり替え、没収、替え玉など、お祖母様の時代はもっとエグかったらしい。


(神前勝負は、文字通りできあがった菓子を天上の神々に捧げるのだ。不正や違反行為などは全て神様は把握しているので、そのような行為が行われた場合天罰が下る。……カミラ嬢も、さすがにそれぐらいは知っているはず……たぶん)


 わざわざ言うまでも無いので私もブレットは黙っている。

 馬鹿王子はカミラ嬢の手を繋ぎ、イチャイチャモードを続行していた。頭がお花畑だと、こうも状況把握や現実が見えていないようだ。


「カミラ、君なら絶対に勝つと信じている」

「あ、ありがとう……ございます」

(あらあら、顔が引き攣っているわよ)


 カミラ嬢がどう出てくるか知らないけれど、私は今までの技術と経験を全て出し切るだけだわ。


「生徒会長。明日は魔導具開発科の研究発表の日でしたけれど、この際、菓子作りにおいて魔導具に関心を持って貰うためにも、私が作りながらご紹介(プレゼン)するのは、どうでしょうか?」

「ああ、それは良いですね。家庭用魔導具はやはり菓子職人(パティシエール)に使ってもらったほうが彼らも喜びます」


 ダンスパーティー会場は、ものの数分で菓子作り勝負場に様変わりした。すでに観客は全校生徒だけでは無く、その親、王侯貴族たちも集まっている。ちなみに司会は生徒会会長のブレット様、審査員は国王陛下、学院長、学院の菓子職人のアーリン講師だ。


 ドンドコドン! 

 パラッパー!


(……ふぁあ。吹奏楽部隊までノリノリじゃない)

『それでは神前菓子作り勝負を執り行うぜぇ~~~~っ!』

(ブレット様!?)

『神前勝負の申請者は淑女科を入学半年でオールクリアした超天才児ぃい、菓子科を首席で卒業。パティシエコンテスト五連続1位ぃいいいい~~~! 祭事コンテスト総なめぇー、エステル・バルシュミーデ!!』

(唐突にブレット様が実況中継の化身になったわ。しかもどちらかというとスポーツとか格闘系の司会者……)

『対して学院一のトラブルメーカーーーーー。歩けば問題、喧嘩、言い争いが絶えない~~~! 被害総額はなんと金貨3000枚! 傾国の美女でも目指すか!? 頭お花畑のルックスだけは自信があると豪語する! 彼女は学院に何をしに来ているのか!? 学年テストう・し・ろから8番目! 狙った殿方(獲物)は逃さないぃ~~カミラ・グートハイル!』

(一ミリも褒めてないのだけれど!?)

「ふふん、私が美しいからって嫉妬しないでほしいわ」

(あの紹介で誇らしげな貴女の思考回路が怖い……!)


 会長のテンションの上がる口調に、観客側も盛り上がっている。扇動するやり方に長けていると改めて思った。


『さて、お次はビックな審査員(ゲスト)を紹介するぜぇ! 今回の騒動を駆けつけてやってきた、バ──アーノルド王子の父君であり、我が国の王──クリストファー国王陛下だぁあああ! 頭が高い! 控えよ!』


 国王陛下はいつもの貫禄のある雰囲気は皆無で、既に顔が真っ青だ。


『我が息子ながら、なんと愚かなことを……。妻も側室もガチギレして…………どうにかして、エステル嬢には王家と婚姻を』

『ハハハハッ、陛下。この期に及んでなんと愚かなことを……娘にした仕打ち……絶対に許しませんからね』

(お、お父様が大魔王になって降臨しているわ!! 怖っ!)

『お、おっと。国王陛下は──色々立て込んでいるご様子なので、次を紹介するぜぇえ!』


 危うい雰囲気を察して、ブレット様はサクッと次の紹介に入った。その空気を読むスキルは、さすがとしか言えない。


『お次は我らが学院長~~~、キャルヴィン・ハナフォード様だぁああ!! 齢80を超えるというのに、まだまだ魔力も知的好奇心も留まるところを知らず! そんな学院長の趣味は、加護の研究とスイーツ巡りだぁ~~~! キャルヴィン様、今回の神前菓子作り勝負は、実に十年ぶりと聞きますが一言どうぞ!!』

『今回もどんな加護が発動するか……楽しみですぇ、スケさん』

『ブレットです、学院長』

『これは失礼した、カクさん』

『──ラストは、我らが菓子科の講師を務めるアーリン・スタンフィールドだぁあーーー!』

(((スルーした!)))

『ドリルのような髪型に、筋肉質な肉体は泡立て器で鍛えられたとか。長身かつ強面だが、菓子作りに関しては超、超超一流! 王宮菓子職人のオファーもあったが断った来歴がある! なんでこの人、講師やっているの!?』

『女装が駄目なんて、やってられないからよ! エステル嬢ーーーー! そのアバズレを完膚なきまでに叩きのめしちゃいなさい! 私が許すわ!』

「ぜ、善処します(審査員は公平でないといけないのでは? まあ、私は私にできることをするだけよ!)」


 左右対称のキッチン台に、水やコンロなどは魔導具を使って使用可能にしている。そしてそれ以外に魔導具レンジ、オーブン、石窯が設置されていた。これは魔導具開発科の生徒が明日のプレゼンで見せるものだ。


 我が国は菓子作りに特化しているが、家庭料理器具や魔導具を使ったレンジや、オーブン、石窯などを開発または改良する技術が低く、他国の技術などを提供して貰う代わりに、我が国の付与魔法技術、国を守っている加護や信仰などの知識を共有している。

 ユグノー超大国は雄大な土地と資源が豊富かつ、物作り職人など手先が器用な者が多い。他の国々も魔物が多く発生する場所は軍事力に特化しており、魔物の素材などが充実、あるいは商業国家などがある。聖王国は我が国の信仰と似ている部分があったが、西の果てになり交流も薄かった。

 それぞれの国の独占していた技術が今、時を超えて集結しつつある。お祖母様の時代は他国との戦争もあったけれど、今は魔物の活性化によって各国が協力しなければならないという認識になったのだ。


 そのキッカケはベリスイール王国の──菓子、料理が美味しいことだった。しかも我が国の料理や菓子は肉体効果のバフがかなり高く、疫病が流行っても我が国では少し風邪っぽい程度で収まるほど、肉体強化がされているという研究結果が出たのも大きい。

 他国では料理や菓子など最小限だったらしいが、料理や菓子の美味しさを知ったら最後、あっさり協力関係を築いてくれたという。


(誰だって美味しいものには目がないわ。そんなわけで他国にとっても自国にとっても、菓子や料理の腕は嫁ぎ先に大きく影響するし、そんな中で『菓子マズ令嬢』なんて不名誉な名前なんて許せないわ!)


 私はドレスから動きやすい白のコックコートに着替えている。前掛けは紺色でシンプルなもので、学院の制服の一つだ。亜麻色の髪を一つにまとめて、準備万端。

 対してカミラは動きやすい服に着替えたとは言え、ドレスのままだ。面倒そうな顔をしているが、とりあえず作る気持ちはあるらしい。


『制限時間はーーー90分!! それまでに菓子を作ること。品数は幾らでもウエルカム! マカロンが食べたい~~~おっと、これは独り言だからポイントなどは加算されないぞ!』


 実にシンプルなオーダーだ。

 だからこそ何を作るかで、実力も分かる。サラッと作るのが難しいマカロンを推す会長は、本当に性格が悪いと思う。


『それではぁーーーーーー開始!!』


 銅鑼の鳴る音が響いた。このためだけに音楽室から借りてきたらしい。すごく演出に凝っている。


「ふん、私のできあがりを見て驚くと良いわ(お父様と連絡が取れたのが良かったわ。これで生地を適当に作った後、電子レンジに入れて、焼き上がったタイミングで、作り置きした高級菓子にチェンジすればいい!)」

(さてと、せっかくの家庭用魔導具だもの。みんなに良さを知ってもらわないと)


 私が作るのはシュークリームとマカロン、そしてアップルパイだ。ちなみに私は短時間で様々な美味しい菓子を作るため、神々から『ある加護』を頂いている。


(そう、分身の加護を、だ!!)

『あ、あれは……分身の加護!?』

『おっと、学院長が急に目の色を変えたぞ~~! 学院長、分身の加護とは珍しいので』

『分身の加護とは、戦いの神が英雄に与えた。最後の加護を受けたのは、百三十八年前と聞く。その加護を得た英雄はまるで八本腕かのような動きで、千の軍勢を蹴散らしたともある──伝説級の加護!』

(ですよね。本来の用途はそっちだと思います!)


 学院長の言うように、絶対に使い道が違う。というのも私が祭事に捧げる菓子を作るようになってから、天上の神様方が私の菓子をいたく気に入ったらしく、お代わりをご所望することが増えた結果──私のような菓子職人(パティシエール)を育成するよりも「エステル()が三人に増えたら良いんじゃない?」と言い出したのだ。

 さすが神様。その発想、人では考えに至りませんから。


『興味深い! 実に興味深いのう、カクさんや』

『ブレットです』

『さすが私の娘だ』

『あ……。なぜ妻たちがエステル嬢を王家に嫁がせたいか、分かってしまった……。そりゃあ、あれだけの動きをしたら一人で……ああ、なぜ今まで気づかなかったのだ』

『本当に陛下は何を見ていたのやら』

『ぐはっ……』

『ふん、エステルだって、あのぐらいできるのだ。カミラだって』

『まあ、男爵令嬢(あのお馬鹿さん)。菓子作りのなんたるかを分かってないわね。それに比べてエステルは……ふふん♪ 動きのキレも以前よりも鋭く素晴らしいわ』


 三人に分身しても、息を揃えるような菓子作りをするため──という名の口実で、祭事から数日間は、様々な菓子を要求され作っていたのだ。

 神様の無茶振りや、希望を聞いて創意工夫をしていることも多かったので、アーノルド王子とお茶する時間が削られたのは、少し申し訳──。


 ──また菓子の話か。……ん、まあ美味いんじゃ無いか──


 いやそれが無くても、普通に無礼な奴だったわ。思い出したらムカムカしてきた。


(決めたわ。婚約破棄されたのだから、他国に嫁ごう! 神様が喜んでくれたから頑張ったけれど、祭事の前後とかお祭りを見て回ることもできなかったし、もっとホワイトな永久就職がいいわ! だいたいまだ王族に籍を入れた訳でもないのに、仕事多すぎるのよね!)


 そんな決意を新たに、バターを一センチ角に刻み、冷蔵庫へ。そのあと水は直前に氷水を使用。塩、グラニュー糖を加えて混ぜたら冷蔵庫へ。次に薄力粉、強力粉を(ふる)いにかけ、バターを加えて刻んでいく。


(豆粒ぐらいになったら──両手でこすり合って、生地が少し黄色く砂のようにする(サブラージュ)を行う。練りパイやサブレでもするから、お手の物だわ)


 次に水を加えて、混ぜていく。粉がなくなるまで地味な作業は続く。

 もう一人の私はマカロンの生地、もう一人の私もシュークリームの生地に取りかかっている。今回の勝負で一番の最難関は生地作りでも、クリーム作りでもない。魔導レンジ、オーブン、石窯が使いこなせるか──だ。

 何せお祖母様の言う異世界の電子レンジとは異なり、この世界の魔導レンジは独自の作法があるのだ。


 カミラ令嬢はクッキーの生地を作り上げると、黒い鉄の塊のような四角い箱、魔導具レンジの取っ手部分を掴んだ。思ったよりも早い。


「ふん、電子レンジなら私にだって──あれ?」

『おーーーーーっと!? 先にカミラ令嬢が魔導レンジを使うようだが、果たして使いこなせるのかぁ??』

『工程を見ていたけれど、無事に魔導レンジを使いこなせれば、最低限クッキーらしいものはできるはずよん』

『それは──彼女が本当に菓子作りをしていたのなら、だ。でなければあの魔導具は動かないだろう』

『──っ! ここでスペシャルゲストが登場だぁああああ! 誰が思っただろう、祝辞を辞退した人嫌いの魔導具開発科、首席! 変わり者と名高い、ルキウス・ヨーナスがキターーーーーーーーーーーー!』

(ん? 審査員席がなんだか騒がしいわね……って、え?)


 ブレット様は、完全に実況中継モードだ。しかもいつの間にか魔導具開発科で天才と名高いルキウス・ヨーナス様の姿が──?


(あれ? いつもと雰囲気が? というか、え? 誰?)

『ん? フムフム? ……な、なんと! 今回の菓子作り勝負の際に、ルキウス氏は新作家庭魔導具を提供してくださいましたぁ~~~! これは凄いぞ。特にあの見るからに天文学的な値段が付きそうな魔導石窯!! これをカミラ嬢、エステル嬢は使いこなせるだろうかぁああ!?』


 ルキウス・ヨーナス、今年卒業するユグノー超大国の留学生で、年齢は私たちよりも三つ上。

 石窯作りにおいて並々ならぬ執念を持つ、今年の卒業生で祝辞を述べるはずだった人。「目立つのは嫌いだから」とパーティーに不参加で、祝辞を述べるのも次席に譲ったと聞いた。


(人混み嫌い、人嫌いで、基本無口で目立つのが嫌いな彼が──?)


 灰色の長い髪に、シャツとズボンは学院の制服だがだいぶヨレヨレ。長身で顔は前髪のせいでほとんど見えない──が彼の印象だったのだけれど、今日はユグノー超大国の正装に身を包んだ彼は、支配者のような貫禄と気品を兼ね備えて佇んでいた。


(誰!???)


 長い前髪も一つに結ったからか、しっかりとそのご尊顔が見える。それはユグノー超大国の特徴でもある黄金の瞳だ。彼の姿に「きゃああああー」と黄色い声が上がるが、私はそれ以上に戦慄した。


(そういえば無口なルキウス様が珍しく話をしていたような……? 空耳からしら?)

『やあ、エステル嬢』

(私に話しかけてきた!? 菓子科と合同授業があったけど、喋ったことを見かけたことがなかったような……?)

『エステル嬢、君が神前決闘すると聞いて……駆けつけたんだ』

「え。私?」


 拡声器を使用特有の声が、私の耳に届く。よく見ると、彼の首元に淡い緑色の魔石が発光しているのが見えた。


「それは……ありがとうございます(あれって音声拡大魔導具? ……もしかして今まで結構喋っていたのに、声が小さくて聞き取れてなかった??)」

『やっと、笑顔以外に君の返事が聞けた』

(それは声が聞こえなかったからです! でもなんかごめんなさい!)

『面倒だったけれど、来てよかった』

「?」

『おっ~~~~っと!? この甘酸っぱい感じはぁ~~~、これはまさか!? まさかの展開も期待できるのかぁ!?』

『……なっ、不味い。これは非常に……』

『何が不味いのですか、陛下』

『ひいい』

(また審査員席が賑やかだわ。思い返すと、ルキウス様は会うたびに、何か言っていたような気がしなくもない。……あとで改めて話してみたいかも)


 生地を作り終わると、生地を透明の『食品包装用フィルム』で包んだ。この時、真四角になるように『食品包装用フィルム』で包んだら麺棒で上から押して生地を広げる。


『エステル嬢、今回ビニールの新作も提供している。……よい解説説明があったら、ご教授願いたい』

『いったぁーーーーーーー! ルキウス氏、自作を提供して会話に繋げた!』

「(ルキウス様が、いつになく話しかけてくる。そりゃあ、ブレット様も驚くわけだわ。……まあ、魔導具開発科の生徒と合同授業では、よく解説役をしていたから良いけれど……)では僭越ながら、こちらのビニールは『食品包装用フィルム』と呼ばれており、一、食品を包むことで空気に触れにくくなる、二、鮮度を保つ甲が可能となります。三、酸素ガスを通しにくい点から、食材の酸化も防ぎます。以上三点から、料理や菓子をする上で今後必需品となること間違いなしかと思います。最後に使ってみた感覚としては、ステルス・スライムを加工して作られた特別製のようで、こんなに薄いのに破れにくい。従来は値段が高い上に『食品包装用フィルム』が破れやすい、厚さにもムラがあったのが、こちらは全て改善されています」

『なんと中級魔物の素材を!?』

『あれなら料理でも色々役に立つのでは』

『確かに。従来の『食品包装用フィルム』はないよりはマシだが、使いにくい難点もあった』

『遙か昔の【鮮度を維持する透明な膜】を完全再現しているのでは!?』

(あ。魔導具開発科の生徒って職人や研究者って感じが多いから、こういうデモンストレーションやプレゼンがもの凄く苦手だったわね。ルキウス様も最たる者なのだけれど……。彼の場合は声が小さい────そっか。だから私に宣伝塔として、頑張ってプレゼンしてってことね! 任せてください!)

『……!』


 拳を胸に当てて、任せてほしいとルキウス様に伝えたら、なぜか顔が赤くなった。

 プレゼン代理を立てたことで、恥ずかしいとか思っているなら気にしないでください。


『食品包装用フィルム』は元々、ステルス・スライムの死骸を武器や防具に使えないかと編みだした物だ。よく伸びるし、耐久性も良い。

 そんなことを説明しつつ、私は次の作業に入る。

 冷蔵庫に生地を入れて休ませるのだけれど、この冷蔵庫には時間短縮機能が付いており、一時間を一分に短縮できる。これは菓子や料理を作る上でかなり便利だ。


(この時間短縮冷蔵庫、冷凍庫の理論と術式、魔石などを組み合わせて作ったのは──)

『……時間短縮効果のある魔導冷蔵庫も、エステルなら上手く使いこなしてくれるだろう』

(やっぱり、ルキウス様の魔導具ですか!)

『な、なんだと!?』

『それは本当か!?』

『おおっと! ルキウス氏またも、やとんでもない家庭用魔導具を提供してくれたようだぁああ~~~! なんなんだ、この人は! そしてぐいぐいアピールしていくぞぉ~~~~! 人見知り設定は、どこにいったぁあああああ!?』


 ルキウス様とブレット様の言葉に、周囲はどよめいた。仕込みなどが多い料理人なら、喉から手が出るほどほしい家庭用魔導具なのだ、それはそうなるだろう。


(ルキウス様の家庭用魔導具は何度か試運転で使わせて貰ったけれど、今回の冷蔵庫は魔力が安定しているし、使われたアイスゴーレムの素材と魔石の相性が良かったみたい)

『……今回、魔導冷蔵、冷凍庫に使ったのはネオ・アイスゴーレム、箱の内側にキングスライムを膜として使い、断熱材として雷鳴ウナギもろもろの素材を使い、時間短縮は時の精霊の魔石などを使用している』

『なんと素材がA級からS級並だぞぉ~~~! この魔導冷蔵庫、この国で買うなら金貨3000枚の価値があるんじゃないかぁあ!?? アーリン講師、どうですか!?』

『馬鹿言ってじゃないわよ! 3000枚? いいえ最低価格は金貨5000よ! それだけの価値があるわ! だって、生地を作るのに寝かせる時間が短縮できるのよぉお~、下ごしらえだってサクッとできちゃう!』

『……エステル嬢、これの使用価値はあるだろうか?』

「(ぐいぐい声を掛けてくるわね)……あ、あるわ。すっごく便利よ。特に生地を冷蔵庫に一時間ほど休ませるけれど、これがあれば一分でできるもの! これは画期的だわ。本当に凄い!」

『……!』


 ルキウス様の笑顔に、観客側の令嬢が数人倒れた。うん、分かるわ。すごい破壊力よね。

 自分で作った魔導具が褒められたら、嬉しいものね。


『ルキウス氏の笑顔に、ご令嬢たちが卒倒しだした!! 何という罪深き笑顔! しかしこの男、瞳に映っているのは変わらず一人のようだぁああああ~~~! どうなる!?』

(会長がなんか暴走し始めたわね……? テンション大丈夫かしら?)


 私の説明やできる眼鏡(ブレット様)やアーリン講師などの反応を見て、他の人たちも時間短縮冷蔵庫の素晴らしさが伝わったのか、「なるほど」と高評価のようだ。


『食品包装用フィルム』以外にも、分身の私がシュークリームのカスタードを作るのに使っているのは、ハンドミキサーだ。

 通常は泡立て器を使う。もっとも泡立て器も、お祖母様の時代に職人さんに作って貰ったものだ。


『そのハンドミキサーも泡立ちの速さ、使い勝手、混ぜやすさや、メレンゲのきめ細やかさ……今回は稼働音の静かさも、重視してみたのだが……』

『これもか~~~~~!』

『あれ、うちにもほしいわぁ~~~!』

「(またルキウス様の持ち込み!?)……すごいわ。何より軽い。以前は重くて、ボウルを持つ人と使う人で、最低二人いないと使用できなかったのに、凄く軽い。それにとっても混ぜやすいし、泡立てのスピードも既製品よりもずっと速いわ。すごい! 嬉しい!」

『……っ』


 今や魔導ハンドミキサーで、簡単に泡立ててしまう。生クリームやケーキの生地などを作るのに毎回泡立て器だけだと、腕の疲労が半端ないのだ。そもそも手動で卵白を二個泡立てるのに十分から十五分もかかるのに対し、ハンドミキサーは五分前後。


「本当にあっという間! お祖母様がほしがったのも凄く分かる気がする!」

『…………っ』

(ふふっ、本当に凄いわ)


 お祖母様の時代では、とても器用な魔法使いがいたから、あっという間だったらしい。魔法で菓子作りを考えたお祖母様もある意味凄いけれど、技術をこうやって形にする魔導具開発科の人たちは本当に凄い。


 そんなことを考えている間に、一分が経過した。冷蔵庫から出すと、折りパイの作業だ。折る前に粉をまぶして、麺棒でゆっくりと生地を伸ばしていく。ここは時間との勝負。

 生地を三倍に伸ばして、綺麗に三つ折りになるよう位置を決めていく。麺棒で形を整えて伸ばす。そしてもう一度三つに折る。そして再び冷蔵庫へ。これを何回か繰り返す。


(本当に便利だわ。パイ生地はできたから林檎の準備をしないと。幸いにもカスタードはシュークリームと同じように使うから、多めに作っておいて正解だったわ)


 さて、次は最難関の焼き加減だ。

 この世界において加熱──炎を使うには、炎属性の魔法能力、炎の神、精霊、妖精との契約を神殿で行うことが必須となる。


(お祖母様の言っていた科学の常識が通じない。一定以上の菓子が作れるようになるには、彼らとの契約が必須となる。しかし神や精霊との契約は、限られた人間だけ。気に入られれば、固定の妖精と正式契約を結ぶが、そうではない場合は、仮契約相手として相性の良いランダム召喚となるのよね)


 私の場合も固定契約はしておらず、その日によってランダム召喚される仮契約を神殿で結んでいる。

 あとは魔導レンジや石窯の性能によって、ランダム召喚されるランクが大きく変わる。妖精や精霊、神々の顕現する媒体は、この魔導具によるところが大きいからだ。


 そんなごくごく当たり前なことを、カミラ嬢は知らなかったのか、異世界の道具と同じように魔導レンジが使えると思っている。


「なによ、不良品!? うんともすんとも言わないじゃない!」

(それが使いこなせていないという時点で、貴女は菓子作りの素人だって暴露しているようなものなのだけれど)

『カミラ、どういうことだ!? 君は色んな菓子を私に出してくれたじゃないか! どうして先ほどからレンジの使用で手こずっているのだ!?』

「(ああああ、煩いわね! 元の世界と同じ形なのに、なんで動かないのよ!!)アーノルド様……っ、これは家にある物と違うので、勝手が違うのですわ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう、それは精霊や神々への信仰や立場を弁えた振る舞いも当然求められる。手始めにコンロやレンジ、石窯の炎を使うため祈る。


「隣人の持つ炎を祝福と祈りを持って、しばし貸したまえ」


 これは炎の力を借りる際に告げる祝詞であり、奏上でもある。魔導具でも魔法でも精霊の力を借りる以上、まず最初に行うことが炎を使うための発動条件だ。

 元の世界ではそんなことをしなくても、水や火などできたという。電気やガスというこの世界にも一応はあるものだが、精霊や妖精などの恩恵がなければ火は生じない。それがこの世界の原則。


 レンジの周りに炎の妖精が、ポポンと姿を現す。いつもなら愛らしいトカゲサイズのサラマンダーが出てくるのだけれど、今回は神前決闘だからか、ヘルハウンド──黒い大きな犬が出てきた。地獄の業火のような真っ赤な瞳で、私を見つめ返す。


「(モフモフ!)まずはフライパンを使う炎を貸してくれる?」

「わう」


 めちゃくちゃ尻尾を振っているので、機嫌が良いみたいだ。黒く艶やかな毛並みを見るとついつい抱きついて撫でたいが──今は菓子作り中なので我慢する。

 呼び出した対価は、菓子の一部を提供すること。


「(はああああああああああああああ!? なによそれ!)なんでそんなので、火が付くの? レンジに電源が入るの!? 反則じゃない!」

(自分の使い方と違うからって、喚かないでほしいわ)


 カミラの言葉をスルーして、手を動かす。

 フライパンにグラニュー糖を入れてキツネ色になったところで、五ミリほどにスライスした林檎を投入、キャラメルを絡めたら、バターとシナモンパウダーを加えてよく煮詰める。少し冷やしたら型に生地を伸ばして、フォークでパイシート全体に穴をあけ砕いたビスケットを敷き詰めた後、カスタードクリーム、そして冷やした林檎を載せて──魔導石窯で焼くだけだ。


「ヘルハウンドさん、石窯の温度は200℃で20分、それから180℃に下げてさらに二十分焼きたいの。頼めるかしら?」

「ばう!」

「ずるいわ! なんでアンタばかり!」


 分身した私たちは、魔導レンジ、オーブン、石窯に合わせた菓子を作っている。黒塗りの美しい鉱物でできた真四角の箱──魔導レンジは、シュー生地が焼き上がるのを待つ感じだ。マカロンは白い金属でできた真四角の箱、魔導オーブンを使っている。

 私が事前お披露目を提案したのだから、全力でプレゼンさせていただく。


「(それにしても……)ルキウス様、この石窯って……」

『気づいたか、さすがエステル嬢だ』

(私のこと過大評価しすぎじゃ……?)

『その石窯は火床で魔鉱石が燃えながら、焼き床で菓子を焼くことができる』

「ええ、見事なドーム型だわ」

『ああ……。温度400℃の耐熱性を持ち、蓄熱性のある素材として、フレイム・ゴーレム、火竜の鱗、火山島にある耐火セメントを取り寄せて使っている。枕木は石窯の土台にも使えるため、防虫、防腐処理した聖ナナカマドの木から加工した。それとアダマンタイトも使用している』

(あ、アダマンタイト……)

『あ、あ、アダマンタイトだってぇえええええ!』

『ひゅっ』

『こ、ここでアーリン講師が、卒倒したぁあ~~~! これは超一流の菓子職人なら、当然の反応なのかぁああ? 治癒魔法班、出番だぜ~~~』


 ついにアーリン講師が卒倒したらしい。そりゃあ、まあそうなるだろう。あの鉱物をまさか家庭用魔導具に使うなんて、発想がぶっ飛んでいる。


『魔法魔術科治療部門、主席のチャーリーです』

『次席のクライヴです』

『三席のデイヴです☆三人合わせて治癒士三銃──』

『アダマンタイトは非常に硬い物や、堅固な、強固な鉱物の一つ!』

(最後まで言わせてあげればいいのに……)

『しかもこの素材そのものがSS級で難易度も高い! オリハルコンの次に幻の貴重な、きちょうーーーな素材だぁああ! その昔、黒衣の騎士が甲冑と盾に使われたという伝説の武器の象徴でもある! ね、値段が怖くて付けられない~~~~っ!』


 会場内が一気にどよめく。うん、その気持ちは分かる。お祖母様の時代ではオリハルコンやアダマンタイトなどは、武器や防具として使用していたものだ。それを惜しげもなく石窯に費やすなんて、この石窯の総額を聞いたら、卒倒する人が更に増えそうな気がする。


 ヘルハウンドは、耐火レンガを積み上げて作り上げたドーム型の石窯に、炎を灯す。赤々と煌めく炎によって窯の温度が一気に熱を帯びる。通常の薪で行うと、私の希望する温度に至るまでかなり時間が掛かるが、ここは妖精の力を借りているのであっという間だ。

 それにしても見事なドーム型の石窯に、思わず感動してしまった。特にレンガの配置などもセンスを感じる。


『……エステル嬢。この石窯は君──いや単層式では無く、二層式にしてみた。二層の場合、下段は火床、上段は焼き床と分けられるため、焼きながら魔鉱石や炎の温度を上げることが可能だ。またより長く窯内部の高温を保つことができる。今回作ったのは300×600×65ミリの耐火レンガを前後にしているのだが……どうだろうか?』

「(かつてないほどルキウス様が喋っているわ。……いや普段あんな風に喋っていたけれど、声が小さすぎて誰も聞いてなかったのね。なんか不憫。私……無視していたかも? 視線を感じたときに愛想笑いしていたけれど、もしかしてあれは何か意見を求めていた? ううん、今はルキウス様の言葉に応えないと)とっても使いやすいですわ!」


 今になってルキウス様と、もっと会話をしていれば在学中に色んな話が聞けたんじゃないだろうか。そう考えると後悔で凹んでしまう。


(お互いに卒業してしまうけれど、これから話す機会を作っていけば良いんだわ。なんたって今の私は、婚約破棄されているのだから!)


 気持ちを切り替えて、石窯にパイを入れる。焼き具合などはハウンドが見てくれているので、少しだけ余裕が出てきた。他の分身体もできあがりを待つため、後片付けに入っている。


(ルキウス様にこの後連絡先を聞いて……今後会う機会があれば、もしかしたらお祖母様の願っていた調理器具も──)


 そんなことを考えている間に、私はアップルパイ、マカロン、シュークリームの三種類を作り終えた。

 せめてルキウス様の作った家庭用魔導具が、爆発的に売れますようにそう願ってダメ押しで石窯の宣伝をする。


「ドーム型の石窯は、壁と天井を均一にオーブンの板を放射熱で温める特性を持っています。そのため外側はカリッと、中はしっとりとした食感に仕上がる。こちらの石窯はパイだけではなく、ピザを焼くにもよいかと太鼓判を押しますわ!」

『『『!??』』』

(……あれ?)


 その場の空気が凍り付いた。

 あまりにも皆が固まっているので、やってしまった感が半端ない。


(そういえばお祖母様も昔、発言する度に周囲を震撼させていたとか話してくれたっけ。バルシュミーデ家での常識が可笑しいことは、この学院に通ってから理解していたつもりだったけれど……何が地雷だったのかしら?)

「エステル嬢」

「ふぁ!?」


 唐突にルキウス様が審査員席から調理場に現れた。瞬間移動のように、あっという間だった。


「入学当初に聞いた答えを──教えてほしい」

「え?(入学当初!? ぜんぜん記憶が無いのだけれど!)」

「君はピザを──知っているのか? どんな食べ物なのか、……いやもしや作れるのか!?」

「はい。あ」


 ふとピザの材料を思い出して、この世界に波及していない理由に気づく。ピザと言えばチーズが必要となる。しかしこの世界のチーズと呼ばれる食材は、すごく臭いのだ。強いアンモニア臭がすごくて、食欲が失せるほど酷い。


 お祖母様曰く、本来はチーズが劣化、腐敗した場合に起こる現象らしいのだが、この世界では普通に作っても匂いは必ず酷いという。そのためいくらチーズそのものが美味しくても、手を付ける者がいなかったとか。


「(お祖母様の話では牛乳を分解して、成熟を進化させるバグテリアや菌がどうのって言っていたような。まあ、チーズが駄目なら『マリナーラ』があるわ。ううん、チーズを口にすることができるよう改善すれば……)よければ今度、ピザを作りましょうか?」

「──っ、エステル嬢」

「はい?」

「婚約解消した直後にこんなことを言うのは、どうかと思うかもしれないが、俺と──結婚して貰えないだろうか」

「え」

『『『ええええええええええ!??』』』

『ここで告白がキターーーーーーーーーーーー!』


 唐突な告白とプロポーズに周囲がどっと湧き上がった。それに対して「ふざけるな!」と叫んだのは、アーノルド王子だ。なぜ、よりにもよって元婚約者が。


「私が彼女の婚約者だ! あれほどの知識、手際! そしてできあがりを見れば分かる! ()()()()()()()()()()()()()()!!」

((((それを馬鹿王子(お前)が言うか!?))))


 今この瞬間、会場の心が一つになった。

 アーノルド王子の発言に脱力してしまう。どこまでも自分勝手な人だ。


「アーノルド王子、まだ審査は終わっていませんわ! 私だって頑張って作ったのです」

(カミラ令嬢。こそこそして何かしていると思ったら……)


 彼女は使えないはずのレンジを無理矢理開けて中に突っ込んだ後、すぐさま完成された──ホワイトローズ商会の高級白バラクッキーが出てきた。


(おぅ……マジですか。ツッコミどころが多すぎてどうしよう)

『あの娘の度胸だけはすごいな』

『ふむ……加護らしい加護がないとは……一体どれだけのことをすれば、こうなるのやら』

『ここでカミラ嬢の菓子ができあがったようだぁあ~~~、んん~~~、しかしこの菓子は……どこかで見たようなぁあああ~~~~!?』


 完全に中身を途中で入れ替えたのが分かる。誰かの手作りではなく、商品を自作だと出せる神経に衝撃を受けた。


「ふふん、いくら品数を増やしたって、味でなら負けるはず無いわわああああああああああああああ!?」


 カミラ嬢は自信満々に審査員席に向かおうとしたが、天上をすり抜けて電撃の矢が彼女を襲ったのだ。


「ああああああああああああ!」

(こうなったか……)


 ごくごく当たり前なのだけれど、神前決闘なので不正を働けば当然天罰が下る。これで実食しなくても、没収試合となり私の勝ちは確定となった。


『これは神前菓子作りに置いて不正をした場合に起こる、神々からの天罰だぁああああ~~! 薄々こうなるかと予想していただろうが、学院! このような不正が出たのは?』

『そうじゃのう、実に十八年ぶりかのう、スケさんや』

『ブレットです』

『まさか神前決闘で堂々と不正を働くなど……前代未聞だぞ』

『国王陛下、どのようにいたしますか? 通常であれば実食、勝敗の後に神に捧げる──ことになっていますが』

『『『実食はしたい』』』

『陛下、学院長、講師まで……か・ん・ぜ・ん一致! では勝負はカミラ嬢の違反行為により、没収試合となり、当然ながらエステル嬢の勝利!! おめでとう! これにて実食──』

『待て待て待て! それよりも先にカミラの身柄確保及び王族──私に対して虚偽報告並びに婚約破棄を迫った追求、私の婚約破棄撤回などすべきことがあるだろうが!』


 アーノルド王子の自分勝手な発言に、ため息しか出ない。


「馬──アーノルド王子。婚約破棄は、神前決闘前にサインをして提出済みです」

『うぐっ……』

「ご自身で書類を用意されていたでしょうに。あれだけ大見得を切っておきながら、今更取り返しがつくと思っているのですか?」

『黙れ、元はといえば私に会いに来ない、エステルが行けないのだろう!』

「はあ。以前から王妃様や他の王子の婚約者が、私に祭事の菓子作りを押しつけて来るので断れず困っていると、相談したのを覚えておられていますか?」

『あ、あれはだな……』

「そうしたら貴方様は『他の王子やその婚約者たちに、お前が有能だと伝わってちょうど良いだろう』と、言ったじゃないですか」


 私の言葉にアーノルド王子は滝のような汗をかきながら、目を合わせようとしない。自分の発言には責任を持って頂きたいものだ。


『な、なにを……』

『やはりか』

『父上、これは──』

『……アーノルド、エステル嬢の言葉は事実か? 祭事に作る菓子は文字通り神に捧げる崇高なもの。この国を守る結界の堅牢さを示す。それを──』

『わ、私は、私では』

『もうよい。アーノルドとエステル嬢の婚約破棄の件は、改めて謝罪をさせてもらおう。それとは別で──』

『この件については、私に話を通してから発言してくださいね、陛下』

『ぐぬう』

『エステル、お前は先に帰っていなさい』

「(さすがお父様! 先手を打つつもりなんだわ)承知しました」


 これまでは国のため、何より自分の作った菓子を神様が喜んでくれていたので、できる限りその期待に応えようと頑張ってきた。

 でもあまりにも頻度が多くて疲れてしまったし、最初は王族の婚約者として頑張ろうとしていた気持ちも、婚約破棄で綺麗さっぱり消え去った。


(『菓子マズ令嬢』という発言がなければ、ここまで大事にはならなかったのにね)


 こうして食する前に、私の菓子作りの腕は本物だと証明された。

 何より料理を作りながら解説する姿は、好印象だったとか。王家との婚約破棄だと瑕疵がついたものの、それを払拭するルキウス様のプロポーズ効果は凄まじかった。


 数年後。神前菓子作り勝負を申請し、玉の輿令嬢ということで、学院の伝説になったと聞いた時は、「ひゃう!?」と変な声が出たのは内緒だ。



 **ルキウス視点**



 ユグノー超大国では、異世界の書物や転生者や器用な者が多かったのだが、魔物が多く、食事に無頓着だった我が国では、『食を楽しむ』という考えが浸透しにくかった。


 食事よりも他のことに時間を掛けることが浸透していたこと、転生者なども食事にさほど興味もなかったため『食事は栄養をまかなっていればいい』という風潮だった。しかしここ数十年で食の大切さ、美味しいものを食べることで得る恩恵の素晴らしさに気づいたのは、俺の祖父だった。

 それがキッカケとなり、以前よりもベリスイール王国と親睦を深めることが増えた。基本、調理をする工程や手間を省き、食材はそのまま食べることがほとんどだったのだ。焼く、煮る程度の食文化を一変させる。


 美味しいだけではなく、肉体強化、毒耐性、病耐性などが付与されると知り、そこから兵器ではなく、家庭用魔導具作りに力を入れるようになった。

 その結果、ベリスイール王国で魔導レンジ、オーブン、石窯が馬鹿みたいに売れた。しかも素材はその辺にある土塊が黄金に化けたのだから驚きだ。


 それらが高値で売れたことが衝撃だったが、たまたま両国の親睦を深める食事会であるアップルパイが出された。

 自分の石窯で焼いたパイを食べた時の感動は忘れなかった。しかも当時まだ十二歳の少女が、俺の作った石窯を器用に使いこなしているのだ。


(彼女の名前は──エステル・バルシュミーデ? 王太子の……婚約者)


 その日以降、彼女の菓子を作る姿が脳裏から消えなくなった。すでに王太子の婚約者である彼女と接点を持つことすら難しい。それでも彼女の傍に、彼女の役に立てればと、石窯の研究に没頭した。それこそ留学するほどに。


(エステル嬢のパイはとても美味しかった……。天井の神々が絶賛するのもわかる)


 世界では異世界人が齎した食がいくつもあるが、この世界で再現不可能とされた料理は『カリィー』、『ピザ』、『卵かけご飯』だった。

 

 『カリィー』は様々な香辛料を集めるには莫大な財が必要とされ、『ピザ』はある食材の加工あるいは利用が生理的に難しいと判断され、『卵かけご飯』は、そもそも卵を生で食べることなど不可能とされていた。現在の菓子に使われる卵は、魔物のコカトリスを飼い慣らして得た恩寵だ。


 だから『ピザ』がどんなものか、ずっと気になっていた。文献も殆ど残っていない。そんな時にエステルは『ピザ窯』と言い切ったのだ。

 エステル嬢が最初に声を掛けてくれた時は、凄く嬉しかった。


「ピザ窯ですか?」

「君は──ピザを知っているのか?」


 その問いに、エステル嬢はにっこりと微笑んだ。

 エステル・バルシュミーデ侯爵令嬢。前から気になっていたが、ここで完全に陥落──惚れた。

 はにかんだ笑顔で答えてくれた、あの日からずっと彼女の役に立ちたくて、けれど直接話しかけても、にこやかに笑うばかりで苦しかった。


(既に王子と婚約している以上、異性と話すことを避けているのかもしれない。それなら、俺にできるサポートを……)


 エステル嬢は魔導具開発科に顔を出して、試作品などの改良に協力的だった。

 彼女ともっと話をしてみたい。

 どんな菓子を作りたいのか。

 彼女の菓子を独占したい。

 いや彼女を──。


 自分の身分を明らかにすれば──、話してくれるだろうか。

 好意的に接してくれるだろうか。

 菓子ができあがった時に見せるとびきりの笑顔を、自分だけに向けてくれるだろうか。

 そう思っていた矢先に、あの馬鹿王子がやらかしてくれた。千載一遇のチャンスを捨てる気はない。あの神前勝負は俺にとっても賭けだった。

 どうやら勝利の女神は、俺にチャンスをくれたらしい。



 ***



 プロポーズ後。

 本国での正装で侯爵家を訪れた際、エステル嬢は目を丸くしていた。


「え、超大国の──王弟!?」

「言っていなかっただろうか」


 にこやかな顔の彼女は心底驚いて、とても可愛らしい。だが今思えば以前の笑顔は、無理して笑おうとしていた気がする。

 エステル嬢は、いつも一生懸命で、頑張り屋だから。


「聞いていません! そして声が小さいならどうして、拡声魔導具を常備してなかったのですか?」

「ん? ああ。我が国では(多種族国家でもあり、王族は竜族や亜人族の血が濃いため)耳が良い者が多いので、必然的に声を小さくして話さないと(機密事項など)丸聞こえになってしまうのだ」

「そう……なのですね」

 

 もしかしたら今までの質問は聞き取れなくて、それでも聞き返すも悪いから微笑んでいたのだとしたら──エステル嬢は優しすぎる。


「もしかして……家庭用魔導具を貢いでいたのにも……気づいていなかった?」

「え? 試作品のテスト要員(テスター)だと思っていました」

「……そうか(テスト要員だなんて、なんて謙虚なんだ)」


 その後も歓迎としてピザを用意してくれた。あれからチーズの加工を頑張ったとかで、チーズ特有の匂いのないものが誕生とかで、ピザの完全再現を現実にしたのだ。

 こんな才能の塊の彼女に、好きになって貰えるか──。


(好きだ。どんな手を使っても我が国に迎えたい……!)

「ルキウス様の石窯、とても素晴らしいです。一家に一台欲しいほどですわ」


 そう嬉しそうに話す彼女を見ていたら、この気持ちを諦めるなんてできるわけがない。


「俺は……エステル嬢にとって必要だろうか? 少しでも可能性があるなら、俺の──手を取ってほしい」

「はい。私もルキウス様ともっといろんなことをお話ししたい、一緒にいたいですわ」

「妃として望んでも?」


 ぼん、と顔を真っ赤にした彼女が──エステル嬢が可愛すぎる。なんだ、この可愛い人は! 狡すぎるだろう。あー今すぐに腕の中に閉じこめたい──が、やったら、背後にいる義父に刺されかねない。我慢だ、今はまだ。


「…………わ、私を大事にして、料理の相談とか、今後ももっとお話ししてくださるのなら……」

「もちろんだ。今まで君とはもっといろいろ話をしたいと思っていたんだ!」

「まあ! 嬉しいですわ。ルキウス様となら、さらにいろんなお菓子が作れそうです」


 その後は本当に色々あった。特にベリスイール王国の王妃や側室たちまでもが、エステル嬢に王族との婚姻を迫ったのだ。理由は祭事の菓子をエステル嬢に任せたい──いや丸投げするためだった。 

 王子の婚約者、王妃も菓子作りの腕は確かだが、菓子作りを「面倒だ」と言い放ったのだ。確かに菓子作りはエステル嬢のを見ていたが、工程も多いし分量なども細かい。

 しかも季節ごとに使う食材は決まっており、創意工夫なども求められる。さらにエステル嬢の菓子の腕が高いので、水準も以前よりもぐっと高くなったことも問題だったという。しかし自分たちの怠慢を棚に上げた態度は腹立たしい。


 それだけではなく、国王も妻たちには弱く、どうにかしてエステル嬢を、この国の王族と婚姻を結べないかと画策し始めた段階で──俺の限界だった。


「そちらがそう来るのなら──天上の神々を脅して神託を用意してやろう」


 聖王国を巻き込んで、エステル嬢を妻に迎えるように動いた。


『天上の神々より、エステル・バルシュミーデとルキウス・ヨーナス。この婚姻は双方の願いと祝福により決めたものだ』という感じで、神々にお願い(言う名の脅しを)したら、聖王国に神託を出してくれた。祖先が竜神だったので、本気でブチ切れたらどうなるか神々も分かっていたのだろう。


(この血が役に立つ日が来るとは……思ってもみなかった)


 ベリスイール王国は、侯爵家やエステル嬢に武力行使を仕掛けようとしたので、一家ごと我が国へ亡命。それに続いて彼女の菓子を好いていた妖精や神々が、我が国に移り住んだ。

 愚かだ。両国の友好の架け橋としてエステル嬢を花嫁として送り出せば、ベリスイール王国にもメリットはあったというのに。


 数年後。

 我が国への食文化が急激に発展し、神々の加護による影響を受けて、魔物の数も大幅に減るようになっていった。

 これもすべてエステルのおかげだと告げたら、彼女は「こんなことならもっと早く、婚約破棄をすれば良かった」と困った顔で微笑んだ。あの馬鹿王子と婚約していたせいで、学院生活は多忙だったとか。


「それなら旅行に出ていろいろな景色を見て、美味しいものを食べに行こう」

「まあ! 嬉しい」


 エステルは数日後には妻になる。今でも信じられないくらいに幸運だったと思う。あのアーノルド王子とカミラ令嬢には、感謝しなければならない。

 どちらも今は牢獄におり、ベリスイール王国の結界が以前よりも脆くなったせいで、魔物も頻繁に出没するようになったとか。自業自得だ。

 

 素晴らしい技術や能力を持つものを保護し、手厚く扱うことこそが大事だと、かの国は理解していなかったのだろう。

 神々の守る国。

 それが当たり前になりつつあったからこそ、あのようなことが起こったのだと思う。


「エステル」

「ひゃう……」


 すぐ傍に居る愛おしい存在を後ろから抱きしめて、愛を囁く。

 俺の声は聞き取りづらいらしいので、彼女の耳元で囁くことが増えた。意見交換や話し合いの時は魔導具を使うが、それ以外は密着して囁くほうが──ずっといい。

 林檎のように真っ赤になった彼女を、今後も独り占めできるのだから。


「愛しているよ、エステル」

楽しんでいただけたのなら幸いです。

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