9.いとこよ、こんにちは
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ギルベルト=ホルシュタインは緊張していた。
彼は今、兄と父親とともに、公爵城の応接室に通されていた。
革張りの長いソファで、ギルベルトは兄と並んで腰掛けている。
そして、2人の叔父であり、現在のリエン領主・ヴィンセント=ホルシュタインを待っているのであった。
応接室は暖炉が効いていて、温かな紅茶が用意されていたけれど、ギルベルトの手先は微かに震えていた。
たとえ身内であろうと、知らない人に会うのは、神経が尖るものだ。
ましてや相手は冷血漢だの、視線で人を殺すだの、散々な評判の相手である。
「礼儀知らずの小僧め!」なんて思われて、睨まれたら怖いな。
ヴィンセントが来るのを待つ間、ギルベルトは必死に、マナーの授業内容を思い出していた。
すると、隣に座る兄のアシュリーが、固く握りしめたギルベルトの手を、優しく包んだ。
「緊張しないで」
どこまでも優しく、出来た兄だ。
手を握られて恥ずかしいよりも、ホッとしたという感覚が強く、ギルベルトはおとなしく手を繋いでもらったままにしておいた。
コンコン、と応接室の扉が外側からノックされる。
扉の付近に立つ侍女が、領主様が来られました、と言ってお辞儀をし、扉を開く。
扉の向こうから人が入ってくるのと同時に、ベネディクトとアシュリーはサッと立ち上がった。
繋がれた手に引っ張られて、やや遅れてギルベルトも立ち上がる。
「お久しぶりです。兄上」
ベネディクトに兄上と呼ばれたその人、すなわちリアン領主のヴィンセント=ホルシュタインは、非常に端正な顔つきの男であった。
ベネディクト父子は銀髪であったが、ヴィンセントは白銀と呼ぶのが相応しく、上品な色をしていた。
それを1つに束ね、肩から銀糸のように、サラリと垂らしている。
そして、ベネディクトと同じアイスブルーの瞳は、切れ長で、長い睫毛の下で鋭く輝いていた。
温度の下がる、冷ややかな眼光。
ベネディクトは、常に笑みを浮かべているような柔和な顔つきであったから、所々の顔のパーツは似ているというのに、ギルベルトからすれば、冷淡さの滲み出る目の前の人物・ヴィンセントは、端的に言って「父さんに全然似ていない」。
はっきり言って、あまりに顔立ちが整いすぎて、恐ろしいまでもあった。
「うむ」
言葉少なに返事をするヴィンセントの静かなる気迫に、ギルベルトは息を呑んだ。
ギルベルトは自身の兄・アシュリーにかなり懐いていて——現に今も手を繋いでいて——、だから、ヴィンセントのようなこんな、一見して震えてしまうような人物を兄に持つ父さんは、どんな気持ちなんだろう、とギルベルトは考えてしまった。
…と、いう疑問は一瞬で、ごく短な返事を聞くや否や、我らが父ベネディクトは、子供のようにガバッと飛んでヴィンセントに抱きついた。
「兄上!今年もやっと会えました!!」
は?とギルベルトは、口をあんぐりと開けた。
思わずはらりと、手の力抜けて、繋いでいた手が解ける。
アシュリーは離れたその手で、ギルベルトの肩をポン、と叩いた。
「父さんは…叔父さんが大好きなんだ」
目尻を下げて破顔し、大の男に抱きつく様は、見たこともない父親の姿である。
公爵家次期当主と呼ばれ、恭しく周囲の貴族が接する時のベネディクトの顔とは、全く異なるのであった。
正直見ていて恥ずかしくなるほどである。
抱きつかれる側のヴィンセントも、しらーっとした顔をしていた。
「暑苦しい」
入ってきた時と寸分違わぬ無感情な目で、ベネディクトを引き剥がすように肩を押す。
ベネディクトはすぐに手を離したが、ヴィンセントとは対照的ににこやかな笑顔であった。
「1年元気だった?去年の冬は少し寒さが厳しかったようだけれど、問題はなかった?そうだ、ヴァイオレット嬢は元気かい?」
矢継ぎ早の質問と、わかったから座れ、という素っ気ない返事。
はぁい、とすごすご座るベネディクトを見ていると、完璧な兄とその弟の確執、といった舞台演目に観るような関係はないことが、ありありとわかった。
変に自分の父親と叔父の関係を疑ったことを、少し恥じ入る気持ちで、ギルベルトも再びソファに着いた。
そこから、ベネディクトの10の質問にヴィンセントが1返す、といった会話の応酬が続いた後、ヴィンセントは不意にギルベルトとアシュリーに目をやった。
鋭い目つきだったが、それまでのやり取りを見ていれば、ヴィンセントは怒っていたり不機嫌なわけではなく、この目つきが常態であることがわかる。
だからギルベルトも、緊張こそしたが、怯えることはなかった。
すぐに目線に気づいたベネディクトが、にこりと微笑んで、話し始める。
「ごめん、すっかり紹介を忘れていたよ。次男のギルベルトだ。11歳になる」
紹介されて、ギルベルトは不器用にぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いします、ヴィンセント叔父上」
ヴィンセントは堅いギルベルトを、同じ表情でじっと見ていた。
何度か目を、瞬かせる。
少し続く沈黙に、ギルベルトはぎゅっと拳を握った。
やがて、ヴィンセントは口を開く。
「叔父さんで、構わない」
えっ?あぁ…はい。
拍子抜けするほど、言葉は柔らかだった。顔も声も、怖いけれど。
そしてヴィンセントは、ギルベルトとアシュリーを交互に目線を向けた。
「兄弟というのは…面白いな。よく似ている」
険しい顔つきのままに、素朴なことを言うので、ギルベルトはいっそ、混乱の域だった。
アシュリーも口をまごつかせていたし、さらにベネディクトはあっはっはっと笑い出す。
「私と兄上は似てませんけどね!私はそんなに怖い顔をしていません」
ふと、ヴィンセントの顔が和らいだ気がした。
「ああ。こんな顔が似なくてよかったよ、お前にも…ヴァイオレットにも」
そこで、ベネディクトとアシュリーが同時に、えっ!と素っ頓狂な声を上げたが、2人はチラリと顔を見合わせた後、一瞬で何事もなかったかのようにニコニコと笑顔を装い始めた。
ギルベルトにはその一瞬の動揺が、よくわからなかった。
一方でベネディクトとアシュリー親子は、2人揃って同じことを考えていた。
(どう考えても、ヴァイオレット嬢は父親似なんだよな…)