8.王都からのお客様②
「ああ、ヴィンセント叔父さんかい?どんな人…うーん」
ギルベルトの不意の質問に、アシュリーは唸る。
「静かな人、かな…」
アシュリーが捻り出した答えは、ギルベルトの想像力の何らの手助けにもならないものであった。
「叔父さんの噂、たくさん聞くけど、全然掴めないんだよ。
『血も涙もない麗しの冷徹公子で、泣かせた令嬢は数知れず!』だとか、『愛に命を捧げ、身分を捨てて結婚した稀代のロマンチスト!』だとか」
ゴシップめいたあけすけな言葉たちに、噂の渦中の人物・ヴィンセントをよく知るその弟ベネディクトは、思わず吹き出しそうになる。
「子供なのに容赦ない噂話だな」
「はい、お茶会なんかに出ると、たまに大人たちが、そんな話をしています」
確かに、有能だが無慈悲で有名だったヴィンセントが、突然公爵家次期当主の座を突然投げ捨てて、領地に引きこもった時、社交界はたいそう荒れた。
あれだけ冷徹でありながら、継承権の放棄の理由が「自由な結婚のため」だったのだから、噂は噂を呼び、ついにはヴィンセントがモデルとされる戯曲や舞台まで作られるほど、世間は賑わったのである。
巻き添えを喰らうかたちでホルシュタイン家次期当主の座に着いたベネディクトであったが、彼は自分の兄がどうにも好きな、いわゆるブラコンだった。
だから今でもベネディクトは、当時のことを思い出しても、兄の決断の速さと思い切りの良さに懐かしく思って笑みを浮かべる以外に、何の恨みも妬みも抱かないのであった。
それにしても、いまだにヴィンセントの話をする者がいるとは。
まったく貴族というものは、いつまでもゴシップが好きなものだ。
ふっとゆるむ口元を引き締め、ベネディクトは噂に翻弄される息子ギルベルトを穏やかに諭す。
「ギル、我が兄上がどんな人物であるかは、お前が直接会って、判断しないといけないよ。噂なんて、どこまでも真実には成れないのだから」
信じるべきは、己の目で見たものだけだよ、と父親らしく言うと、ギルベルトはしっかりとベネディクトの目を見ながら、はいっ!と威勢よく答えた。
「あっ、でも」
ギルベルトの隣に座るアシュリーが、思い出したように付け足す。
「ギル、きみ、同世代のご令嬢の前だと緊張して、顔を赤くするクセがあったよね。
あれは今この瞬間、なおした方がいいかもしれない」
至極真面目な顔で言うアシュリーに、さっそくギルベルトは顔を赤くした。
「なっ、赤くなんかっ…!」
「なってるなってる。わかるよ、緊張するんだね。
でも、公爵城でそれは、やめておいた方がいいかも」
「なんで?令嬢って、おれらのいとこのこと?
おれより年下でしょ、じゃあ緊張しないよ。怖いのは年上の令嬢さ!みんなジロジロ、おれを見るんだもの」
それは仕方のないことだった。
王国内きっての大貴族、ホルシュタイン家の次男なのだから。
齢10歳にして、婚活市場の市場価値はなかなかに高いのである。
令嬢の目がぎらつくのも、仕方のないことだった。
ふんっと鼻を鳴らす弟をかわいいなと思いつつ、アシュリーは、公爵城に住む1人の令嬢を思い出していた。
アシュリーにとっては、4つも年が下のたかだか子供。
それなのに、見る者を一瞬黙らせてしまうような美しさと、何故かはわからぬが、少しの恐ろしさを抱かせる独特の少女だった、とアシュリーは記憶している。
さて、アレを年下だからと、ギルベルトは、緊張しないで済む部類にいれられるだろうか。
苦笑いをこぼしながら、アシュリーはギルベルトに言った。
「我らがいとこ殿にうつつを抜かしたその瞬間…目線で殺されるよ、ヴィンセント叔父さんに」
だから、顔を赤らめるクセはなおした方がいいんだ。
その言葉を聞いて、ギルベルトはただ、ヒィッと息を呑んだ。
叔父さん、こわー!!!
ギルベルトの小さな叫びとともに、ホルシュタイン家ご一行は、公爵領リエンに足を踏み入れた。