6.父娘の時間③
フェリックスの言葉に、ヴィンセントは黙って眉をひそめる。
フェリックスは話を続けた。
「おそらくですが、『始まりの森』に生えている木、それもかなり深奥部に生息しているものと同じぐらいマナの強い木になるかと。
アマリア様、こんなものいったいどこで手に入れたんでしょう」
ヴァイオレットが感じたマナの強さも、フェリックスの解釈と一致する。
ちなみに『始まりの森』とは、初代王と黒竜の出会いの地である。
森の奥深い何処かに黒竜が棲んでいると言われており、また数多の精霊のすみかでもあるため、マナ、即ち実体をもたぬほどの弱い精霊が満ちている。
ヴィンセントはひそめた眉をそのまま下げて、吐息とともに言葉を漏らした。
「どこまでも、不思議な人だ」
改めてヴィンセントは立ち上がり、一歩離れて、ヴァイオレットの両手の中の精霊石に問う。
「マナが強い植物とは、人体——赤子への影響は?」
カラカラと、精霊石は笑うように振動した。
「問題ありません。マナを蓄えているので、魔力が弱い者がこの木に触れると軽い中毒症状を起こす可能性はありますが。
まあ何にせよ、ヴァイオレットお嬢様は大丈夫です」
その言葉にヴィンセントはこくりと頷いて、ヴァイオレットをさらに強く抱き抱えた。
後日の調査が必要だな、と思いつつも、青々としたその小さくも逞しく根付く双葉をつい見つめてしまう。
アマリアは魔力が特別多いわけではない。
けれど、精霊の声が聴こえるという不思議な体質の持ち主であった。
精霊はフェリックスほどの最上位精霊でないと喋らない。
だから、それ以下の精霊の声などは、契約すれば契約者本人の脳内にのみ届けられる程度である。
アマリアの異質な性質の理由は、本人にもわからなかった。
ヴィンセントはため息をつく。
このまま木を育てても良いのか?
マナを多く含む木など、始まりの森以外で見たこともない。
フェリックスは問題ないというが、それでも何が起こるかわからないし、名残惜しいが、摘み取るべきだろうか。
そんな思案がヴィンセントの頭をよぎった。
その時、ポンポン、と腕の中の小さな赤子が、ヴィンセントの胸を叩く。
ヴァイオレットを見やると、金色の瞳はじぃっとヴィンセントの目をみていた。
視線がぶつかり合う。
赤子の眼差しにしては、意思の宿った鋭い眼光で、ヴィンセントは目を逸らすこともできないと思った。
ぱちぱちと何度か瞬きが繰り返されるも、その瞳は相変わらず一点にヴィンセントを見つめる。
やがて、ふるふる、と首を横に振った。
ヴィンセントはその意図が分からなくて、いやそもそも意図がある前提でいいのかと困惑し、無自覚に眉を下げていた。
「ヴァイオレット」
ヴァイオレットは口をハクハクと動かして、しかしすぐに、む、と小さく唸り、やがて両手に持った精霊石をブンブンっと上下に振った。
「ちょっ、やめっ。え?あ、あぁ。はい。
あー、ご主人、ここはヴァ…ではなく私がこの木のマナをコントロールしますから、この木を除去したりする必要はありません」
やかましいで評判のフェニックスだが、その声はモニョモニョと、どこか釈然としない口調である。
「木のマナをコントロール?土属性か、光属性ならできそうな話だが……火属性のお前が?」
「りゅ、竜は人間が思うより偉大なる存在なんですよ、えぇ」
今までにない誤魔化した態度であったが、騙しではないのだろう。
精霊は嘘をつかない。
ヴァイオレットはフェリックスの言葉をわかっているのかいないのか、精霊石を丸くて小さな手で不器用に撫でている。
父親譲りの、感情の見えない目つきで。
それでも、よくやった、の意味を込めているのだろうか。
赤子が手を持て余して石で遊んでいる、と考えるのが妥当であるが、ヴィンセントにはヴァイオレットが、フェリックスと意思疎通しているように見えた。
それが妙に、今まで見てきたヴァイオレットの姿のうちで1番、人間味のある行動だったものだから、ヴィンセントは自分の契約精霊を訝しむことが、急に馬鹿らしくなってしまった。
何故アマリアは、始まりの森に生えているような木の種を保持していたのか?
何故それを育てようとしたのか?
フェリックスは何故、木のマナのコントロールができると言うのか?
全ての疑問に対してヴィンセントは、かつてアマリアがいたずらげに微笑んでいった言葉を思い出した。
『え?なんで精霊の声が聴こえるかって?
さぁ…。なんでかなんて、死ぬまでにわかればいいじゃない。
そのことばかりに気を取られるのは人生の無駄だわ』
そのうち、この木とアマリアにまつわる疑問も、フェリックスの謎も、わかる日が来るだろう。
今は、己の腕の中の小さくか弱い存在を、命を懸けて大切にしていきたいという想いが、自分の中に明確にある、それだけわかればいい、ヴィンセントはそう思った。
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次回より10年進みます。
ヴァイオレットの従兄弟や、はとこの王子が出る予定です。