15.病弱の少女
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「…という話でまとまっておりましたよ、ヴァイオレット様」
ヴィンセントの胸の内ポケットに収まっていた精霊石の住人、フェリックスは、先のティールームの会話を、仔細ヴァイオレットに報告した。
「成程」と呟きながら、ヴァイオレットは、1本の若木の幹に手を添えた。
ここは公爵城の、夜の庭園。弱く優しい雪が、ふわりふわりと舞う。
ヴァイオレットが寄り添うこの木は、10年前ヴィンセントが植えた、かの樹木である。
子葉だった幼い木も、10年で立派に成長し、城の2階の窓にさしかかるほど背の高い樹木になった。
幹もいまや、人間の腕で抱え込むとしたら、2人分の腕を必要とするような太さだ。
——土と水の精霊よ、彼女に力を与えておくれ。
——光の精霊よ、彼女の飽くなき欲求に、癒しを与えておくれ。
ヴァイオレットがそう唱えると、幹に添えた手のひらがふわりと温かくなり、闇夜の中で無数の光の粒が、チラチラと瞬き始める。
オレンジ、水色、黄色。
淡く発光する粒子は、樹木に集まって、吸収されていく。
光が収まると、ヴァイオレットはそっと、手を離した。
そして、首を上に向け、秋の終わりの細い雪に負けず、落ちずに枝に残って生い茂る葉を見つめる。
ふぅ、と小さな溜息をついた。
10年前の約束通り、ヴァイオレットは定期的にこうして、精霊の力を借り、この木に宿る強力なマナを、コントロールしている。
「黒竜の祝福、か。父上はそんなこと、気にしていたのか」
ふわっと吹いた風で、なびく自分の長く黒い髪が、視界に入った。
ヴァイオレットは自由に歩けるようになってすぐ、つまり1歳頃には、城の書庫にある本を片っ端から読み漁ったので、もちろん「黒竜の祝福」についても知っていた。
自分がその特徴を兼ね揃えていることも、自覚していた。
歴史や政治学はひと通り、本から学んでいたので、ヴァイオレット自身が何かしらの波乱を呼び起こすだろうことも、予想ぐらいはついていた。
しかし、父親であるヴィンセントが、自分の将来をそこまで懸念しているとは、思い至らなかった。
ヴァイオレットは誰と結婚することになろうと、政治闘争に巻き込まれようと、どうでもよかったのである。
その過程でたとえ命を狙われようと、ヴァイオレットには黒竜の権能が健在であったから、返り討ちにすることぐらい動作のないことであったし。
つまりは何の恐れも抱いておらず、父親も同じであろうと踏んでいた。
何と言っても、ヴァイオレットもヴィンセントも、無口が基本であったから。
言ってくれないことを理解することなんて、ヴァイオレットにはできなかった。
「人間とは相変わらず、不可解だな」
いとこ家族を巻きこみ、一家総出で「病弱」などと、雑なことこの上ない隠蔽行動を王家に働くとは、滑稽もいいところだ。
そうまでして、黒髪・金眼を隠そうとする意味がわからぬ。
いや、ヴァイオレットの身を守るため、ということは理解しているが、そこまでする必要性が、彼女にはわからないのであった。
「あなた様であれば、御身の外見を変えることなど容易いくせに」
フェリックスが、呆れたように笑う。
10年前、精霊石に収まるか、竜として実体化するか、どちらかしかできなかったフェリックスは、進化を遂げ、今や自在に姿形を変えて、実体化することができるようになった。
だから今は、ヴィンセントの胸ポケットから離れ、ウサギの姿になって、ヴァイオレットの肩に乗っている。
こんなふうに姿を変えられるのも、精霊の中では竜だけである。
ヴァイオレットは肩に乗るウサギに左手を添えながら、確かにな、と頷き返す。
「光精霊と水精霊の力を借りれば、彼らが見た目ぐらいどうにでもしてくれる。
でも、普通の人間は、そんなことできない。だろう?」
「仰る通りです。人間は普通、ひとつの属性の精霊しか操れませんからね。
それに、どういった術式で外見変化をさせるかも、自分で考えなくてはなりませんし」
だったら、病弱のフリして自室に篭る以外、方法はないな。
ヴァイオレットは肩をすくめた。
そう、この国では皆、魔法が使えるが、その原理はこうだ。
人間が内に持つ魔力を、実体もなく彷徨う粒子のような精霊・マナに明け渡す。
マナは、与えられた魔力を糧に、エネルギーを放出する。
そのエネルギーこそが、人間にとって「魔法」と呼ばれるものなのだ。
精霊は、5つの属性に分かれる。
火・水・風・土・光。
人間が持つ魔力には個性があって、どれか1つの属性にしか、魔力を渡すことができない。
使える魔法は、1つの属性に限られていた。
けれどしかし、ヴァイオレットが使う魔法は、この原理から大きく外れる。
精霊王たるヴァイオレットは、魔力を明け渡さなくても、マナの方からエネルギーが提供されるのだ。
つまりヴァイオレットは、無限に、そして全ての属性の魔法を使うことができる。
そんな原則破りで魔法を人前で使えば、ヴァイオレットが明らかに人間でないと、一瞬でバレてしまうことは、明白であった。
「ご主人には打ち明けてしまえばいいじゃないですか。黒竜の生まれ変わりであると」
「冗談を。私でさえ、竜から人間になった理由がわからないのに、どうしてそんな、あり得ない話を信じるだろうか」
「ご主人なら、無条件にあなたの事、信じそうですけどね」
「…」
ヒュウっと、寒空の夜らしい、冷たい風が吹いたけれど、ヴァイオレットは寝間着のワンピース1枚のまま、さして寒いとも思わず、しばらくじっと立っていた。




