11.いとこよ、こんにちは③
「う、うわぁぁぁぁ!?」
突然の声に、驚きのあまり、ギルベルトは悲鳴をあげ、声のあった方向の逆へ飛び逃げる。
恐る恐る、振り返ってその瞬間、ギルベルトは息を止めた。
きれいな、少女。
夜の闇のような漆黒の髪は、豊かにゆったりとウェーブがかかっていて、シルクのように艶めいている。
肌は対照的に、白雪のように白い。
まだあどけなく、頬は柔らかで、ふっくらした唇は血色が良く、キュッと口の端を軽く結んでいた。
最も目を奪われるのは、その瞳だった。
影ができるほど、長く濃いまつげの下に、黄金色の瞳が瞬いている。
瞳孔は琥珀のようで、繊細な宝石が目に埋められているみたいだった。
ぱっちりとしたアーモンド型の目で、どちらかといえば愛くるしい顔立ち。
それなのに、どうしてか、その瞳に見つめられると、ゾワリと背筋が震える感覚がある。
ギルベルトと同じ年ぐらいだろうか、幼い少女であることに違いはないのに、その大きな輝く瞳には、体が硬直してしまうような威圧感があった。
畏怖。
それはギルベルトが11歳にしてはじめて味わった感情であった。
あどけなさの中に佇む無機質な鋭さのようなものに絡み取られる感覚がして、そてしかし、それには少し覚えがあるのであった。
たとえばそう、数刻前に言葉を交わした、自身の叔父だとか。
「お嬢さま。お客さまの背後を取ってはいけません」
コホン、と咳払いをした執事長の声で、ギルベルトは我に返った。
「ギル、あとマシューも、大丈夫?」
そう言ってアシュリーは、ギルベルトとマシューを交互に見やる。
ギルベルトは、自分が情けない声を上げたことに自覚はあったが、それにしても護衛騎士マシューの様子を見て、またも驚いてしまった。
抜剣の構えをしていたのである。
ハッと気づいたマシューは、すぐに構えを解き、姿勢を正した。
「申し訳ございません」
サッと胸に手を当て、謝罪の意を示すも、まだ緊張と疑念の色を微かに残している。
そんなに強張るほど、おれの声が大きかったって?
ギルベルトはなんだかいたたまれない気持ちになった。
この状況を生み出した、突然現れた少女はいったい、何者か。
公爵城内で、執事長に「お嬢さま」と呼ばれる少女など、ただ1人しかいない。
「久しぶりだね、ヴァイオレット。驚いたよ」
彼女とすでに面識のあるアシュリーは、言葉の割に特に驚いた様子もなく、ただ微笑んでいた。
「ごめんなさい、アシュリー兄上。城がいつもより、賑やかだったものだから。気になって」
淡々と、何の愛想笑いもなく告げるヴァイオレットを前に、ギルベルトは戸惑うばかりだった。
うわ、これが噂のヴァイオレット嬢か、緊張する、何と言おう?という具合に。
「驚かせたなら、謝罪しましょう。…ギルベルト兄上?」
戸惑うギルベルトの一方で、ヴァイオレットが声をかけるものだから、ギルベルトは仰天した。
あ、兄上だって!?
彼はもうずっと長いこと、王都のタウンハウスでは末っ子扱いだったし、最近弟が生まれたけれど、この弟はまだ言葉を喋れないほどに、幼いのである。
はじめて兄上と呼ばれたぞ!という興奮もそこそこに、先程出してしまった大声が思い出される。
ああ、「兄」とは、声をかけられたぐらいで大声なんて出したりしない。
あれはみっともなかった、とギルベルトが自覚した途端、兄上という名誉の呼称は、刹那にギルベルトの恥の象徴となって彼を居心地悪くする。
「ギ…ギルでいいよ、ヴァイオレット嬢。…敬語もいい」
あと、別に、驚いてないし。
という言葉はモゴモゴと、消えそうな言葉尻で繋がれた。
しかしヴァイオレットには、彼のささやかな失態など、たいへんどうでも良いのであった。
「わかった、ギル。私のことも、ヴァイオレットでいい」
簡単にそれだけ言って、「それで」と話を続ける。
「会いたいのか?」
先程の呟きが蒸し返され、ギルベルトは無性に恥ずかしくなった。
なぜ本人に、こうも堂々と問われなければならないのか。
答えあぐねていると、ヴァイオレットは絵画をそっと見やりながら言った。
「どうして人間はそんなにも、竜を好むんだろう」
「えっ…竜?」
「会いたいんだろう?フェリックスに」
ヴァイオレットはスッと、絵画の中で舞う赤い竜を指さす。
ふふっと、アシュリーは笑いを噛み殺しているようだった。
「そ、んな感じ、かな」
君に会いたかったんだよ、などと言えば、大抵のご令嬢は喜ぶものであるが、ギルベルトはまだそれを落ち着いて言えるほど大人でなければ、ヴァイオレットも残念ながら、大抵「でない」方のご令嬢であった。
誤解は解かないままいる方が、互いのためだろう。
アシュリーは兄として、ぎこちない弟を助けようと、会話に加わった。
「この炎竜は、ヴィンセント叔父さんの契約精霊なのかな?」
「ええ」
「そうなんだ。すごく美しい光景だね。
これ、想像で描いたの?こんなふうに城を俯瞰して見られる場所なんて、あったっけ」
「あります。城下の市街地よりもさらに下れば、丘があって、そこから見た景色です。
ちょうど満月の晩にフェリックスと、城を抜け出し…」
そこでヴァイオレットは、言葉を切った。
表情こそ変わらないものの、アシュリーの斜め後ろのあたりで、微妙に視線がたじろいでいた。
アシュリーが視線の先を確認しようと振り返ると、そこにいるのは、ギロリと目を光らせる、執事長。
「ほう。私も老体ですかな?
貴女のような高貴なるお子が、夜な夜な無断外出など…。聞き間違いに違いありますまい?
詳しくお聞かせ願えますかな、お嬢さま」
ヴァイオレットの顔が、明らかに「しまった」と言っていた。
アシュリーの中でヴァイオレットは、人形のようにおとなしい子というイメージがあったのだが、どうやらそうでもないらしい。
悪戯を見つかった子供が、必死に逃げ場を探す時の表情に、よく似ていて、アシュリーにとっては可笑しかった。
「ああ、そういえばマーシャが呼んでいたな」
いたって平静な顔で、声で、ヴァイオレットは瞬時に切り出す。
「私はもう行かねば。ごきげんよう、アシュリー兄上、ギル」
ヴァイオレットはそして、「さらば執事長、騎士殿」とやや早口で付け加えると、足早にバルコニーを去るのであった。
ヴァイオレットの背中を眺めながら、ギルベルトは、嵐のような出会いに、しばしポカンとしていた。




