3.今日も無事でした!
魔物退治に行くときは部屋のバルコニーで風を巻きこしてから地上に降りるが、家に戻るときは愛馬のオレリーを厩舎に預けた後、持たされている鍵で屋敷の裏口のドアを開けて入る。
屋敷の中に入ると音を立てないようにゆっくりと鍵を閉めると、両親を起こさないよう足音を忍ばせながら自分の部屋に戻る。
階段をのぼり2階の自分の部屋が見えてほっとした時、自室のドアの隙間から灯りが漏れているのに気づく。
レーヌは不思議に思い首を傾げながらドアをゆっくりと手前に引いていくと思わず悲鳴を上げそうになり、慌てて息をのむ。
部屋の入口では侍女のアラベルがにっこりと笑いながら仁王立ちしていたのだ。
「アラベル、ただいま。どうしたの?」
驚きながらも夜と言うこともあり小さな声で問いかける。
「おかえりなさいませ。お疲れのお嬢様を癒そうと、湯あみの準備をしておりました」
アラベルもまた小さな声で話すと、頭を下げる。
「あっ」
湯あみの準備中に呼び出されそのまま討伐に向かったことを忘れていたレーヌは間抜けな声を出す。
「お嬢様、明日はリュカ様がいらっしゃるのですよ? 精一杯体を磨かせて頂きます!」
アラベルは鼻息荒く、腕まくりをしながらにっこりと笑っている。
リュカ、というのは、レーヌが9歳の時に魔物から助けた少年の名前で、確か、ユルバンの隣の領地に住むナタン侯爵家のご子息で、3歳年上と聞いている。
小さな頃から剣の腕は近所の少年に負けないほどで、10歳になろうかという時、急に魔法が使えるようになり、知り合いから魔法を扱うことについて講義を受け始め、魔法が安定して使えるようになると自分の手で町を守りたいと思うようになり、渋る両親を説得して王都ユルバンの警護団に入る。
そして初めての討伐が、レーヌがリュカを庇い怪我を負った時だった。
討伐の翌日、約束通りアストリ家を訪れたリュカは最初にレーヌの両親に頭を下げる。
その後に、どういった状況で怪我をしたのか、現地での治療状況も合わせて話していたが、リュカが怪我の原因だと知った両親は怒りを滲ませる場面があったが、最後は素直に話してくれたことに感謝していた。
その日以降、リュカはレーヌに怪我を負わせたことの謝罪の気持ちからなのか、たまに花束を持ってこの屋敷を訪れるようになった。
最初は怒りを感じて冷たい態度をとっていた父親は度々訪れるリュカと話すうちに、身分も悪くないし、婚姻の申し込みがあればいつでも許可すると言い始める。が、その話が出るたびにレーヌは苦笑いを浮かべ首を横にふる。
「リュカ様は謝罪の気持ちでこの家を訪ねているだけで、婚姻を申し込むという考えはないはずよ? それにリュカ様には婚約者がいるかもしれないでしょう?」
レーヌの話に父親は黙りこむが、またリュカがアストリ家を訪れる度に蒸し返している。
レーヌが部屋の入口でリュカのことを思い出していると、アラベルが両腕を掴み引きずるようにバスルームに連れて行くと、手早く洋服を脱がせバスタブにレーヌを沈める。
バスタブの中には鎮静作用のあるラベンダーの精油を落としていて花の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
レーヌが落ち着く頃合いを見計らうとアラベルは口を開く。
「今日はどこも怪我をしていませんか?」
亜麻色の髪を梳きながらアラベルは優しく聞いてくる。
この問いかけは討伐に出て家に戻った時に必ずアラベルの口から出る。心配をかけているのは両親だけではないんだな、とレーヌは胸の奥が温かくなる。
「今日は大丈夫でした」
アラベルが心配してくれることに申し訳なさとありがたい気持ちを込め笑顔で頷くとアラベルは安堵した表情を顔に浮かべた。
湯あみが終わり、髪を乾かしてもらったところで、アラベルは、おやすみなさい、と言って部屋の灯りを消しながらドアに向かう。
レーヌもまた、おやすみなさい、と声をかけ、部屋から出て行くアラベルを見送ると、ベッドに潜り込む。
今日の魔物退治で限界まで魔法を使ってはいないけれど、それでも体には疲労感が広がっている。
柔らかい布団にくるまると、すぐに眠りに落ちていった。