長年愛読してきた小説の推しキャラが作中で死んでしまった今の私の心には、婚約破棄さえ響かない
「いやあああ!!! レクシス!! レクシスゥ!!!」
「……け、怪我はないかい、ミリア……?」
「私のことより、あなたが……!!」
私を凶弾から庇ったレクシス。
その胸からは、夥しい血が溢れ出ている。
嗚呼、そんな……!!
レクシス……!!
レクシスゥ……!!!
「君が無事ならよかった……。ろくでもない人生だったけれど……、最後に君を救えたなら、案外悪くなかったと思えるよ……」
「そんなこと言わないでレクシス! オーロラを見に連れていってくれるって約束したじゃないッ!」
「ふ、ふふ……、癪だけどその役目は……カインに任せるよ……」
「レクシス……!」
私が握るレクシスの手から、次第に温度が失われていく。
嗚呼神様……!
お願いだから、私からレクシスを奪わないで……!
「……ずっとミリアに言えなかったことがあるんだ」
「もうそれ以上喋らないでレクシスッ!」
「…………僕は、初めて教会で君に逢った時から……、ずっと君のことが、す……」
「――!! レクシス!! レクシスゥゥゥ!!!!」
ゆっくりと瞼を閉じるレクシス。
その顔は、午後の日差しにまどろむ少年の如く、穏やかだった。
「いやあああああああああ!!!!!」
「えええええええええええ!?!?!?!?」
思わず本を握りしめながら絶叫する。
う、嘘よ……!!
誰か噓だと言って……!!
長年愛読してきたヒキニート先生著の傑作ロマンス小説、『ウォルタンシアの迷い人』――通称『ウォルまよ』の推しキャラ、レクシス様が……、レクシス様があああああ……!!!
嗚呼、酷い、あんまりだわ……!!
私の青春の全てを捧げたと言っても過言ではないレクシス様が、まさかこんなことに……!!
何故なのですかヒキニート先生……!!
そりゃストーリーの流れ的に、レクシス様はミリアとくっつかないだろうなとは半ば思っていましたよ?
でもだからこそ、せめて天寿は全うさせてあげたかったというのに……!!
もうこれから私、何を糧に人生を生きていけばいいというの……?
間違いなく今の私は、世界一不幸な女だわ……。
――だが、悪いことというのは重なるもので……。
「ティアナ、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「……!」
悪夢のようなレクシス様との死別から一夜明けた今日。
私の婚約者であるヨーゼフ第二王子が、夜会の最中唐突にそう宣言した。
「……はぁ、左様ですか」
「ヌッ!? 僕の言ったことが聞こえなかったのか!? 僕は君との婚約を破棄すると言ったんだぞッ!!」
いやそんな大声出さなくてもよく聞こえてましたよ。
でも今の私の心は、レクシス様のことでいっぱいで……。
嗚呼、婚約破棄といえばウォルまよ三巻で、ミリアが隣国の婚約破棄騒動に巻き込まれそうになった際の名シーン!
レクシス様が懐に忍ばせておいた大根でミリアを救ったシーンは、何度読んでもときめいちゃうわッ!
……だというのに、もう二度とレクシス様の活躍がウォルまよで読めないなんて……。
うぅ……、ホントに私もう、これからどうしたら……。
「フ、フン、そんな神妙な顔をしても無駄だぞ! 君が陰でベティーネに陰湿な嫌がらせをしていたのはバレてるんだからな!」
「嗚呼、ヨーゼフ様」
男爵令嬢であるベティーネが、明らかに噓泣きとわかる涙を流しながら、ヨーゼフ様にしなだれかかる。
いやまったく身に覚えがないんですけど?
ベティーネの虚言をすんなり信じちゃうなんて、こんな人が第二王子でこの国は大丈夫なのかしら?
そうそう、陰湿な嫌がらせといえばウォルまよの五巻!
お弁当箱の中にダイオウグソクムシの死骸を入れられていたミリアを、レクシス様が懐に忍ばせておいた大根で救ったシーンは、何度読んでも号泣必至ッ!!
嗚呼、読みたいッ!!
もう一度レクシス様の活躍をウォルまよで読みたいわああああ!!!!
「あああああああああああああん」
「フ、フン、そんな泣き落としは僕には通じないぞティアナ!」
「レクシス様あああああああ」
「レクシス様!?!? だ、誰だそれはッ!? まさか貴様、僕というものがありながら、他の男と浮気していたのではあるまいなッ!!」
頭に特大ブーメラン刺さってますけど大丈夫ですか?
「レクシス様というのはウォルまよに出てくる私の推しキャラですうううううう」
「んんんんんん????」
「レクシス様が死んじゃって、私もう、どうしたらいいかああああああ」
「――それは悪いことをしたね」
「「「――!!!」」」
その時だった。
一人の男性が優雅なオーラを纏いながら、私たちの前に現れた。
それは第一王子であり、王太子殿下でもあらせられるラーハルト様だった。
高身長の甘いマスクに流れるようなサラサラのブロンドヘア。女性に対してのエスコートも完璧な上、カーテンの隙間が怖いというギャップ萌え要素もあり――!
全令嬢の憧れの的のラーハルト様がいったい……!?
「今まで黙っていて申し訳なかった。――実は私がウォルまよの作者、ヒキニートなんだ」
「「「――!!!!!」」」
えーーーーーー!?!?!?!?
ラーハルト様が、ヒキニート先生!?!?!?!?
「君がずっとレクシスのことを推してくれていたのは、君から毎回届くファンレターで知っていたのだが、彼が死ぬことは当初のプロットから決まっていてね。どうしても運命を変えることは作者としてできなかった。――この通り、許してくれ」
ラーハルト様――いや、ヒキニート先生は、私の前で深く頭を下げた。
「そ、そんな! 頭を上げてくださいヒキニート先生! ……ヒキニート先生のお気持ちはよくわかりました。ですが、一つだけ教えていただけないでしょうか?」
「何だい?」
顔を上げたヒキニート先生が、吸い込まれるようなエメラルドの瞳で私を見つめてくる。
私は逸る心臓を必死に抑え、訊いた。
「……何故今回だけレクシス様は、いつものように懐に大根を忍ばせておかなかったのでしょうか? そうすれば大根が、銃弾を防いでくれたかもしれないのに」
「……実はあの日の夕飯は――おでんだったんだよ」
「――!!」
嗚呼、そういうことですか。
おでんに大根は必須ですものね……。
「よくわかりました。誠意あるご回答、ありがとうございますヒキニート先生」
「では私からも一つよろしいだろうか、ティアナ」
「?」
そう言うなりヒキニート先生は、私の前で恭しく片膝をつき、右手を差し出された。
ヒ、ヒキニート先生??
「代わりと言っては何だが、今後は君が僕の妻となって、僕を推してはもらえないだろうか?」
「――!!!」
えーーーーーー!?!?!?!?
私がヒキニート先生の、つ、妻にいいいいいい!?!?!?!?
「私がまだ駆け出しの売れない作家だった頃、君から届いたファンレターにいつも背中を押されていたんだ」
「――!!」
ヒキニート先生……。
「君がいたから今日まで私は頑張ることができた。――君こそが、私の生涯でただ一人の『推し』なんだよ、ティアナ」
「ヒキニート先生」
嗚呼、憧れのヒキニート先生が私を……!
こんなに幸せなことがあっていいのかしら。
「ありがとうございますヒキニート先生――いや、ラーハルト様。今後は私も生涯を懸けて、あなた様を推させていただきます」
私はラーハルト様の右手に、自らの左手をそっと重ねた。
「しょ、正気ですか兄上ッ!!? その女は陰でベティーネをイジメているような痴れ者ですよッ!!」
「痴れ者はお前のほうだヨーゼフ」
「え?」
ほ?
ラーハルト様?
「私の担当編集者は優秀な元諜報員でね。彼が調べてくれたよ――ティアナを陥れるために、ベティーネ嬢が根も葉もない噂を流しているとな」
「「「――!!!」」」
ラーハルト様は懐から証拠書類と思われる束を取り出し、それをベティーネの前に投げ捨てた。
「こ、これは……!! あ、あのあのあの、これは違うんですヨーゼフ様!!」
「何が違うというんだベティーネッ!!? 君は僕を騙していたのかッ!!?」
「いや、お前も同罪だぞヨーゼフ」
「……え? あ、兄上?」
「大して噂の真偽も確かめずベティーネ嬢の発言を鵜吞みにし、そのうえ王家が決めた婚約を身勝手な理由で破棄するとは――許されざる大罪だ」
「そ、それは……!!」
言い得て妙。
「よってお前からは王位継承権を剝奪する」
「そんなッ!!? ど、どうかお慈悲を、兄上ッ!!」
「却下だ。お前とベティーネ嬢には罰として、『どんな辛辣な感想も大歓迎!』と銘打ったうえで、それぞれ百作小説を世間に発表してもらう」
「兄上ッッ!?!?」
「わ、私もですかッッ!?!?」
「……遠慮のない読者からの口撃は、想像以上に心を抉るぞ。精々反省するのだな」
ああ、私は読み専なので何とも言えませんが、確かに辛そうですね、それは。
「連れていけ」
「お、お待ちください兄上ッ! 兄上ええええええッ!!!!」
「いやああああああああッ!!!!」
断末魔のような叫びをあげながら、お二人は連行されていった。
グッドラック。
「さて、ティアナ、早速だが新作のプロットで君に相談に乗ってもらいたいことがあるんだ。いいかな?」
「はい! 私なんかでよければ、喜んで!」
こうして私は生涯、ヒキニート先生を公私ともに支えた女傑として歴史に名を残すことになるのですが、それはまた、別の話。
めでたしめでたし