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Red JAPAN 赤い日本  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ01「オペレーション・ラウンドアップ」

転載するかどうかかなり悩んだのですが、出来る限り転載する方針にしたので転載する事にしました。

一種の思考実験として色々書いた中での日本鬱展開な作品です。

免疫のない方は、すぐに閉じてください。

●フェイズ01-1「ターニングポイント「契約」」


 1942年の春、日本国中が勝利に湧いている頃、ある者が命を賭した祈りは「何者か」に通じた。

 その「何者か」は、不遜にも自らを呼び出した者に一定の評価を下し、魂を代償として三つの願いを叶えようと言葉をかけた。

 ただし、人の時間で五十年以内で出来ることであり、契約は五十年後に自動的に終わると「何者か」はそう付け加えた。

 

 だが呼び出した者は躊躇せずに願った。

 五十年もの時間は全く不要の願いばかりだった。


 「日本海軍に勝利を」

 「日本を泥沼の戦争に追いやった支那に破滅を」

 「日本を英米から守らせたまえ」


 あい分かった。


 そう言った「何者か」は、力強く言うが早いか自らを呼び出した術者の魂を旨そうに咀嚼し、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。


 さて、どうやって「契約」を果たしてやろうか。


 一度交わされた契約は、呼び出された「何者か」にとっても神聖にして不可侵なものだったが、解釈は自由自在だった。




●フェイズ01-2「オペレーション・ラウンドアップ」


 第二次世界大戦で連合軍は、早期の欧州反攻作戦「オペレーション・ラウンドアップ」を発動。

 作戦は成功し、1943年6月6日に連合軍はノルマンディー海岸に溢れた。

 

 作戦はシチリア島上陸の先送りもさる事ながら、当時の全ての戦争資源を一気に投入できたアメリカ軍だからこそなしえた作戦だった。

 

 しかし事の発端は、ヨーロッパやアメリカではなかった。

 

 事の発端は、日本軍の積極的な攻勢にあった。

 

 真珠湾奇襲攻撃からミッドウェー海戦までに、アメリカ太平洋艦隊は壊滅的打撃を受けた。

 

 敗北の原因はなんだったのか。

 一般的には、「珊瑚海海戦」で空母ヨークタウンに大損害を受けたことと、ミッドウェー海戦でアメリカ海軍が空母を2隻しか用意できなかった事が直接的な原因だと言われている。

 

 そうして戦術的な事の経緯はともかく、アメリカ海軍の海上機動戦力は一時的に壊滅してしまった。

 その結果、ソロモン海域での戦闘にも敗北し、日本軍優位のまま1942年を折り返した。

 そして同年11月のアメリカ中間選挙で民主党は辛うじて勝利したが、それ故に敗北を上回る大きな勝利が必要となっていた。

 

 そして当面日本への反撃が難しいアメリカは、戦争の方針を一部変更する事とした。

 一つは、強大な日本海軍に対しては当面は徹底した守勢防御を貫き、十分な艦艇が揃うまで決して反撃しない事。

 もう一つは、国民からの戦争支持を受けるため、別の戦場で大きな勝利を得ること、しかも出来る限り短期間に。

 そして派手に。

 

 そうして選ばれたのが、早期の欧州大陸反攻作戦だったのだ。

 


 欧州反攻作戦「オペレーション・ラウンドアップ」では、十分に戦力漸減ができていいなかったドイツ空軍の抵抗により大きな損害が出たが、連合軍は第二波上陸軍の投入によって、ヨーロッパ大陸に確固たる橋頭堡を築き上げた。

 

 これに対してドイツ軍だが、当時フランスには44個師団が存在したが、まともな戦力を持った師団はほとんど存在しなかぅた。

 戦力価値の低い海岸張り付け師団と、東部戦線での消耗を癒している再編成中の師団だけと言える状態だった。

 

 このため連合軍の多くの危惧をよそに、ノルマンディー半島に対する上陸作戦とその後の進撃は、作戦初期の犠牲を除けば大成功をおさめた。

 

 フランス戦線は早期に総崩れとなり、上陸から一ヶ月の7月初旬にはパリが解放され、連合軍は9月中にベネルクス国境まで接近した。

 だが、流石にドイツ本土を前にして、連合軍の進撃は停滞を余儀なくされた。

 ドイツ軍の抵抗が激しくなった事ももちろんだが、連合軍がフランス全土への生活物資供給を行わなくてはならないからだった。

 

 その後ドイツは、東部戦線での決戦を急遽中止して(「砦作戦」中止)、ドニエプル川を中心にした機動防御を主軸に置いた戦線縮小と防衛体制の強化を実施せざるを得なくなった。

 これは何とか功を奏し、年内は自軍の崩壊もなくソ連軍の大規模な突破も許さなかった。

 そして戦線の整理で「余剰」となった戦力を、続々と西部戦線に送り込んだ。

 しかし西欧での初期の敗北のツケはやはり大きすぎた。

 以後ドイツ軍の抵抗は、急速に尻窄みとなっていった。

 

 1943年9月にはシシリーが陥ち、11月にはイタリア本土に連合軍が上陸するとイタリアは呆気なく降伏した。

 北部にドイツの手により傀儡政権がうち立てられたが、ドイツの負担はさらに増していった。

 

 しかも秋から初冬にかけて補給体制を整えた連合軍は、さらなる大軍を投入してベルリンに向けての進撃を再開する。

 年内には、ライン川西岸にまで攻め込まれてしまっていた。

 

 これにより、ライン川にあるフランクフルト一帯やルール工業地帯の生産力は激減した。

 また連合軍の接近によりドイツ本土の制空権をなくしたため、ドイツ本土でのパイロットの訓練もままならなくなる。

 以後の崩壊は急速だった。

 

 さらにソ連赤軍の犠牲を省みない冬季大反抗で、東部戦線中央部も崩壊した。

 地域によっては、一気にソ連国境付近にまで押し返されてしまう。

 北部集団などは、本国から分断されてバルト三国の中に取り残されてしまっていた。

 

 そして本土が危うくなったドイツ軍に、連合軍の進撃を押しとどめることはもはや不可能だった。

 

 西からは連合軍が圧倒的な制空権で攻め寄せ、東からは犠牲を省みないソ連赤軍1000万の大軍が人の波となって押し寄せた。

 

 そして1944年3月8日、連合軍(米英)によるベルリン陥落によって、ナチスドイツは崩壊した。

 

 しかしその時、ドイツの同盟国だった日本は、まだ戦争のただ中にあった。


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