二刀目 消えた皇子
カイル、マイミが薬草を採ろうと、黒霧森へ出かけた数時間後のことである。
村の者達は二人が黒霧村にいくことに嫌な顔をしたものの、とても心配していた。なにせ、この村に住む子供は二十名もいない。働き頭である若者を失うことは黒霧森にとっては大損失だ。
「はぁ?あいつら黒霧森に行ったんだって!何してんだよ!じじい!」
三軒先の家まで聞こえそうな大声で自身の祖父でもあり、村長でもある人間を罵倒したグブァラは祖父の胸倉をつかんだ。
グブァラは、カイル、マイミと同年代でカイルがこちらに越してきて以来、よく三人で遊んできた仲である。そのため二人のことを大切に思っている。黒霧森は行方不明の後に死亡する確率が高いことを考えると怖くて今にも二人の後を追いかけたい。
「じじい、いますぐ追いかけるぞ!」
「あのなぁ…あの二人は儂らがいくらとめても行くと言って聞かなかったんだぞ…。儂らでさえ根負けするくらいに…。」
「あの二人の頑固さは昔から知れたことだ。じじいも弱くなったなぁ。」
「お前はその二人を止めるどころか寝ていたではないか。」
「うっ…。」
グブァラは昨日の夕刻、昼寝の延長戦をしていた。おそらく祖父の呆れた顔を見るに何度もグブァラの体をさすっては起こそうとしてくれたのだろう。
実際グブァラは二人と村長が行く、行かないと言い合いをしている最中、女の胸に囲まれている夢を見ており、夢から醒めることに抵抗してたのである。
「それでも!俺は行くぞ!」
「やめておけ!お前は儂らの跡取りだ。」
「知るか、バーカ!何が跡取りだ!大したことじゃねぇだろ。他にも沢山いるだろ!」
「やめてくれ!」
グブァラが家を出ようとすると、老人とは思えないくらいの張った声を村長があげる。経験と責任の重さがこもったその凄みにグブァラも思わずその場に留まってしまう。
「この村はお前が再興するんだ。お前はもうすぐ十五だ。バルヘルムに言って王立学園に行って…。」
「じ、じじい、何言ってるんだ…?俺は今のままでいいのに…。」
グブァラは祖父の村長へ振り向いた。怒りでワナワナと体が震えている。
グブァラの両親、祖父の息子夫婦が亡くなって以来、グブァラは村長の元で育った。生まれは違うところだが、ここで何年も暮らし、離れるなんて考えたくない。
「お前がここだけで知力を奮うのは役不足だ。都でいずれ出世してここを自分の領地にするんだ。そのためにお前の母親にも説得は済んでいる。それまでは儂がここを食いつなぐ。お前は最後の希望だ。」
「何言って…!」
「異論は聴かん!もう少し後に言うつもりだったが…。仕方ない。もしそれでも行くというならばこの家からお前は出さんからな。」
「嘘…だろ?親父、なぁどういうことだよ!」
グブァラは話から全てを察して混乱する頭を何とか正気に戻そうとするがその場から動けなくなる。グブァラの母は生きている、それもおそらくはそれほど低い身分ではないはずだ。試験無しに王立学園に入れるほどの身分ともなれば…。
(いったい…父さんも母さんも何者なんだ…?)
「村長!」
グブァラ現実を受け止めないでいると、急にけたたましい音ともにドアが開いた。
額に大量の汗を浮かべた村民の一人が息を切らしながら立っている。呼吸を整えるためか中々話し出さない。
「何だ…?」
村長はあくまで冷静に尋ねる。
「む、村に…へ、兵士が…!そ、それも騎士隊第三部隊だと…!」
「はぁ?」
「何じゃと…!」
コーストニア王国における騎士隊、それは国の中でも王族直属の隊であり、貴族出身ではなくても同等に扱われるほどの権力を持つ。かなりの実力を持ち、隣の大帝国、ここ周辺国では一番の規模を誇るミクジニア帝国がこの小国、コーストニアを攻めない理由の一つがこの騎士隊に返り討ちに何度もあっているからだというくらいだ。
しかし、王族直属というのもあり、大きな戦争でもなければ普段から王都バルヘルムからほとんど動かない。そんな騎士隊は第一部隊から第十二部隊まであり、数の大きさが小さければ小さいほど強いとされている。つまり、第三部隊は騎士隊の中でも有数の実力を持つというのだ。こんな田舎に来る任務などないはずだ。
「ひとまず、挨拶せねば。」
村長は棒立ちになっていたグブァラを押しのけると、外へ出てしまう。グブァラもあわててそのあと追うと、外の光景に開いた口がふさがらなかった。
銀の甲冑を身に纏う騎士達は、馬に跨がり恍惚としていた。戦闘にいるのは騎士隊長だろうか。決して騎士らしい無骨な顔をしているわけではないが、そこにいる人物が放つオーラは人と思えぬほどだった。まだ幼さが残る顔だというのに。
「イルトモ村村長、フーラムにございます。本日はどのようなご用にございましょうか?」
フーラムがひざをついて、立ったままであったグブァラもグブァラも自分が失礼極まりないことを自覚し、村長と同じようにする。
「シェイル殿下を迎えに来た。后妃殿下も御一緒にということだ。」
「…………!」
「どうした?」
フーラムはその場から動かず、何も話さない。グブァラもチラリとフーラムを見てぞっとした。
フーラムは怪しく笑っていた。誰かの不幸を喜ぶかのように。その高揚感をださぬように必死で抑えているようにしか思えない。昔から妙なところはあったが、それでも祖父として孫を慈しみ育ててくれた。そんなフーラムに対してグブァラは今は単なる化け物を見ているようで悍ましい。
「すみません。今、シェイル様は出かけておりまして…。」
「どこへだ。」
「黒霧森です…。」
フーラムは耳を澄ませないと聞こえないような声で言った。当然だ。黒霧森といえばその昔死人を沢山だしたこともある森だ。そんなところに「シェイル」というわからないが騎士隊が迎えにくらいの身分の者を行かせたとなると、打ち首だけすめば良いほうだ。
「何だと!」
反応したのは前にいる騎士部隊長ではなかった。なんとか目を動かし、様子を見ると、後方にいた騎士の一人が声をあげたのか、騎士隊の者達が一斉に後ろを振り返った。しかし、グブァラの方からは姿も見えなかった。
「ミャーオ、どうした?」
「黒霧森といえば、指名手配中の闇商人が隠れているという噂があります。しかし、中の暗さや樹木の多さから誰も近づかないことから信憑性は低いですが…。」
(おいおい…そんなの聞いてないぞ…!)
黒霧森は誰も管理していない無法地帯ではあるが、まさかそんなことが起きているなんて思えなかった。
「ミャーオ、どうして黙っていた…。」
「お伝える前に我々は出発しろとユーリ様が…。」
「そうか…そうだったな。」
短い会話だが、それだけで騎士隊の雰囲気が気まずい雰囲気になっていることが膝をついて顔をあげられずにいるグブァラにでさえ伝わっていく。
「皆様、長旅ご苦労様です…。さあ、我々の村の宿にでもごゆっくりなされてからはいかがでしょうか。」
フーラムが急に声をあげ、許可もされていないにもかかわらず顔をあげて、騎士部隊長に提案した。
しかし、一番驚くべきなのはフーラムにとってその「シェイル」を黒霧森においていても構わないと考えていることだ。今すぐにでも信憑性が低いとはいえ「シェイル」が闇商人に殺められている可能性もあるというのに。
「いや、いい。今すぐにでもシェイル様を迎えに行かなくては…。」
「騎士部隊長様、何卒お願いします。」
フーラムは依然として顔を下げている間は悍ましい笑みを浮かべている。フーラムがここを動かなければグブァラや他の村民さえも動けない。村長という権限はこの村では絶大なものだ。そして、大量の村民がひざまずくのせいで騎士隊も動けない。
「皆、散れ。私たちはシェイル様をお迎えにいく。」
「しかし、皆様お疲れでしょうし…。」
(糞じじい!)
グブァラは今にも大切に育ててくれた祖父の背中を蹴りそうになるが、一番はそんなフーラムに恩を感じて反抗できず足が動かない自分に腹が立つ。
「お願いします!」
フーラムはそこから動かない。グブァラも動けない。
「わかった…。そこまで言うなら…。」
(………………!じじい…。)
グブァラは、満足そうな「シェイル」出迎えを遅らせたことに満足げな笑みを見て、信じていた者に裏切られたような気持ちになる。泣きたくなるくらい悔しい上に悲しい。
「皆、立て。フーラム、案内しろ。馬を留めるところはあるか?」
「はい、こちらです。」
フーラムが騎士隊を案内する中、グブァラはその背中が村長ではなく悪魔に思えた。
ひとまず家の中に入ると、ドアを閉めたその音ともに恐怖で体の震えが止まらなかった。
「あっ…ああ…!」
上手く言葉にもできないくらいにグブァラはうずくまってもだえる。祖父も父も母も何を考えているのかわからない。フーラムがどうしてバルヘルムへ行けというのか、どうして「シェイル」という人間を見殺しにしかねないことをするのか。祖父はどうしてシェイルが黒霧森にいることを知っていたのか。
そして、皮肉にも祖父のことを考えることに対して拒否反応がグブァラをようやく冷静にさせた。
王族直属の騎士部隊が基本出迎えに来るとすれば降嫁された王女、王族の血を引く四大貴族、そして、王族のみだ。そして、今黒霧森にいるのはカイルとマイミだ。そのどちらかがそのどれかにあたるが、最も可能性が高いのは間違いなく、カイルだ。
マイミはグブァラが小さい頃から両親を亡くし、フーラムに預けられた頃から知っており、物心ついたときにはそこにいた。しかし、カイルは八歳の頃、突然この村に現れ、フーラムは何も言わず受け入れたのを子供ながらに鮮明に覚えている。カイルもバルヘルムにいた頃のことは多くは、どころか全く話そうとしなかった。
カイルの身分も驚くところだが、フーラムの望むことが起こらないように先に黒霧森に行こうと立ち上がる。体の震えはもう止まった。
「あとでじじに聞くとして今は…。」
「今は何だ?」
背後に響く低く、しわがれた憎悪のこもった声。そして、今までは大好きだったその声。
「じじい…!」
グブァラは唐突に涙があふれてくる。こんなわけのわからない行動をしてしまえばフーラムにばれてしまいかねないというのに涙は止まってくれない。
「お前はあの子と仲良くなるべきではなかったな。儂がもっと早く止めておくべきだった…!」
すると、何かを決意したかのようにフーラムは顔を引締めると、グブァラを床に押し倒した。
「なにすんだよ!」
「黒霧森には本当に闇商人がいる。お前がもし行くとしたらお前まで殺されてしまう可能性がある。それだけは許されないことだ。この村をあの方の領地にしていただくまでは…!お前は必要なんだ!手荒な真似はしたくない。こうして押さえ付けておく!」
フーラムはそのままグブァラをうつぶせに寝かせると、手と足を手慣れたように縛り上げた。
「おい、じじいどういうことだ!本当に闇商人がいるなんて!どういうことだ…!」
「それ以上はいくら孫でも教えられない。」
「カイルが邪魔なのか?」
「お前もバルヘルムに行けばわかる!」
「んなことはどうでもいい!俺の大事な友達が何でじじいが殺されなくちゃ行けないんだよ!」
「しばらくはそこで頭を冷やせ!」
フーラムはそれだけ言うと、家から出ていってしまった。
「俺はどうしたらいいんだよ…!」
ひたすらどたばたとして紐を解こうとするが無理だ。逆に絡まってしまう。
しかし、おとなしくしているといつカイルが殺されてもおかしくない。動けない自分が悔しい。
思いついた愚策ではあるが、芋虫のように体を動かし、床を這うように進む。壁際までいくと、壁に背をくっつけ、バランスをとると、縛られてままであるが、何とか立つことが出来た。そのまま転ばないように急ぎつつちょっとずつジャンプしながら進んでいく。扉は体当たりして開ければ問題ない。
何を馬鹿なことをしたのか扉とは反対の壁を土台にしてしまい、あまりに進む距離が短いためいつもなら短いこの距離が遥か遠くに見える。焦りと縛られている痛みから頭が上手くまわらない。本来ならもう一回転んで扉側の壁へ向かった方が早いのだが、そこまでグブァラは冷静でもなかった。
みるみる汗はかいていき、服に染み込んだ部分がはっきりとわかるくらいになる。しかし、それでもまだ半分といったところで気が遠くなる。無駄に広い部屋が嫌になる。時間がかなり経ってしまったが、今はこの部屋から出るしかない。
「ハァ…ハァ…」
やはり体力を削られており、その場でバランスを崩さないよう呼吸を整える。
「隊長の言う通りだ…。」
自分しかいない部屋から声が聞こえ、気が遠くなりそうだったグブァラはハッとして声の方向を見る。扉は開いておらず正面に光は差し込んでいない。
声の主は窓を覗き込んでいた。窓が開いていたという家の防犯意識が問題だということは二の次だ。
声の主の男は褐色の肌にくせ毛の黒髪で、琥珀色の大きな切れ長の目に引き締まった唇とコーストニアにはいない人種であった。
「俺はミャーオだ。隊長からこの家に行けって言われていたんだ。その理由が孫息子が絶対に家に縛られているらしい…。」
第三騎士部隊で黒霧森のことを知っていた人間だ。そして、その隊長は予知夢でも見ていたのだろうか。
「理由は後で話す。今はその縄を解かなくちゃな。」
ミャーオは気にすることもなく、窓から家の中に入ると、グブァラの縄を解いてくれる。久しぶりの手と足の開放感に爽快さまで感じる。
「跡がついているな…。どうりで小型ナイフでしか切れないわけだ。手首苦しくなかったか?」
「めちゃくちゃ痛かったです…。って!それよりも黒霧森へ行きましょう!あそこに本当に闇商人がいるらしいんです!祖父が言ってました。」
「あ、ああ…。」
グブァラはミャーオとの距離感も考えることもなく身を乗り出して唾を吐き散らす勢いで語る。ミャーオの少し引いた反応は当然だ。
「ただ、お前が心配するほどあの方…、シェイル殿下は弱くないぞ。」
「えっ…?」
「本人がまた語るだろうから今は行くぞ。」
「あっ、はい!」
ミャーオは扉を開けると、走って言ってしまう。グブァラも疑問を考えるひまがないくらいに急がねばならず、ミャーオの後についていく。
「馬に乗れるか…?」
「乗れないです。」
何でそんな一般庶民じゃできないことを聞くのは理解が出来ないが、今はそんなことを考える暇さえない。
ミャーオは頷くと、馬が留められている場所に着くと走る勢いそのまま跨がり、グブァラの腕をとり、引き上げてくれる。。
「軽っ!孫息子、跨がれるか?」
「はい!」
グブァラは何とか馬に跨がると、その不安定さに一瞬よろめくが、落ちないための本能かミャーオの腰を後ろから両手で包み込んだ。
「よし!そのまま行くぞ!」
「あの、黒霧森の場所わかるんですか?」
「だいたいはわかるからな。俺達騎士隊はコーストニアの地形はだいたい頭に入っている。」
ミャーオはグブァラが感嘆の声をあげる前に馬を駆けさせる。
しかし、グブァラはあまりの疾走感に思わず目を錘ってしまう。今どんな状況なのかわからない上に落ちないように必死だ。
「シェイル…!」
ミャーオのその一言だけでも焦りが伝わっていく。腰まで震えている上に背中につたう冷や汗の両が半端でない。「シェイル」とミャーオの関係はわからないが、浅い関係ではなさそうだ。
そろそろ目をつむるのが痛いと思い始めた頃、ようやく吐きそうなくらいの馬の揺れがなくなり、馬が蹄を地面に打ち付けるコツコツという音がする。
「ミャーオ…!」
「お久しぶりです…。シェイル…殿下…。」
カイルの声が耳に入った時、まるで数十年の時が経ったくらいの懐かしさ覚えるくらいだった。
目を開けると、日は傾いており、ミャーオとカイルの間に流れるなんともいえない空気が漂っていた。
「降りろ、孫息子!」
突然、ミャーオが語気を強める。グブァラは驚いて慌てて馬から降りるが、意外と高かったため、勢いよく降りるとしりもちをついてしまった。
カイルはそれを見て吹き出すが、ミャーオは鋭利な刃物のような目線を送る。先ほど自分を助けてくれた人物とは別人にさえ見える。
「お迎えに上がりました…。ライオルト・シェイル・コーストニア殿下。」
ミャーオは神妙な面持ちで膝をつき、頭を垂れた。
側にいたマイミ、グブァラはそれを聞いて、雷に撃たれたかのような衝撃にその場を動くことが出来ず、むしろこの状況に寒気さえ覚えた。
ライオルト・シェイル・コーストニアといえばコーストニア王国、前王妃、リィーヌ・メンロア・コーストニアとの間に生まれた正真正銘の前皇太子であり、グブァラ達が平然と仲を深められるような相手ではなかった。