3・「記憶」
ふと疑問がわいて読み進めるのを止める。
「なんだか優しい、でも悲しいお話ねえ」
「しーちゃん、難しくてわかんない」
「あ、そうよね。
シノにはまだ難しかったかもね」
膝の上に座って聞いていたソウタが僕の顔を見上げる。
「おしまい?」
「え、あー…うん、どうだったかな」
僕は読み進めるうちにだんだんと違和感を覚えていた。
改めて見るとなんだか字体も僕のものとは違うような気がする。
妙に力のこもった字、まるで物を壁に投げつけるような。
幼い僕、たしか中学生ぐらいだったと思うのだが、中学生の言葉回しには見えないし、なにより…。
「…?」
うまくは言い表せないが、全く記憶にないこの物語を、たしかに書いた覚えがある。
僕はこれ以外にもいろいろな物語を書いていたが、その全ての内容を完璧ではないにしろ、覚えている自信がある。
でも、この話を書いた記憶がない、たしかに僕は書いていたはずなのに。
「…どうして」
なんで忘れていたのだろう。
あんなに気持ちを込めて書いたはずなのに。
「ぱぱ?」
「…ん、ああごめん!
つづきだね、そうだ」
僕はあわてて原稿用紙をめくろうとする。
「…」
そしてその手を止めた。
それだけは確かに覚えていた。
まるで明晰夢のように、頭の中に流れた。
…
薄暗い部屋、ちゃぶ台の前に1人、僕がいる。
部屋には時計の秒針が進む音と紙の上に鉛筆を走らせる、乾いた音だけが響く。
「…!」
僕は堪え切れないといった様子で、原稿用紙を部屋の壁に叩きつけた。
破裂音に似た大きな音が部屋に響く。
肩を震わせる僕の表情を伺うことはできない。
…
僕はページをめくる。
そこには色あせの少ない、白紙の原稿用紙がある。
「まっしろ」
ソウタの残念そうな声が耳に届く。
「…そう、この話は未完成なんだ」
「あら、そうなの」
妻が意外そうな声を上げる。
「珍しいわね、未完成だなんて」
「おわり?」
ソウタが僕を見上げる。
「そうみたいだ…残念だけどね」
僕はただ白紙のページを見つめた。
「…あなた、大丈夫?」
「ん、平気だよ」
さらりとした原稿用紙を撫でる。
強い筆圧で押し付けられた文字の窪み後が確かに感じられる。
「さ、ごめんみんな、お話はこれでおしまい…」
妻の方へ向き直り、広げたそれを閉じようとする。
「ぱぱ…ぱぱ!」
珍しいソウタの大声に驚き、その手を止める。
「ごほん!ごほんが!」
「あなた…!」
妻が僕の手元を見て悲鳴のような声を上げる。
「え?」
「うわ〜!きれー!」
僕の手にある本、綴じられかけた最後のページから、青い光が放たれていた。
「な、なん…!?」
次の瞬間、僕の指で支えられていた本はそれを払いのけるように勢いよく弾け飛んだ。
そして空中でピタリと、僕らの中央のあたりで静止した。
「あ、あなた…これ、なに…?」
妻があわてて僕のそばにシノを連れて駆け寄ってくる。
「…なんだ、いったい…」
僕も膝の上のソウタを抱える。
妻の手を引いて逃げることも浮かんだが、僕の足は動いてはくれなかった。
目はただ真っ直ぐに、本に向かっていた。
「きれー…!」
「…ごほんがとんでる」
ソウタが僕の腕の隙間から、本に向かって手を伸ばしていた。
妻がそれを慌てて止める。
本の1ページ1ページから放たれる青い閃光は、だんだんと勢いを増していった。
やがて直視することができなくなり、僕は妻と子供たちを抱きかかえ、目を閉じた。
「みつけたよ」
怖がる妻や興奮した子供たちの声の中に、僕は確かにそれを聞いた。
身の芯に響くような、ぞくっとする声だった。
僕が再び目を開くと、そこには白紙のページを開いた本がそこにあった。
強烈な閃光のなか、焼かれているはずの僕の両の瞳は見た。
まるで削られるように原稿用紙のマス目に刻まれるそれを。
『待っていた』
『あなたをずっと』
『探していた』
『救ってほしい』
『私たちを』
『助けてほしい』
『彼らを』
『そして』
…
『終わらせて』
…
…
僕は気づくと夢の中にいた。
気づいたら夢の中というのは、おかしいかもしれないが。
僕は暗い畳の部屋であぐらをかいて座っていた。
先ほどまでいた部屋とは様式から何から違う、純和風な6畳間。
古びたちゃぶ台の他に家具はなく、襖や扉らしきものもない。
というより壁すらもなかった。
そこにはただ闇があるだけで、僕や畳、そしてちゃぶ台が薄く光を放って浮かんでいるような場所。
僕はただそこに座り込み、ちゃぶ台の上を眺めている。
そこには真新しい原稿用紙があった。
先をよく尖らせた鉛筆と消ゴムも。
僕はただそれを眺めていた。
ずっとそれを眺めていた。




