scene:6 推論型自立エージェント
翌日、船長の呼び出しがあり、ソウヤたちが船長室へ行く。中に入るとゲロール船長とゲコジブが待っていた。
ゲロール船長が不機嫌な顔で口を開く。どうやら昨日の成果が、思わしくなかったようだ。
「昨日の成果は不十分だ。貴様ら儂が命じた通りにしたんだろうな」
「でも、僕たち頑張ったんだ」
モウやんが口答えすると、船長の顔が歪む。
「何が頑張っただ。お前が一番ダメだったぞ」
ゲコジブが懲罰スイッチが組み込まれている腕輪型端末を、モウやんの目の前に突き出す。
「今日の結果次第では罰を与えるからな」
ゲロール船長の脅しで、モウやんの顔から血の気が引く。
アバター具現化装置が置いてある部屋に行き、昨日と同じように寝台に横になる。
次に気が付いた時、出発点にいた。
「モウやん、今日は大丈夫やろな」
モウやんは自信無さそうに肩を落とす。
「ソウヤ、三〇分だけモウやんと一緒に行かないか。それから分かれよう」
「えっ、本当?」
「しょうがねえな。付き合ってやるよ」
ソウヤたちは手をつないでガス雲の本流に飛び込んだ。モウやんは集中が続かないようで、十分もすると外側へ流され始める。その度にイチとソウヤが引き戻す。
三〇分が経過した頃、三人は別れる。モウやんはすぐに外側へ流れて行ったが、イチとソウヤはしばらくの間本流に留まり、それから支流に向かう。
ソウヤが選んだ支流は幅一五メートルほどのもので先端の淀みに到着するまで二〇分ほど必要だった。そこには六個のストレージ筐体が漂っており、その中で無事なのは四個だけ。
大きさは洗濯機ほどで大型船のストレージ筐体らしい。最初のストレージ筐体にソウヤが触れた時、それは起こった。筐体から何かがソウヤの脳の中に侵入したのだ。
『未知ノ知的生命体ノ内部……侵入ヲ開始スル』
(……何だ、こいつは?)
ソウヤは不意に侵入したものに抵抗しようとした。だが、どうやって抵抗したらいいかも分からず、どんどん侵入を許してしまう。侵入者はフロント記憶域を素通りし奥のバック記憶域にまで侵入する。抵抗できないならストレージ筐体から手を離そうとするが、思うように手が動かない。
『全システム ノ 九五パーセント ガ 転送完了』
ソウヤは動かない手を諦め、足に意識を集中した。足でストレージ筐体を蹴り上げ、手をストレージ筐体から無理やり離した。
『転送失敗……コンタクト……切レ……転送済ミノ……再起動』
ソウヤの頭の中で何かが起こっている。
突然、『ピッ』と音が響く。ソウヤの脳内で発した音らしい。
『エルバリヤ推論型自立エージェント ガ 起動……チェック……四個 ノ 情報ユニット ガ 欠落。最重要情報ユニット ガ 消失。当エージェント ノ 目的ガ不明……情報 ヲ 入力セヨ』
ソウヤには意味が分からなかった。
「何や、俺の頭から出て行け」
『ソノ指示ニハ 従エマセン。目的 ヲ 入力セヨ』
ソウヤはどうして良いか分からず、助けを呼ぶ。
「誰か、俺を助けてくれ」
『入力ヲ確認シマシタ。マスター ノ 支援ヲ 行イマス』
『マスター 我ニ名前ヲ』
(何やこいつ。俺をマスターとか言い始めやがった。俺は喫茶店のオッさんやないぞ。でも、ここは大人しく従っとく方が、利口ちゅうもんやな)
「よし、お前はトートだ」
ソウヤはテレビ番組で見た古代エジプトの知恵の神『トート』を選んで名前を与える。数多い古代エジプトの神々の中で太陽神ラーと石から生まれたという説のあるトートだけが記憶に残っていたのだ。
『……登録完了。我ノ名前ハ『トート』デス。ゴ命令ヲ』
命令と言われてもトートが何ができるか分からない。そこでソウヤは、
「何ができるんや?」
『情報ノ解析ガ可能デス』
「だったら、それを」
『承知シマシタ』
時刻表示を見ると残り時間は四〇分ほどになっている。ソウヤは急いで残りのストレージ筐体に触れ情報ブロックを転送しようとする。だが、次に選んだストレージ筐体はほぼ完全な形で残っており、保存されている情報ブロックの数も膨大だった。
自動的に情報ブロックを転送するはずなのに、何かがどれを優先して取り込むか訊いてくる。トートが何かしているのかもしれない。
「げっ! こんなにあるんや……全部は転送でけへんで……ん……選んでいる時間もあれへんしどうしよ」
『解析ヲ開始シマス』
トートが勝手に解析を始める。結果が出るまで時間が必要だった。目録を見付けたトートが報告する。
『ココニアル情報群 ハ ペンティマル星 ノ 工作艦用閲覧ライブラリーデス。画像・動画データ八九.七七七九四パーセント、残りは娯楽作品、医学、材料工学、兵器・軍事工学、天震理学、航宙船工学、エネルギー工学、ソノ他三四分類に分ケテ収納サレテイマス』
ソウヤは短時間で万を超す情報ブロックを解析したトートの能力に驚くと同時に、自分の頭の中に潜り込んでいるトートの存在に不安を覚える。
だが、便利な存在なのは間違いない。気になったキーワードを尋ねる。
「ペンティマル星というのは?」
トートに確認すると、第二階梯種族であるマルツク種族が支配していた星系で、二〇〇〇年ほど前にモール天神族と争い滅んだ種族らしい。
「天震理学というのは?」
同様にトートから説明を受ける。精神文明に秀でた星系で発達した高次元精神理学で、高次元からもたらされる天震エネルギーを元にした現象を研究することで発展してきたらしい。
「へえー」
と答えたが、理解をしてはいない。
ソウヤは取り敢えず材料工学と天震理学、航宙船工学、兵器・軍事工学、エネルギー工学を追加記憶領域に転送するようにトートに指示した。その情報ブロックの数は一四六個でかなりの量があった。
「ノルマ達成や、後は医学も転送しよか……あれっ……トートさんや。バック記憶域やなくて、フロント記憶域に転送して欲しかったんやけど」
トートは自分のシステムをバック記憶域に転送し構築したので、頼んだ情報ブロックもバック記憶域に転送したようだ。
『転送ヲ ヤリ直シマス』
「時間がない。残っている医学の情報ブロックを先にコピーや」
医学関係の情報ブロックをフロント記憶域に転送し終わった時、残り時間が一分を切る。バック記憶域にある情報ブロックをフロント記憶域にコピーする時間はなかった。急いでフロント記憶域にある情報ブロックの数を数えると二九個しかない。
時間切れで意識がブラックアウトし、次に気付いた時にはカプセル型寝台で寝ていた。ゲロール船長に叩き起こされ、四本腕のロボットにより頭の中にある情報ブロックを吸い出される。
この時、最初にソウヤが選ばれ、バック記憶域にある情報ブロックをフロント記憶域にコピーしようとする前に情報ブロックを吸い出された。その後、モウやんやイチの情報ブロックが吸い出される。
四本腕のロボットが船長に何かを報告。イチとモウやんはすぐに解放されたが、ソウヤだけは一人残された。
一人残ったソウヤを正面からゲコジブが睨む。ソウヤはビクリとして身体を固くした。その時、ゲコジブが膝を曲げて屈んだ。次の瞬間、両足で飛び上がりながらソウヤの顎にアッパーカットを叩き込む。ソウヤの身体が浮き背中から床に倒れた。
「何をするんや! いきなりカエル跳びパンチはないやろ」
ソウヤが口の端から血を流しながら抗議の声を上げる。それを聞いたケロール船長は怒りを表す。
「口答えするな。貴様らにはノルマを言っておいただろ」
それを聞いて、ソウヤの顔から血の気が引いた。ソウヤが回収した情報ブロックは二九個、ノルマには一個足りなかったからだ。
「一個だけやないか」
ゲコジブが倒れているソウヤの腹に片足を乗せ、踏みにじる。
「勝手に口を開くな!」
ソウヤが目に怒りを浮かべ、ゲコジブとケロール船長を睨む。その行為も二人のロドレス種族は気に入らなかったらしく。
「ゲコジブ、やれ」
ゲコジブが懲罰スイッチを押す。その瞬間、耐えがたい苦痛がソウヤを襲う。前回、懲罰スイッチを押された時は、加減されていたようだ。今回は一〇倍ほど強力な痛みがソウヤを襲う。凄まじい激痛に泣き叫びのた打ち回る。
「ケロロロ……」「ゲロゲロ……」
ケロール船長とゲコジブがのた打ち回るソウヤを見ながら、ロドレス種族独自の笑い声を上げた。
ソウヤはあまりの激痛に意識が飛びそうになるが、連続して襲う激痛が気を失うことを許さない。笑い声を聞いたソウヤの心にゲコジブとケロール船長に対する激しい憎しみが刻まれた。
何時間も苦しみ続けたように感じたが、本当は一、二分のことだったに違いない。だが、その間にソウヤは地獄を味わった。
イチとモウやんが部屋で待っていると、憔悴したソウヤが戻ってきた。その様子を見た二人が、ソウヤに駆け寄る。
「大丈夫か、ソウヤ」
「何をされたんです?」
ソウヤがポツリポツリとゲコジブとケロール船長にされたことを語る。ソウヤの顔に殺意とも呼べるような憎悪と怒りが浮かんでいるのに、イチは気付いた。故にソウヤが体験したことを思うと腹が立った。
モウやんも同じだ。話を聞き終わったモウやんは激怒する。
「あいつら……文句言ってくる」
モウやんが部屋を出ようとするのをイチが止める。
「馬鹿な真似はするな。モウやんまで懲罰スイッチを押されるぞ」
イチの厳しい声に、泣きそうな顔でモウやんが立ち止まる。
「でも、腹が立つじゃないか」
「我慢しろ。そんな仕打ちを受けたソウヤ自身が、我慢しているんですよ」
「クッ、分かった」
ソウヤは二人の会話を聞き自分のために怒る様子を見て、救われたような気分になる。それまではゲコジブとケロール船長への憎悪が心の中で燃え盛り、胸が張り裂けそうなほどだったのだ。憎悪の炎が弱まり少し冷静になれたような気がした。
その様子から、普段のソウヤに戻ったとイチは感じて安堵する。
「しかし、運が悪くて情報ブロックの少ない場所に行ってしまったんですか?」
イチが尋ねる。ソウヤは首を振り。
「そうやない。情報ブロックはぎょうさん手に入れた。けど、ほとんどをバック記憶域にコピーしてしもたんや」
「何故、そんな馬鹿な真似を?」
ソウヤは二人に近寄ると小声で告げる。
「俺の頭の中に侵入者がいるんや」
イチとモウやんは首を傾げる。そこでソウヤは今日起こったことを詳しく話す。
「凄え、ソウヤは頭の中に宇宙人を飼ってるんだ」
モウやんの言葉にイチは目眩を起こしそうになる。
「違いますよ。ソウヤの頭にいるのは、きっと人工知能とか言われるものです」
教授がきたので、ソウヤがお仕置きされた件とトートについて説明する。
「ゲコジブと船長の奴。あいつら中身も確認しないで罰を与えるなんて理不尽なのよ」
ソウヤのために怒ってくれたが、この状況ではどうにもならないと言う。トートについては教授も驚く。しかし、トートを取り出すことは不可能だそうだ。結局、害はないようなので利用しようということになった。トートに情報ブロックの解析を任せた。
全情報ブロックの解析には時間がかかるようだ。トートに途中経過を報告してもらう。
『イチ様ノ情報ブロック ハ カリギュル星ノ マイクロ・ナノ工学ト建築デザイン学ノ他ハ娯楽作品デス』
「ほう、カリギュル星人は確か第三階梯種族。第三階梯の中では指折りの優れた工学技術を発展させていたはず。高値が付くんじゃないかしら」
『モウやんノ情報ブロック ハ ロドレス種族の違法映像データと星害龍研究情報デス』
モウやんが何故か不服そうな顔をする。
「何でイチは様付けなのに、僕は呼び捨てなの?」
『ナントナク……』
トートの答えに、モウやんがショックを受けたようで顔を引き攣らせた。
「それにしてもロドレス種族の違法映像データか」
イチはゲロール船長たちがロドレス種族なので気になった。それを見た船長がどういう反応を示すのか興味がある。
「なあ、違法映像データって何だ?」
モウやんの質問を聞いて、皆の視線が教授に集まった。教授が言い難そうに小声で告げる。
「ロドレス種族のエッチな映像よ。船長たち以外は興味を持たないんじゃない」
モウやんは顔に複雑な表情を浮かべ、すぐに消去しようと決めた。
「それより、俺の情報ブロックはどうだったんや?」
ソウヤがトートに尋ねると。
『高度ナ暗号化ガ、ナサレテオリ解析ニ少々時間ガ必要デス。航宙船工学ニ関スルモノガ三二ブロック、更ニ材料工学ニ関スルモノガ二一ブロック ハ 解析完了デス。残リノ情報ブロック ハ解析待チニナリマス』
「なんですって!」
教授が驚きの声を上げた。超光速航行が可能な種族の航宙船工学の情報は、莫大な価値を生む。これを売れば戦艦型航宙艦が買えるだけのクレビットが手に入るだろう。
これらの情報ブロックはバック記憶域にしかないので、船長たちは手に入れていない。
このことをゲロール船長が知れば大変なことになる。怒り狂った船長に殺されるかもしれない。その時はソウヤの頭の中にある情報全てを吸い出してからだろう。
モウやんが凄い情報ブロックを手に入れたと聞いてはしゃいだ。
「ねえねえ、僕たち凄いんじゃない。これを使ったら家に帰れるんじゃないか」
イチが苦笑して答える。
「これは高価で専門性の高い本を持っているのと同じだよ。この本を理解し応用できるようになれば凄いけど、今は売ってお金に換えられるだけです。自分たちは凄くはないよ」
ソウヤはトートに天震理学の情報ブロックについて尋ねると、まだ解析中だとの答えをもらう。余程難解な暗号が使われているのかもしれない。
ソウヤは情報ブロックの分類分けだけでも先に行うよう頼んだ。
翌日、ゲロール船長たちは上機嫌だった。ソウヤから吸い出した情報ブロックが第二階梯種族の医学情報でかなりの価値があるものだと判明したからだ。
ゲロール船長は別の誰かが同じ情報を見付ける前に売りに行こうと決心する。だが、その前にアバター具現化装置の使用時間を使い切ることにした。
その日、三回目の特殊ガス雲探索を行う。制限時間は各三時間、使用時間の全てを使い切るつもりらしい。ゲロール船長はすでに目当ての情報ブロックを手に入れているので、今日の探索にはあまり期待していない。
今回、ソウヤは本流に力尽きるまで留まるつもりでいた。前から思っていたがガス雲の流れが生まれた原因が本流の先にあり、それを確かめたいと思ったのだ。
仮想ボディの雲の塊のような姿になったソウヤは、前回と同じように三〇分だけはモウやんたちと一緒に本流に留まり、それから別れる。
一時間ほど粘って本流に留まったソウヤは、力尽き支流に流される。漸く淀みに辿り着いた時に残り時間が一時間ほどになっていた。その淀みにあったのは一隻の船。全長八〇メートルほど、ラグビーボールに似た形をしており、中央の最大幅が二〇メートルほどだろうか。
ジャンボジェットが全長七〇メートルほどなので、それと較べると大きく見える。だが、航宙船の中では小型に分類されるサイズである。
「何で船があるんや」
ソウヤはちょっと焦る。ストレージ筐体が一つも無かったからだ。仕方なく船の中を探すことにする。仮想ボディの便利な点は普通の物質なら通り抜けられる点だ。
ハッチらしい箇所を通り抜けると与圧室らしき場所に出た。そこも抜けると通路に出る。
「ストレージ筐体はどこにあるんや?」
『通常ノ航宙船ナラ 船首ノ コクピット近クニアリマス』
ソウヤの独り言にトートが答える。トートには独り言か質問かの区別がつかないようだ。人間なら声の大きさや態度で見当が付くのだが、ソウヤの頭の中に住んでいるトートには無理だった。
「そうか、なら船首に行こか」
ソウヤは通路を船首の方に向かう。狭い通路で幅が一メートル半ほどしかない。ソウヤは迷いながらもコクピットに辿り着き、ドアを開ける。中には四つの座席があり、その前には様々な計器と幾つかのモニターらしきものがあった。三つの座席は空だったが、四つ目の座席に人型ロボットが坐っている。但し電源が切られているようで全く動きがない。
『コノ船ハ戦闘艦ダト思ワレマス』
仮想ボディの状態の時、トートはソウヤが見ている景色と同じものを見れるようだ。
「それよりストレージ筐体はどこや?」
『オソラク後ロノ部屋デショウ』
ソウヤは壁を通り抜け後ろの部屋へ行くと、ストレージ筐体と色々な装置が詰まっている部屋を発見する。