1-7
四限目が終わると、大抵の学生は二手に別れる。前者は食堂に向かう学生、後者は教室で弁当を広げる学生。ごくわずかだが、天気の良好な日などは中庭でレジャーシートを広げて食事を取る学生もいるにはいる。
茂はどうするかというと、どれも当てはまらずにリマから渡された弁当を片手にし、屋上に繋がる階段を上っていた。屋上はフェンスで囲っており、学生でも行き来を許可されている。しかし、休み時間にわざわざ階段を上ってくる者は変わり者か、後ろめたい輩ばかりだ。
教室に不良のレッテルを貼られた者がいると、空気が重くなる。だからと言って、食堂や中庭に行っても同じだ。精神年齢だけは学生の皆と変わらないものの、茂は意外と気遣いのできる人物であった。
階段を上りきり、扉を開けると屋上には誰もいない。どうせなら、見晴らしのいい塔屋のうえで食べることにする。梯子を昇り、塔屋に天辺はやはり眺めが素晴らしい。
「街が一望できて、最高だな。今後、天気がいい日はここで食べるのもありか」
茂は二-Aの白井と組手をし、闘気を扱う相手に生身で勝ってしまった。そのため、余計にクラスメイトから恐れられる結果となる。彼の孤立はますます悪化する一方であった。寂しく思うも、間近で拝見できたのは喜ばしい。
カウンターを食らわして気絶した白井も、一時して目覚めたため大事にはいたっていない。自分が負けた結果を知らされると、怒り狂って不満を露わにしていたが。
エルザからは無言にくわえ微妙な顔、レイナには茂の視線を感じた途端、大仰に顔を背けらされる始末。
「やっぱ、簡単じゃないか」
美少女の許しをもらう困難さをより実感し、茂は眩暈を覚えた。
気分を変えて腰を下ろすと、姉お手製の弁当を広げる。中身はバランスをよく考えられた献立と、三角形に整えられたおにぎりが四つだった。どちらも、茂の胃袋に合わせて、なかなかのボリュームだ。
「さすがリマ姉の作ってくれた弁当だ、すげー美味そう」
おかずには偶然にも、前世の頃からの好物だった唐揚や卵焼きが入っていた。他には鹿尾菜やポテトサラダやミニトマトが入っている。ちなみにおにぎりは五目御飯だった。
「頂きますと」
美味しそうなおにぎりに齧りつこうとしたところで、誰かが屋上に近づいて来る足音が聞こえて来た。屋上に通じる唯一の扉が開く音が聞こえる。そして、少しして塔屋へ昇ってくる梯子から、カツン、カツンと足音が聞こえてきた。
どうせなら、一人で気楽に食べたかった、と茂は胸中でつぶやく。
「あ、ようやく見つけた! 先輩、お久しぶりです!」
茂を先輩と呼ぶ人物は、一言で表すとギャルだった。校則違反だというに、ライトブラウンに染められた髪とピアスが堂々とはめられている。どうみても、ギャルだ。
「えっと、誰?」
「えぇぇぇぇぇぇ! 一ヶ月近く会ってなかっただけで、アユのこと忘れるなんてひどーいっ」
茂が知らないと答えると、彼女は茂に詰め寄って眉を寄せた。怒っていますとした顔を見せているが、可愛らしいと思えてしまう若干吊り目の器量であった。
「すまん。俺、事故で記憶喪失になってしまってさ」
「冗談ですよね」
「いや、本当だけど」
「へ、本気ですか」
よそよそしく茂は首を縦に振って、肯定する。
「はぁ!? マジで言っているんですかっ。嘘っ、アユなにも聞いてない! ていうか、先輩大丈夫なんですか!」
突然現れたギャルことアユと名乗る彼女は、一人で焦燥しながら「病院にお見舞いに行った時には、担当医やブラコンもそんなこと言ってなかったし」とブツブツと呟く。
よくわからないが、以前の茂と関係者らしく、お見舞いにも来てくれるような間柄のようだ。
「あーなんか見舞いに来てくれて、ありがとな」
「そんな、当然ですよ。自分と先輩の仲じゃないですかぁ。本当は毎日でもお見舞いに行きたかったのですけど……ブラ、リマさんに気持ちだけで充分だからって言われて」
「なあ、いまリマ姉のこと何かと言いまち――」
「でも、本当に先輩が元気になってよかったですよ!」
「あ、ああ、そっか」
茂の問いを、桜色の唇を引きのばして笑む少女に食いぎみで遮られる。その笑みからは、聞くなと書かれているような気がして、これ以上は問えなかった。
それはともかくとして、アユはあの事件の日、現場にいたと語られる。血塗れな茂の姿に、彼女は取り乱すことしかできなかったという。
「なんか、いろいろと心配かけてしまって悪かった」
「いえいえ、尊敬する先輩の後輩としては当然ですよ」
「尊敬って、まあいいか。それで悪いけど、名前を聞かせて貰っていいか?」
「自分ですか? 柴江歩咲、先輩より一学年下の十六歳です。アユって呼んでくださいっ」
華やかな声で話す少女は後ろで手を組み、とびっきりの笑顔を浮かべる。
(改めて見ると、可愛いなこの子。なにより、色っぽい)
現在の茂は、十代の少女には恋愛感情を抱けない。なぜなら、娘に近い感覚か、年の離れた妹。子供に恋愛感情を抱くなどあり得ないのだ。
――ところが、
目の前に立つ歩咲は、年下とは思えない豊かな果実が実っており、お尻が丸みをおびて素晴らしい。それに反して胴回りは引きしまっていて、短めのスカートの丈下から晒された太股はすらりと伸びて程よく肉がついている。妙に生々しい。
スタイルのよさが際立ち、茂の視線を釘つけとする魅惑的な美少女だった。
胸元にかかる長い髪と、ケバくならない程度の化粧がされて年齢よりも少し大人っぽく見える顔立ち。レイナやエルザとはまた違う色気を持ち合わせる美しさがあった。
だが、一番魅力的な部分はやはり学生服から盛り上がった胸だろう。動くたびに扇情的に揺れて、ついつい目が追ってしまっている。
(うーん。けしからんオッパイだ。それにお尻の肉つきも素晴らしいな)
茂は巨乳好きでもり、尻好き。男の性には逆らえず、ついつい不躾な視線を送ってしまう。
「先輩、私の身体見すぎぃ」
白い歯を覗かせる少女は、茂が魅了されているのが丸わかりだというように表情が緩みきっていたようだ。
「ごほん、わかった。とりあえず、俺と柴江とは先輩後輩の関係というわけだな」
「あ、ごまかした。ま、別に減るものでもないし、先輩なら好きなだけ見てもらってかまわないすけど。でも、自分のことはアユ、もしくは歩咲って呼んで下さいよ」
歩咲は茂につめ寄って抗議する。眼前でしゃがむ美少女の顔が急にアップされ、童貞の茂はドキッとさせた。
「わっ、わかったから顔を近づけるな」
「もしかして先輩、照れちゃっています?」
「はぁ、照れてねーし!? 成人迎えてない年下に、俺が欲情するなんてありえねえからっ」
「成人迎えてないのは先輩も同じですから。あと、顔か赤いですよ」
冷静に答えようとするも、茂の声が上擦ってしまう。そこへ呆れる後輩にツッコまれるも、沽券にかけてけっして認めるわけにはいかない。
「まあ、先輩がそこまで言うならそれでいいですけど。でも、暴虐の魔王と異名されていた先輩が、アユのような女子に照れるのだなんてらしくないですね」
自分のことを卑下する歩咲に、そんなことはないと思いつつも、それよりももっと彼女の言葉で気になるキーワードが含まれていた。
「……なんだ、そのダサいのは」
「え?」
「だから、その暴虐のなんとかってやつだよ」
「ああ、暴虐の魔王ですか? え―アユは格好いいと思いますけど。先輩は弱者を挫いて骨までしゃぶりつくし、強者には悪びれもなく弱点を容赦なく攻める鬼畜っぷり。世間では卑怯者や血も涙もないって罵られますけど、アユはそんな先輩を尊敬しているんですよ」
もはや言葉もない。茂は、飽いた口が塞がらなかった。
彼女の言葉が本当なら、まさに外道でクズだ。そのような男に尊敬の眼差しを向ける歩咲は、なかなかの屈折っぷりに引いてしまう。
「つっかかってくる連中も、屈服するのも時間の問題ですから、いずれ東京で先輩に逆らえる輩はいなくなります」
「な、なんだよそれ?」
「なにって、先輩が目障りな連中を片っ端から潰していく、ゲームじゃないですか」
血生臭い話を、歩咲は楽しそうに説明してくれた。おそらくその遊びとは、不良狩りみたいなものなのだろうかと予想して、
「中止」
「え?」
「絶対に中止だ! そんな物騒な遊びなんてあるかっ」
「えぇぇぇ!? 急にどうしちゃったんすか!」
「どうしても、こうしてもあるか! 俺は無駄に敵を量産したくねぇんだよっ」
「だって、あれだけ楽しんでいた先輩が取り止めちゃうなんて……まだどこか悪いんじゃないですか?」
歩咲は本気で信じられないと顔色を浮かべ、茂を憂いた。
「いや、全然」
「もしかして、ろくでもない女に誑かされているんじゃ。あの美少女三姉妹とか言われて、ちやほやされている頭空っぽそうな奴らとか」
人の話を聞かず、歩咲の勘違いは飛躍し、暴走していく。
アユは浮気を疑う恋人のような、胡乱げな目で顔を覗きこんでくる。息がかかりそうだ。
「一応聞いとくが、誰だよそれ」
「それ、聞きます? 先輩が嫌っているサリヴェールフ三姉妹ですよ」
「前の俺が身内を毛嫌いしていたのは聞いているけど、歩咲も嫌っていたりするのか?」
「まあ、アユは先輩ほど関わりがないですし、先輩も避けていたのであまり会う機会はなかったですね。だから嫌いというより、正確には苦手の部類です。基本的に、真面目や優等生っていうのが苦手で。特に善人ぶる奴らには吐き気を覚えちゃいますし」
そうか、と茂は頷いた。歩咲のような素行不良なギャルと勤勉の優等生では、水と油のように相容れないのは明白だ。
もし、サリヴェールフ三姉妹と関係の修復に向けて動いていると口にしたらどうなるだろうか。裏切りと受け取られ、彼女は怒りを覚えるはずだ。
(言わないほうが、得策だよな)
下手ないいわけなど、通用しそうもない。
思考を巡らしたのち、導き出されたのは耀一だった頃の夢。世界の敵をどうにかして、今度こそ成就したいと願っていた。
茂は手に持っていた弁当箱を地面に置き、腕を組むと目を瞑る。
「俺は、夢を見つけたんだ」
「夢、すか?」
そうだ、と茂は肯定した。
「世界で活躍するアクションスターとなるために、そういった遊びとは卒業する」
長い沈黙。
後輩から、なんの返事もないことが気になり、恐る恐る瞼を開けて視界に映ったものは、笑んでいる少女だった。ただ、目は笑っておらず、妙な迫力と仄暗い雰囲気を漂わせている。思わず、茂は息を呑む。
ついさっきまでの同じ感受性をもつ後輩なのかと、違和感を拭い切れなかった。
「ど、どうした?」
歩咲は剣呑な雰囲気のヴェールを被り、やや棘のある口調で言う。
「それって、アユのような女とつき合いを止めるってことですか」
「はぁ?」
「アユのような喧嘩好きで、不良生徒は邪魔ってことですよね!」
「そんなこと、一言もいってないだろうが。ただ、危険な遊びや犯罪に絡むようなことはしないだけだ。なにせ、アクションスターを目指す男が、汚点を残すわけにはいかないからな」
「え、そうなのですか」
「ああ、だから安心しろ」
彼の返答を聞いて、ホッとしたのか歩咲は深い息を吐く。ともなって、彼女に被さった鬱々な雰囲気が取り払われ、穏やかなものへと戻る。
「なぁんだ。アユはてっきり、邪魔になったから捨てられるのかって」
「捨てられるってなんだよ。俺たち先輩と後輩の関係だろうが」
「いえいえ、それ以上の関係で将来を近いあった仲ですよ」
すっかり元気を取り戻した歩咲は、含みのある笑みを浮かべだして先輩の茂をからかいだした。
「お前、それはどういう――いや、騙されないぞ。また、俺をからかっているんだろ! ちくしょう、男の純情をもてあそびやがってっ」
ぶつぶつと茂の不満をあっさりと聞き流され、後輩に話を戻される。
「ていうか、先輩が言うアクションスターって主役とか目指しています? 悪役の親玉ならはまり役かもしれないすけど。汚点についても、とっくに手遅れだと思いますよ」
「……言うな。とにかく、そういうわけだから悪さするなよ」
「アユは先輩の側にいられれば不満はないですよ」
彼女がどうにか納得してくれたことに、ほっと胸を撫で下ろす。
だが、一息つく暇もなく、
「先輩、お願いがあるんですけど」
年端もいかない美少女が笑みを見せながらお願いされれば、男ならなんでも聞いてしまうだろう。たとえ、性格が屈折していたとしても。
しかし、今回はひとあじ違う。前世を想起すればさんざん騙され、痛い目にあってきた。今世では雄々しく生き、同じあやまちを犯さないと決めていた。
一応内容を促すと、
「今日の帰り予定あります? 少し、つき合って欲しいかなぁって、ダメですかね」
再び、秀麗な顔を近づけられる。少女の髪からほのかの甘い香りが、茂の強固の意志をあっさりと粉砕させて懐柔されてしまった。
* *
授業が終わり、茂は教科書を鞄に入れるとクラスを退出していった。そこには別段不審な様子はない。だが、虫の知らせだろうか、あの男が妙に気になる。レイナは友達に別れを告げ、茂のあとを急いで追いかけた。
茂の姿はすぐに見つかる。発見したのは校門の前で、他の生徒からは憚れている茂がそこにいた。距離をおかれて校門を通過しているが、彼はそれどころではないと感じで周囲にまったく気づいている様子がない。
銀髪のツインテール少女は木立の陰にまぎれて窺う。
人を待っているようだった。その間、自分の髪をいじっては整え、口臭チェックをしている。そして、ズボンのポケットから清涼カプセルが入ったケースを取り出す。それは、老若男女が気軽に口内を浄化するのに愛用されていた。普通は多くてもせいぜい二、三粒を口に含むのだが、それを大量に口腔へ放り投げた。
どれだけ、彼の口内から異臭を放っていたのかわからないが、明らかに待ち人は異性だろう。
しばらくして、茶髪の少女が現れた。彼女は以前から茂につきまとっていた紫江歩咲だ。彼女は茂とよくつるみ、茂と同様に悪名高い問題児である。
歩咲は大胆にも他の生徒らの前にも関わらず、当たり前のように身を寄せて茂の左腕に自分の腕を絡ませた。制服に包まれた豊かな胸を、茂の左腕にプニッと押しつける格好となる。茂はその行為にまんざらでもないような顔。
周囲には、人がいるというのに取り繕うとしない。どう見ても、スケベ面だ。
「何やっているのよ、あの馬鹿」
あのだらしない顔を見ていると、自分でも説明できない衝動にかられる。沸々と苛立ち、顔面に拳を叩き込みたくなってしまう。
「少しは、自重しなさいよ。リマ姉やアーシャの気持ちを考えると頭が痛いわ」
特にリマの母性は、茂から嫌悪を滲みでるほど厭われても、それごと包みこむようにして愛をそそいでいる。家族に迎え入れた日からずっと。アーシャはリマとは違い生真面目な性格からか、茂のネジ曲がった性格をほっとけないようだ。
二人は家族のひとりが間違った道を歩もうとしていたら、全力で引き戻してやるのが家族だと考える馬鹿がつくほどお人好しだ。
正直ついていけないレイナだが、大切な家族が哀しむような姿は見たくない。
独り愚痴るレイナ。もし、あのふたりにあの姿を目にすれば、大小はあるもののよい感情は抱かないだろう。
その刹那――
「茂兄さんは、教育が必要ですね」
「……なんで、あんたがここにいるのよ」
「まだ、茂兄さんは通学に不安があるでしょうから、一緒に帰宅しようと高等部の校舎に訪れたわけです。本当なら、同じクラスのレイナ姉さんが一緒に帰ってくれれば、私も余計な気を遣わなくてすむのですけど」
「絶対に嫌!」
唐突にレイナの背後に現れたのはアーシャ。音も気配もなくレイナの背後に忍び寄った妹に驚くこともなく、前を向いたまま背後に声をかけた。それを、よく知っているレイナの反応は非常に簡素なもの。
「面倒でしかたがないけど、あのひと組をほっておけば余計トラブルを呼び込みそうだわ。追うわよ」
アーシャも同意見のようで、首を縦に振る。
「杞憂だと思いますけど、せっかく茂兄さんが改心しようとしているのに、あのアバズレと一緒にいれば水の泡になってしまいますからね」
「ふん、私はあいつがどうなろうと関係ないけど、家族に迷惑かけられるのは看過できないわ」
アーシャから無言の叱責を背後から感じつつも、レイナはそれに応えず茂らの尾行を開始した。
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