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東京都の某所に、本条コーポレーションが経営する本条学園が存在する。物価の高い東京の土地を広大に買い込んで建設していた。
校舎や設備は最先端のものが扱われており、教師も厳しい入社試験をクリアした一流の人材がそろえられている。茂は自分が通う学校の説明を聞いて、なんとも自分には不似合いな学校だと感想をもつ。
「失礼します」と一言述べて、職員室を見回す。
茂の印象の悪さは教師にも当然伝染しており、入室してきたのが彼だと認めると、職員室の空気がピリと張り詰めていく。大半の教師は茂の目も合わすことなく、不快感を露わにする。一瞥して以降、こちらに視線を向けようとしない。
げんなりしながら、事前にレイナから聞いていた自分の担任を探す。そんな中、顔色の悪い男が自分の机の前で俯き、何かを呟いていた。
「あー気持ち悪ぅう。昨日のキャバクラで飲みすぎたな。頭いてぇぇぇ、完全に二日酔いだぁぁぁ」
彼はいかにも体育教師というジャージ姿で、しかし生徒から嫌われるあつくるしい熱血の雰囲気はない。むしろその対極に立ちそうな脱力感で、眠そうな顔と身体全体からやる気を感じられない。
男は茂の存在に気づき、真っ青な顔を起こした。
「ああ? おお、茂か。元気になったようだな」
「えっと、もしかして坂木先生だったりします? なんか、騒がせしてすいませんでした」
「ああ、確かにいろいろと騒ぎにはなったが、とくべつ迷惑には感じてない。教師というのは、お前ら生徒に迷惑かけられるのが仕事みたいなものだしな。というか、なんだその口調。お前に敬語なんか使われると、鳥肌が立つぞ」
男はとても教え子にむけないような渋面で言う。茂は自分がどこか可笑しかっただろうかと、不思議そうな顔をする。
「お前は、担任の俺に敬語など使うような生徒じゃなかったんだよ」
「あーなんか、すいません」
「まあ、いいさ。改めて俺がお前の担任の坂木幸多だ」
坂木はあまり教師らしい接し方ではないが、茂を腫れ物あつかいせず、自分が目上だからといって高圧的な態度もとらない彼に好印象を抱く。
「まあ、いろいろ大変だと思うけど頑張れ」
「あ、はい。先生も体調に気をつけてください」
「おう」
礼を述べ、挨拶を終えて口元を押さえる坂木と別れた。
職員室のある東校舎から自分のクラスの二―Bは、渡り廊下を通り西校舎の二階となる。
扉を開けてクラスに入ると、和気藹々(わきあいあい)していた男子と女子が茂の顔をみたとたんいっせいに沈黙となる。奇異の目が痛いほど集まり、重苦しい雰囲気に包まれたクラスとなった。
「おはよ」
茂がクラスメイトらに挨拶すると、彼らはざわめき出す。女子からは悲鳴が上がっている。
怪訝していると、教壇前の列に座っていたレイナと視線が重なる。だが、突き放すように即座に視線が外された。
どうしものかと、困っていたのはわずか間ですむ。同じクラスの女子生徒が声をかけてくれたおかげだ。
「茂、貴方が自分から挨拶だなんて珍しい光景ですわね」
上流階級のお嬢様風みたいな口調の女子生徒は、艶やかな長い赤髪にふわふわウエーブがかかっていた。切れ長の双眸と紫の瞳。長い睫毛に形のいい鼻梁。すっきりとした頬から、その下の滑らかな首筋のライン。昂然と、レイナに負けない乳房がきちんと主張する胸を張り、その立ち振舞いには気品がある。
彼女は、たぐいまれなサリヴェールフ三姉妹の美貌にも遜色がない美しさを備えていた。
その赤髪の少女は、茂を圧するような眼光を放ってくる。
「皆戸惑うのも当然ね。貴方は悪逆無道な限りを尽くしてきたのだから」
「手厳しい意見をありがとよ。それで、迷惑じゃなかったら名前を教えてもらっていいか?」
茂は、げんなりしながら赤髪の少女の名を尋ねた。
「そういえば、聞きましたわ。記憶喪失でしたわね。わたくしはエルザ・グラルシュ・アジーカ、エルザでけっこうよ。ちなみに、私がこのクラスの学級委員長。わたくしがいるかぎり、このクラスの問題行動は見逃しませんから、控えることをお勧めしますわ」
「心配しなくても、最初から俺にはそんな気はないから安心しろ」
エルザは茂の言葉が嘘ではないかと、探るような視線を送られる。その時間は一拍ほどで、茂も彼女の紫の瞳を見つめて視線をまっすぐに受け止めた。満足すると、無言でうなずく。
茂の席を教えてくれた。
彼の席は一番後ろの窓際。そこに座り、彼女はその隣に着席する。
「隣かよ」
「言っときますが、私のほうがいい迷惑ですわ。本条学園始まって以来の問題児を監視するよう、担任の坂木先生に頼まれましたのですから。ですので、席を変えてほしいと頼んでも無理ですわよ」
「いや、いわんけど。しかし、エルザも大変だな。俺なんかのおもりを押しつけられて」
「そう思うなら、問題行動を慎んでくださると助かりますわ」
隣席の少女は授業の準備をしながら言うと、彼は了解と応ずる。
そして、しばらくして授業が始まった。
授業のレベルは進学校だけあって、高かった。耀一の知識があるとはいえ、名門校からほど遠い学校だ。あのとき通っていた学校よりも、確かな学力がなければ入学できないだろう。
今後、授業ついて行くのが不安になる茂は頭を抱えた。このままでは、家族に迷惑をかけてしまう。
(これは……マズい。マズすぎる!)
留年だけは阻止しなければならない。これ以上サリヴェールフ家に恥をかかせないため、猛勉強しようと決心した。
四限目の授業は天己流という科目で、かなり一風変わったものとなっている。
本条学園は天己流と呼ばれる武術を奨励しているらしく、事前にリマから確認を取ったところ闘気と格闘技を複合した武術らしい。
授業をおこなう場所は専用の建物がしつらえられ、リマが用意してくれていた学校指定の運動着に着替えて移動した。
建物の入口には、武道場とかかれていた。
天己流の授業は二クラス合同で実施され、男女も一緒だ。しかし、男子と女子を教える教師は別々となっている。
武道館の中はサッカーコート二面分の広さで、二階にはしっかりとした観覧席も備えられている。
(まいったな。リマからそれとなく、闘気について聞いてみたけど、使えなかったんだよな)
どういうわけか、茂は闘気がまったく扱えなかった。本条学園を首席で卒業したリマから無理いってほんの触りだがご教授されたため、やり方が違うというのはないはずだ。肉体は茂であって適正がないはずなのだが、中身が耀一なため何らかのイレギュラーが生じているのかもしれない。話が違うと、あの漆黒の美女を恨んだものである。
だが、いつまでも怒り狂っている暇はない。あと二年でどうにかして、世界の敵に対抗できる力を備えなければならないのだ。どうにかしなければ、耀一だけではなく、地球に未来はないのだから。
「よーし、だるいが始めるぞ」
天己流の教科を担当し、二-Bのクラスを受け持っている坂木であった。相も変わらずやる気を感じられない声音だが、今朝より幾ばくか顔色がよくなっている。
「準備運動に闘気を発して、身体の外に解放させろ」
指示にしたがい、ほぼ全員がそれらしい行為をする。茂を除いて。
「先生、俺闘気が扱えないんですけど」
坂木は茂の声に反応して、傍らに寄ってきた。
「どうした、身体の具合が悪いのか」
「何か、扱いかたを忘れたっていうか」
「なに? 小さい子供でも、闘気を扱える奴もいるぐらいだぞ――まあ、いい。退院したばかりだし、本調子じゃないのもあるか。わかった、今日は見学しておけ」
「わかりました」
茂は同意し、皆から離れて隅っこで授業風景を眺めた。
坂木は生徒らに指示をだし、各生徒たちは闘気とよぶ物を体外へ放出された。茂の目には周囲に無数の蛍が発光し、浮遊しているような物が映され、一時してそれを収める。次に闘気を均等に身体の隅々に広げられていく。
続いて武術の訓練を開始する。
すると、クラスメイトの一人ひとりの動きか明らかに身体能力が上昇していた。
動きは常人を逸脱している。
(なんなんだ、これは……)
リマからの説明で、闘気を発すれば身体能力が上昇すると聞かされている。だが、困り顔の彼女から謝罪されて断られた。そんなわけで拝見できず、今回が初見となる茂にとっては衝撃で、愕然とした表情をつくる。
型の練習を終えると、二組に割れて対人戦の練習へと移行する。ひとりが打ちこみ、もうひとりが受け止めた。一発いっぱつが馬鹿げたほど重く、速い。一撃でも受ければ、軽傷ではすまないだろう。当たり場所が悪ければ死ぬ。
――その授業の光景を眺め、茂は違和感を抱く。
「なるほど、あながちアグラーノが言っていた話も嘘じゃないかもな」
目に入るのはいびつで、学生たちの動きには不自然さを感じてしまう。彼らの実力はまだまだ荒削りが目立つものであったが、長い年月をかけて鍛錬を積み重ねなければ辿り着けない身体能力、もしくはそれ以上のものがスイッチを切り替えるように一瞬で格段と引きあげているのだ。
スポーツマンのドーピングとは比べられない卑怯沙汰で、普通では考えられない身体能力の高まりようである。
茂は、闘気のメカニズムを簡単に説明受けたが、充分に理解できたとはいえない。生物の各細胞組織にはヴンダーという核が存在し、それが気を生み出す器官となっている。そして、闘気が実際なんのために存在し、人間以外にもヴンダーがどういった理由から存在するのかは、まだ解明されていない。人間が便利な力を発見して、有効活用しているのが現状である。
アグラーノがいう生物が潜在する可能性が確かにあるようだが、高度に操るには相応の鍛錬が求められた。
一朝一夕で、その器官から力を引き出すことはできないが、正しい手順を踏み、根気よく精進をつめば大半の者ができるようになるといわれている。
茂は視界に映り込む妙なクラスメイト眺めながら思考に没頭していると、ふてぶてしい笑みを浮かべる学生が教員に声をかけた。
「先生、茂の記憶を取り戻すためにも、一度闘気に触れたほうが彼のためになると思うのですけど」
「本気で言っているのか、白井。先生には随分と乱暴な考えだと思うが」
「もちろん、怪我をしないていどに手加減しますから、心配ないですよ。それに、あいつも見学していても退屈でしょうから」
白井という人物は、合同に授業を受けている二-Aの男子だった。提案はただの親切心からのものではないだろう。なぜ、茂がそのように思ったのか。それは、白井は坂木がことらに視線を送ったとき、にやにやと優越感を漂わせた表情を垣間見せたからだ。
「――と、白井が言っているがどうする。やってみるか?」
「んじゃ、お願いします」
茂は白井の話に乗った。
こいつは信用できない、と茂の感想である。なにか企んでいるだろうと理解しているも、天己流というものを間近で見てみたいと思ったのだ。
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