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少女のポケットに入れられたスマホが、振動して電話の着信を知らせる。だが、電話に出ることなく捨て置くと、少しして着信が止む。さっきから、着信が続いていた。
かけてきている人物を予想がつく。
「どうせ、姉さんか、アーシャね」
レイナは駅前近くのチャンピオンバーガーに来ていた。全国展開しているチェーン店で、安価の値段で商品を提供しており、しかも美味い。店内もお洒落な造りで学生に人気の店であった。
その店で、六杯目となるイチゴシェイクのストローを咥え、腹立たしそうに顔を歪めていた。美人はどんな顔も見とれてしまい、人だかりができるものだ。だが、度がすぎれば不可視の壁があるかのように拒まれる。よほど空気の読めない人間でなければ、声をかけるのも辛い。
レイナは、今日病院から帰ってくるあの男を嫌悪して朝からチャンピオンバーガーにいた。顔も見たくなく、自分らの姉弟など到底認められない。
その男とは安藤茂。または、茂・サリヴェールフ。ある日、母が連れてきた少年だ。
彼はサリヴェールフ姉妹に劣等感を感じて、憎悪をはらんでいた。一方的に茂が嫌っているだけだが、その溝は深く軋轢が生じている。
姉妹と茂との間には絶望的な壁があって、どれだけ努力しても良好な関係を築くことはできない。それだけの差があるのだ。
しかし、レイナはいまではこんなふうに茂を疎ましく感じているが、最初は違っていた。ほとんど家にいなかった父との思いでは朧気で、異性と家族となるのは不思議な気分となり、上手くやっていけるかと不安になる。
それでも、レイナは家族に受け入れる考えはあった。だが、連れてこられた茂自身に、その気など欠片もなかったのだ。
母がすぐ仕事で家を去ると、三姉妹に横柄な態度を取り始める。
リマは両親が失ったばかりだからと文句ひとついわず、茂のわがままに応えた。その優しさにあぐらをかき、彼は図に乗るばかりだ。アーシャは根気よく窘めるも、少年は正すどころかろくに話を聞く耳をもたない。
レイナの胸中で、ふつふつと腸が煮えくり返す。
「ぜったい、私は間違ってなんかないわ」
「なにを間違っていませんの」
突然の訪問者が、レイナの前に座る。
「エルザ……なんでここにいるのよ」
彼女はエルザ・グラルシュ・アジーカだった。レイナと同じクラスメイトで、クラス委員長。しかも、生徒会の副会長でもある。
背負われた筒状の収納袋を下ろし、傍らに置く。収納されているのは、西洋の剣だ。
レイナは彼女を苦手意識が強いため、顔をしかめてしまう。
「そんなに嫌そうな顔をしなくてもよくなくて」
「優等生のあんたが、こんな場所にいるのは珍しいわね。休日でも武道部はあったと思ったけど」
武道部とは、簡潔に述べれば実戦的な総合格闘技に近いもの。だが、それに加えて、闘気が複合している。危険で、怪我をするおそれがあるが、学校に配備されている医療機関は総合病院と遜色なく、優秀な医者や看護婦が雇われているため、よほどの致命傷を負わなければ心配ない。
入部する生徒は、危険を承知のうえだ。
「ええ、そうですわね。今日、武道部は午前中ありましたわよ。そのあと、生徒会の雑務を終えたところですわ」
「じゃ、まっすぐ寮に帰りなさいよ。大抵のものは学園内で手に入るし、この辺に用はないはずでしょう」
「わたくしもめったに学園の敷地から出ることはないのですが、武道部の後輩たちから映画のお誘いを頂きましの。あまりそういったものを拝見する機会はなかったのですが、せっかくの誘いですから了承しましたわ。そこで、待ち合わせの場へ向かっている道中、不機嫌そうなクラスメイトを目撃したとわけです」
「ああ、そう。はっきり言わせてもらうけど、本当お節介よ」
「酷いですわね、友人に向ける言葉ではありませんわよ」
「友人じゃなくて、腐れ縁の間違いじゃない」
「今日は一段と皮肉に棘がありますわね。また、茂のことで諍いかしら」
エルザはレイナの皮肉を、かろやかに笑って受け流しつつ、いつもに増して仏頂面な友人に問いかける。
「べーつに」
「レイナが不機嫌そうにしているときは、大抵茂のことですもの」
「うっさいわね。私なんかと絡んでないで、さっさと後輩のところへ行きなさいよ」
やれやれと言いたげに肩をすくめると、エルザは立ちあがる。
「そういえば、駅前の広場で貴方を探している酔狂な男子を見かけましたわよ。何やら人を探しているようでしたが」
エルザの言葉を聞き、彼女に対してなにを言っているといいたげな顔をさせる。
「気になるようでしたら、自分の目で確かめてみたらどうかしら。必死な様子でしたし、彼」
それだけ言い残し、エルザは帰っていった。
休日の駅前広場では、多くの人が往来してなかなかの混みようだ。
広場の中央では将来ミュージシャンを目指す若者がギターを奏で、あるいはマジシャンが芸を披露して見物する人たちを楽しませていた。
その中で、ひとりの男子が駅前の人々に声をかけていた。真剣な表情である。
「すいません、銀髪ツインテールでとびっきりの美少女見ませんでした? 色白の子なんですけど」
茂は得たい情報が思うとおりに手に入らず、苦い顔で溜息をつく。彼はおそらくレイナを探しているのだろう。あんなに毛嫌いしていた姉妹のひとりを。
その理由がわからず、レイナは困惑して顔を曇らせる。
レイナの捜索のために走り回っていたのか、額から汗の粒をこぼしていた。
「やっぱ無謀だったか、駅前なら誰か知っていると思ったのに。これじゃ、あの二人に黙ってまで出てきた意味がないぞ」
当惑する茂は、一息をつくと人探しを再開しようとしていた背に、レイナはぽつりと声を発する。
「何をやっているのよ……」
「ん? あ、おお、こんなところで会うとは偶然だな」
茂は振りかえり、レイナの姿を視認すると偶然を装う。その態度が、余計に少女を苛立たせた。
「何をしているって聞いているのよ!」
怒りに任せて声を出したせいか、自分が思った以上に声が大きく出てしまう。駅前の物見高い野次馬じみた連中から、注目を集めた。通行人は足を止め、待ち合わせしている者はなにか面白そうなことが起こり
そうだと、ニヤつきだしている。
こんな場所では、彼を問いただすことはできないと考え、
「――場所を変えるわよ」
「ああ、それよさそうだ」
* *
二人が向かったのは、駅前から離れた公園だった。陽は傾き、もう少しすれば夕日の光が街並みに幾筋も突き刺さるだろう。
逆光となって、レイナの顔に影を落としている。薄く影の落ちた美貌の中、とんでもなく冷ややかな両眼は、射殺さんばかりの眼光でこちらを睨んでいた。
運よく、公園には人気が少なかった。
噴水の前でふたりの男女が立ち止まる。
「それで、どうして駅前であんなことしていたのよ」
「あーあれは、たまたま……」
「殴るわよ」
「わかったわかった。だから、その握った拳を下ろせ――本当のところ、レイナを探していたんだ」
レイナに怖い目で凝視され、茂はあっさり白状する。
あの場に現れたのは偶然ではなく、単純に人が多く集まる駅前ならレイナを目撃している者がいるかもしれないと考えたからだ。しかし、この辺の地理にはうとい茂は、駅前を探すのに苦労していた。
「はぁ? 馬鹿じゃないの、そんなこと頼んでないし」
腕を組み、そっぽを向ける少女は刺々しい声で言った。確かにそのとおりであるが、口も態度も悪いが外見上は美少女に悪態をつかれるのは、刃の鋭さを秘めたもので正面から貫かれたようなもの。
すっかり慣れしたしんだ痛みとはいえ、なにも感じないわけではない。
胸の痛みをやわらげるため、茂は息をつくとレイナに改めて話しかけた。
「聞いたよ、俺はずいぶんと皆に迷惑かけたみたいだ」
「アーシャからでも聞いたの?」
「ああ、その悪かった。今すぐ水に流してくれとは言わないけど――」
謝罪の弁の途中で、レイナの言葉が被せられた。
「ふざけないで。二人は知らないけど、あんたは私たちを否定して化物と呼んだのよ」
ツインテールの少女は鼻で笑う。瞳には嘲りと侮蔑で満たし、口もとをゆがめる。
「化物? なんだよそれ」
あの美少女三姉妹が化物などもっとも対極な言葉のはずで、茂はなにを言っているのか理解できなかった。
彼が混乱していると、レイナは拳を握り締める。計り知れぬ憤怒を湛え、全身を震わせた。
レイナは説明せず、腹底に押し込められていた黒い感情を、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「あんたは私たちを侮蔑して、家族じゃないと言ったのよ! あんなに姉さんやアーシャに世話になっているのにねっ」
家族を大切に思うからこその怒りだった。あながち、レイナが優しい者だというのは嘘ではないかもしれない。
そのように察しながら彼女の話を聞き、茂は押し黙るしかなかった。茂の悪行は考えていた以上に家族を傷つけ、遺恨を残していたようだ。
姉妹との関係をどう修復を思案しただけで、立ち眩みを覚えてしまう。
「それは、リマ姉やアーシャも知っていたりするのか?」
「あの二人の気持ちを考えたら、言えるはずがないでしょうが!」
悪態を聞いたのは、レイナだけのようだ。誰にもいえない怒りを、独りで抱えさせてしまっていた。
「記憶が失ったからといって、あんたのやってきた悪事がなくなったわけじゃないし、許されたわけじゃない。私は絶対にあんたがやってきたこと許さないから」
「悪かった」
こちらに鋭い両眼で睨めつける少女に、茂は頭を下げて詫びる。
「記憶を失った俺には、これまでどんな仕打ちしてきたかはよくわからない。だけと、今の俺は皆に謝りたい気持ちがあるのは本当だ。簡単に許されないだろうけど、俺にチャンスをくれないか」
眉間に縦皺をつくるレイナは、茂の頭頂部を猜疑の視線で突き刺す。
「――チャンスって……なに言っているの。私はあんたを絶対に許さないっていっているのよ」
「それでも俺は、どうにか許しをもらえるよう頑張りたいと思う」
リマやアーシャには入院中世話になっている。食事を食べさせてもらい、着替えを持ってきてもらい、リマに身体を拭かれたりしている。半分以上はリマの世話好きを断れきれずに受け入れただけだが、美少女に甲斐甲斐しく看病されて嬉しいわけがない。
親の顔を知らず、家族というものがよくわからない耀一にとっては、その優しい時間が心を温めてくれた。
だからこそ彼女らを傷つけるなど、自分の元身体の持ち主とはいえ、同じ男として腹立たしい思いだ。
少しでも茂の誠意を伝え、雪ぎたく頭を下げ続けていると、
「ふん、王様気取りのあんたが頭を下げるのだなんて、馬鹿じゃない。勝手にしたら」
「ああ、そうする」
なぜ俺が、と思わなくもない。理不尽すぎる境遇に、非常に億劫というのが感想だ。が、身体の持ち主だった少年のせいで、傷ついた美少女を放っておくのもしのびない。
(まあ、なんとかしないと、今後暮らしづらいしな)
家族への償いをすることが、茂の身体をかりる宿代だと、どうにか前向きに捉えようとする。
彼は、悄然として深々と吐息をついた。
* *
頭部をフードで覆う男は、広場の人だかりの中にいた。周囲の人々から頭ひとつ飛び出た巨漢ながら、男の存在感が周囲に溶けこんでいる。目先にいても、注意深く男を捉えなければその他大勢のひとりとして見失いそうになるだろう。それだけ、彼が気配を隠すのが長けているのだ。
男の乾いた心はろくに動くことはなく、知った駅前を通りすぎるはずだった。
偶然ひとりの男を目に留まった。
驚きとともに鼓動が高鳴る。
男はその者をよく知っていた。なぜなら、つい最近巨漢の男が彼を殺したはずなのだから。
「くくく、面白い。俺が殺しそこねたのは初めてだ」
子供が新しい玩具を買ってもらったように心を躍らせ、彼の面相は悪鬼のごとく狂暴な笑みへと変える。そして、フードを被った男は誰にも気づかれることもなく、人だかりの中に消えて行った。
どうやって、あの玩具を壊そうかと考えながら――
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