開放日
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
どうも、日本って嫌な気候だよねえ。暑いどころか湿気も多くてさあ。寝ている時にも、汗をかきっぱなし。気持ち悪くて仕方ないね。もう梅雨も過ぎたってのに。
この高温多湿の気候って、日本と同じ緯度くらいの国ではなかなか珍しいらしいよ。気温はともかく、湿度についてはカルチャーショックを受けてしまう外国の人も多いと聞く。
僕たちは、何かとふとんを外に干すだろう? 国によっては、布団て下着レベルの扱いで人目にさらすもんじゃない、と考えているんだとか。
その他にも大衆浴場あり。浴衣などの襟合わせの部分が下がりがちな衣服ありと、いずれもじっとりしがちが夏を過ごすために、開発、奨励されてきたものらしいね。
今でこそ、除湿機能のついたエアコンを使ったりして、快適な住居環境を整えやすくなっているけれど、昔ながらの対策が今も続けられているところがある。そして、それにまつわる話も、またいくつか。
そのうちのひとつに、ちょっと不思議なものがあってね。良かったら聞いてみないかい?
昔ながらの湿気対策のひとつに、タンスとかを開けっ放しにするというものがある。今となっては除湿剤の進歩とかで、帰って開かない方がいいことも多いけれど、開発以前では有効な手段のひとつだった。
換気は湿気をこもらせないために、大切なこと。梅雨時に、祖父母の実家に行った時なんか、家中のタンスが開きっぱなしでね。つい、つまずきそうになったりしたもんだ。
子供心にぶうぶう文句を言ったところ、祖父母はこんな話をしてくれたんだ。
祖父母は小さい頃から地元を離れたことがなく、親の言いつけを守って暮らす日々を送っていた。窓やタンスや押し入れを開けっ放しにするという習慣も、親から教わったことで、それをそのまま続けているとのこと。
その理由は、先ほども話したような湿気によるカビとかを防ぐ以外にも、目的があった。
開きっぱなしの場所というのは、神様がお立ち寄りになられる所、という意味合いを持たせているらしい。
戸棚の類を全部閉めっぱなしにすることは、空間を狭めることにつながるという。それはすなわち、神様をせまい座敷牢に幽閉するに等しいものなのだそうな。
だが、並みの囚人と異なるのが、神様のご機嫌を損ねれば、牢屋はもはや牢屋足り得ないということ。牢どころか屋敷ごと吹き飛ばすなど、造作もない力をお持ち。だから心象を悪くしないためにも、くつろいでいただく時間と空間を設ける、という目的もあったらしい。
時期を問わず、三日に一度。家の戸棚を四六時中、全開放する日が来るのだけど、例外がある。
それは、雷の音が聞こえてきた時。
祖母は小さい頃、雷が大の苦手だったらしい。
風が吹いて、家の戸や壁が揺れるだけでも、おどおど、びくびくしっぱなしなのに、雷鳴が耳を揺らして身体を突き抜けるとなると、もう布団の中に潜り込んで、がたがたせざるを得なかったとか。
それが昼間の家のことであれば、押し入れに入っている布団たちに囲まれて震えることも辞さなかったとか。
けれど、それが全戸棚を開けっ放しにする日となると、話は別。
雷の音が耳に届いたら、ただちに開いていた戸棚を閉じ、日中なら晴れた空が見えるまで。日没後ならば、次の夜明けを迎えるまでの間、決して再び開けたりしてはならない。そう教えられていた。
いわく、雷は神様の話し合いが始まる合図。思い思いに過ごしやすい場所へと集まって、様々な取り決めをするのだという。
その様子を、人間が見てはならない。知ってはならない。私たちの会議がそうであるように、神様もまた、誰かに覗き込まれることを嫌うから、とのこと。
その日は、祖母が一人で留守番を頼まれた時かつ、戸棚を開け放っておかなくてはいけない日だった。
朝、両親が出かける前、すべてのお膳立てをしてくれ、「ちゃんと言われたことを守るように」と書き置きまで残してある。
空は多少の雲こそあれど、十分な晴れ模様。何事もなく過ごせるだろうと、祖母はたかをくくっていた。
けれども昼過ぎから、急激に天気は下り坂に。一時間足らずで、晴れ間をすっかり覆いつくした、黒い雨雲。ほどなくそれらは、音を立てる大粒の涙を落とし始めたんだ。
嫌な感じだな、と祖母は、新聞紙を開いた窓の部分に目張りしながら、そう感じた。
開放する日は、件の例外がない限り、窓を閉じることは許されず、代わりの防水対策を施すのが、各家庭の必須だったためだ。
折りからの雨風に押されて、その身を屋内に向けて何度も何度も膨らませる新聞紙。その音に耳を塞ぎながら、祖母は晴れ間と親の帰りを待ちわびたけれど、いずれもかなわないまま事態は動く。
光。音。そのどちらもが、ほぼ同時に家中へ襲い掛かった。
雷。恐れていたものがやってきてしまったんだ。祖母はびくんと、魚のように身体を跳ねあがらせたけど、恐る恐る立ち上がった。
言われた通りにしなきゃいけない。窓も戸棚も、片っ端から閉めなくてはいけない。
閃光と轟音の余韻を、目と耳の奥に残しつつ、祖母は誰に対してでもなく、抜き足差し足で、手近な窓へと近づいていく。
先にしっかりと目張りをした新聞紙だ。はがさなくては、窓を閉められない。まだ幼い祖母の手が、そろりそろりと伸び、紙の端をめくりかけたその瞬間。
雷光落つる。雷鳴とどろく。
はるか遠くの山の上に、刹那に輝く大蛇が降り立った。先よりもずっと大きい咆哮をあげて、一気に祖母の五感を飲み込む。
「ひっ」と思わず声をあげ、紙から手を離す祖母。
逃げなくては。とっさに湧いた思考のままに、祖母は手近な押し入れに飛び込み、ぴしゃりと音立て、ふすまを閉める。
三つ折りになった、いくつもの布団のうちのひとつに、自分もその身を折り曲げて、奥へ奥へとねじ込んでいく。
あの稲妻のいななきから、少しでも遠ざからんがため。
震え始めて、どれだけ経ったか。
とどろきの訪れが消え失せて、いくらかご無沙汰している祖母の耳に「カサカサ、カサカサ」と虫が立てる、身体の音が聞こえてくる。
がぜん、祖母は安心した。伊達に田舎暮らしをしていない。雷よりも、虫の方が何千倍もましな代物だ。何せ、やろうと思えば、すぐに始末できるのだから。
祖母はかたつむりが殻の中から頭をのぞかせるように、丸まった布団の中からにょきりと、自分の頭だけを生やす。
かすかに開いたふるまのすき間。そこからは雨音と共に、かすかな光が中に差しこんで、床板を照らしている。けれど今、そのまなこに映るのは、見慣れた床の木目じゃなかった。
へそ。服を脱ぐ時、誰もが目にする身体の中心。
それが山のように積んであったんだ。ひとつひとつの形は非常に整っており、無駄な肉の一片もついていない。
それがかえって、遠ざかりかけた祖母の恐怖を引き戻す。今度こそ悲鳴をあげながら、祖母は押し入れを飛び出して、家の中をわあわあ騒ぎながら、逃げ回った。
やがて雨の勢いが止み、両親が帰ってきた時、祖母は騒ぎながらハエたたきを片手に、見えない何かを打ち落とすかのごとく、素振りを続けていたとのこと。
言いつけを守らなかったことで、その日はこっぴどく怒られたらしいんだ。押し入れの中は調べられたものの、祖母が話したようなへその山は、ついに見つからずじまいだったとか。
以来、祖母は自分のお腹に手を当てることが多くなった。特に雷があった時には、真っ先に。本気でへそを取られるのでは、と警戒を続けるようになり、警戒は強まったけれど、雷鳴そのものへの怖さは時と共に薄れていったみたいだ。
ただ、困ったことに、祖母のお腹の虫は、それからはまるで雷のように大きな音を出すことがしばしばあり、赤面して涙を流しかねないほどだったらしい。
まるでそれは、雨の前に先走る雷鳴のごとくだと、祖父を含めた誰もが認めるほどだったとか。