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マイちゃんが煩わしいと思い始めたのは、いつからだったかは覚えていない。いつも篠井さんと一緒にいて、僕の前では何も話さず篠井さんを通して会話をする。最初のうちは少し変わってる子だな、その程度だった感情も、繰り返されれば個性ではなく不快な一面でしかなかった。篠井さんは彼女の言葉を僕らに伝えてくれる。時に感想を時に意見を。篠井さんは自分の意思よりも彼女の意思を尊重した。何をするのも決めるのも。
「ねえマイ、今度はどれにしよっか?」
次第に黒く塗りつぶされた箇所か多くなってきた紙切れ。すぐに夏海を救えるとは思ってなかったし、きっと大変だろうとも考えていた。けれど何もしないなんて選択肢は始めから考えてなくて、これが駄目だったら次はどうしよう、今度はこうしてみよう。必死に考える気持ちは消えはしないものの、決して話すことなどないマイちゃんと篠井さんのやり取りに少しずつ気持ちを削がれていく。
「木守君、マイがしたいって言うんだけど、いい?」
失敗したと分かるなり僕らは互いの家を行き来して昼食をとった。始めはコンビニ弁当などで済ませていたが、どうやらそれにマイちゃんが飽きレストランに入ることもあった。会話は楽しかったし食事も美味しかった。何度繰り返しても助けられない結果の気分転換にもなった。
「なかなか助けられないね、マイ?」
別にいつもの風景だった。篠井さんとマイちゃんが意思の疎通をはかる日常の風景。びっしり埋まっていた紙切れは、したことよりもしてないことの方が少なくなり、救えないことへの苛立ちや焦りが生まれ、不毛とも思えるマイちゃんへの気配りに苛立ちが込み上げてきていた。今日も篠井さんは広げられたメニューを指差して言った。きっとその一言が油を注いだ。
「マイがこれ食べたいって、私もこれにしよ」
持っていたグラスをテーブルに叩き付けていた。
怒りに身を任せた。加減なんてできなくて、店内中に響き渡るほどの勢いで叩き付けられたグラスは粉々に砕け、テーブルの上に中身と破片をぶちまけた。テーブルを伝いぽたぽたと地面にこぼれ落ちる。賑やかだった店内は一瞬にして静まり、視線は僕らのテーブルに集まる。目の前の惨状と居心地の悪さに、頭は急速に冷えていく。
「あ……ご、ごめん……」
謝ったあと篠井さんを見ると、無理矢理笑顔を作ろうとしてはいるものの、僕の行動に怯えたように顔を引きつりマイちゃんをぎゅっと抱きしめていた。
「こ、こんなとこで食べる気分じゃないですよね。ごめんなさい、マイもごめんなさいって――――」
急いで立ち上がりレジカウンターに注文票とお金を置いて一人で出ていった。最後まで聞けば、また何かしてしまいそうで。
誰のか分からない傘を適当に取って土砂降りの雨の中を歩いた。行く場所なんて一つしかなくて、まだ戻れる時間じゃないと知りつつも駄菓子屋の屋根の下に入った。もう使わないと思い雨の中へ傘を放り投げた。
早くこの雨から逃げ出したかった。いっそこのまま、明日になれば雨は上がるのだろうか。それは夏海の死を確定させてしまうこと。嫌で昨日に戻り続けているのに、心も身体もくたくたになりもう諦めてしまいたい自分がいた。またこんな雨の日がやってくる。自分で選んでいるにも関わらず、何て滑稽な日々を繰り返しているのかと思えてしまう。苛立って苦しくて疲れ果てて……。諦めてしまえば解放されるのか、なんて考えてしまう。
「木守君……」夢から現実に連れ戻されて前を見る。その声も悲しい顔も全てが現実で。「木守君……」返す言葉も見つからないまま、ただ篠井さんを見ていた。傘も差さずこの雨の中を歩いてきたらしい。濡れた制服からは下着が透け、普段は癖毛で波打っている髪も、今はびしょびしょになり重みで真っ直ぐ下に垂れている。頬を伝っている水滴は赤く腫れた目を見るに雨ではなく涙だろうか。せめてこれ以上濡れないようにと腕を掴み屋根の下に引き寄せた。地面は水捌けが悪く、篠井さんが立つ場所に水が溜まっていく。ポタポタと水滴は落ち続ける。
唇が動いた気がした。何を言うのかと思っているうちに篠井さんは僕の肩に手を乗せ背を伸ばした。肩にかかった負担と同じ高さになった顔の位置でつま先立ちをしているのだと気付いた。気づいたのは、篠井さんの唇が僕の唇を塞いだ後だった。一秒にも満たないその瞬間だったが、僕はなんて単純なんだと思った。その一瞬の行為で、嫌なことや辛いことが吹き飛んで、それどころかほんのり幸せな気持ちになっていたのだから。
「ごめんなさい」
篠井さんのごめんなさいは、きっと僕の求めているものとピントがずれているかもしれない。「別に篠井さんは悪いことしてないでしょ?」一言も喋りたくなかった気分はどこかに行ったらしい。「でも……」戻れる時間までまだある。同時に、今日という日はあと少しでリセットされてしまう。そう思った時「今度はさ、僕の家に来てみる?」もう少し幸せな出来事を増やしたかった。僕らの記憶にだけある今日という日に。ダメかな。けど篠井さんは首を縦に振った。言葉はなくて、その返事が夢、幻じゃないと確認したくてもう一度。「いいの?」やっぱり首を縦に振った。抱きしめたかったけど、そこまでの勇気は僕になかった。
着替え何て当然なくて、篠井さんにお風呂に入っている間に部屋の服を漁ってマシな服を数点選び脱衣所に置いておく。どれでも使っていいから、と言われ篠井さんが来たのは僕のパジャマだった。裾を踏んで転ばないよう小動物のように小さく歩きながら、恥ずかしそうに椅子に座った。ドライヤーで乾かしきれなかったのかまだ湿っている髪と、お風呂で身体が温まったのか仄かに染まった頬は艶っぽくて、犬のように「わおーん」と叫びたくなった感情をどうにか胸の中に留めておく。手足はだぼだぼで何回折り返したか分からなかったが、自分の服を篠井さんが着ている事実に終始胸の高鳴りが収まらなかった。篠井さんが椅子に座るなりキッチンに置いてあった食事を運んだ。
「あ、この組み合わせ」
どうやら覚えていてくれたらしい。冷蔵庫を開けてみるが普段料理なんてしない自分には何かを短時間で作る能力はなくて、仕方なく冷凍食品を見てみると丁度いいものが目に入った。それを温め、その後に飲み物を作り温める。もちろんこれは、誰にでも作れる飲み物で。
「冷凍食品だけどね」
「私の家で食べたメニューだね」
初めて篠井さんの家に行った時に出してくれた食事を用意してみた。冷凍食品であるものの同じパスタで、同じようにココアを添えて。
「いただきます」
パチッと、割り箸を割った音が重なり二人はにかみココアを啜った。
食べ終わる頃には時間も程よく、今度は二人とも濡れないよう傘をそれぞれ差して駄菓子屋に向かった。「これで最後にしましょう」篠井さんは傘を折り畳み僕に返した。昨日に戻っても服装は僕のパジャマで、夕方の時間にそんな格好で街を歩くのは目立っていたが気にしてないようだ。二人で考えた救う方法を確認して、家に帰るなり明日に向けて買い物に出かけた。失敗してもまた繰り返せばいい。けど心も身体もそろそろ限界で、いつまでも続けられそうにはなかった。次だ、次が最後だと思ってやれることを全部してみよう。もう一日も残ってないけど今日はまだ終わってない。きっと夏海が死んでしまう未来にしてしまったら後悔する。絶対に後悔する。余計なことは考えなくていい。今はもう、明日の一瞬だけ目指していればいいんだ。
僕が作ったのは看板だった。近くのホームセンターで買ってきた木に〝工事中、通行止め〟と赤い字で大きく書き反射板と電球も付けた。夏海が事故に遭う道路を車が通らないように、間違って撤去されないよう時間ぎりぎりに設置する。夜中に夏海への電話も忘れない。「明日は土砂降りで視界が悪いから、車に気を付けて」と。最後まで悩んだ一言は今回も言わなかった。その言葉は、もし夏海が死ななかった場合に、ずっと背負わなければならない負の感情のような気がして。「夏海は明日、死んでしまう」たとえこの先何百回と失敗しようと、その言葉だけは言わないと決めていたのだから。
土砂降りの朝、夏海の家に篠井さんと僕で夏海を迎えに行く。口実はこうだ。「久しぶりにみんなで一緒に登校したい」篠井さんの案という体で。準備はしてきたし、一つが失敗しても良いように二重三重に作戦を練った。途中までは問題なかったし、自信もあった。これだけ色々な伏線を貼ったんだ。失敗する未来はまるで浮かばなかった。夏海が事故に遭う場所、不自然と思われてもいい。四方八方に目を配りその道路だけは慎重に歩いていく。トラックの音も聞こえない。やったんだ、ついに正解にたどり着いたんだ。僕も、篠井さんもそう思っていた。長かった苦しみから解放され涙さえ出てきそうになった。それが束の間の幸せだったと、ほんの数分もしないうちに思い知らされる。今までで一番、最悪の結末となって。
いつものトンネルを抜けた時だった。夏海が轢かれてしまうはずだった場所から百メートルほどの場所。音だけが聞こえた。地面を揺らしながら近づいてくる走行音。理由は分からなかったがまるで何かに誘われるよう、引き寄せられるかのように夏海が突然並んで歩いていた僕らより一歩前に出た。考える間もなかった。雨音のせいか、左右どちらから来ているのか分からず次第に大きくなっていく揺れが脳に信号を送っていた。脳に届いた時、頭でどうにかしなくてはと思って咄嗟に手を伸ばした。確かに夏海の服に触れたと思ったのに、その指先を横から走ってきたトラックが掠めた。火傷しそうな熱と、身体ごと吹き飛ばされそうな風圧を残して。それだけを残して。目の前にいたはずの夏海は跡形もなく消えていた……いや違うと、そんなことは起きるはずがない。現実は残酷で、どうしようもなく非情で。トラックの走り去った先にあったものは最初何なのかすら分からなくて、それを夏海だと認識する頃には人だかりが大勢出来ていた。一面絵に描いたような血の海で、ばらばらになった夏海の身体がそこかしこに散らばっていた。組み立て式のロボットのように、それぞれのパーツが無残に赤い血を垂れ流して。きっと次も成功するはずない。僕らはきっと正解なんてない、最初から答えなんて存在しない問題を解き続けているんだ。こんな光景を何回も見るために、また僕は昨日に戻らなくてはいけない。せっかく取り戻した気力は、たった一回で打ちのめされた。それでも惰性で昨日に戻れるかもしれないが。
運命なのだろうか。だからって諦めきれるものではなかった。篠井さんも疲れ切っていてマイちゃんと二人身体を寄せ合い、そこにある夏海を見るのが辛いのか背を向け小さく震えていた。その後ろを一匹の猫が横切った。どこにでもいるような普通の野良猫。篠井さんと猫。その二つは以前の記憶を蘇らせた。そして思い知らされる。あの時僕は、なんていい加減で無責任なことを言っていたのかと。忘れていた記憶は溢れた湯水のように当時の言葉を頭の中に並べ立てる。僕は言ったんだ。篠井さんの飼っていた猫が死んでしまう未来を変えようと昨日に戻り、それでも救えなくて勝手な憶測で決断を下した。
「猫が死んでしまうのは運命」
「生きてれば諦めなくちゃいけないこともある」
あとはどんな言葉だっただろうか。ああ、極めつけにこんなことも言ったな。
「昨日に気持ちを立ち止まらせたままはよくない」
よくもまあ口が動いたもんだ。何様の立場でものを言っていたのか。我ながら嫌気がさす酷い言葉だ。全く理解できないし、到底受け入れられそうもない。よく篠井さんを説得できたものだと心底笑えてくる。そんなことを言うやつがいたら、僕は何一つ言うことを聞かず全否定するはずだ。お前に何が分かるとそいつの顔を二度と見たくなくなる。苦しいしつらいし、このままだとおかしくなりそうで。なのにどうしても諦めきれない自分がいて。
駄菓子屋に行ってもまだ戻れる時間ではなく、いつもならこのままどこかで時間を潰すのだが、この日僕らは学校へと向かった。まだ夏海が死んでしまった事実を誰も知らない学校。普段と変わらない風景。教室は除湿機が付いているものの湿気でじめじめしていて相変わらず不快だったが、先ほどの非日常的な光景とはかけ離れた至極ありふれた光景で、それが心を少し正常に戻していく。一時間が経ち二時間が経ち、昼休み教師が僕に声をかけてくる。「木守君、今日浮嶋さんが部活を休んだけど、何か聞いているかい?」そう言えば学校に来ればそんなことを聞かれるんだったなと、妙な懐かしさがあった。「いいえ……」「そうかい、それなら仕方ないね」どうせこの会話も昨日に戻ってしまえば意味がない。適当な相槌ばかり打って、話した内容は数分後にはまるで覚えてなかった。
放課後になるまで篠井さんとは顔を合わせなかった。嫌だったわけでもないが、何回も一緒に昨日に戻っていたせいで、取分け会う理由を見つけられずにいただけだった。今頃夏海のクラスでは事故のことを知らされているのだろう。僕は教室の前の人だかりに目もくれず反対の階段から降りて昇降口で篠井さんを待った。約束ではホームルームのあとすぐにここで待ち合わせる予定だったが中々降りてこない。篠井さんと同じクラスの生徒が何人も降りてきて、それでも篠井さんは来ず、すれ違いになるのも嫌で電話をしてみるが繋がらなかった。何度も何度も連絡を入れるが一向に繋がらず発信履歴は篠井さんで埋まる。一時間が経ってようやく僕は引き返し篠井さんの教室に行くと、教室にたった一人席に座っている生徒がいた。
「何してるの?」
篠井さんは虚ろな目で僕を見た。
「マイが、まだ帰りたくないって」
僕はもっと早く気づくべきだった。夏海を助けようと何回も何回も僕らは戻っていたが、その前から篠井さんは何回も何回も夏海を助けようと昨日に戻っていたのだ。ここ何回かは様子が変だとは思っていた。けどそれは身体の疲労から来るもので、一緒に頑張ろうと決めたのだ。僕に出来ることは一回でも早く夏海を助けることだと思っていたが違っていたらしい。僕に向けられた笑顔や気遣いで誤魔化されていたが、篠井さんはとっくに限界を超えていた。そろそろ駄菓子屋に向かわなくてはいけない時間になっていたが、篠井さんを見てそんな気は失せてしまう。きっと篠井さんの言葉では話してくれない。なら僕は利用しようと思った。片時も傍にいて離れないマイちゃんの存在を。
「マイちゃんはどうして帰りたくないの?」
篠井さんはややあって、カバンから一本のペンを取り出した。僕にはどこにでもあるような普通のペンにしか見えなかった。机の上に転がし声を絞り出した。「これ……夏海ちゃんのなんです」「夏海の?」「はい。このペンは昨日まで夏海ちゃんが使ってたペン。そう思うと、どうも夏海ちゃんが死んじゃったってことに実感がなくなってしまって。今日も授業中、席を見れば夏海ちゃんがいるような気がして……でもそこには誰も座ってなくて……」僕は夏海の席に移動し椅子を下げ座ってみる。これが夏海の見ていた風景か。それはただの教室の風景にも関わらずどこか特殊で、悲しくて痛々しくて、そのまま動けなくなってしまいそうで慌てて席を立つ。
「マイの話、聞いてくれます?」
「いいけど、まずは昨日に戻らないと。それからでもいい?」
「はい」
それは間違いなく篠井さんの返事だった。
昨日に戻るなり僕らは駄菓子屋のシャッターの前に座り込んだ。幸い人通りの少ない道。ましてやもう閉店してしまった駄菓子屋。不審者だと警察に通報されない限りはいつまででもここにいられるだろう。時間はたっぷりある。近くで買ったペットボトルを僕と篠井さんの真ん中に置き、マイちゃんは篠井さんの隣。どのタイミングで篠井さんが話し始めるのか、あるいは僕から切り出した方がいいのか逡巡してると「あ、降ってきましたね」小雨がぽつぽつと降り始めた。明け方には土砂降りになる、真っ黒の雲を連れて。「いつもは戻ったらすぐ家に帰ってますよね。木守君、傘持ってます?」「持ってない。篠井さんは?」「私も。今からだと家に帰る頃にはびしょ濡れですね。どうせ濡れてしまうなら、少しだけマイの話に付き合ってください」「うん」マイちゃんの言葉を話し始める頃、地面にはいくつも雨粒があった。あと少しで全部を覆ってしまいそうなほどのたくさんの雨粒が。
「最初は小さなことだったんです。寝坊して遅刻してしまったとか、宿題を忘れたとか。先生の質問に答えられなかった。テストの点数が良くなかった。学校のこと以外でも昨日に戻りました。小さな失敗、どちらかしか選べないもの。少しでもいい日にしたくて、殆ど毎日やり直してました。戻れることを利用して普通にしてたら出来ないこともしました。木守君に幻滅されるようなことも……。そうやって何回も繰り返してるうちに、どんな一日でも満足できないようになってしまって。でも誰にも迷惑はかけてない。だからばれないようにし続けようと思ってました……昨日に戻れる限りは。夏海ちゃんは高校に入ってから一番最初に話した友達で、こんな私でも他の子と同じように接してくれました」
篠井さんとマイちゃん、二人を見て僕も最初は戸惑ってしまった。言葉を一切話さない、けれど篠井さんが大切な妹と言う無口なマイちゃん。確かに夏海ならそんなこと気にせず、差別せず接しそうだなと思った。
「誰よりも大切な友達。私にとって一番の親友。まだ知り合って三ヶ月しか経ってないけど、卒業しても一緒に居れたらいいなって思えるほど、私は夏海ちゃんといる時間が好きだった。えっと、どこから話したらいいかな。今日戻ったのも、小さなことをやり直したくて戻ったの。それこそ、誰にも影響のない小さなこと……のはずだった。最初は夏海ちゃんは死ななかったの。何事もなく学校に来て、何事もなく一日を終えるはずだった。なのに、私が最初に戻った時から、きっと何かが変わってしまったの。夏海ちゃんが死んでしまう日になった」
「そんなことないよ。篠井さんたちが戻ったから夏海が死んでしまうなんて……。もしかすると、篠井さんが戻らなくてもその後死んでしまっていたかもしれないし」
「ううん」首を大きく横に振ると、髪は回りながら一瞬左右にふわりと浮いて、けれどすぐに地面に落ちるように垂れ元の位置に戻る。「違うと思いたくても私自身が納得してしまうの。夏海ちゃんが死んだのは、私が昨日に戻ったからだって」
「たとえそうだったとしても、僕は篠井さんが悪いとは思わない。そんなこと言えば誰だっていつ死ぬか分からないんだから。今までだって本当ならもっと早く夏海が死んでいたのかもしれないけど、篠井さんが昨日に戻っていたから死ななかったのかもしれない」
雨は強まって来ていて日は沈み夜が訪れようとしていた。最後に喋ったのはどっちだったか。会話は途切れて、けれどその場から動かず座っていた。意味はなかったがこうしていたかった。ただ疲れて動けなかっただけかもしれないが。シャッターに預けていた体重は、いつの間にか横に座る篠井さんに凭れ掛かるようになっていた。二人で互いを支え合うように身体を預ける。徒歩や自転車で前を横切る人々は訝しそうに見たり、大回りして僕らを避けるように通った。自動車のヘッドライトは丁度目の高さで眩しくて、走行音が聞こえるたびに顔を伏せた。夏海を助けたいはずなのに、いま自分がしている行動はまるでそれに繋がってなく、一体何をしているんだとの思いが頭の中を駆け巡る。ぐるぐるぐるぐる、止まることなくいつまでも。