気まずい相手に電話はしたくない
俺は学習机の椅子に座り、体を屈めてパソコン本体の電源を入れた。親父から貰った古いパソコンが、ブォォォン、と低い唸りを上げる。画面にはWindows2000のロゴマークが浮かぶ。
動きの鈍いパソコンがデスクトップ表示まで辿り着く。俺はマウスを動かし、自然に立ちあがったスカイプを消す。画面やマウスの動作が遅くてイライラする。
「重いわね」
「しょうがないだろ。親父のお古なんだから」
「ドライブは壊れてないでしょうね」
「ドライブ?」
「……DVDを見られるか、ってこと」
「あ、あぁ。見られる、はず」
岩村はDVDドライブ?(俺はその名前を知らなかった)のスイッチを押し、飛び出してきた部分に持参のDVDを入れた。
暫くすると、DVDの再生ソフトが自動で立ち上がり、動画が始まった。
画面にはどこか広いホールの舞台が写っていた。私立柏木女学園ダンス部です、という紹介の声と共に、舞台袖から髪をお団子にした数人のチャイナ娘が飛び出す。ここにいるのが綾辻さんよ、と育美が画面の端を指差す。育美は後ろの端に立っていた。
照明が落ちて舞台が真っ暗になった、かと思えば、すぐにロック調の音楽が流れ始めて舞台に紫と赤の光が走る。その中を育美を含めたチャイナ娘たちは激しく踊り出した。ダンスは曲に合わせて七色に変化する。アイドルっぽいキュートな振り付けで始まり、急に太極拳のような動きでスローダウンしたかと思えば、いきなり早くなった曲調に乗ってコサックダンスを取り入れポップな動きで魅せる。
俺はダンスなんて踊ってみた動画くらいしか見たことがないが、その子たちの踊りが上手いことは分かった。勿論、踊ってみた動画でトップの再生数を重ねるものには敵わないが、素人が目立ちたいためだけに投稿した再生数の少ないものよりは断然上手い。
育美はその激しくて上手なダンスに見事についていっていた。これがあのトロくて目立つのが苦手な育美なのか、と目が見張るほどに、育美は生き生きと踊っていた。カメラから舞台まで若干の距離があるものの、楽しそうな情報がハッキリとわかる。
BGMの銅鑼の音と共に、ダンスが終わった。それぞれポーズを決めた少女たちに、観客たちが割れんばかりの拍手を送る。少女たちは笑顔でお辞儀をし、舞台袖にはける。そこで動画がピタリと終わった。
「凄かったでしょ?」
「あ、ぁぁ……」
すごい、というのが正直な感想だった。
人間、一年でこんなに変わるものなのか。あるいは能ある鷹が爪を隠していたのか。
どこか得意げな顔をして岩村がベッドに座る。
「私はダンス大会で彼女を見たとき、この子ならアイドルになれるかもしれないって思ったの。他の人たちには大多数の中の一人だったのかもしれない。けれど、私は、彼女が良いと思った」
「……一つ、聞いてもいいか?」
「何?」
「何で、育美なんだ? ぶっちゃけ育美くらいのレベルの女の子なら、たくさんいるじゃないか。大事な卒業試験のための希望の種とやらを、……その、育美でいいのかよ?」
俺は育美のことを知っているからどうしても贔屓目で見てしまうが、育美のダンスがプロの世界で通用するものなのかは分からない。アイドルを夢見る女の子の潜在数はどれほどなのか。アイドルを目指してレッスンを積む子、太いコネクションを持っている子、とにかく目立ちたくてオーディションを受けまくっている子、活動中の地下アイドル……潜在的な数は計り知れない。不思議なオーラを備えていて、偶然街角でスカウトされてそのままアイドルになってしまう子だっている世界。アイドルとして大成するには能力の高いライバルが山ほどいると考えて良い。
そんなアイドル候補生の中から、岩村は育美を選んだ。卒業試験の話が本当なら、岩村にとってもこれは人生を左右する大事な選択になる。
「綾辻さんがいいのよ。
私だって合間を縫って色んな場所に出かけて候補者を探した。その中でも綾辻さんは私の求める条件に最も多く当てはまっていた。アイドルを目指しているからモチベーションが高いこと、習い事でアイドルの仕事に必要な基礎能力がそこそこ高いこと、一年という短期間でダンスをあのレベルまで仕上げられること、他人の話を素直に聞けること。
でもね、一番重要なのは、私の直感」
「直感?」
「そう。直感をバカにしちゃいけないわ。直感って自分で自分を信じるってことなんだから。確かに、選択の理由が言語化できないまま直感を信じるのは危険よ。完全な運ゲーなんて以ての外。でもね、言語化できる理由が複数あっても、直感がNoと言っていたら私は選ばない。例えば、綾辻さんにどんなに技術があっても、彼女にやる気がなければ私は手を貸さないわ」
「……そんなもんか」
「そんなもんよ。約束された成功、約束された勝利なんて無いわ。それでも私たちは何かを失うリスクを前提に、目的を達成するための選択をしなければならない。だったら、イケるかもしれないって思った直感を信じたいでしょう?」
岩村の言葉は自信に支えられているのだろう。つくづく俺とは違う人種だ。岩村が言うような、リスクを背負いながら直感に賭けた大バクチをなんて俺には一生かけても打てないだろう。何か直感したところで「自分が間違っていたら?」「失敗したら?」と踏み留まってしまう。レール上を走ることを望むのがお似合いな人間なのだ。
「で、あなたは? これを見てもまだ綾辻さんには無理だって断言できる?」
「……できない」
「じゃあ、綾辻さんの説得、手伝ってくれるわよね?」
「……俺がやれって言っても、アイツはやりたくないって言うかもしれないし」
「綾辻さんがやらないって言ったらソレはソレ。私だってあなたに不可能なことまで頼むつもりはないわよ。
大事なのは、あなたがどうしたいか」
自分がどうしたいのか。
俺の答えは、決まっている。
「俺、アイツに、どうしたいのかを聞きたい。俺、昨日、アイツが自分でどうするかを言う前に無理だって言っちまったから」
「なるほど……わかったわ。それじゃあ、綾辻さんの気持ちを確認しましょう。ほら、スマホ出して」
「えっ」
「電話して、綾辻さんに」
「いや、昨日の今日で気まずいだろ……」
「……しょうがないわねぇ……じゃあ私が電話するから。ほら、早く!」
んっ、と手を出してくる岩村に、俺は慌ててポケットからスマホを出した。電話帳から育美の番号を呼び出した状態で岩村に渡す。岩村は躊躇いなく通話ボタンを押した。
序章の終わりが見えて参りました。
もうちょっと展開の早い話の進め方を学んでいきたいです。