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花咲け 僕らの個人レッスン!  作者: 織井 隆依
序章 期待されるとプレッシャーで潰されるが、期待されないと落ち込む
6/10

やるときゃやれる時もある

 コウくんという呼び声とドアを軽く叩く音で、無理矢理意識を覚醒させられた。昨晩の疲れが取れていないのか、体がダルく、俺は布団を頭から被り直して母親をやり過ごそうとする。いつもなら反応がなければため息をついて去っていくのだが、今日はやけにしつこい。

 俺は布団を跳ね除け、ドアに向かって怒鳴る。


「っ、んだよ!」


「コウくんのお友達だっていうお嬢さんが来てるんだけど」


「誰」


「岩村さんって方」


「いないって言っといて」


「聞こえてるわよ」


 寝直そうと布団を被りなおしたところに、ドア越しから聞こえてきた第三者の声に、俺は布団をまた跳ね除け、反射的に背後に後ずさろうとして窓に頭をゴンとぶつける。

 その声は間違いなく岩村円のものだ。家に上げたなら上げたって言えよ、と怒鳴りつけたかったが、母親との会話を聞かれるのが恥ずかしくて何も言えない。


「えっ……ちょっと、あなた!?」


「申し訳ありません、お母様。どうしても八十台くんとお話がしたくて」


 どうやら岩村は勝手に家に上がってきたようだ。昨日の電波設定素人ナンパに続いて不法侵入とは。俺は恐怖に慄いた。育美のことを諦めないと言っていたが、まさかウチに来るとは。その発想はなかった。

 俺のニート生活にだって怒らない母親が、珍しく怒った声を出している。ドタ、ドタ、と踵が床を強く踏む音が聞こえてくる。まるで掴み合ったまま行き来しているような感じだ。


「帰ってください! お願いします!」


「お母様、お願いします。ここからでも良いので、八十台くんとお話をさせてください」


「やめて! 光輝はそういうの嫌がるの!」


「いえ、私、八十台くんとお話しできるまでは帰れません」


 怒る母親に、岩村は静かだけど強い口調で対応する。俺と話ができるまで帰るつもりはないという固い意志に溢れた声だ。


「警察を呼びますよ!」


「それは困りますけど、八十台くんに話せない方がもっと困るんです」


 警察という言葉を出されても、岩村は動じない。

 ダンッ、ダンッ、ダンッ、と聞いたこともないような足音が階段を駆け下りていく。一体、このドアの向こうで何が起こっているのだろうか。俺の体は少し震えていた。母親を初めて怖いと思った。母親があそこまで激しい感情を露わにしながら、攻撃的に人に詰め寄っているのを見たことがなかった。

 八十台くん、と岩村は静かに言う。


「八十台くん。あなたは昨日、綾辻さんがアイドルになるのは無理だって言ったわよね。そんなことはないってことを証明したいの。綾辻さんのダンス大会のDVD、持ってきたから」


「べ、別に見たくねえよ!」


「お願い、一度だけ、私にチャンスを頂戴。もしもあなたがこのDVDを見て、綾辻さんにアイドルの才能がカケラもないと思ったのなら、納得して帰るわ。でも、綾辻さんのダンスに少しでも可能性があると思ったら、私と一緒に彼女を説得して欲しいの」


「嫌だよ! つーか、あの学校とかいう設定とか、マリちゃんの妹だっていうのも信じてないからな!?」


「学校に関しては証明できないけど、姉のことなら証明できるわ。アルバム持ってきたから」


 アルバムという言葉に一瞬心が揺らいだが、すぐに気を取り直す。無視だ、無視しろ。全部架空の設定だ、希望の種だとか、卒業試験だとか。育美はこの女に騙されそうになっているんだ。

 俺は頭から布団を被る。

 そもそも、俺に何の得がある? 育美を、この女を助けて、俺に何か得があるか? ……無いじゃないか。

 育美がアイドルになろうと、岩村が卒業試験を受けられようと、才能という切符を持たない俺は、この部屋からは出られないし、何者にもなれない。


「八十台くん。聞いて。

 アイドルの仕事はね、皆に元気や勇気をあげることなの。少なくとも岩村マリカはそう言っていたわ。

でも、元気や勇気をあげること自体は、アイドル以外にだって出来ることよ。私やあなたのように例え特別な才能がなくても、誰かに勇気を与えることができる。

 もしも類い稀な才能を持っていたとしても、誰かが教えてくれた勇気や希望がなければ、人は前に進むことができない。人は真の意味で前に一人で進むことはできないのよ。アイドルになればたくさんのファンからたくさんのポジティヴを貰えるわ。でも、その前のアイドルは、前に進むためのものを、周囲の人たちに貰うしかない。

  八十台くん。あなたには、私と一緒に、綾辻さんの勇気になって欲しい」


 岩村の言葉を聞きながら、俺はマリちゃんの歌を思い出していた。忘れないで 勇気のバトン 繋ぐ勇気を。

 俺にアイドルになるのは無理だと言われて、俺の言葉を受け入れた育美。 もしも俺があの時に、おまえなら出来ると言っていれば、育美はアイドルを目指すと言っていただろうか。

 例え何もできないニートの俺でも、マリちゃんが渡してくれた勇気のバトンを、育美に渡すことができるだろうか。


「あなたがもしもお姉ちゃんに勇気をもらったことがあるなら、今度はあなたが綾辻さんに勇気をあげる番なのよ」


 しんと辺りが静まり返る。

 岩村は待っている。

 俺の答えを。


 静寂を、ピンポーン、というチャイム音が破った。バタバタと足音が廊下を走り、玄関まで辿り着く。母親のヒステリックな声と、男の声が聞こえてくる。続いて二人分の足音が階段を登ってくる。この子ですっ、という母親は震えた声で怒鳴った。


「えー……またキミ? もしかして昨日の子と喧嘩? それとも痴情のもつれ?」


「昨日の……」


 男の声は聞き覚えのあるものだった。昨日のデカい警官だ。


「早く引き取ってください! うちの子が怯えているんです!」


「ま、現行犯じゃ、逃げようないよね。とりあえず、一緒に来てくれる?」


「……わかりました」


  岩村は項垂れた声で答えた。

 二人分の足音が廊下を歩き始める。


「コウくん、もう大丈夫だからね」


 自分が安堵したような声で言った母親は、先の二人の足音に続く。

 俺は呆然としていた。岩村が警察に連れて行かれてしまう。そのことに呆然としていた。


『やめて! 光輝はそういうの嫌がるの!』


『うちの子が怯えているんです!』


『コウくん、もう大丈夫だからね』


 何が、大丈夫なのだろう。


 誰が、怯えていたのだろう。


 そういうの嫌がるって、なんだ。


 母親に勝手に気持ちを代弁されて、岩村を追い払わせて、俺は、育美のことを親の言いなりの気弱なやつだなんて言えるのか?

 俺がダメだって言って、育美がアイドルになりたいっていう気持ちを抑えさせて、いいのか?


  これでいいのか?


 これでいいのか?


 これでいいのか?


 ……良いわけ、ねぇだろ!!!


 布団をはね除け、床に立ち上がる。倒れたフィギュアを思いっきり踏んで悲鳴をあげたが、しかし痛みに踞っている暇はない。顔を不細工に歪めながらも足を踏み出し、部屋のドアを開ける。玄関からはドアの閉まる音。走って階段を下り、驚いて見上げてくる母さんを無視してドアに飛びつく。鍵が閉まっているのに気づいて捻り、再度ドアを開ける。

 外に飛び出して入り口の門を開ける。母親が後ろから何が呼びかけてくるが無視して家の敷地外に飛び出す。

 道路には自転車を押す警官と岩村が並んで歩き始めているのが見えた。


「っ、ちょっと、待って!!!」


 裏返る声で精一杯叫ぶ。


「ソイツ、俺の、客です!!!」


 二人の背中がこちらを振り返った。

 そのときに見た、岩村の、パァッと花が咲くような笑顔。

 それがあんまりにも綺麗で、俺は、今の状況も忘れて、やっぱりコイツは自分がアイドルになったらいいんじゃないのか、と思った。

主人公、始動。

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