おねむのあとに
「どうしたんだい? 座りなよ」
水明の目の前で、この部屋の主である魔術師ハイデマリー・アルツバインが、再度の勧めを口にする。
いまはテーブルに就き、無機質な表情のままどこからともなく出した紅茶器をそのしとやかな唇に当てて、優美に中身を飲んでいる。
見た目は麗しい。だがそれ以上に、格好は卦体なものだった。
長い黒髪、燕尾服、ベッドに無造作に投げ出されたシルクハットに曲がり杖。マジシャン然としていて、部屋の内装にはそぐわない。それに周囲のビスク・ドールと同じく彼女の表情は無機質であり、あでやかな美貌ともちぐはぐさがある。
それが魅力として揺るがないような気もするのだが、いとけなさがあるゆえ、調和しているのだろうとも思えた。
そんなハイデマリーに勧められたまま、水明は自ら引いた椅子に着く。
「そう警戒しないで欲しいね。さっきも言った通り、さっきのは言わばテスト。ご主人様試験みたいなものだ。ボクはもうキミに危害を加えるつもりはないよ」
「で? その謎な試験を受けさせられた俺の評価ってのはどうなんだよ?」
「このボクを認めさせることができる程度の実力は持っているってことはわかったかな」
「そりゃあどうも」
水明はそう、適当に返事をしておく。
「それで、俺はお前を連れて来いと言われたんだが? 大人しく付いて来てくれるのか?」
と、水明が訊ねると、ハイデマリーそれには自分の訊ねを被せてくる。
「――その前にボクから訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「さっき言ったお話ししようってのか?」
「そういうことそういうこと」
訊ねる水明に、あっけらかんと答えるハイデマリー。すると、彼女は持っていたティーカップを置いて、問うてくる。
「ボクが訊きたいのは、君たち結社の魔術師のことだ。確か、変わった魔術理論を使っているんだってね?」
「現代魔術理論か?」
「そう。そんな呼ばれ方をされているね。他系統同士の魔術を複合させるとんでもない発想の魔術なんでしょ?」
「まあな」
「違う系統の魔術同士を同時に使うわけでもないんだよね?」
「さっきお前の見た通りだ。そんなお粗末な魔術行使だったかよ?」
ハイデマリーは「全然違うね」と言いながら首を振る。彼女の言う通り、現代魔術師の使う魔術は、多系統の魔術同士を混合させる魔術理論を基礎としている。たとえれば、文字の表す意味を強制力とし、事物に刻みその力を発揮させるルーン魔術と、それとは全く別の理論を持つカバラ数秘術――あらゆる事象や現象を数式や数字の羅列で紐解き、世界に思い通りに再現する魔術――を混ぜ合わせ、全く別の系統の魔術としてしまうというものだ。現代社会の裏側にある魔術界でも、相当に異端とされる魔術系統である。
変わっていると称したこの少女の使った魔術も、相当に変わっているが、それはともかく。
「それで、キミたちは盟主サマとやらが目指している理念をみんなで追いかけているんだろう?」
「ああ」
頷くと、ハイデマリーはまるで無邪気な子供のように小首を傾げる。
「それって、なあに?」
「それについてはおいおいわかるさ。何かをやれと強制しているわけでもないし、俺がここで話すようなことでもない」
「そうなんだ」
言うほど気のありそうでない視線は、彼女の表情が乏しいからか。やがて、ハイデマリーはまた何か聞きたいことを思いついたか、訊ねてくる。
「……ねえ、キミは自分が魔術を使えるようになったときのことを覚えてる?」
「なんだ突然?」
「キミたちヒトが魔術に目覚めたときって、どういったものか知りたくてね」
「魔術を使えるようになったときの気持ちか?」
「それよりも、魔術を使えるようになったときのヘウレーカだよ」
妙な言いまわしだが、要は、
「この場合は至ったときのひらめきを指すのか」
「ぼくはもともと魔術が使える存在だから、そういったクオリアはわからないんだよ」
彼女の訊ねに、水明は疑問を呈する。
「マイスターに聞けばいいんじゃないのか? 俺に訊ねるよりも高い位階にある魔術師に聞いた方がいいだろ?」
「お父様は答えが曖昧なんだ」
そう言ってティーカップに口を付けるハイデマリー。曖昧と言ったが、水明もそのマイスターの答えは頷けるものだった。
「魔術を使えるようになったときのことねぇ……」
水明も自分が魔術を使えるようになった経緯というのは、実のところよく覚えていない。
父に魔術を見せられて、その力――つまり神秘を宿した事物に触れ、魔術を使うための詳しい知識を覚えていったら、ある日「できる」という感覚がいつの間にかそこにあって、自分も父と同じように魔術を使えるようになっていた。得た感覚と言えば、それだけだ。いつ使えるようになったなんて明確なことはわからない。魔術が使えるようになるための要因というのは結局、使えるようになってから使えるようになる要因を考察するだけの後付けでしかないのだと、いまでもそう思っている。
魔力の存在だって魔術を使えるようになって初めて感得するものだし、魔力炉だってそのあとから作る物。自転車の乗り方と同じで一度覚えてしまえば二度と忘れないあのバランス感覚のように曖昧なものでもあるし、タロット占いのように行えば行うほど結果を引き寄せる勘を鍛えることができるものであり、奇術のように技術の延長線上にあるものでもある。
一口にしては言い難い。だが、ただ一つ真に言えるのは、魔術とは神秘に触れなければ決して扱うことのできないものだ。
「……どうしたんだい?」
「いいや、俺もよくわからんよ」
「神秘を追求する人間が、そんなのでいいの?」
と、声音は平坦だが、どこか胡乱そうな物言いである。
「いいんじゃないか、大概みんなそんなもんさ、だからマイスターも答えは曖昧だったんだろ? 理論と実践が合致するあの感覚は、言い表すには難しいものがある。まあ、みんな必ず一度は得るような感覚だから、つまびらかにするヤツもいなかったんだろうが」
「そうなのかなぁ……」
おそらくは何でも普通にできてしまうゆえ、そういった感覚に触れることができないのだろう。彼女の頭の中にはあらかじめあらゆるマニュアルがインプットされており、何に付けてもそれを使えばいいだけという状態なのだ。それでは、発想の感動を得ることができないのは道理だろう。
不意にハイデマリーが視線に視線を合わせてくる。何を思っての行動か。瞳には無機質な灰色の光。熱意は欠片も見て取れないが、微かに精彩を放っている。
ひとしきりこちらの瞳を眺めて満足したか、ハイデマリーは大きく頷いた。
「いいよ、分かった。ボクはキミに付いて行くよ」
了承は得られた。何をもってして良いと判断されたかは分からないが、彼女はまた、
「水明君、だっけ? ボクのことはきちんとレディーとして扱うように」
「なんだその言及は?」
「何も。ただ、真っ当に扱って欲しいってだけさ」
それは、フラスコから生まれた疑似生命体だから口にした言葉なのか。物として圧って欲しくはないという意思の表れだろう。やがてハイデマリーはいきなり伸びをする。
「ふぁ~あ」
それは子供がするような、大きな大きなあくびだった。そんな遠慮のまるでない行動に、眉をひそめた水明が苦言の一つも垂れてやろうとしたとき、ハイデマリーは眠そうに目をこすって、こんなことを言い出した。
「ボク、眠くなってきちゃったから、寝るね」
「は?」
いきなり、何なのか、水明が困惑の声を掛ける間もなくハイデマリーは席を立つ。
「おやすみ」
そう言って、そして――
「くー」
ハイデマリーはベッドの上で無防備に寝転がり、可愛らしい寝息を立ててしまった。
「お、おいおいなんなんだよお前は……」
もはやことここに至っては、解消されない困惑の内にいるしかない。まあ寝てしまったものはしょうがないかと水明も席を立ち、後ろを向くと――
この部屋に入った時に閉じ込められたまま、出入りするためのドアがない。
「……おい、俺どうやってここから出ればいいんだよ?」
結局、水明はハイデマリーが起きるまで、部屋の中で待っていなければならなかった。
そして、起きたあと。
「……キミ、誰?」
「いっぺん殴るぞテメェ……」
★
「ホントよく寝やがって……」
「ごめんごめん」
本気でそう思っているのか。水明はハイデマリーに胡乱げな視線を向け、心の中でそう非難する。
ハイデマリーの要望でひとしきり話をしたあと、彼女は急におねむの時間になってしまったらしく、ベットにもぐり込んで寝てしまったのだ。しかも水明は部屋に閉じ込められていたため、結局彼女が目覚めるまで待つほかなかった。
謝るわりには気にした様子もないホムンクルスを横目に、水明は大きなため息を吐く。
水明とハイデマリーは部屋から出ると、部屋に入ったときと同じように、アンネリーゼがそこに佇んでいた。
二人が出て来たことに気がついたアンネリーゼは、すぐにハイデマリーの方を向いた。どうやらハイデマリーの上着がたわんでいたのを見咎めたらしく、彼女の前に立って、世話焼き女房よろしく着衣の乱れを直す。
「マリー、随分とお時間がかかりましたね」
「水明君とお話をしてたら、眠くなっちゃったんだ」
「な⁉ まさかあなた、お客様の前で寝てしまったのですか⁉」
「うん」
「そう、そのまさか」
瞠目して見詰めてきたアンネリーゼに、水明はうんざりとした様子で頷いて返す。そんな失礼を犯すなど思ってもみなかったのだろう。彼女は呆れを通り越して呆然としている。
だが、すぐに気を取り直すように咳払いを一つして、
「と、とにかく、お父様がお待ちです。お部屋に向かいましょう」
「はーい」
間延びしたハイデマリーの返事と共に、水明も続いて歩き出す。
やがて最初に通された部屋に到着すると、エドガーは待ちの徒然を慰めるために読んでいた本を閉じて、ハイデマリーに問いかける。
「どうだマリー? 納得したか?」
「うん。お父様。及第点は超えてたかな」
「そうか」
納得のいくものだったのが満足だと言うように、口もとを笑みで曲げるエドガー。
しかし、反対に一番上の姉はいまの言葉が気に食わなかったようで、ハイデマリーを窘めにかかる。
「マリー。水明様に何という物言いですか。しかも寝ていたなんて……お客様を試すだけでも失礼なのに、ご迷惑の掛けすぎです」
説教を始めるアンネリーゼに、ハイデマリーは拗ねたように口を尖らせる。
一方、それを聞いたエドガーが、
「マリー、寝ていたのか」
「うん」
「うん、ではありません」
「ごめんなさい」
声音を聞けば感情のない謝罪だが、そうではないのだろう。謝る相手が確実に違うが、二人は気にした風もなし。やがてハイデマリーは、口の先を尖らせたアンネリーゼに甘えるように抱き付いた。
胸に頬ずりをするハイデマリー。そんな彼女に、アンネリーゼはむぅと口をへの字に結ぶ。
「もう……」
アンネリーゼは困ったように息を吐きながら、擦りつくハイデマリーの頭を優しく撫でる。その様子から、まんざらでないことが窺える。どうやら、ハイデマリーのわがままさは、彼女にも原因があるらしい。
一方、それを親の顔をして眺めていたエドガーは、一転表情を引き締めて水明の方を向く。面持ちは先ほどと同じ、老齢のモミの木ののどっしりとした質感。その硬質さ。仏頂面。
「いろいろと悪かったなスイメイ」
「山奥まで来させられたり試されたり待たされたり、とんでもない扱いですよホント」
「なに、魔術師に理不尽は付き物だ。そう気にするな」
仏頂面の口もとにどこか「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべるエドガー。存外お茶目が好きなのか。水明としてはよく言えるものだと言ってやりたかったが、まあ、そこは堪えるしかないのが彼の立場ではあった。
ぐっと言葉を呑み込み、心の中で思いつく限りありったけの不平の言葉を列挙して、ここは溜飲を下げておく。
一方エドガーはその心のうちまでも見透かしているのか、向けた笑みが戻らない。そこばかりは父を恨む水明である。
そして一転気持ちを切り替え、水明はエドガーに訊ねる。
「ハイデマリーの部屋には、人形がありましたがあれは」
訊ねると、それにはハイデマリーが答える。
「あれはボクの造った子たちだよ」
「マリーは、姉妹の中で唯一人形を造ることができるのです」
「唯一? ああ……」
訪ねて、すぐ思い当たる。アンネリーゼは唯一と言った。ハイデマリーが他の姉妹とは違うところ。つまりは、そういうことだ。
「人形には、人形が作れないってことか」
「そうなります。もちろん、命を吹き込むことができないと言う意味ですが」
「そんなもんぽんぽんできてたらとんでもないっての」
水明が半ば呆れたように言うと、ハイデマリーがアンネリーゼを見る。
「でもお姉様には千街劇場があるじゃない?」
「ふふ、ありがとう」
身内を褒めるハイデマリーに、慈愛に満ちた笑みを浮かべるアンネリーゼ。天才と言って憚らない少女が下手に出るのは、相手が身内だからだろう。一方で、アンネリーゼのその態度は、彼女がハイデマリーの母親代わりであるためだろうか。
そんな様子を見つつ、今回の任を終えたことを確認した水明は、エドガーに頭を下げる。
「では、俺はそろそろおいとまさせて頂きます」
「じゃあ、ボクも行ってくるよ」
そう言ってアンネリーゼから離れたハイデマリーに、エドガーが声を掛ける。
「マリー」
「はい。お父様」
「よく学びなさい」
「ボクにわからないことがあればね」
そう自信ありげにうそぶく彼女の頭を、エドガーは優しく撫でた。
「水明様。マリーをよろしくお願いします」
優美な所作を交え、頭を下げるアンネリーゼ。その後にハイデマリーが「ボクがお願いされる立場かもね」と言ったのは、言うまでもないことか。
お話の方はこれで終わりです。このあとには用語の説明を入れたいと思います。