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ホムンクルスの少女


 普通、客人が家に赴いたとき、その客人と家人を引き合わせなければならない状況になった場合は、その家人を、客人を通した部屋へ、つまり応接間に呼ぶものだ。

 だが現在、水明は彼自身客人の括りにあるにもかかわらず、家人の部屋まで足を運ぶという、多少なりと例外的な状況に陥っている。水明がエドガーよりも低い位階にある魔術師といえど、盟主ネステハイムの名代として赴いているため、扱いは礼を失していることになるだろう。



 だがそれでも水明を部屋まで向かわせるのは、ひとえにこれから会う者の事情に他ならない。

 ――ホムンクルス。一般には、賢者の石(ラピス・フィロソフォルム)製造の理論を証明するために、錬金術によって生み出された疑似生命体のことを指す。それらは生まれたばかりの状態でも人語を話し、あらゆる知識を身に付けているという。しかしその反面、小さな身体は脆弱で、生み出された場所であるフラスコの中でしか生きられないという制限もある。


 十中八九それが、水明が部屋に出向かなければならない理由であり、これから会う者がいまだ姿を見せていない理由だろう。



 二階の角部屋の前に到着すると、アンネリーゼはエドガーのときとは違いドアを開け渡すように立って、エプロンドレスの裾を摘まみ、礼をする。



「――ここが私たちの一番下の妹、ハイデマリーがいる部屋です。では水明様、どうぞ」



 アンネリーゼの言葉を受け、水明はドアノブに手を掛ける。しかし、彼女の方はどうして動こうとはしない。エドガーのいた部屋に入ったときのように、先を譲ってあとから入るのだろうと思ったが、どうもそう言った様子ではなかった。



「アンネリーゼ、アンタは来ないのか?」


「申し訳ありませんが、このお部屋には水明様お一人で入って頂きたく存じます」


「……まあ別に構わないが、その理由を聞いても?」


「お部屋に水明様お一人で入って頂くのは、あの子のわがままによるものです。それ以上のことは中でお聞きになって頂ければ」



 全てわかるのか。


「わかった」


 ここまでまどろっこしい手順を踏むのには、何らかの理由があるのだろう。水明はアンネリーゼに促されるまま、ドアを開けて、部屋の中に入った。


 部屋に入ると、ふっと香気が鼻腔に広がった。きつくなく、優しい。紫檀(ローズウッド)が混じった香が焚かれている。心に安らぎを与えてくれる香りだが、それと同時に催淫効果を持つため、淫靡さを感じさせる香気でもある。イランイランや老山白檀など、魔女が扱う媚薬としてよく知られるものだ。



 一方、部屋の中はフランスから取り寄せたらしい高級そうな白家具に囲まれ、人形(ビスク・ドール)やぬいぐるみの人形が、何体も脇の調度品の上や正面に置かれたベッドの上、椅子の上などに飾られている。



 花柄と白。印象としてはお姫様もしくは良家の子女の部屋といった具合の内装だが、しかし中を見回しても部屋のどこにも、ホムンクルスのスペースであるフラスコらしき物がない。



 顎を下げ、歯と歯の隙間からスーと息を吸い込む音を鳴らして、状況を推し量る水明。



「どういうこった?」



 そう独り呟いた水明は、一度アンネリーゼに話を聞きに戻ろうとドアノブに手をかける。



「あ?」



 思わず口から飛び出たのは、疑問の声だった。ドアノブをひねっても、何故か扉はまるでびくともしない。



「おい、鍵が閉まってるぞ! どういうことだ!」



 扉を叩いても、外側から返る声はない。代わりに部屋の中に反響する自身の声を耳にしながら、魔術師の目でよく視ると、結界が張られているのに気付いた。



 やがてドアノブがドアに埋まっていき、ドアと壁の切れ目も消えていく。

 ――閉じ込められた。そう遅ればせて察した途端、にわかに背後から魔力の気配が高まった。

 ちぃっと舌打ちをした水明は、すぐさまドアノブから手を放し、機敏な動きで振り返る。



 無論、部屋の中には誰もいない。しかし、魔力は水明が脅威を覚えるほど高まっている。この部屋の主がどこかに隠れているのか、それともこれは何か別の魔力なのか。水明は目を細めて慎重に周囲を探る。



 ……見た限り、お高そうな部屋という感想が先に出てくるが、この部屋には人形がある。先ほどはそれらのほとんどがエドガーの創ったものと聞き及んだが、アンネリーゼのことを考えるとこれらが魔力の原因である確率は高い。



 高いのだが、そのどれからも魔力の根源は感じられない。

 すると、



「――Los gehts」


「――!!」



 部屋の中に響いたのは、女のものらしい静かで平坦な声音。「さあ、動き出せ」の言葉に、周囲に飾られていた数体の人形が帯状円環魔法陣(ベルトバインドサークル)を帯び、糸で繰られた操り人形のようなぎこちない挙動を見せ始める。



 その見た目はさながら、人形自身が自分の動きを確かめているかのようなそんな動き。腕を動かし、足を動かし、身体をひねる。



 やがて、何かしら準備動作が終わったのか、人形が水明目掛けて一斉に飛びかかってきた。



「くっ!」



 水明は無造作に腕を振って、魔力で人形たちを薙ぎ払う。

 人形たちは水明の魔力を弾いたが、その反動で壁に吹き飛んだ。

 すると、間髪容れずに再びの声。


「Sie kommen,Meine niedlich bär kuscheltiere)」

(さあおいで、ボクの可愛いクマさんのぬいぐるみ)



 聞こえた声には、神秘性があった。呪文にしては随分と巫山戯た言葉の羅列だが、紛れもなく呪文詠唱。

 平坦な声音の主が口にしきった瞬間、ぽんっとクマのぬいぐるみが宙に現れる。その姿は可愛らしく、一見脅威には見えないが、空にぬいぐるみを創り出した術はどの魔術系統にも属していない。それをオリジン・マジックと判断した水明は、ぬいぐるみを撃ち落そうと左手で指弾の魔術を発動しようとする。



 だが――



「Packen!」

(飛び付け!)



「なに――!?」



 命令と共に、クマのぬいぐるみが突き出された左腕に機微よく取り付いた。その瞬間、腕に恐ろしいほどの重みがかかる。



(ぐっ――! こいつは……魔力の枷か?)



 クマのぬいぐるみはそれ自体呪いの術式で構成されているのか。振りほどこうにも解けないし、左腕に魔力を流せない。左半身がぐいぐいと床に引っ張られていく。

 水明は解呪を試みようとするが、そんな間に、むくりと起き上った人形たちが体勢を立て直して、じわりじわりと近づいてきているのが見えた。



 この人形たちも、いま左腕を戒めているぬいぐるみのような呪力(ちから)があるのか、それとも他の力を持っているのか。にじり寄る人形は五体。次の魔術行使の前兆か、テーブルの上ではカードケースがカタカタと暴れている。



 だが、複数の魔術行使が仇となった。



 隠しきれない心霊寒気(サイキックコールド)の発生源、そして魔力の動きから逆算して割り出した術者の居場所は、正面。



「お前か――」



 水明は左腕にしがみついたぬいぐるみを後回しにして、ベッドの上にあった人形に右手で指弾の魔術を撃ち込んだ。室内に響く、パチン、というフィンガースナップの小気味良い音。だが、マジシャンの格好をした人形は、衝撃から逃れるように動き出して飛び上がり、部屋の奥に着地する。



「あらら、バレちゃったか」



 そう気のないように口にして立ち上がったのは、少女だった。平坦で、中性的な声音。どうやら、大きな人形に擬態していたらしい。シルクハット、燕尾服、ステッキ。いかにもマジシャン然とした恰好をしており、長い黒髪を流し、人形のように陶器さながらの美しい白い肌を持っている。

 顔立ちはアンネリーゼによく似ており、しかし彼女にはないあどけなさがあった。

 アンネリーゼよりも背が高く、自身よりも少し低いくらいか。



 ステッキを一回転させた少女は、左手で帽子を取って、水明に向かって軽く会釈をする。

 その様は、まるで舞台に上がった奇術師の挨拶。



「こんにちは。キミが結社の魔術師(マギウス)さんだね?」


「ああそうだが、お前が俺に遣わされるって助手ってヤツか?」


「さぁ? それはキミ次第だよ」



 そんな侮るような言葉を投げ返した少女。エドガーの話と彼女の物言いの通りであるなら、彼女が例のホムンクルスだろう。しかし、まさかフラスコの中でしか生きられないはずの者がその理に反し自由に動けるとは、エドガーの、そして彼の妻である錬金術師の力量の凄まじさが窺える。



 しかし、ハイデマリーの魔力が依然鎮まらない。もしやまだ魔術合戦に臨もうというのか。



「お前、客に対して随分じゃないか?」


「結構強い魔術師さんなんでしょ? 名前負けしないくらいの度量をボクに見せてよ。魔術師(マギウス)、夜落綺羅星」


「――ふん」



 誰かが付けた異名を出され、水明は気に入らないと言うように鼻を鳴らす。そのまま、仕切り直しの後の先手は自身が頂くと、魔術行使に打って出た。



「Augoeides sagittent trigger!」

(光輝術式展開、及び射出!)



 水明が中空に浮かび上がった小魔法陣から、発光甚だしい魔力の光条を撃ち出す。

 すると、少女の前に即座に障壁が展開された。魔力の光条と障壁が衝突すると、魔力が見せる光の粒子が弾け飛び、部屋の内部を青と白の明滅が襲う。



 しかし、光条が障壁を貫いた様子はない。

 防ぎ切られたことを水明が確信した直後、少女の楽しむような声が室内に響いた。



「お返しだよ」



 そう言って、彼女は先ほど水明が中空に浮かび上がらせた魔法陣を、同じように真上に描く。おそらくは全く同じ魔力の光条が撃ち出されるだろう。器用なものだ。いまの衝突で、術式を読み取ったか。いや、単にそのまま鏡に照らしたかの如く、模造したのかもしれないが――



「Defense shift. Overlay」

(防御障壁、外周展開)



 水明は刀印を上から下に、右から左に素早く走らせ十字を切り、足もとに六芒星章(ペンタグラムマ)を現界させる。魔法陣の展開型は球型囲繞(スフィアスロウディング)。六芒星章が浅葱色に輝き、足もとの魔法陣の外縁が球の形を成して水明を囲んだ直後、光条が防御障壁に衝突した。



 そして防御し切ったと同時に、水明は動き出す。回り込むように横合いに駆け、直角に転進。右拳に魔力を溜め、術式をあてがい、行使が整ったのは帯状円環魔法陣(ベルトバインドサークル)が右手周りに回転すると完成する、オズフィールド卿直伝の覇者の拳(ラグラインベルゼ)



 一方、その動きを少女は捉えていたらしく、わき腹目掛けた拳は障壁によって守られた。

 だが、不倒王(ビートレクス)と呼ばれる男が編みだした魔術の技はその冴えは、防御障壁(そんなもの)では防げない――



「クロスサイト……」



 響いたのは、少女の平坦な声音。瞬きの間にこの魔術の要訣を読み取ったか。的確な単語が呟かれる。相手の防御魔術を拳の陣に瞬間的に模写展開することによって、その脆弱性を露呈させ弱点を衝くという、魔術を壊す魔術である。



「Puppe puppe!」

(人形劇!)



 少女の声が上がる。鍵言のみのものか。魔拳が彼女の障壁を打ち壊す直後間一髪、少女の身体が他の人形にすり替わった。

 水明は人形を魔拳で跳ね飛ばし、先ほどの魔術のおまけで飛びかかってきた人形も打ち払って、後方に飛んで着地する。



 一方の少女は怪我もなく何事もない様子。拳に打ち据えられた人形も頑丈なものなのか壊れてもいない。さすがに本家本元の覇者の拳とは格が大幅に違うものの、こうも問題なく対処してしまうとは恐れ入る。



金色(こんじき)のマグナリアは見せてくれないんだ」


「そう何でもポンポン見せると思うなよ?」


「ケチくさいね。もしかして吝嗇家(りんしょくか)?」


「うっせえよ」



 水明は不機嫌そうに少女の罵倒を跳ね除ける。

 澄ました顔をして、軽口は一丁前だ。まあこれくらい言えなければ荒事の多い魔術界では生きてはいけないだろうが。



 ――それはともかく、確かにこの少女、アルツバインの名に劣らない実力だ。魔術行使も、こちらの魔術への対処も上手い。もちろん彼女の部屋だから、ということも要因にあるだろうが、それでも上手く立ち回っていることには変わりない。


 強い。だが、必ず弱点があるはずだ。



「Tanz Tanz. Werden Sie ein Kreis」

(踊れ、踊れ、輪になって)



 再びの詠唱。いや、これは指示か。少女が言葉を紡いだ直後、水明の周りで倒れていた人形たちがむくり、むくりと起き上がり、手を繋いで輪を作る。すなわち、それは円環だ。輪を作るという神秘的な行為のそのほとんどは、魔法陣の外縁にある円を表すものとされる。


 手を繋いで作った輪で、外側の円を模しているのだろう。類似の法則により、魔法陣の円が示す魔力の循環が発生し、全ての人形が持つ魔力の総量が統合され、一つの大きなうねりになる。



 恐ろしい力の現界だった。このまま放っておけば神秘力場揺動(マナフィールド・バイブレーション)が起こるだろうことは想像するに難くない。



 神秘力場揺動(マナフィールド・バイブレーション)が発生する魔術はその効果の甚だしさもさることながら、他の魔術に比べ神秘的な位階が一段上がり、それにより低位の魔術の行使が威格差消滅(ディスパラティアウト)によって阻害される事態にも繋がる。



 まだ何の神秘が巻き起こるかは判然としない。だがそれが明確に知覚できたときには、もしやすれば自分の身体が消し飛んでいることもあり得るはずだ。



 ゆえに、水明の対処は――



「――Violentus tempestatem vim. Emittit clamor. Disperdam omnem Iudam……」

(――我が欲するものは、猛威の嵐の前にあり。風よ吹きすさべ。絶望の叫びを上げよ。全ては我が眼前にのさばるあまねく何もかもを絶やさんがために……)



 水明が詠唱を始めると、周囲の空気が流動する。紙や軽いものがバラバラと部屋中に吹き飛び、カーテンや布地、レースなどがバタバタとはためく。

 やがて水明が下寄りに突き出した手の前に、空気が凝縮されていった。



「ちょっとそういう魔術は嬉しくないなぁ」


「人をハメたクセによく言うぜ」



 魔術行使は止めないまま。シルクハットを押さえる少女のやたらと呆れた物言いに、どの口が言うのかと吐き捨てた。そして、



「Glauneck air!」



 行使する魔術はグラウネックエア。属性は風。うちに魔を内包した暴力的な魔術である。

 圧縮された空気の塊が水明の前で破裂すると、多大な衝撃波が周囲に散じる。衝撃波は人形や家具を巻き込み、質量も抵抗も関係なしに、問答無用(・・・・)で部屋の端まで吹き飛ばした。



 そのときふっと、ベッドの奥の花柄のタペストリーの一部がまくれる。



「――」



 水明はそれを、少女を見る傍ら視界の端に捉えた。

 しかしてその直後だった。今度は水明に向かって、少女が飛び込んでくる。グラウネックエアの二次効果(セカンドエフェクト)である強制移動により飛び込みは壁際からのもので、距離は直近ではなかったが、もうすぐに目の前に来る。中々の到達速度である。



 これまでの彼女のスタンスを鑑みるに予想外だが、いまは近接戦をお望みらしい。



 影を曳いて横合いに現れた少女が、すぐにステッキを突き出した。



「Schock oder schock!」

(ビリビリスティッキー!)



 水明は咄嗟に回避するが、頭の中に思い描いた『電撃を帯びたステッキでの殴打』と言う予想は裏切られた。ステッキからいくつもの電流が放たれたかと思うと、伸びた眩い電光が辺りのものを帯電させ、且つそれらをつかみ取るように持ち上げて振り回す。ステッキから伸びる電流は常に発生したまま。それらの先が持ち上げた物も帯電したまま。常に流れ続ける電荷が稲妻の火花をまき散らしつつ、アンティークの椅子が、ティーカップが、花柄のクッションが、部屋の中を暴れ回る。



 伸びた電流はスティッキーフィンガーを思わせた。先ほどからの魔術を見るに、どうやらおもちゃがその理の根幹にあるらしい。



 迫りくる帯電椅子。帯電した物体という危険なものとしても、勢いとしては殴殺兵器としても、両方十分な状態にある。


 それを、水明はかわそうとするが――



「――ッツ!?」



 腕にしがみついたクマのぬいぐるみが、まるで電気に引き寄せられているかのように、ぐいぐいと腕を引く。



(重くなるだけじゃなくて、引っ張っても来るのかよコイツは!)



 動きをクマに制限され、水明は舌打ちを交えつつ回避行動を取る。

 大きく身をかがめての回避。体勢を大きく崩すのは悪手だが、いまは仕方ない。すると、今度はクマが別の方向に身体を引っ張ろうとする。引っ張ろうとする場所には電流も帯電した物質も調度品も何もないが、そこに相手がいれば、何もないだけに帯電したものをぶつけやすいだろう。



 水明の頭の中に、スタンドアロンの文字がよぎる。ぬいぐるみのクマも、そこらを這う人形も、いまは全て勝手に動いている。

 主の考えに呼応して動き回る、可愛らしい兵隊だ。



 ――無論いまの水明にとっては、可愛らしくもなんともないが。



 思った通りに動けない。ならばままよと、クマの引っ張る方向へ自ら飛び込んでいく。向かえば攻撃が集中する。そこまでわかっているなら、あとは守りに徹すればいいだけだ。



 殺到する、帯電したおもちゃや家具調度品。それに水明は、



「Primum ex Secandum excipio!」

(第一、第二障壁、局所展開!)



 水明が中空に突き出した手を起点として、魔法陣が展開される。円形の魔法陣に被さるように、張り出した円形の魔法陣が展開。多重集積魔法陣(アキュームレイトサークル)広域型(ワイドスクエア)。完成と同時に、魔法陣が一気に金色の輝きを放ち始める。


 絢爛なる金色要塞、魔術の(マグナリア)が、少女の繰り出した全ての攻撃を弾いた。


 彼女の横を、電撃で繰っていた物が弾き飛ばされて過ぎていき、後方の壁に衝突する。



「やっと見せてくれたね」


「思惑通りになるのはまったくもって不本意だ」



 とは言ったものの、さて、どうするか。グラウネックエアに続き金色要塞の城壁を展開したことにより、場の隠秘学的エントロピーは限界に達しつつある。魔術融解(マジック・メルト)現象が発生する恐れがあるため威力の甚だしい魔術は使えないし、かといって小手先の魔術も相手の力量を鑑みると適当とは思えない。



(いや、ここは――)



 先ほどの見たもの。魔の風(グラウネックエア)がもたらした勝利への光明を、いま手繰るか。そう結論を出し、水明は攻めに掛かる。右手に再び魔力を宿して、しかして向かうは少女のもと。



「またそれ? それに、魔術師が真っ向から向かって来るってナンセンスだよ?」



 真っ直ぐ、見た目通り接近戦を挑もうとするこちらに対し、少女は白けた声を放つ。行動が単純、単調だと思っているのだろう。



 水明が魔術を放つ体勢を取るように、右手を突き出す。正面の鏡台に。



 それと同時に、正面に到達した水明へと、少女の操る人形が組み付いた。


「残念だったね。そんな明後日の方向に魔術を放ったって、相打ちにさえならないよ?」


「いいや、俺の勝ちだ」


「キミは何を言って――」



 水明が伸ばした右手の刀印の先には、鏡があった。だが、別に鏡を壊されたからと言って、少女が負けるわけではない。



 それでも水明の自信に満ちた表情が崩れないことで、ようやく少女は悟った。

 その角度から見える鏡台、それが映し出した先には、花柄のタペストリー。否、それによって隠されてあった巨大なフラスコがあることを。

 それに向かって、水明は顎をしゃくる。



「あれがお前のフラスコ(じゃくてん)だろう? 王手を決めてるのは俺の方だ」


「……ふーん。じゃあこの魔術は鏡に反射させることのできるタイプなんだ。じゃあいまの突撃はブラフだったんだね」


「見えすいてただろ。訝しまなかったのはお前の落ち度だ」



 先ほどの動き奇をてらったと言うほどのものでもない。確かに相手の勘違いを期待する部分もあったが、手管としては無論上策にはあてはまらない。当然だ。



「相打ち覚悟でしょ?」


「一度は堪えられる。怪我したら、お前を倒したあとに治すなりすればいい。痛みのない勝利を持っていけるほど楽な相手なら、そうはならんが」



 ――お前は、そうじゃねぇよ。



 そう称賛めいた言葉を告げると、少女はやがて納得したように頷いた。



「やるじゃない。いいよ、とりあえずは合格かな」


「とりあえず合格ってお前な……」



 どういうことだ。そう、水明が問いかけようとしたとき、


「ボクが補佐するに値しうる人かどうかを見極める、これはそのテストだよ」


「テストって……一人で入らせたのはそのためかよ」


「そう。だってそうでしょ? いきなり会ったこともない人の補佐に付けって言われたんだよ? 普通納得なんかできないよ。だからお父様やお姉さまにお願いしたのさ」



 そう、さも当然と言った風に口にする少女を前に、水明は顔を険しくさせるが、



「まあ……」



 気持ちはわからなくもない。魔術師としては、師事する相手や共同研究者というものは選びたくあるものだ。だが様子見をするわけでもなく、顔合わせの状態で試しにかかるとは。確かに、アンネリーゼの言う通り、わがままである。



 複雑な表情を浮かべている水明に、少女は改めてシルクハットを取る。



「ボクの名前はハイデマリー・アルツバイン。キミは?」


「八鍵水明」


「ヤカギスイメイくん……水明君か。ふーん。キミ、変わった名前してるって言われない?」


「何でわかる?」


「人の名前は大概頭の中に入ってる。日本人でも結構珍しい名前だよね」


「あー、そういうことか」



 入っている。ホムンクルスは生み出されたときに、その神秘性に応じて、製作者の意図に関係なくそれに見合う知性が構成される。

 ゆえに知っているというのも、ホムンクルスの持つ叡智の一端なのだろう。

 水明は未知の知識に「ほぅ」と感心の息を吐く。



 すると、ハイデマリーが、



「ところで全然関係ない話なんだけどさ」


「なんだ?」


 何気なく合いの手を入れた水明に、ハイデマリーはむっつりとした顔で、


「辛気臭いカオしてるね、キミ」


「あぁ!?」


「やだ怖い」


 まるでそう思ってもいなさそうな顔で、びっくりしたような挙動を見せるハイデマリー。

 おちょくっているのか。身体を抱いて後ずさった。



 しかし、どうにも先ほどから、物言いに比べ表情の変化に乏しい。彼女がホムンクルスだからなのだろうかと思いつつ、水明は盛大にため息を吐き出して自分の左手を指さした。



「なぁ、そろそろコレを外してくんねぇか?」


「あ、ボクのぬいぐるみ、可愛いでしょ? ベアトたんって言うんだよ」


「いやだから……」



 会話がまるでかみ合わない。自慢げに口にするハイデマリーに、水明はげんなりとした表情をする。



「可愛いでしょ?」


「俺には凶悪なイメージしか持てんよ」


「えー」



 よくもまあこの状況で不満を口にできると言ってやりたい。このぬいぐるみ、可愛い外見に反し、取り付けば魔力の枷になるのだ。魔力を込めれば重くなり、かつ魔力の循環を阻害し、かといって魔力を使わなければ解除できない。戦闘中にこれに捕まれば、かなり危険である。



 水明が素っ気ない態度でいると、ハイデマリーはぬいぐるみを両手で外して小首を傾げ出す。本気で可愛いと言ってもらえると思ったのか。魔術に対するこちらの賛辞が、彼女には額面通りには受け取れないらしい。



 そんな彼女に、水明は改めて訊ねる。



「お前の使う魔術はオリジンマジックか?」


「そうだよ。羨ましい? 羨ましいでしょ?」



 ふふんと、自慢げに訊ねてくるハイデマリーに、水明は半眼を向ける。



「お前、さっきから随分な自信だな」


「だってボク天才だし。さっきの魔術行使、見たでしょ?」


「まぁ……」



 確かに彼女の言う通り、先ほどの魔術行使は巧かった。彼女の魔術自体も目を瞠るものだが、複数の魔術を同時に行使するのも高度な技術だからだ。オリジンマジックにデュアルスペル。これだけの技術があれば、自分のことを天才と自称しても、どこからも文句は出まい。それに彼女は、自分の力量を過信してそんなことを言っているわけではないのだ。彼女の態度や言葉端には、奢りや嫌みが含まれていなかった。おそらく自分を評する言葉が、それしか思いつかないと言ったところだろう。ホムンクルスゆえの、イノセントだ。



 まあ、人を試すような言動については、水明も当たり前にイラつくのだが。

 そこでふと、水明は彼女がホムンクルスであることに着目する。



「……おい、お前、いくつだ?」


「んー、いくつっていうのは歳のことを言うんだよね? ボクはお父様に創られてから六年だから、六歳かな」


「ろ……マジか」


「そういうこと。納得した?」


「ああ、確かにとんでもないわ」



 ホムンクルスは大きな智を持って生まれるのが常だが、身のこなしなどを合わせれば、数年単位でいまのハイデマリーのようになどならない。創り出したエドガーの力が大きいし、本人が天から授かったものも相当なのだろう。フラスコから独立して動いている時点で、常識の範疇にはとらわれないものではあるのは明白だが。


 ハイデマリーが壊れた物を魔術で直していく。素早く、そして丁寧に。雑味なく、完璧であり、やはり魔術を使うと、見える効果の端々に力量の高さが窺えた。



 それが終わると、今度は人形やぬいぐるみたちを手招きし、集まったそれら一体一体をまるで壊れ物を扱うかのように魔術を使って直していく――いや、治していく。


 万歳をする人形や頬ずりをする人形、様々な動作をする人形をひとしきり撫でたり慈しんだりしたあと、椅子に腰かけ、テーブルを挟んだ対面の椅子を水明に勧めた。



「座りなよ。ボクと少しお話ししよう」


「…………」



 そう言って、どこからともなくお菓子とポットを取り出したハイデマリーを警戒しつつ、水明は彼女の勧めに従って椅子を引いた。




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