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人形術師

 ――人形使い。古今東西、傀儡や形代を用いて事をなし、あるいはそれらを生み出す魔術師は、畏敬をもってそう呼ばれる。

 この異名を自ら称する者は多々あるが、唯一、千夜会から人形術師(ドールマスター)と指定され、その名を冠しているのは、エドガー・アルツバインただ一人をおいてほかにはない。



 その所以(ゆえん)は、彼の人形作りの技術が、この先どれだけの人形師が生まれようとも超えられるものではないと言われるほど卓越したものであり、そしてそれと同時に、数年に一度、工房製の人形とその使い手を送り出しては、大功をなすからである。

 それゆえその名は、百年経った現在でも、未だ色あせることはない。

 アルツバインの有する逸話を改めて思い浮かべながら、水明は少女に導かれ、門にもまして重厚な扉をくぐる。



 しずしずと歩く少女に付いて行くと、まず薄暗い玄関ホールに出迎えられた。

 眼前に鎮座する両階段の偉容に圧倒されつつも周囲を見ると、洋館の古びた外装からはまるで似つかわしくないほど真新しい調度品が揃えられているのが見受けられ、手入れが行き届いているのがわかった。



 そのまま、視線を上に向ける。天井には仄暗い光を灯すシャンデリアが据え付けられており、薄暗いのは察するに、どうやらあれで光量を制限しているかららしい。



 色付きガラスが魔力を帯びている。そのためか、隅や調度品の上に飾られているビスク・ドールたちの姿も、よく見えない。名高いエドガー・アルツバインの作った作品ゆえ、水明もよく見ておきたいとは思うのだが――



 不意に、先導していた少女が立ち止って水明の方を向いた。そして、上を見ることを促すように、彼女は天井を仰ぐ。



「どうした?」


「――水明様。光が強いと、見せたくない部分まで見えてしまいます。特に乙女は、殿方に不躾な視線を送られるのを嫌がるものです」


「……乙女?」



 少女の脈絡のない言葉に、水明は怪訝な声を出す。乙女――当人がそうであるなしにかかわらず、彼女自分のことを指すにしては腑に落ちない言い様である。そればかりか少女の声には、どこか思いやりが含まれていた。


 いまのが誰を指しての言葉なのか眉をひそめていると、少女が視線を前から外す。その先にあったのはビスク・ドールであった。



「なるほど、あれが乙女……乙女たちか」


「はい。ですので、乙女の容貌を愛でるには、このくらいの明るさが適当なのでございます」



 ――なるほどこの住人は、人形も全て生きているものとして扱うのか。水明はそう納得すると、少女に向かって、



「なら、じろじろ見ちゃあダメだな」


「遠慮していただけると、助かります」



 少女はそう言って、再びしずしずと歩き出した。ホールに鎮座する両階段を昇り、ペルシャ柄の長い長い赤絨毯が敷かれた廊下を、ランプの火の温かい輝きを頼りに進むと、奥の一室まで導かれた。


 ドアを境に奥側に立ち、礼をする少女。

 水明は彼女に、確認の訊ねをかける。



「ここに?」


「はい。館の主がお待ちになっておいでです」



 主。つまり彼女がお父様と言った相手であり、エドガー・アルツバインだろう。

 水明が緊張に唾を呑み込むと、彼女は、



「水明様。お気を楽にしていただいて結構です」


「……って言ってもな」



 相手はかの人形術師だ。固くなるなと言われても、無理がある。

 水明が照れ笑いを返すと、少女は目を閉じ頷いて、扉に向かった。



「お父様、結社からのお客様をお連れ致しました」


「入れ」



 扉越しに通ったのは、重厚な声音。その声に、何故か年季の入ったモミの木のどっしりとした質感が連想された。

 やがて、少女が扉を開ける。しかして部屋の中には、年老いた男がいた。

 瀟洒なモノクルを掛け、ベストを着込んだその男性は、いまはソファに座っている。白髪で老年とわかるが、肩幅も広く大柄で、身体からは魔術師特有の力強さと雰囲気がにじみ出ていた。


 水明が受けた印象は、仏頂面の彫像のような重苦しさ。

 この男が館の主であり、この工房の人形たちの製作者(マイスター)なのか。

 水明は対面のソファの後ろに立つと、静かに礼を取る。



「お初にお目にかかります。結社から盟主ネステハイムの名代として参上いたしました、八鍵水明と申します」


「エドガー・アルツバインだ。遠いところから、労を掛けたな」


「お気遣い、痛み入ります」



 再び礼をすると、マイスターエドガーは何かおかしかったのか、偏屈そうに固めていた表情をいささかばかり崩した。

 そして彼は、いまはその隣に立ち位置を移した少女に目を向ける。



「お前をここまで案内してきたのは、私の娘の一人――」


「アンネリーゼと申します。以後お見知りおきを」


「ああ、改めてよろしく」



 アンネリーゼにそう返してから、ソファに掛けようとした水明の目に、ふと壁に据えられた額縁が入った。

 中にはモノクロの写真が収められており、数人が集まって撮られた集合写真ということがわかった。だが何故か中心にいる人物の顔だけは黒く塗りつぶされており、見ることができない。しかし、その写真に写されている他のもののおかげか、その人物がどんな顔をしているのかは水明にもすぐにわかった。



 正体を察した水明が怪訝な表情のまま写真を眺めていると、エドガーは少し残念そうな様子で口を開く。



「アレか。いまではあの男の写真を見ると、誰もが嫌な顔をするようになったな」


「では、あれに写っているのは、やはり?」



 振り返った水明の問いに、エドガーは静かに頷いた。

 そして水明は再度、写真に視線を送る。そう、おそらくあの写真に写っているのは、ここヨーロッパでは最も悪名高いと言われる人物だ。この男のせいで、ドイツやその周辺各国では現在でも、手を上げること自体がタブーとされている。


 そんな人物の写真を額縁に飾り、まして残念そうにするとは、知り合いなのか。

 水明が視線で問うと、エドガーは頷いた。



「マイスター、あの人物はどのような人間だったのですか?」


「どんな人間……か。それについては、明確な答えは出せんな」


「……?」



 エドガーの意味深長な答えに、水明は眉間のしわを深める。するとエドガーは、過ぎ去ったいつかを思い出すように写真を見上げて、滔々と語り出した。



「ヴォルフは、あるときは大きなコンプレックスを持っていて、常に自分のルーツを捜していた……かと思えば、いつも自信に満ち溢れ、迷いのある者たちを導いていた。その時々によって変わるのか、それとも変えていたのかのどちらだったのかは、私にもよくわからない。もしかすれば、あの男自身も、自分というものを探していたのかもしれないな。ただ私も、当時の民衆があの男に持った印象とまったく同じ印象を抱いていたのは確かだ」



 エドガーの語りからは、まるで懐かしむようにその人物のことが明かされた。



 ……写真に写る人物は、当時は多くの労働者たちを魅せていたという。演説や演出で人心を掌握し多くの同士を引き込んだ。だが、彼らが政権を持つと、多くの者が迫害され、各地が不幸に見舞われた。その爪痕は、大戦から七十年経ったいまでも残っているという。



「仲間だったのですか?」


「そうだ」


「では、最後まで」


「いや、道半ばで袂を分かった。結局あの男は、博士の術に抗い切れなかったのだ。だから、道を分かつ他なかったのだ」


「…………」



 第二次世界大戦の最中、その裏で魔術師たちの戦いはいくつもあったそうだが、その中でも、ドイツ、イタリア、イギリス、ロシア、香港、満州は激戦の地であったという。目の前の男も、その戦いの渦中にいた人物の一人なのだろう。

 エドガーが手の中で遊ばせていたらしいライヒスマルク硬貨を、机に向かって弾く。



 それで、この昔話は終わりだと言うように。

 やがて机の上で回転していた硬貨が止まると、エドガーが切り出す。



「……縁のある者を寄越すと聞いたが、まさかあの男の息子が来るとはな。若いころのカザミツの面影がある」


「父をご存じなので?」


「あの男が若いころ、二、三度嫌みをくれてやったことはある」



 エドガーがおかしそうに口もとを歪める。父の歳が水明時分の頃、随分とやんちゃだったと聞いているが、おそらくこの話にはそれが関係しているのかもしれない。



「カザミツのことは、残念だったな」


「お気遣いありがとうございます」


「その顔でそんな慇懃な言葉が飛び出すのは、少々違和感がある」


「それは……慣れていただくほかありませんね」


「お前も言うな」



 と、不敵な笑みを口もとに浮かべるエドガー。そんな彼に、水明はここに来るまでに抱いていた疑問をぶつける。



「マイスター。盟主からは、古いご友人だとお伺いしましたが」



 その問いに、エドガーは「またネステハイム殿はそんなことを……」とため息を吐く。

どうやらやはりこれは水明の予想通りのものだったらしい。エドガーは『彼』の言う通りの友人ではないのだろう。盟主の歳と、エドガーの異名が世に現れた時期を考えれば、明白ではあったが。



「それでスイメイ。お前はネステハイム殿からここには何をしに行けと言われたのだ?」


「盟主殿には、補佐する者を受け取ってこい、とだけ」


「まあ、そう仰られるだろうな」



 予想通りだと言うように、一つ頷くエドガー。それは水明が道中で抱いた疑問の一つだが、どうしてその物言いで、得心がいったと言う顔をするのか。やはり水明は、眉間のしわを深めることを余儀なくされた。



「どういうことかわからない、と言った顔だな」


「はい。いささかかみ合わない部分が多く」


「確かに、あのネステハイム殿の普段の口ぶりからは出て来ない言葉だが、そうだな。昔、私がお前くらいの歳の頃に、初めて作った人形を、ネステハイム殿に見せたことがある。いま私たち(・・・)が作り出した子供たちに比べれば随分と劣るものだがな」



 そう言って、彼は天井を仰ぐと、また口を開く。



「それをネステハイム卿は……まあいつものやんわりとした態度だったがな、物扱いされてな。当時、無論いまもだが、『生きた人形』を創ることを目指していた私には、それが随分と悔しかった」


「盟主殿がそんなことを……」



 人形術師の作品を物扱いでこき下ろしたのか。厳しいというレベルではない。



「思えばあれは、ネステハイム殿の譴責(けんせき)だったのだ。師の元から逃げ出して、あの男のもとについた私には、驕りの道しかなかった。あの頃は、手の届く範囲以上に、全てを支配できると思っていた。それゆえ、その言い様はその時の名残だろう。いつまでも自分を律し、たゆまずいろという、ネステハイム殿からの戒めと訓示だ」



 言葉を送られたのがエドガーは嬉しいのか、愉快そうに口もとに笑みを作っている。



「話が逸れたな」


「いえ、興味深いお話しでした。ですが先ほど、子供たちと仰いましたが、まさか」


「はい。私もこの館の住人にございます」



 エプロンドレスの裾を摘まんで持ち上げ、優雅に礼をするアンネリーゼ。つまり、彼女は――いや、彼女もエドガーの作品である人形なのだ。

 だがそうであるならば、どこかに動力である魔力源があるはずだ。人形は動かす人間がいなければ、動く物ではないのだから。だが目の前のエドガーを含め、彼女を操っている魔術師はこの部屋のどこにもいない。



 ならば考え得るに、造ったときにもうすでに神秘性を持っているため、術者がなくとも自力で魔力を生み出すことができるということになる。

 自立形態(スタンドアロン)。その答えに至った水明の瞳には、畏敬が宿っていた。



「この館にいる人形(ものたち)のほとんどは、妻と私の子供なのだよ」



 エドガーがそう言って目配せした先には、机が。その上には立てかけられた写真があった。写っているは若い男と若い女だ。男の方にはいまのエドガーの面影があり、女の方はアンネリーゼに似た部分がある。



「妻は、子供が産めん身体でな。私たちの何かを残すとすれば、これしかなかったのだ」


「では今日、結社に遣わされる者も?」


「ああ、私の娘の一人だ」



 エドガーの言葉のあと、アンネリーゼは彼の方を向いて困ったように自分の頬に手を当てる。



「ですがあの子は私たち姉妹の中では、一番わがままに育ってしまって。末っ子だからでしょうか……」


「あの子はまだ若い。それについては皆と一緒だ。これから覚えていくだろう」


「ではご息女も、まだ魔術師として一人立ちできる段階ではないと?」


「そうだな。それでお前を補佐する傍ら指導をと、白羽の矢が立ったというわけだ」


「しかし私もまだ」


「――ご謙遜を。水明様はかの赤竜を消し去った稀代の魔術師。未熟などとは誰も申しませんわ」


「だがありゃあ俺一人でやったわけじゃあ……」



 そう、一人で倒したわけではない。あの勝利は、多くの魔術師が命を懸けたゆえ生まれたものなのだ。自分のお陰などとは口が裂けても言えるものではないし、それに自身は魔術師の師となれる段階ではない。いくら魔術師としての階級が高くなったとは言え、弟子を取るのに必要なのは指導能力や蓄積された経験だ。魔術師となって十年程度でしかない自分にはまだ早すぎる。


 だが、エドガーは、



「スイメイ。これからはお前も相応に弟子を取るようになるのだろう? これはその弟子に魔術を教えるようになるまでの、予行練習だと思ってくれればいい」


「……本当に私でよろしいのですか」


「よい。カザミツの息子なら、悪いことにはなるまい」


「…………」



 エドガーの言葉を聞いた水明は、照れくささを頭を掻いて誤魔化す。父を褒められたようで、その息子としてはどこか面映ゆいものがあった。



「それとこれからお前に引き合わせる者だが、姉妹の中で唯一、違っていてな」


「違う?」


「あの子はフラスコから生まれた娘なのです」



 フラスコから生まれた。そのアンネリーゼの言い回しに、水明はピンとくる。



「ホムンクルスですか」


「生前妻が理論を立てていてな、機会に恵まれたのと、私の技術が追い付いたこともあって、あの子は錬金術で生み出すことにしたのだ」


「なるほど。……ですがマイスターが追いついたとは、また」



 エドガーの口から放たれた話の内容のすごさたるは、水明にとってはあまりに名状しがたいものであった。人形術師(ドールマスター)と呼ばれる男の技術が追い付いた。その言葉が真なるものであるならば、一体その娘の出来はどれほどのものなのだろうか。察するに余りある。



「私はこれでも人形師だ。錬金術には相応の造詣があったのだがな、妻はその点においては当代一だったからな」


「では、いまもそれを超える者は」


「ニコラス殿くらいだろう。だが、当時は彼も唸ったほどだったからな」



 エドガーの堅い表情から出て来たのは、のろけを匂わせる言葉。あの妖怪博士を唸らせる使い手とはまた、恐ろしい限りである。


 すると彼は、アンネリーゼに向かって指示を飛ばす。



「では、アン」


「はい。水明様。こちらに」



 エドガーの脇に控えていたアンネリーゼは、先だって扉の前に立ち、水明を促すように礼を取る。案内してくれるのだろう。水明はエドガーに軽く会釈をして、アンネリーゼのあとを追った。



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