「ねじまき少女」上下 パオロ・バチガルピ
パオロ・バチガルピ「ねじまき少女」上下 (ハヤカワ文庫SF)二〇一一年五月二十日
大変面白いがイーガンやチャンのようなSFではなく、それをいえばパラニュークの「サバイバー」(世界初のアイデア)の足元にも及ばないが、ディックとバラードとギブスンからその弱点を取り去って合成したような面白さがある。まずストーリィに破綻がない。下巻で話が単調になるが、内乱だから致し方ない。ついでストーリィに厭きが来ない、およびストーリィが先まで読めるということもない(特に前半)。「アンドロ羊」というよりは「ブレラン」のレプリカントにも似たエミコというガイノイド(by コールター)のピュア振りが物語の清涼剤にもなっているが、やはり奴隷女子は殺人を起こさなければ定められた運命からは自由になれないようだ。「燃える世界」の暑さと「ニューロマンサー」の喧騒がある。また後半は幽霊が登場人物(処理的には妄想)となって最後にストーリィを牽引するところが素晴らしい。カロリー企業のアンダーソンの予想とは異なり現実のこととなるエピローグの水の描写が涼しげだ。遺伝子学者で不具の神ギブセンは伝説上のアベンゼンが住むとされた高い城のような屋敷に住んでいる。彼の諧謔さはディック自身を見るようだ。ディック経由でリチャード・コールターも入っているのかもしれない。同じデッド・ガール(ガイノイド)が主人公でもあるからだ。一方、ワトスンの後に日本で刊行された処女作(こちらもデッド・ガールが主役で「どろろ」の百鬼丸初登場の目玉のシーンまである)とはまったく似ていないところはイーガンやチャンではないのと同じ理由。訳が悪いと言う意見もあるが、筆者は特に気にならない。が、単純な視点の話に慣れた人にはきついかも。さらにラノベのようだという意見もあるようだが、いまの面白い話は皆ラノベらしいから褒めているのだろう。重力さんの表紙が素敵! 最も良い読み方は上巻を読んで下巻を脳内補完することだ。ただしエピソードは読もう。